2006年06月01日

●水たまりのおたまじゃくし

長い雨がようやくあがった昨日、昼休みに散歩していると、ある駐車場の一角にある水たまりに、たくさんのおたまじゃくしが泳いでいるのを見つけました。
その駐車場は、何年か前まで湿地で、たくさんのカエルや蛍が見られた場所でした。そんな湿地が埋め立てられて駐車場になったのですが、カエルには、生まれた場所に産卵するという習性がありますから、かつて、その湿地で生まれたカエルが、たまたまできていた水たまりに産卵したのでしょう。

たまたま雨が続いていましたので、卵が孵り小さなおたまじゃくしにまで育ったのでしょうが、それにしても小さな水たまりです。このまま晴天が続いていたなら、半日ほどで乾いてしまうことは確実です。

小さな命を見殺しにはできず、かといって昼休みはあとわずかしかありません。まずは近くの沢からバケツで汲んだ水を、当座しのぎに水たまりへ補給しました。

退庁後にその場所へ行ってみると、水たまりは今にもなくなりそうでした。昼休みに水を足さなかったなら、きっと干上がっていたことでしょう。
バケツを傍らに置き、コップでおたまじゃくしを掬ってはバケツに移す作業の開始です。ふたつある水たまりから、1時間ほどかけてほぼすべてのおたまじゃくしを掬い終えた頃には、薄暗くなり始めていました。

掬ったおたまじゃくしは、次の休みにでも安全な場所へ移すつもりですが、すべてのおたまじゃくしを掬ったにもかかわらず、後味の悪さが残りました。

開発と称する自然破壊によって生息場所を奪われた生き物は、人間の行為に対して何ら反対する術をもちません。それでも、生まれた場所に産卵しようとする本能に基づいて、今は駐車場となってしまったかつての湿地に戻ってきたカエルは、迷った挙句、わずかに水を湛えた水たまりを産卵場所に選んだのです。
こうした事例は、きっと数えきれないほどあるのでしょう。今、この瞬間にも、何の罪もない生き物たちが、人間の欲望のために小さな命を奪われているのです。

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人類は、地球環境を破壊しながら繁栄してきました。それでも、人類には知恵があります。小さな生き物の声に耳を傾ける理性と想像力も、私たちには備わっているはずです。
果てしない自然破壊によって、地球が取り返しのつかない事態を迎える前に、ひとりひとりができることをもう一度考え直してみる必要があるのではないでしょうか。

(写真:おたまじゃくしがいた水たまりです。他にも水たまりの跡はいくつもありましたが、すべて干上がっていました)

2006年06月02日

●崩落現場その後

全国的に報道されている揖斐川町東横山の地滑り続報です。

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現在、小規模な落石等は続いているものの、大規模な崩落は起こっておらず、狭くなった揖斐川の幅を広げるために対岸(国道303号線側)を削る作業が進んでいます。
同時に、発破をかけて崩落せずに残った土砂を少しずつ落とす作業も進んでおり、極端な大雨が降らなければ、大規模な崩落は起こらずに推移しそうです。

ただ、これから梅雨に入ることもあって楽観はできません。
急峻な河川地形が多い岐阜県では、県内の危険な河川をリストアップして山体の調査を行うことを決定しました。
揖斐川町東横山の地滑りも、引き続き川幅の拡幅作業を進め、山体の落ち着き具合を見て、土砂の撤去作業を行う見込みです。

砂防や治水は昔から人々を悩ませてきましたが、考えてみれば川が山を削ったからこそ風光明媚な渓谷が作られ、下流域では土砂が堆積して肥沃な平野ができ、人々の生活圏となっていったのですね。
土砂災害は甚大な被害を及ぼすものではありますが、川をすべてコンクリートで固め、ダムで土砂流出を止めてしまったとすれば、生態系への影響はもとより、土砂の供給がなされないために、河口部の平野が海水による浸食で削られていく恐れも指摘されています。

治水と自然のサイクルの維持を両立させることは、本当に難しいものだと思います。

(写真は現場の監視カメラの画像です)

2006年06月04日

●これが職場から眺める風景

写真は、私の机がある揖斐川町役場藤橋振興事務所すぐ横から見た風景です。
机がある、と書いたのは、毎日、この藤橋振興事務所に出勤してから事務仕事を素早くこなし、公用車に乗り換えて、振興事務所から11kmほど北上したプラネタリウム・天文台へ向うという勤務形態のためです。

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もと、藤橋村役場だったこの地から見る景色はまさに絶景です。
東京在住中、週末になるとバイクで奥多摩へ行っていましたので、初めて藤橋村を訪れた際、「奥多摩の景色を毎日見ながら仕事をするんだなあ」と、思わず感慨にふけってしまいました。
東京在住の方ならわかってもらえると思うのですが、役場周辺の景色は、「御岳渓谷」とまさにそっくりなのです。
御岳渓谷といったら、休日には大勢の人が訪れる観光地ですよね。かつての藤橋村役場、今の藤橋振
興事務所は、東京ならば第一級観光地とそっくりの渓谷沿いに建っているのです。

