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2006年06月13日

●随筆「大彗星は寒さとともにやってくる?」

 秋風が吹くようになってからも、あまり天気の良くない日が続いている。降水量としては例年より少ないそうだが、肝心の夜が晴れない。
 そんなわけで、今年の観測量は多くないのだが、春先はよく晴れた。特に、まだ寒い時期、ちょうど池谷・張彗星が明るく見えている頃は連日好天が続き、伝説のコメットハンターと言ってもいい池谷さん発見の彗星を堪能することができたのは幸せなことであった。
 大彗星の通例として、池谷・張彗星も、近日点通過後、明け方の空に回ってきてからの方がよく見えた。最も明るい頃には、25×150双眼鏡で、光度3.5等級、視直径10分、尾の長さ5度以上と大彗星らしいイメージとなり、時期を同じくして見えていた宇都宮彗星とともに、ほうき星の魅力をたっぷり味わうことができたわけである。

File0003A1.jpg

 4月半ばというのに零下にまで気温の下がったある明け方、双眼鏡の視野いっぱいに尾を伸ばした池谷・張彗星の姿を見つめながら、僕は奇妙な懐かしさを感じ続けていた。迫り来る気の早い黎明の気配を感じながら考え続けていた僕は、やがて本格的に空が青くなり始めた頃、ようやくその懐かしさの理由に思い当たったのだった。

 同好会創立と相前後して話題になったコホーテク彗星からヘール・ボップ彗星まで幾多の大彗星を見てきたが、こうして思い返してみると、どの彗星についてもかなり鮮明な記憶が残っていることに改めて驚く。なかには相当の歳月が経過した彗星もあるにもかかわらず鮮明に記憶に残っているということは、やはり個々の彗星のインパクトがそれだけ大きなものであったからだろう。
 そういった、それぞれ個性豊かな大彗星の表情を反芻するうち、どの彗星を観測した記憶にも、一対のように「寒さ」のイメージがつきまとっていることに、今さらのように気がついた。
 コホーテク彗星が明るくなったのは正月明けから大寒の頃であったし、ウェスト彗星は3月の明け方に偉観を呈した。ハレー彗星も1月から3月が最も明るかったし、百武彗星が夜空の虹のように壮大な尾をなびかせたのも3月だった。春浅い夜空に壮麗な姿を見せたヘール・ボップ彗星は、まだ記憶に新しい。
 そして21世紀最初の大彗星といえる池谷・張彗星も、こうして3月の夕方と4月の明け方に美しい尾をたなびかせている。早春の寒さと肉眼彗星の姿が、あたかも一対のものとして記憶の深層に刻みこまれ、不思議な懐かしさを僕に感じさせているのだった。

 年間に発見される彗星は季節を問わず相当数にのぼり、その中には小望遠鏡に映ずるものも少なくない。しかし、肉眼に映ずるような大彗星となると、何故か年明け早々から早春の寒い時期に集中して出現している。もちろん、この時期は、北半球から彗星を見るのに都合がいいことは確かなのだが、それではこの30年間、南半球だけで見えた明るい彗星はどれだけあるかと考えてみても、ほとんど記憶に浮かんでこない。難しい軌道論はさておいて、ここ30年ほどに限っていえば、「大彗星は寒さとともにやっ
てくる」という経験則がぴたりとあてはまっているのである。

 本当にそうだろうか、うっかり忘れてしまっている夏場の大彗星はないのだろうか、機材の片づけを終えた僕は、薄明に消えてゆく星を数えながら、自問していた。
 1975年、夏空の天頂に見えていた小林・バーガー・ミロン彗星。写真では細く長い尾がよく写ったものの、眼視では貧弱な姿であった。最近では、去年の7月、やはりリニア彗星が西天低く見えていたが、肉眼的な明るさにはほど遠かったうえに、ほどなく彗星自体が崩壊してしまった。
 あとは、と考えてみても、浮かんでこない。
 やはり大彗星は、寒い季節のものなのだ。俳句の世界であれば、まさしく冬の季語となるべき天体なのだ。

