2006年07月01日

●藤の吊り橋

揖斐川町役場藤橋振興事務所のすぐ横に、東西横山集落を結ぶ橋がかかっています。
今でこそコンクリートの橋ですが、明治二十五年に木橋に架け替えられるまでは、藤の蔓を編んで作
られた橋がかかっていました。旧藤橋村の村名の起源となった吊橋です。

turihasiezu1.jpg

安部晴明が架橋を指示したとも言われ、正保二年(一六四五)の美濃国絵図にも描かれていることから、近世を通じて架け続けられてきたことは確かなようです。
橋は、山から切り出した白口藤の大蔓を、両岸に植えた大木に結びつけて架けられていました。
それだけの強度と長さを持った材料を調達するだけでも大変でしたし、何の手がかりもない渓谷を挟んで藤蔓を結ぶのも非常に危険な作業でした。
橋の長さは約三十間、幅は四尺、揺れる橋の上から見下ろせば、逆巻く急流に目がくらみそうだったそうです。それでも村人は、重い荷を背負って平気で渡っていたとのことでした。
今、緑の香りに包まれた橋を渡れば、揖斐の川面はあくまで青く、揺れる吊橋を歩いた当時の旅人と心が重なってゆくようです。藤の花が川面を紫に染める初夏が、晴明ゆかりの藤の吊橋跡の白眉です。

2006年07月02日

●山体崩落現場その後(6月29日現在)

揖斐川町東横山の山体崩落現場その後の様子です。

houraku3.jpg

現在、崩落した対岸(国道側)を削って流路を広げる作業が行なわれています。
一方、崩落側の流路沿いには、テトラポッドを敷きつめて、侵食によって新たな崩落が起こらないような措置がとられています。
また、この写真には写っていませんが、崩落斜面では、無人の重機によって、新たに崩落の危険がある土砂や岩体の撤去作業が進行しています。同時に、少しずつですが、崩落土砂の撤去も進みつつあります。

当面、再度の大崩落や揖斐川本流が堰き止められるという事態は避けられそうですが、梅雨末期の大雨が今後予想されることから、引き続き監視体制を強めているところです。

2006年07月04日

●随筆「ふるさとは東京」

風の冷たさにふと気づいて、僕はレンズから目を離した。観測を始めてから、すでに30分が過ぎている。
空を見上げた。
丸いドーム。長方形に開いたスリットから、こぼれんばかりの星の光が降り注いでいる。
口径60センチの大反射望遠鏡の姿が、星あかりを浴びて暗闇の中にうす青く浮かんでいた。その丸い視野の中では、肉眼には決して映ずることのない、数千光年彼方にあるはずの名も知れぬ星々が、かすかな大気の揺らぎを受けて、生き物のように明滅しているのだった。

60RC3.jpg

寒い。4月の声を聞いても、山間のこの村では、夜ともなれば零度近くにまで気温が低下する。
長年住み慣れた東京を離れ、岐阜県にある人口わずか450人足らずのこの山村に移り住んでから、いつしか6年が過ぎようとしていた。その頃、ちょうど一歳になったばかりだった娘は、この春、小学校に入学する。

村立の公開天文台職員として、慣れない土地で、それでも懸命に過ごしてきた歳月を振り返るのは、こうして一人きり、天文台のドームの中で、遥かな時間と空間を越えて地球を訪れた星の光と向かい合うひとときだ。
僕も妻も、東京で生まれて東京で育った。子供の頃からの星好きが嵩じて、ふとしたきっかけから、八年間勤めた会社を辞め、それまで縁もゆかりもなかったこの山村の職員として、30年間過ごした東京を後にしてきたのであった。
「ふるさと」という言葉は、甘く切ない。そして、この言葉に多くの人が描くイメージは、唱歌「ふるさと」の情景である。
しかしそれは、普遍的なイメージではあるけれど、確たる現実として、僕にとっての「ふるさと」は東京だ。
滑稽かもしれないが、年に数回、東京に帰省するとき、僕は「ふるさと」を実感する。新幹線が新横浜を過ぎ、多摩川を渡るとき、そして東京駅に到着の直前、減速した車窓をオフィスビル街が通り過ぎるとき、それまで張りつめていた心のどこかが、急速に緩んでゆくのを感じるのである。
あるいはそれ以前に、岐阜羽島駅や名古屋駅で「東京」という列車の行き先案内を見たとき、僕の心はすでに故郷へと翔んでいる。それは恐らく、東北出身の人が上野駅の長距離ホームに立ち、故郷の駅名を掲げた列車を見たときに抱く想いと共通のものなのだろう。
いくばくかの時間が過ぎ、僕は再びレンズに目を当てた。
心の片隅を、ふと後悔がよぎる。両親や親戚、友達と別れ、この山村へやってきたことは、とんでもない過ちだったのではあるまいか。
が、次の瞬間、僕は思い直す。東京を遥かに離れたこの土地で、憧れ続けた星空に少しでも近づくことによって、ふるさとである「東京」を誇りに思うことができるのだ、と。