写真の渓谷は、木曽三川のひとつである揖斐川です。春には新緑、秋には一面の紅葉に彩られる川面は深い谷を刻み、初夏ともなれば、藤の花が川面に紫の影を落とします。
そうそう、「藤橋」という地名の起こりとなった「藤の吊橋」は、この写真を撮った橋のすぐ横にありました。古来、美濃随一の景勝地として謳われてきた、山藤で編んだ吊橋です。
この吊橋については、改めて書くとして・・・。

毎日、こんな風景を見ながら仕事ができることは、実はすごいことなんじゃないかと、時折、思います。
加えて、プラネタリウムのある揖斐川町鶴見までは、人家の一軒もない揖斐川沿いの山道を遡っていくのです。
毎日の通勤ルートそのものがとびっきりの田舎暮らし・・・。
山の生活に憧れている人から見れば、信じられない贅沢かもしれません。
豪雪、災害など、都会では考えられない苦労も多々ありますが、職場から眺める揖斐川上流の風景には、心慰められずにいられないものがあります。

2006年06月06日

●プラネタリウム周辺の風景

一昨日は、藤橋振興事務所近くの風景について書きましたので、今回は、プラネタリウム周辺の風景をご紹介します。

西美濃プラネタリウムのある揖斐川町鶴見地区には、現在、人家が4軒しかありません。かつてはたくさんの人が住んでいたのですが、災害や過疎、そして徳山ダム建設に伴なう移転等により、ここまで人口が減ってしまったのです。

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西美濃プラネタリウムは小高い丘の上に建っています。眼下には揖斐川の清流が流れ、隣接して250年前の萱葺き民家を再現した「藤橋歴史民俗資料館」が、昔懐かしい山村の面影を伝えています。
もうしばらくすると、プラネタリウム周辺は写真のように合歓(ねむ)の花が咲き競い、山々の緑は一段と濃さを増していきます。
ぐるりと1,000m級の山々に囲まれたこの鶴見地区から北は、福井県まで人家は一軒もない無人地帯です。カモシカの姿を見かけることもたびたびです。
のどかな写真の風景からは想像がつきませんが、冬にはときに2.5mを越える豪雪に見舞われる地域でもあります。

東京に住んでいる頃は、この狭い日本で人が住んでいない場所なんて、よほど高い山の上か、無人島しかないと思っていました。まさか、自分がそんな場所で働くことになろうとは想像もしていなかったのです。ところが、人生とは面白いもので、美しい星空を追いかけているうちに、いつしかこんな場所までやってきてしまいました。
あと10年ぐらいは、こうして山の暮らしを楽しみたいと思っています。
10年後はどうするのかって? 東京の暮らしも山奥の暮らしも楽しませてもらいましたので、次はどこか海の近くに住みたいなあと、そんな虫のいいことを考えています。

2006年06月08日

●工事現場のスピカ食

昨日の午後、おとめ座の1等星スピカが月に隠される現象が起こりました。
ちょうどその時刻、天文台の建設現場で業者を含めての打ち合わせをしており、8cm屈折望遠鏡を現場事務所前に持ち出して、業者さんを含めて観察することができました。

現地周辺の山の高さの関係で、潜入は観察できませんでしたが、出現後、月の明縁に針で突いたようなスピカの姿に「昼間でも星が見えるんですね」と、業者さんは驚くことしきりでした。

星は、夜しか見えないものと思っている方が多いのですが、実は、明るい星でしたら昼間でも見ることができます。
肉眼で見えるのは、宵の明星や明けの明星として有名な金星ぐらいですが、口径6cmぐらいの望遠鏡を使えば1等星が、20cmクラスの望遠鏡ならば3等星ぐらいまで、もっと大きな口径では、4等星程度まで観察することが可能です。青空の中に針の先のような銀色に輝く星の姿は、夜の星とはまた違ったファンタジックな印象があります。
問題は、たとえ1等星といえども、自動導入の赤道儀がない限り、昼間の空で視野内に導入することが非常に困難という点です。
今回は、月が良い目印になってくれましたので、簡単にスピカの姿をとらえることができたというわけです。

それにしても、これまで何度か昼間の観望会を企画してきましたが、工事現場で業者さんを対象にした観望会は初めてでした。
なかなか面白い経験だったなあと思います。

2006年06月10日

●童話「きんもくせいとすじぐも」

よく晴れた十月の午後、とんぼが、きんもくせいに聞きました。
「きんもくせいさん。どうしていつも、そんなに遠くを見ているのですか。もっと近いところにも、きれいなものはたくさんあるのに」
 透き通った風がさわさわと通り過ぎ、あたり一面に、きんもくせいの香りを運びます。
 きんもくせいは、ちらりととんぼを見ましたが、何も答えてはくれませんでした。ただ黙って、遠い空の向こうを見つめています。

