2005年08月12日

●あの頃の体力の半分でも今、残っていれば・・・。

1980年3月15日(日)

快晴である。半月が中天にかかり、冬の星座が驚くほどの光輝で瞬いている。
「赤平。それにしても暑いなあ」
「うん。めちゃくちゃ暑い」
3月の夜。冒頭に書いたとおり、まだ冬の星座が夜空の大半を占めている時刻である。春の気は立ったとはいえ、ふつうならば寒くてたまらないはずだ。にもかかわらず、私たちは暑い。熱い青春、というわけではない。純粋に生理的に暑いのである。

暑いはずだった。私と赤平氏は、寒空の下、ひたすら西へ向かって自転車を漕いでいるのだから。
道行く人がなぜか声援を送ってくる。手を挙げて私たちも答える。それというのも、私たちのいでたちが実にモノモノしいからだ。私はいつものヤッケにリュックを背負い、頭には汗止めのタオル。赤平氏はといえば、羽毛服を着て、風呂敷包みと懐中電灯を自転車の荷台にくくりつけているのである。
付言するなら、道行く人たちは風呂敷包みの中身までは知らない。そこには、彼が明日、登校するための制服が納められているのである。そんな二人が、風を切って新青梅街道をひた走る。
やがて、新青梅街道と八高線が交差している箇所へ到達した。地平の八高線の下を、新青梅街道がくぐり抜ける形である。
「どうする? ここ、車道しかないけど」
「こんなところでクルマに轢かれるのも悲しいから、真面目に歩道を通ろうよ」
傍らにある歩行者用の道(ちゃんと自転車の絵も描かれている)を見ながら、赤平氏が答えた。緩い下り坂の歩道を走る。ほどなく赤平氏が、うっ、と呻いた。何と、緩い坂はいきなり階段になっているではないか。
「本気かよ」
ぼやきつつ、自転車を押して、がたん、がたんと階段を下る。下った以上、上りがあるはずである。私たちは涙を浮かべつつ、一段一段、自転車を押し上げたのであった。
青梅を過ぎると、夜気の中に山の香りが混じるようになる。いつのまにか、北斗七星が背中に回っている。
唐突に、見覚えのある建物が出現した。
「おお! ドライブイン御岳だ!」
少しく安堵し、自動販売機のジュースなどを飲む。時刻、23時10分。
「井川たち、来ないかなあ」
「こんなこと話していると、バイクの音がしたりして」
話すそばから、聞き覚えのあるエンジン音が響いてくる。
「あの細いタイヤ。静粛なエンジン音。巨大なリアキャリア・・・。ビジネスだ」
「赤いボディ。太いタイヤ。ライダーに反比例したあの小さなバイクは・・・R&P!」
絶好のタイミングであった。時間差をつけて東大和市を出発した自転車組とバイク組は、期せずして御岳駅前で感動の再会をしたのであった。
バイク組「寒かったぜ!」
自転車組「暑かったぜ!」
訳もなく劣等感に悩む。
ともあれ、これでしばらくは楽ができる。私たち自転車組は、バイク組に牽引してもらいながら、ケーブル下までたどり着いたのであった。
「中崎たち、いるかな」
「いるさ。今夜は、青春クラブの観測会だって言ってたから」
赤平氏が、悪魔の如き笑いを浮かべる。
そうなのだ。今夜は、中崎、阿部、上滝、高橋のHAS青春クラブ(自称ね)メンバーが、御岳山長尾平に登っているはずなのである。そして私たちは、ふだんから根性の入っていない彼らを、お化けに扮して大いに脅かそうという魂胆なのであった。そのために、私と赤平氏は自転車、井川氏と山崎氏は原付バイクで、夜道をひた走ってきたと言うわけである。
愛機を駐車場に停めると、今度は登山。誰が言い出したのかは定かでないが、気がつくと私たちは、ケーブルカー保守用の階段を、息を切らして上っていた。自転車で30数キロを走破し、さらに30度以上の傾斜がある階段を直登する・・・。トライアスロンよりも過激ではある。

