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2006年04月26日

●星光雨読の田舎暮らし10年記

住み慣れた東京を離れ、岐阜県の山村に移住してから10年が過ぎた。月並みな言いかたではあるが、長かったようでもあり、短かったようでもある10年間であった。
移住にあたっては、それなりの経緯や決意があったものの、さまざまな機会に書いたり話したりしてきたので、ここでは触れず、「天文」という分野に絞って、田舎暮らしの10年間を振り返ってみたい。

1.田舎の星は本当に美しいか
そもそも私が田舎暮らしを決意したのは、自然に囲まれた暮らしがしてみたかったことはもちろんだが、東京では失われてしまった満天の星空を、夜毎仰いで暮らしてゆきたいと思ったことが直接の動機だった。移住して就いた仕事が、プラネタリウム解説と天文台のインストラクターだったために、天文の仕事がしたかったのだろうと思われる方が多いが、それはどちらかといえば余禄であり、職種にそれほどのこだわりがあったわけではない。
いずれにしても、結果として、「星でメシを食う」仕事に就き、仕事上からも長い間の憧れであった星空を毎夜見上げる生活が実現したわけであるが、そうして見上げる田舎の星空は、はたして期待にたがない美しいものであっただろうかと考えると、一抹の疑問を感じざるを得ないという気がしてしまう。
私が移住してきた当初、見上げる星空は、たしかに掛け値なく美しいものであった。が、それから年を経るごとに村内外の明かりは確実に増加し、特に、日本最大級の徳山ダム建設が本格化したことにより、急激に増加した光害によって、以前は足元さえおぼつかなかった天文台周辺は、今では新聞が読めるほど明るくなってしまっている。
地球温暖化とエネルギーの枯渇が叫ばれているにもかかわらず、「明るいことはいいことだ」「夜を明るくすることが地域おこしにつながる」といった短絡的な発想が全国の農山村に蔓延している現状はなかなか変わらない。
今でも肉眼で6等星が確実に見え、よほど透明度が悪い晩以外、天の川もきれいに見える村ではあるが、星空の美しい場所ほど、光害に敏感にならざるを得ないこともまた事実である。田舎に移住してからも、光害防止に奔走しなければならない現実を、もっと多くの天文ファンの皆さんに知って欲しいと思うのである。

2.観測量は増えたか
強烈な光害のために自宅での観測ができなかった東京在住中は、奥多摩や山梨県に建設した観測所への遠征を余儀なくされ、月に数回の観測量を確保するのが精一杯であった。
それでは、田舎へ移住して観測量が飛躍的に増大したかと言われれば、意外なことにさほどでもない。毎晩、自宅で観測できるのだから、観測量は増えなければいけないはずなのだが、平均すれば、月に5~6回の観測ができれば良い方なのである。
その主な要因は天候だ。同じ田舎でも、太平洋側の平野部であればこんなことはないだろうが、私の住んでいるような日本海気候の山間部は、晴天率が良いとは決していえない。12月から3月までは毎日雪が降り続くし、夏場でも山の天気はモヤが出やすく変わりやすい。一晩中起きていれば晴れ間を見て観測もできようが、朝から仕事のある身ではそうもいかない。また、年齢を重ねるにつれ、さまざまな夜の付き合いも増えてくる。
それでも、昨年は、流星観測で年間30夜を5年間達成して表彰していただくなど、東京在住中に比べれば観測量は多くなった。若い頃のような無茶はなかなかできないので、体力と相談しながら、今後も観測量の維持に留意したいと考えている。

3.自宅で観測は可能か
前項でも書いたとおり、田舎、特に山間部の天候はあまり良くない。また、私の住んでいる村は、周囲を1,000メートル級の山々に囲まれた谷あいに位置しているため、自宅からは低空の視界を確保することが不可能だ。
そのため、せっかく自宅から天の川の見える環境に住んでいながら、天候や観測対象によって、遠征観測を今でも余儀なくされている。冬型の気圧配置の時など、わざわざ空の明るい平野部まで車を走らせることも多く、大きな矛盾を感じながらの観測となる。また、冬場は、時に1メートルを越える積雪に見舞われることもあり、たとえ晴れていても機材を設置する場所がないために、やはり平野部まで下っての観測となる。
とはいえ、大抵の場合はさほど数kmからせいぜい20km程度の移動距離であり、渋滞どころか信号も数えるほどしかないガラ空きの道を、数分から20分程度走るだけで観測地へ到着できるのは田舎の大きなメリットだ。