 とんぼは、空を見上げました。真っ青な空のずっと高いところに、絹糸をたばねたようなすじ雲が浮かんでいます。
 とんぼは、空高く飛んでゆきました。高く上がるにつれて、空の青さはいっそう濃くなってゆくようです。やっとすじ雲のところへたどりついたとんぼは、下を見て少しこわくなりました。森も川も、作り物のように小さく見えます。遠くにきらきら光って見えるのは、お話で聞いたことのある海でしょうか。
 とんぼは、すじ雲に聞きました。
「すじ雲さん。どうしていつも、こんな高いところにいるのですか。地面の近くにも、すてきな場所はたくさんあるのに」
 静かな目でとんぼを見たすじ雲は、何も答えてはくれませんでした。ただ、空のもっと高いところを見つめています。

 とんぼは、地面へとおりてゆきました。ちょっとおなかがすいていました。秋のお日さまはもうずいぶんと傾いて、もうすぐ夕ご飯の時間だな、そうとんぼは思いました。
 夕ご飯のしたくをしている奥さんに、とんぼは、きんもくせいとすじ雲のことを話しました。
「二人とも、何も答えてくれないんだ。同じ目をして、ずっと遠くだけを見つめているんだよ。何かに憧れるように、何かを待っているように」
「そうですか。あの人たちは、秋の一日がどんなに美しいか、きっと知らないのですわ。たくさん木の実がなって、お日さまだってこんなに暖かく照らしてくれて、夜になれば虫たちがきれいな歌を聴かせてくれるというのに」
 奥さんの話を聞きながら、とんぼは夕焼けの空を見ていました。きんもくせいとすじ雲は、何に憧れているんだろう。何を待っているんだろう。

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 ふと、夕焼け雲のむこうで何かが光りました。とんぼは、目をこらして暮れてゆく空を見つめました。ずっとずっと遠くで、きらきら金色に光っているもの。
 一番星でした。とんぼが見ている間にも、星の数はどんどん増えてゆき・・・。

 夕ご飯もそこそこに、とんぼは空に舞い上がりました。燃えるような夕焼け空に、一番星がびっくりするぐらい明るく光っています。
 きんもくせいは、金色に光るまなざしで、そんな一番星を見つめていました。
(あれは金星です。ずっと昔、私はあの金星から生まれたのです)
 とんぼは、すじ雲のところへ行ってみました。
(お星さまにもっともっと近づきたくて、私はこんな高いところにいるのです。私はずっと昔、天の川の切れはしだったのですから)
 きんもくせいとすじ雲が憧れ、待ち続けていたものがなんだったのか、とんぼは、やっとわかりました。
 星の数は見る間に増えて、やがて銀の砂をまいたように空一面をおおいました。夜空を飛びながら、とんぼはふと、こんな星空をどこまでも飛び続けたい、星の世界に吸いこまれてしまいたい、そんなことを思いました。
 でも、すぐに思い直すと、星の光を羽いっぱいに受けながら、とんぼは奥さんのところへ帰ってゆきました。
とんぼにはわかっていたのです。星の世界が、やっぱり自分とは、とても遠い場所だということを。

2006年06月11日

●第2訓「過疎だから誰でも大歓迎! のはずないでしょ!」

田舎はどこも過疎、だから都会からの移住者は歓迎される。問題は、仕事と家が見つからないことだ・・・。
田舎移住を希望されていて、あれこれ情報を集めている方でも、このような認識の方がときおりあります。
たしかに田舎のほとんどは過疎地域です。しかし、だからといってどんな人でも大歓迎というわけではありません。むしろ、過疎だからこそ「こんな人には来てほしい。こんな人には来てほしくない」という、はっきりした要望があるのです。

まず「ぜひ田舎に来てほしい人」の代表的パターンを列挙します。
1.小さな子供がいる若い夫婦
2.手に職のある人
3.元気で健康な人
4.面倒見がよく協調性がある人
5.地域に溶けこめる人

おおむね以上です。
どれもなるほどと思いますよね。
子供は地域の財産です。最近は、少子高齢化のために学校の存続が危うくなっている地域も多く、児童数の増加に直結する子供づれの夫婦は基本的に歓迎されます。地域で二人目、三人目の子供を産んでくれれば願ったり叶ったりです。
田舎では、自然相手のさまざまな作業が多く、健康で技術を持っている人も歓迎されます。
協調性や地域に溶けこむことは、田舎に限らず当たり前のことですね。

次に「来てほしくない人」の代表的パターンです。以下はあくまでもおおむねの傾向ですので、仮に当てはまるからといって極端に気を落としたりキレたりしないで下さいね。
1.単に「田舎でのんびりしたい」高齢者
2.これといった技能のない人
3.病気がちの人
4.自分の殻に閉じこもる人
5.お洒落な田舎暮らしがしたい人