半死半生になりながらも、ようやく御岳平に到着した。
まだ高い月を見上げながら、長尾平へ。時刻、24時。長尾平の入り口で、赤平氏がやおら、風呂敷包みを開く。現れたのは女物の白い肌襦袢。
まずは、私が着用する。髪を振り乱し、青春クラブ員の集うあずまやへ向かって歩いていく。山の端にかかった月があたりを青白く照らし出し、風が木立をざわざわと揺らす。
当初の計画では、無言のまま、あずまやの近くに立っていることになっている。月の光を浴びてぼんやりと佇む姿は、まっとうな神経の持ち主であれば恐怖以外のなにものでもないはずだ。
あずまやから10メートルほどの場所に立つ。乱れた髪を夜風がなびかせる。しかし、青春クラブの面々は、そんな私にいっこうに気づかない。予想どおり、彼らは観測もせず、大声で歌ったりキャーキャー騒いでいるだけだ。焦れてきた私は、石を投げた。がさがさ・・・。あずまや横の斜面を転げ落ちた石が、不気味な音を響かせる。
(これで気づくだろう)
しばらく沈黙があり・・・。
バーッハッハッハ。彼らの馬鹿笑い。いっこうに気づいたようすもない。
(くそ。あの鈍感なガキどもめ!)
こぶし大の石を拾い上げる。投げた。狙いあやまたず、石はあずまやの屋根に命中する。ボコッ。ゴロゴロ・・・。これだけ大きな音がすれば、どんなアホでも気がつくに決まっている。しかし。
バーハッハッハ。
・・・こりゃ、ダメだ。
「次はオレがやる」
井川氏がすっくと立ち上がった。肌襦袢に袖を通す。ただでさえ細いおもざしは、ケーブル直登で憔悴しきっている。お化けとはかくありたりという風情となった。まさに、陰惨な老婆の幽霊といったところである。
今度は、井川氏扮する幽霊が、あずまやの前を駆け足で通り過ぎることとした。いかに鈍い青春クラブ員といえども、今度ばかりは気づくに違いない。
「いくぜ」
井川お化け、走った! 白い塊が、あずまやの前を、かすみか雲かのように走り抜ける。
彼らの笑いが途切れた。静寂があたりを包む。
「今、白いモノが通らなかった?」
「そういえば・・・」
話し声が聞こえる。やった。成功だ。私たちはほくそえむ。しかし。彼らのひそひそ声は、すぐに大声の歌に変わった。呆れるしかない。その鈍感さときたら、クリープを入れないウーロン茶のようなものではないか。山中に響き渡る歌声の中、高橋の声がかすかに聞こえた。
「今の、きっと、月光仮面だよ」
どっとコケる私たち。
あずまやの向こう側に走っていった井川氏は、どうしたものか戻ってこない。残された私たちは、何とかして彼らに気づかせようと、木を揺すったり石を投げたり、あらゆる努力を積み重ねたのだが、信じられないほど太い彼らの神経はいっこうに反応せず、やがて疲れ果てた私たちは、その場に腰を下ろしたまま、寒さに震えていたのだった。

と、意外なほど近くに白い人影。
・・・井川氏だ! 氏は、いつのまにか、あずまやのすぐ近くにまでやってきていたのである。青春クラブ員も、ようやく気づいた様子。
「おい。なんだ、あれ?」
「まさかお化け?」
彼らがひそひそ相談していると、突然、白い人影は泣き出した。
「な、泣いてるみたいだぞ」
「声、かけてみようか」
阿部が震える声で尋ねる。
「ど、どうしたんですか」
井川お化けは答えない。ひたすら泣き続ける。
はじめはさめざめとしていた泣き声が、次第に高くなってくる。今はもう、嗚咽していると言うより号泣に近い。俯いたまま、足音も立てず彼らのもとへ近づく白い人影。じりじりと後ずさりする青春クラブ員。お化けの声が、号泣からいきなり叫びへと変わった。
「ウワアアア!」
絶叫しながらすさまじい形相で青春クラブ員につかみかかる!
狂奔する彼ら。必死の形相で、阿部、上滝の二名がこちらへ走ってくる。高橋は、と見れば途中で転倒し、
「うわあっ! うわあっ!」
井川氏に追いつめられながら、なんとその手にはナイフが握られている。中崎はどこかで気絶でもしていたのか、姿が見えぬ。
奇声を発しつつ、私たちも木陰から飛び出した。ギャーッ! 彼らの絶叫が奥多摩の山中に響き渡る。
恐怖の余り小便でもちびられると困るので、ようやく私たちも正体を明かした。
「オレだよ」
「うえーん! 井川さん! 松本さん!」
そこから説教が始まった。
「おめーたち、観測もしねえで何やってんだよ。コラ!」
「だってだって寒いんですもの」
「寒いだと? 俺たちはめちゃくちゃ暑かったんだからな」
赤平氏。
朝まで説教に費やした後、私たちは帰路につくことにした。
再び、ケーブル階段コースを下る。さすがに疲れている。足ががくがくしてコケそうだ。ようやくケーブル下へたどり着いた私と赤平氏を待っていたのは、ちゃりんこ。二人で顔を見合わせていると、井川氏がなにやら慌てている。
「バイクのキーがねえよう!」
「ぶわっはっは。ざまーみろ。所詮、バイクなんてそんなもんさ。キーとガソリンがなければちゃりんこにも劣る乗り物さ。やっぱり、ちゃりはいいねえ、赤平」
紅潮した顔で赤平氏がうなずく。
が、
「あった!」
ポケットを探っていた井川氏が一言、発したとたん、形勢は逆転した。
「どうする? 井川。ギヤ入れてエンブレかけて下りるか?」
山崎氏の問いに井川氏、
「いや、ガソリンがもったいない。ニュートラルで下りよう」。
ちゃりんこ部隊も負けてはおれぬ。
「どうする? 赤平」
「うん。ニュートラルで下りよう」
バイク組の冷めた視線。えーん、えーん。どうせ自転車にはニュートラルしかないよお!
ひたすら、朝の青梅街道を走る。赤平氏の学校を横目に見ながら、
「赤平、学校は?」
ちらりと時計を見た赤平氏、
「だめだ。20分遅刻だ。やめよう」
予想通り、いともあっさりと自主休校を決めこむ赤平氏であった。

なお、その後、青春クラブは解散し、「青年団」として第2のスタートを切ることになる。その理由は定かではない。