(1998年 明窓出版刊 エッセイ集「一頁のふるさと ハリエンジュの湖畔」より)

2006年07月06日

●暮れそうで暮れない黄昏時に

6月29日は、関ヶ原青少年自然の家での観望会でした。
朝から水蒸気の多い天候でしたが、夕方からは次第に青空となり、児童30人ほどを対象に望遠鏡3台を出して観望会を行いました。

この時期、困るのが日没時刻の遅さです。19時を過ぎてもまだ日が沈まないのです。
それでも、スケジュールの都合でどうしても20時30分までには終了したいとのことだったので、早めに望遠鏡を組み立て、ちょうど20㎝反射、15㎝屈折、15㎝双眼鏡と異なるタイプの望遠鏡が揃っていましたので、星が見え始めるまで望遠鏡の説明をしました。

ようやく日没となりましたので、今度は一番星探しです。
子どもたちがまず見つけたのは、夕空に低い三日月でした。
お次は南天の木星・・・なのですが、これはかなりばらつきがありました。早く見つける子といつまでも見つからない子の差がかなり激しいのです。
これは、視力の差というより、目のピントが無限遠になかなか合わせられないためのようでした。昼間の金星もそうですが、近くに雲や月があると、ぐんと見つけやすくなるものです。

moon1.jpg

二番星、三番星と見つけてもらったところで、望遠鏡を覗いてもらうことにしました。
それでも、北極星はまだ見えないので、極軸合わせは全くのカンです。これまでに何度もお邪魔している場所なので、北極星が見えなくても概ね北の方向はわかります。
(北極星が見え始めてから確認したら、1度以内に正しく向いていました)。
でも、これが初めての場所だったら、なかなかこうはいきません。子どもたちを集めた観望会では、前後のスケジュールの関係で、往々にして日没直後から始めざるを得ないことが多く、過去に何十回となく同様の経験をしています。
こうした場合、長年星を見てきて培われた動物的カンが頼りになります。風の匂い、空気の重さなど、数値や言葉にできない第六感を駆使して北の方角を識るのです。
そんな非科学的な、と思われるかもしれませんが、これがけっこう当たります。
35年の星見生活は、現代人が忘れてしまった原始的感覚を研ぎ澄ましてくれたようです。

この日、一番人気だったのは、三日月でした。
シーイングが非常に良かったため、20㎝反射で見る月面は恐ろしいほどでした。
時折、蛍も飛んで、子どもたちにはとても思い出に残るひとときとなったようです。

2006年07月09日

●モリアオガエル

西美濃プラネタリウム駐車場横にある水路で、今年もモリアオガエルが産卵しました。
水路に張り出した木の枝に、白い泡のような塊がいくつもぶら下がっており、触ってみると、お麩のような手触りです。

moriaogaeru1.jpg

卵から孵ったオタマジャクシは、そのまま水に落ちて成長します。カエルの多くは水中に産卵するのですが、モリアオガエルだけはカマキリが木の枝に卵を産みつけるような産卵方法をとるのです。
以前は、藤橋地区の水のあるところにはどこにでも見られたモリアオガエルですが、残念なことに、ここ数年、急速に数を減らしています。今年、西美濃プラネタリウム周辺では、わずか数個の卵嚢しか見ることができませんでした。
過疎化による水田の減少、繰り返される農薬散布、オタマジャクシが成長する前に水田の水を干してしまうこと、車の増加とともに車道を横切るカエルが轢かれてしまうことが増えたことなど、生息数が減少する要因はさまざまですが、考えなくてはいけないのは、いずれも人間がその原因を作っているということです。
このブログでも繰り返し書かせていただいていますが、そうした人間活動の影響を最も受けやすいのが、カエルや水棲昆虫といった水辺の生き物です。
水路や池の周囲に産卵に適した木を植えるなどの保護策を私なりに講じてはいますが、こんな小さな山村ですら、そんな個人の努力を遙かに上回る勢いで自然破壊が進んでいます。
開発という名の殺戮行為に抵抗する声も手段も持たない小さな生き物を守ってゆくことこそ、知恵と理性を持つ人類の責務なのではないでしょうか。

2006年07月11日

●ファミスコ60S

東京の実家に置きっぱなしだったファミスコ60Sを、このたび、引き上げてきました。
ファミスコという名称を見て「おお!」と思った方は、それなりに天文歴の古い方です。天文界も一般もハレー彗星に狂奔している頃、オモチャメーカーとして知られていたトミーから突如、発売されました。
当時の価格は覚えていませんが、気合いを入れるほどのものではなかったと記憶しています。

famisco60s1.jpg

発売当初、口径60mm、焦点距離400mm、プラスチック鏡筒そのものを伸縮させてピント出しをするこの望遠鏡に対する評価は二分されるものでした。
いわゆる正当派天文オタクからは「あんなのただのオモチャだ。望遠鏡じゃない」とこきおろされましたが、一部好き者からは「この性能でこの低価格。レンズもED。これこそ名機だ」と、非常な評判となったのです。
発売の広告を見て、私はすぐに購入しました。軽い、小さい、手軽に持ち運べる、安い、この4点だけで買うに値すると思ったからです。