4.星仲間はいるか
田舎暮らしをしながらの星見というと、山にこもって孤独に観測に取り組んでいる印象を受けるかもしれないが、ありがたいことに星仲間は大勢いる。
岐阜県というところは、なぜか昔から天文が盛んな県であり、公開天文施設で仕事をしていたこともあって、移住してすぐにたくさんの仲間と知り合うことができた。もちろん、そうした仲間が住んでいるのは、岐阜市や大垣市、あるいは名古屋といった都市であるが、ほとんどどこでも渋滞なしで行けるために、50km圏であれば1時間以内で移動することができることから、頻繁に集まっては、さまざまな情報を交換したり、一緒に星を見たりして楽しんでいる。

5.得られたもの、失ったもの
星を見るために田舎へ移住したからといって、何か成果をあげなければいけないということはないのだが、自己満足でもいいから、東京在住中とは違う何かを得たいというのは人情であろう。
田舎へ移住した10年間で得られたものは、まずそれなりの観測上の成果である。それなり、と書いたとおり、さほどのものではない。これが彗星でも発見していれば胸を張って威張れるところだが、地道な観測で得られた小さな成果や評価なので個々の事例は挙げない。
公開天文施設に勤務して広がった知見や人とのつながりも得られたもののひとつだろう。純粋なアマチュアとして東京に住んでいたなら、決して得られなかった経験をたくさん積むことができたことは、天文活動、ひいては人生をいきいきと楽しいものにしてくれた。
もちろん、失ったものもたくさんある。HASの活動になかなか参加できなくなったことは、そのうちでも最大のものである。いつも言っているように、HASを立ち上げ、発展させたことは、私の原点のひとつだ。組織としてのHASはもちろんだが、会を運営するなかで巡り会ったたくさんの個性ある友人たちとのつながりこそ、HASが私に与えてくれたいちばんの宝物なのである。もっとみんなと会いたい、話がしたい、いつもそう思うが、東京と岐阜の距離は遠い。
その多くが東京で開催されるさまざまな天文関係の会議や会合に参加する機会が極端に減ったのも失ったもののひとつである。距離的な隔絶ももちろんだが、土日開催がほとんどのそうした会合に参加することは、土日が勤務日である公開天文施設職員としてほぼ不可能なことであった。

どんなことでも、表と裏があり、メリットとデメリットがあるものである。あのまま東京に住んでいたなら、あるいは今とは異なった人生を歩んでいたかもしれないし、その方が良かったのかもしれないとも、時々は思う。
それでも、たった一度の人生である。普通の生き方ではなく、冒険やまわり道をしてみたい。たとえそれが惨めな失敗に終わろうと、何もしなかったよりはよほどいい。
長々と色々なことを書いてきたが、私自身は、けっこう過ぎた10年を楽しんできたつもりでいる。
最近は、休日でもあまり町に出ることもなくなった。今日も、午前中は、娘と猫とうさぎといっしょに雪で真っ白な村内を散歩し、今はちらつく雪を眺めながらこうして原稿を書いている。冬型も緩むとのことなので、そうすれば星空にも親しめるだろう。
晴れた晩は星を見上げ、雨の晩は読書と創作に親しみ、思索の時を過ごす。これからの10年は、そんな田舎暮らしがしたいと思う。


田舎暮らし最新情報!(ページが余ったのでおまけ)

・永らく藤橋村に住んできた松本家ですが、最近、カミさんが不動産情報を物色している気配で、どうやら新居への移転を計画している様子です。
それほど遠くに移るつもりはないようですが、どうなることやら。
・一昨年、隣の坂内村から滋賀県へ抜けるトンネルが開通し、藤橋村は一気に海に近くなりました。敦賀の海まで1時間半で行けるので、夏になると週末ごとに海へ行っています。日本海はきれいだよ。湘南や伊豆なんて海じゃない!
・かつては超金持ちだった藤橋村ですが、ここ数年の放漫財政が祟り、今では破綻寸前の財政状況。職員の給料は減らされ、庁舎の照明や冷暖房までケチっています。でも、これでいいのです。今まで日本中が浮かれすぎていたのです。
・後日、詳細な報告をしますが、こうした状況を利用して私は、村内の街灯を次々に消灯することに成功しつつあります。村執行部への私の殺し文句「街灯を半分に減らせば、電気代が1,000万円節約できるぜ」
・公共交通の廃止が相次ぐ田舎ですが、先ごろ、岐阜と大野町を結ぶ名鉄揖斐線及び岐阜市内線の廃止が地元に打診されました。すでに揖斐川町~大野町間は廃止されており、廃止されれば路面電車タイプの名鉄電車は全廃されることになります。旅情派の寺坂氏、廃止前に来たれ!

(東大和天文同好会会誌「ほしぞら」2003年3月号掲載)

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