以上です。
基本的にリタイヤ後の高齢者はあまり歓迎されません。もちろん、高齢者であっても健康で人柄がよく、技術を持ち、リタイヤ後の人生を地域とともに生きていこうという意欲のある人であれば歓迎されます。
もっとも嫌がられるのは、ようやくリタイヤできたから田舎にでも住んでゆっくりしようか、みたいな人です。ずっと事務職をやってきて特技もない、力仕事もできない、地域の役を引き受けるつもりもない、こんな人はかなり適性に欠けると言わざるを得ません。
最後に書いた「お洒落な田舎暮らしがしたい人」ですが、実際、こういうタイプの人は僅かですがいます。ログハウスに住んでデッキチェア-でパイプをふかし、バーベキューを楽しむ・・・。
以前も書きましたが、こういう人は別荘地に別荘を買っていただいた方が、本人にとっても地域にとっても無難と思います。

そう、別荘族。これも問題あるんですよね。。
長くなりましたので、いわゆる「週末田舎暮らし」については、次回に書きます。

自分の世界だけで過ごすことができる都会と違って、人口の少ない田舎ではそれ相応の役割分担を果たすことが期待されるということですね。

2006年06月13日

●随筆「大彗星は寒さとともにやってくる?」

 秋風が吹くようになってからも、あまり天気の良くない日が続いている。降水量としては例年より少ないそうだが、肝心の夜が晴れない。
 そんなわけで、今年の観測量は多くないのだが、春先はよく晴れた。特に、まだ寒い時期、ちょうど池谷・張彗星が明るく見えている頃は連日好天が続き、伝説のコメットハンターと言ってもいい池谷さん発見の彗星を堪能することができたのは幸せなことであった。
 大彗星の通例として、池谷・張彗星も、近日点通過後、明け方の空に回ってきてからの方がよく見えた。最も明るい頃には、25×150双眼鏡で、光度3.5等級、視直径10分、尾の長さ5度以上と大彗星らしいイメージとなり、時期を同じくして見えていた宇都宮彗星とともに、ほうき星の魅力をたっぷり味わうことができたわけである。

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 4月半ばというのに零下にまで気温の下がったある明け方、双眼鏡の視野いっぱいに尾を伸ばした池谷・張彗星の姿を見つめながら、僕は奇妙な懐かしさを感じ続けていた。迫り来る気の早い黎明の気配を感じながら考え続けていた僕は、やがて本格的に空が青くなり始めた頃、ようやくその懐かしさの理由に思い当たったのだった。

 同好会創立と相前後して話題になったコホーテク彗星からヘール・ボップ彗星まで幾多の大彗星を見てきたが、こうして思い返してみると、どの彗星についてもかなり鮮明な記憶が残っていることに改めて驚く。なかには相当の歳月が経過した彗星もあるにもかかわらず鮮明に記憶に残っているということは、やはり個々の彗星のインパクトがそれだけ大きなものであったからだろう。
 そういった、それぞれ個性豊かな大彗星の表情を反芻するうち、どの彗星を観測した記憶にも、一対のように「寒さ」のイメージがつきまとっていることに、今さらのように気がついた。
 コホーテク彗星が明るくなったのは正月明けから大寒の頃であったし、ウェスト彗星は3月の明け方に偉観を呈した。ハレー彗星も1月から3月が最も明るかったし、百武彗星が夜空の虹のように壮大な尾をなびかせたのも3月だった。春浅い夜空に壮麗な姿を見せたヘール・ボップ彗星は、まだ記憶に新しい。
 そして21世紀最初の大彗星といえる池谷・張彗星も、こうして3月の夕方と4月の明け方に美しい尾をたなびかせている。早春の寒さと肉眼彗星の姿が、あたかも一対のものとして記憶の深層に刻みこまれ、不思議な懐かしさを僕に感じさせているのだった。

 年間に発見される彗星は季節を問わず相当数にのぼり、その中には小望遠鏡に映ずるものも少なくない。しかし、肉眼に映ずるような大彗星となると、何故か年明け早々から早春の寒い時期に集中して出現している。もちろん、この時期は、北半球から彗星を見るのに都合がいいことは確かなのだが、それではこの30年間、南半球だけで見えた明るい彗星はどれだけあるかと考えてみても、ほとんど記憶に浮かんでこない。難しい軌道論はさておいて、ここ30年ほどに限っていえば、「大彗星は寒さとともにやっ
てくる」という経験則がぴたりとあてはまっているのである。

 本当にそうだろうか、うっかり忘れてしまっている夏場の大彗星はないのだろうか、機材の片づけを終えた僕は、薄明に消えてゆく星を数えながら、自問していた。
 1975年、夏空の天頂に見えていた小林・バーガー・ミロン彗星。写真では細く長い尾がよく写ったものの、眼視では貧弱な姿であった。最近では、去年の7月、やはりリニア彗星が西天低く見えていたが、肉眼的な明るさにはほど遠かったうえに、ほどなく彗星自体が崩壊してしまった。
 あとは、と考えてみても、浮かんでこない。
 やはり大彗星は、寒い季節のものなのだ。俳句の世界であれば、まさしく冬の季語となるべき天体なのだ。