 そんなことを思いながら家に帰り、まだ寝静まっている玄関のドアを開けようとしたとき、突然思い出した。
 レビー彗星。1990年8月、夏の大三角の真ん中を泳いでいった肉眼彗星。
 そうだ。夏場の大彗星といえば、レビー彗星を忘れていてはいけなかった。視線方向から見る位置関係であったため尾は短かったものの、街中から肉眼で見えたことから考えれば、やはり大彗星として記憶されるべきものであるはずなのに、どうして忘れていたのだろう。
 記憶をたどった僕は、やがて小さく苦笑いを浮かべてしまった。
 確かに僕は、レビー彗星を見てはいる。ただし、病院のベッドの上からであったけれど。

 あの夏、バイクに乗っていた僕は暴走車に追突され、右足首を複雑骨折して入院を余儀なくされていたのだった。手術で粉々になった骨は何とかつなぎ合わせたものの、膝までギブスで固められ、トイレすらベッドの上で済ませるしかない日々を過ごしていた僕にとって、日ごとに明るくなるレビー彗星は、手の届かない存在だった。
 天候が悪いのならあきらめもつく。が、この夏は、連日抜けるような快晴が続いていた。手術からさほど日が経っていないために動くことが全くままならないにもかかわらず、一目でいいから彗星の姿を見たいという欲求は募る一方だった。

 ことさらに透明度の良いある晩、意を決した僕は、同じ部屋の患者たちに彗星を一目見たい旨の意を告げ、6人部屋を消灯する同意を求めた。同室の患者たちは快く同意してくれ、ちょうど一番窓際のベッドにいた僕は、窓を開け、ベッドに横たわったまま双眼鏡を目に当てた。
 だめだ。ベランダの庇が邪魔になって、天頂近くにいる彗星は見ることができない。業を煮やした僕は、医者から決して立ってはいけないと言われていたにもかかわらず、ベッドで体を支え、そろそろと起き上がった。
 折れた足に少しでも体重をかけたならば、せっかく手術でつないだ骨がばらばらになってしまう。妻に支えてもらい、両手と片足で壁と窓の桟を伝いながら、ベランダに這い出る。
 妻が、ベランダに椅子を出してくれた。ベッドから1メートルと離れていないその椅子に座るまで10分。体中、汗まみれだ。
 椅子に座った僕は、双眼鏡を目に当てた。病院全体の明かりが思ったよりも明るく、肉眼では存在がわからない。加えて、天頂に双眼鏡を向けることは、片足の僕にとって想像以上に困難なことだった。
 5分。10分。揺れる視野を見つめながら時間だけが過ぎてゆく。普段であれば、ほんの1秒で視野に入れることができる明るい彗星が一向に捉えられないことに癇癪を起こしそうになりながら、必死で彗星を捜し求めた。
 15分後、ようやく白い彗星の姿を捉えた次の瞬間、ぐらりと体が傾いた。あっという間もなく、手術したばかりの足を、ベランダの床についてしまう。
 激痛が走った。よろめきながらベッドに戻った僕は、それから30分ほども油汗を流しながら激しい痛みに耐えなければならなかった。
 幸いなことに重大な支障にはならず、それから3ヵ月後、秋もたけなわの頃になって僕はようやく退院をしたのだが、長い天文人生を思い返してみても、あれほど辛く情けなかった星見の経験は他にない。そして、激痛に耐えながらほんの一瞬だけ垣間見たレビー彗星のイメージは、その他の大彗星とは異なった心の引き出しにしまいこまれ、今に至っているようだ。
 あの入院生活以後、少しは障害を持つ人の苦しみがわかるようになったような気がしている。

 今、考えているのは、病院や障害者施設での観望会だ。病気や怪我で苦しんでいる人たちに遥か遠い天体の姿を見てもらえればと思う。同様に、老人施設での観望会も行ないたい。
 そのためには、体に支障がある方が楽な姿勢で望遠鏡を覗くことができるような工夫をする必要があることも、自らの経験から「痛感」している。
 できれば、明るい虹のように夜空を翔ける大彗星を、苦しんでいる人とともに見上げることができれば、心の中の彗星アルバムに、また新しい1ページを加えることができるのではないかと思う。

(2002年12月発行 東大和天文同好会会誌“ほしぞら”153号掲載分加筆訂正)
写真:池谷・張彗星 10cmF4SDUF EM-200で追尾 露出5分


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