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2006年06月22日

●随筆「星明かり」

「星明かり」という言葉がある。最近ではどこへ行ってもネオンや街灯がきらめき、星明かりなどという言葉は辞書の中でしか生き残っていないようだが、私はこれまでに何度か、この星明かりを体験したことがある。というより、星明かりに助けられたことがあるといってもいいかもしれない。
 冬の夜であった。私は重たい望遠鏡を担いで、真っ暗な山道を手探りで喘ぎ喘ぎ登っていた。懐中電灯を忘れてきたことに気づいたのは、最終のバスを降りて夜の山道を登り始めた時である。すでに帰りのバスはなく、とにかく星仲間の待っている山頂の観測地を目指すしか取りうる手段はなかった。
 空は晴れているはずであったが、分厚い杉の木立に遮られて、辺りは真の闇である。細い道は所々、高い崖の上を通り、あるいは人が一人やっと通れるだけの狭い木橋を渡っている箇所もあった。瞳孔がいっぱいに開いているのが、目の痛みとともに感じられた。望遠鏡は重く肩に食い込み、私は何度かよろけ、転落しかけた。
「この場で朝を待った方がいいかもしれない」。何度、そう思ったことだろう。。

orimon2.jpg

 突然、視界が開けた。それまで闇の支配していた山道が、ごくかすかではあるが、確かに青い視覚として映じてきた。山頂へ続くつづら折の道が、青い光の中に長く伸びていた。杉の厚い樹林帯を、ようやく抜け出したのであった
 空を見上げた。ほこりのような一面の星空であった。もう心配は何もなかった。青い星明かりの下を、何かひどく透明な気持で、私は仲間の待つ山頂へと急いだのであった。
 あのときの、一種霊的といってもいい星明かりの美しさを、私は今でも忘れることができない。

(岐阜新聞連載「ぎふ星見人」1992年12月15日掲載)
写真:冬の代表的な星座「オリオン座」付近

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コメント

そんな星あかり、体験したことがありません。

皆既日蝕で訪れたタイや南アの空は確かに暗い者でしたが季節のせいもあって透明度はいまいちでした。国内では乗鞍岳は行かずじまい、北海道行きのフェリー上では曇られました。その他観測地で「ざらざらした」空を見上げたこともありますが、星明かりは感じませんでした。気持ちの問題でしょうね。

子供のころ親に連れられて行った海の家、見上げた夜空のぎらぎらした星空が記憶に残っています。しかし近年の海辺の空の明るさを見るにつけ、それはあとから植え付けられたニセの記憶かもしれないなと思うようになりました。

私もあれほどの星明かりはあの時一度だけです。真っ暗な樹林帯から急に稜線に出たために、また、転落の危険という危機的状況にあったために、かすかな星明かりでも認識できたものと思います。
でも、藤橋では普段でも、どんよりと曇った晩と晴れた晩では、夜の明るさが確かに違いますよ。

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