 そんなことを思いながら家に帰り、まだ寝静まっている玄関のドアを開けようとしたとき、突然思い出した。
 レビー彗星。1990年8月、夏の大三角の真ん中を泳いでいった肉眼彗星。
 そうだ。夏場の大彗星といえば、レビー彗星を忘れていてはいけなかった。視線方向から見る位置関係であったため尾は短かったものの、街中から肉眼で見えたことから考えれば、やはり大彗星として記憶されるべきものであるはずなのに、どうして忘れていたのだろう。
 記憶をたどった僕は、やがて小さく苦笑いを浮かべてしまった。
 確かに僕は、レビー彗星を見てはいる。ただし、病院のベッドの上からであったけれど。

 あの夏、バイクに乗っていた僕は暴走車に追突され、右足首を複雑骨折して入院を余儀なくされていたのだった。手術で粉々になった骨は何とかつなぎ合わせたものの、膝までギブスで固められ、トイレすらベッドの上で済ませるしかない日々を過ごしていた僕にとって、日ごとに明るくなるレビー彗星は、手の届かない存在だった。
 天候が悪いのならあきらめもつく。が、この夏は、連日抜けるような快晴が続いていた。手術からさほど日が経っていないために動くことが全くままならないにもかかわらず、一目でいいから彗星の姿を見たいという欲求は募る一方だった。

 ことさらに透明度の良いある晩、意を決した僕は、同じ部屋の患者たちに彗星を一目見たい旨の意を告げ、6人部屋を消灯する同意を求めた。同室の患者たちは快く同意してくれ、ちょうど一番窓際のベッドにいた僕は、窓を開け、ベッドに横たわったまま双眼鏡を目に当てた。
 だめだ。ベランダの庇が邪魔になって、天頂近くにいる彗星は見ることができない。業を煮やした僕は、医者から決して立ってはいけないと言われていたにもかかわらず、ベッドで体を支え、そろそろと起き上がった。
 折れた足に少しでも体重をかけたならば、せっかく手術でつないだ骨がばらばらになってしまう。妻に支えてもらい、両手と片足で壁と窓の桟を伝いながら、ベランダに這い出る。
 妻が、ベランダに椅子を出してくれた。ベッドから1メートルと離れていないその椅子に座るまで10分。体中、汗まみれだ。
 椅子に座った僕は、双眼鏡を目に当てた。病院全体の明かりが思ったよりも明るく、肉眼では存在がわからない。加えて、天頂に双眼鏡を向けることは、片足の僕にとって想像以上に困難なことだった。
 5分。10分。揺れる視野を見つめながら時間だけが過ぎてゆく。普段であれば、ほんの1秒で視野に入れることができる明るい彗星が一向に捉えられないことに癇癪を起こしそうになりながら、必死で彗星を捜し求めた。
 15分後、ようやく白い彗星の姿を捉えた次の瞬間、ぐらりと体が傾いた。あっという間もなく、手術したばかりの足を、ベランダの床についてしまう。
 激痛が走った。よろめきながらベッドに戻った僕は、それから30分ほども油汗を流しながら激しい痛みに耐えなければならなかった。
 幸いなことに重大な支障にはならず、それから3ヵ月後、秋もたけなわの頃になって僕はようやく退院をしたのだが、長い天文人生を思い返してみても、あれほど辛く情けなかった星見の経験は他にない。そして、激痛に耐えながらほんの一瞬だけ垣間見たレビー彗星のイメージは、その他の大彗星とは異なった心の引き出しにしまいこまれ、今に至っているようだ。
 あの入院生活以後、少しは障害を持つ人の苦しみがわかるようになったような気がしている。

 今、考えているのは、病院や障害者施設での観望会だ。病気や怪我で苦しんでいる人たちに遥か遠い天体の姿を見てもらえればと思う。同様に、老人施設での観望会も行ないたい。
 そのためには、体に支障がある方が楽な姿勢で望遠鏡を覗くことができるような工夫をする必要があることも、自らの経験から「痛感」している。
 できれば、明るい虹のように夜空を翔ける大彗星を、苦しんでいる人とともに見上げることができれば、心の中の彗星アルバムに、また新しい1ページを加えることができるのではないかと思う。

(2002年12月発行 東大和天文同好会会誌“ほしぞら”153号掲載分加筆訂正)
写真:池谷・張彗星 10cmF4SDUF EM-200で追尾 露出5分


2006年06月14日

●第3訓「週末田舎暮らし・・・ちょっとムシが良すぎませんか?」

しばらく前から「週末田舎暮らし」という言葉を聞くようになりました。
ウィークデイは都会で仕事をし、土日になると特急列車や高速道路で田舎の自宅に帰り、畑仕事や森林浴にいそしむというものです。

ちょっと考えると、これは非常に具合が良さそうです。都会の暮らしも田舎の暮らしも満喫でき、交通費は多少かかるものの、都会では持てない大きな家を、土地代の安い田舎に建てることもできます。
実際、そうした暮らしを選択する人も増えつつあり、そのテの本もけっこう出版されていたりします。

でも。本当にいいことづくめでしょうか。
本人にとっては悪くないかもしれません。しかし、第2訓でも書いたように、田舎は住む人すべてが一種の運命共同体です。その土地にともに住み、自然や過疎の脅威にさらされながら、明日を切り開いていく場所なのです。
そうした土地に「俺は週末しかいないよーん。地域の役や共同作業は忙しいからできないよーん」的な人が紛れ込んだとしたらどうでしょう。
たしかに見かけ上の人口と税収は増えるでしょう。しかし、地域の役には立ちません。
別荘族であれば、はじめから地元とは無関係ですが、週末田舎人となれば話は違ってきます。住民票があるのですから、少しは地域の仕事もしてもらいたいと思うのが人情ですよね。

そうした人が、いかに畑を作ろうが林の中を彷徨しようが、地元の人にとっては都合の良い所だけを楽しんで、ゴミをポイ捨てする観光客と同じです。それはひどいと思われるかもしれませんが、土日だけでも田舎で暮らせば、そのゴミの始末は地元で引き受けなければならないのです。
本人だけが「田舎暮らしはすばらしい。森に囲まれた自宅のテラスで飲むコーヒーは格別だなあ」なんて思っていても、実のところ迷惑以外の何ものでもありません。

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いささか厳しいことを書きました。
でも、よく考えれば、ここに書いたことは都会でも同じです。地域と無関係に自分の価値観だけで暮らす。そんな人が増えているからこそ、この国の抱える病は重くなっているのではないでしょうか。

写真:旧藤橋村の入口 椿井野遠景

2006年06月16日

●イモリ

昼休み、いつものように職場近くを散歩していると、山から湧き出す清水が作った水たまりに、イモリを見つけました。初夏から秋にかけて、ちょっとした水たまりによく見かける生き物です。
写真では背中側しか写っていませんが、腹側には赤い模様があり、ちょっと毒々しい感じです。
ふだんはあまり動かないイモリですが、以前、田んぼの畦に産みつけられたモリアオガエルの卵の下に十数匹のイモリが集まり、孵化しては水面に落ちるオタマジャクシを奪い合って食べている光景も目にしました。

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山沿いでは、水のある所どこにでもいたイモリも、最近は見かける機会が減りつつあります。
水路がコンクリート張りとなり、沼や湿地は埋め立てられ、田んぼは放棄されたり宅地になったり・・・。
このままでは、どこでも当り前に見られたイモリやカエルなどの生き物が絶滅する日も遠くない気がします。
目先の私利私欲にとらわれず、多少不便でもたくさんの生物と共存できる生き方をしてゆきたいものですね。

2006年06月17日

●いつも人気! 望遠鏡展示コーナー

写真は、西美濃プラネタリウム内にある天体望遠鏡の展示です。

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右端の黒い大きな望遠鏡は45cm反射(NGT18)、その手前にある茶色いヤツは、ニュートンが初めて製作したという反射望遠鏡のレプリカモデル、他はごくありふれた8㎝屈折望遠鏡等々です。
展示としてはそれほど掘り下げたものではなく、市販品を並べて光学系の簡単な説明をつけただけですが、デパートの望遠鏡売り場のような雰囲気があるからでしょうか、このコーナー、意外なほど人気があります。特に家族連れに好評で、子供さんは必ずといっていいほど接眼レンズを覗こうとします。また、自分の子供にあれこれ光学系の説明をしているお父さんもけっこう見かけます。
あまり人気があるので、いくつかの望遠鏡は接眼レンズを覗くと土星や彗星が見えるように工夫をしました。(壁に小さな天体写真を貼ってそこに望遠鏡を向けてあるだけですが。)
別の展示室には、屈折・ニュートン反射それぞれの鏡筒を透明にしたモデルがあり、これも覗けるようになっています。こちらもなかなかの人気です。
曇った晩の観望会でも、とにかく一度は望遠鏡を覗いてみたいという希望が多く、ちょっと困ったりもするのですが、年齢や性別を問わず、天体望遠鏡という道具は人気があるようです。

2006年06月20日

●HAS魂

先日、小学生の頃からの旧い星仲間であるOさんからメールをいただきました。
Oさんは、1973年に創立した東大和天文同好会のオールドメンバーであり、一時は同じ会社に勤めていたこともある長い付き合いの友人です。
私が岐阜へ移住してからは、年賀状を交わす程度の付き合いしかできずにいたのですが、このたび、同好会の観測会を久々に開催することになり、旧い星仲間たちにハガキで連絡をしたところ、早々に連絡をくれたというわけです。

思えば、同好会が創立してから30年余、延べにすれば数百人のメンバーが入会し、同じ星空を見上げてきました。今も活発に天文活動を続けている人もいれば、連絡先さえわからなくなってしまった人もいますが、過去に一度でもいっしょに星を見上げた方々との縁は、終生大切にしたいと思っています。

メールのなかでOさんは、「HAS魂」という言葉を使われていました。HASとは、東大和天文同好会の略称です。
さまざまな場面で、苦楽をともにしたOさんならではの言葉に、私は心が熱くなるのを感じました。

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魂・・・。
曖昧な言葉ではありますが、現代の日本人にもっとも欠けているのがこれだと思います。
アイデンティティを持ちなさいとか個性を大切に、などといわれますが、アイデンティティや個性の基本となるべき、個々人のもっとも深いところにある輝きこそが魂なのだと思うのです。
魂を見いだし磨くことは、生き方や外面など、その人のすべてを輝かせることにつながります。

33年という長きに渡って、小学校6年生3人が創った天文同好会が存続したことも考えてみれば驚きですが、その長い歳月が、メンバーそれぞれの魂を磨き上げ輝かせることにつながったとすれば、本当にすばらしいことではなかったかと思います。

写真:東大和天文同好会会誌“ほしぞら”10周年記念号(1983年11月)表紙より

2006年06月22日

●随筆「星明かり」

「星明かり」という言葉がある。最近ではどこへ行ってもネオンや街灯がきらめき、星明かりなどという言葉は辞書の中でしか生き残っていないようだが、私はこれまでに何度か、この星明かりを体験したことがある。というより、星明かりに助けられたことがあるといってもいいかもしれない。
 冬の夜であった。私は重たい望遠鏡を担いで、真っ暗な山道を手探りで喘ぎ喘ぎ登っていた。懐中電灯を忘れてきたことに気づいたのは、最終のバスを降りて夜の山道を登り始めた時である。すでに帰りのバスはなく、とにかく星仲間の待っている山頂の観測地を目指すしか取りうる手段はなかった。
 空は晴れているはずであったが、分厚い杉の木立に遮られて、辺りは真の闇である。細い道は所々、高い崖の上を通り、あるいは人が一人やっと通れるだけの狭い木橋を渡っている箇所もあった。瞳孔がいっぱいに開いているのが、目の痛みとともに感じられた。望遠鏡は重く肩に食い込み、私は何度かよろけ、転落しかけた。
「この場で朝を待った方がいいかもしれない」。何度、そう思ったことだろう。。

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 突然、視界が開けた。それまで闇の支配していた山道が、ごくかすかではあるが、確かに青い視覚として映じてきた。山頂へ続くつづら折の道が、青い光の中に長く伸びていた。杉の厚い樹林帯を、ようやく抜け出したのであった
 空を見上げた。ほこりのような一面の星空であった。もう心配は何もなかった。青い星明かりの下を、何かひどく透明な気持で、私は仲間の待つ山頂へと急いだのであった。
 あのときの、一種霊的といってもいい星明かりの美しさを、私は今でも忘れることができない。

(岐阜新聞連載「ぎふ星見人」1992年12月15日掲載)
写真:冬の代表的な星座「オリオン座」付近

2006年06月24日

●杉の山

写真は、プラネタリウムの玄関から見える山の斜面です。幾何学模様とも言うべき杉木立が整然と並んでいますね。

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見ようによっては美しいこの光景、日本中の山間地で見慣れた景色となっています。戦後、建材需用が逼迫する中、国策として杉の植林が奨励されたことにより、またたく間に山という山が杉の単一林となってしまったのです。右向け右の国民気質が如実に現れた風景といっても良いでしょう。
ところが、植林した杉が育たないうちに、安い外国産の木材がどんどん輸入されるようになりました。何十年かすれば宝の山となるはずだった杉は、ほとんど無価値となってしまったのです。

そうした事情により、手入れをする人もお金もないまま放置された杉山は年々荒廃の一途をたどっています。
杉は、根の張りが浅く保水力が小さいことから、水源地の山林は、頻繁に鉄砲水に襲われるようになりました。
また、手入れされない杉山は暗く、他の植物が育つことができません。そのために山に住む動物が餌不足となり、生態系の破壊が進行しています。熊が里に下りてきたり、猿が畑の作物を食害するのも、山林の多くが杉の単一林とされてしまったことが原因のひとつと考えられています。

国産の木材がもっと使われるようになれば良いのですが、なかなか難しいようです。
手をこまねいているうちに、生態系の破壊はどんどん進行してしまいます。
いたずらに議論を重ねるよりも、百害あって一利なしの杉山を伐採し、元の混交林に戻すことが急務ではないでしょうか。

2006年06月25日

●ちょっと疲れる5回連続投影

今日は、月に一回か二回ある解説者一人勤務の日でした。
西美濃プラネタリウムでは、お客さんが多く投影回数も一日5回ある土日祝日には、基本的に解説者二人が出勤して交代で解説を行ないます。
それでも、もう一人の解説者であるKさんともども家庭を持つ身、月に一度か二度はさまざまな所用で、土日祝日に休みを取らねばなりません。

今日は、Kさんが用事があるとのことで、一人で5回の投影を行ないました。午前中に一回、午後はほぼぶっ通しに近いので、さすがに疲れます。こういうときだけは、自動投影ができる機械ならいいなあなどと罰当たりなことも考えてしまいます。
特に今日は、あまり体調が良くなかったため、楽ではありませんでした。疲れてくると口も回らなくなるし、声も出なくなります。それでも、お客さんにはあくまで快活にわかりやすく解説をしなければなりません。

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こういうときは、かえって多少騒いでくれる子供さんがいた方が、私にとっては解説しやすかったりします。アベック二人きりのシーンとした30分間というのはなかなか喋りづらいものですが、小さな子供さんがそれなりのリアクションを返してくれると解説に変化が出せるものです。

でも、今日最終の投影に入ったお客さんは、二人きりでした。施設内にはもう少したくさんのお客さんがいたのですが、皆さん、時間がないのでプラネタリウムはご覧にならないとのことで、日曜日にしては珍しいアベック二人きりの投影となったのです。
もちろん、気力を振り絞ってきちんと解説しましたヨ。でもやはり、たくさんのお客さんが入っていた方がその気になるものです。Kさんは「一人でも満席でも意識しません」といつも言っていますので、私は修行が足りないのかもしれません。

写真:西美濃プラネタリウムのコンソール(操作卓)

2006年06月26日

●トラブルは忘れたころにやってくる

今日は久々の休み。でも、風邪を引いてしまいました。昨日、体調が良くないな、と思っていたので、やっぱり、という感じです。

昨日が、一人で5回連続投影だったことは書きましたが、そんな日に限ってさまざまなトラブルが起こるものです。

第1回目の投影は、どちらかといえば嬉しいトラブルでした。投影時刻直前になって、30人近い団体さんが来てくれたのです。ただ、団体割引料金があることを知らないまま、個人個人で正規の入場券をお求めになっていたため、その清算にやや手間取りました。時間が迫っていましたので、投影をご覧いただいている間に、受付員の方にレジの打ち直しをお願いしました。

2回目の投影では、終了近くになって突然天の川が消えてしまいました。白々とかかっていた天の川が急に消えると、客席から小さく驚きの声があがります。天の川を映している電球が切れることは、ままありますので、「珍しく電球切れですね」と言おうとしたところ、突然、天の川がふたたび点灯、数秒後にはまた切れて・・・。そんな繰り返しが数回、続きました。

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4回目の投影では、カセットの音が出なくなりました。西美濃プラネタリウムでは、音響に、カセット、CD、MDを状況に応じて使い分けており、昨日は太陽が沈むまでのBGMにたまたまカセットを使用していました。
もちろん、慌てず騒がず、日没時のシチュエーションに使えそうなCDを選び出し、本編用のCDと素早く入れ換えて解説を続けました。お客さんには、たぶん、ほんの少しだけ違和感を抱かれただけだろうと思います。

機器のメンテナンスは怠りなく行なっているつもりですが、電球切れや電気系統の接触不良、音響の不調などは、年に数回は発生します。特に電気系統に伴なう不調は再現性のないものが多く、すぐに修理というわけではないので厄介です。昨日の天の川の点灯不良、カセットの不調も、その一度きりでした。

さまざまな機器を駆使する30分間の投影、なかなかにスリリングではあります。

2006年06月28日

●マタタビ

唐突ですが、「マタタビ」をご存知ですか。
「ああ、猫が喜ぶあれね」と思った方は、どんなモノを思い浮かべたでしょうか。

実は、マタタビというのは、山に自生している高木なのです。
木というものは、どれもなかなか種類の判別がつきにくいものですが、マタタビだけはすぐにわかります。葉の色が緑ではなく白いのです。
といっても、全部の葉が白いのではなく、緑の葉と白い葉が半々ぐらいでしょうか。

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今の時期、緑濃い山の木々の中にあって、マタタビの葉の白さは特に目立ちます。
猫が喜ぶというのは本当で、この木の枝でも葉でも折り取って与えると、猫によって個体差はあるものの、大抵は酔っ払ったようになってしまいます。
盛夏を過ぎるころには、固く青い実がたくさん生ります。とても美味しそうな匂いがするのですが(梅や花梨のような匂いでしょうか)、人が食べることはできないようです。
藤橋では、この実を焼酎に漬けてマタタビ酒を造ります。疲れを取るのに効能があるとのことです。

猫に与えると喜ぶと書きました。
実はウチでは、猫を8匹、飼っています。どうしてそんなに猫がいるのかは、いずれ説明するとして・・・。
他の猫たちが、多かれ少なかれマタタビに酔っ払うのに、ただ一人、全く関心を示さないのが、最も古くからいる猫のビビさんです。
ビビさんは、年齢不詳、人語を解す上に、テレポーテーションしたり人間化したり?と、これまでたびたび不可思議な能力を発揮してきました。
ビビさんにしてみれば、「マタタビなんて猫が喜ぶものでしょ」と思っているのかもしれません。ビビさんは、自分のことを猫だと思っていないようなのです。
もしかしたら、マタタビ酒ならば、くいくいと飲むかもしれません。