実際使用してみると、その性能は驚くべきものでした。EDレンズとはいえ、400mmですから、もちろん色はつきます。それでも、色収差も球面収差も非常に上手に補正され、眼視での使用にはほとんど影響は感じません。後に、直焦点での撮影にも多用され、写真性能も十分だったことが立証されています。

あんまり素晴らしいので、1年ほどファミスコを彗星捜索用に常用しました。当時は、バイクで観測に行くことも多かったので、軽くてコンパクトなファミスコが運搬にもってこいだったことももちろんですが、「オモチャ」と言われた望遠鏡で彗星を見つけ、世間をあっと言わせてみせるぜい!的な思いがあったのです。
結果として彗星は見つけられませんでしたが、ファミスコをカメラ三脚に載せて薄暮と黎明の夜空を探った幾つもの夜の記憶は未だに鮮明です。10等の星雲まで見ることができました。

トミーはその後、ファミスコの改良品とも言うべきBORGシリーズを世に問います。
私は1年間ほど、職場の上司からBORG100ED(プラスチック鏡筒)を借用させていただいていましたが、これも名機でした。B級品とのことでしたが、シャープな星像に不満は感じませんでした。

夜露の下で酷使した鏡筒は傷だらけですが、これから整備して、またちょくちょく使おうと考えています。

2006年07月12日

●ハイイロゲンゴロウ

例の如く、昼休みに散歩していると、以前、オタマジャクシを掬った駐車場の水たまりに、小さな虫が10匹前後、忙しく水中を動き回っているのを見つけました。
薄茶色と灰色の混ざったような色をしており、体長は10mm~15mmほど、ときどき水面に浮かんできてはすぐに水中に潜っていきます。毛の生えた後ろ足を動かして素早く移動し、同じ場所にとどまっていないため、接写をするのが大変でした。

gengorou1.jpg

ゲンゴロウの類だということはすぐにわかりましたが、真っ黒な普通のゲンゴロウとは色も大きさも違います。
帰宅して調べたところ「ハイイロゲンゴロウ」のようでした。本州各地で普通に見られる種類とのことで、水の汚れにも強いようです。
人間にとっては過ごしづらい梅雨の時期は、野山を歩くとさまざまな生き物に出会える季節でもあります。

2006年07月14日

●合歓の花

うっとおしい天気が続くこの時期、プラネタリウムへ通う道沿いには、合歓(ねむ)の花があちこちに咲いています。
遠くから見ると、薄桃色の雲のように見えるのですが、近づいて観察すると、糸のように細い花弁が集まって、一つの花を作っていることがわかります。
子細に観察すればするほど上品で精緻な造形で、なぜ自然はこれほど緻密な芸術品を作ることができたのかと感心してしまいます。

nemu.jpg

「ネムノキ」という名前は、夜になると葉が閉じることに由来しています。
その様子が眠っているように見えることから「ネムノキ」。
まめ科の落葉小高木で、秋にはインゲン豆のような鞘に入った実をたくさんつけます。

不思議なのは、木によって色合いが微妙に違うことです。基本はピンク色なのですが、白に近い淡いものから真っ赤に近いものまで、さまざまなのです。
アジサイのように土の酸性度によるものなのか、他に原因があるのかわかりませんが、時に真紅に近い合歓の花を見つけると、川沿いにいくらでもある木だけに、かえってその鮮やかさに心を動かされます。
庭木としても植えられるネムノキですが、やはり山中の水辺にひっそりと咲いている姿が一番きれいに思えます。

2006年07月15日

●揖斐川西谷をたどる

旧徳山村の開田から、揖斐川の流れは東西に分かれます。冠山へ向う流れが本流の東谷、もう一本が西谷と呼ばれています。冠山峠を目指す車の行き交う東谷に対して、行き止まりの西谷は訪れる人もあまりありません。

西谷沿いには、古くから戸入、門入の二集落が開け、門入からはさらに、ホハレ峠から坂内村川上を経て、滋賀県方面への道が続いていました。
戸入、門入、どちらも入という文字を含んでいますが、「にゅう」とは水銀を産する場所を意味する地名です。室町時代には「門丹生」と書かれ、昭和60年の調査で門入から西谷と分かれる入谷に、水銀鉱山があったことがわかっています。戸入は、門入への入り口という意味があるものと思われます。

kadonyuu1.jpg

西谷集落への生活用品は、ほとんどがホハレ峠を人の背に負われて入ってきました。ホハレ峠とは変わった名前ですが、背に食いこむ荷物の重さに、頬が腫れるほどであったということからついたとも言われています。
門入からホハレ峠を経て坂内村へ続く道が掻かれている地図もありますが、今は完全な廃道であり、通り抜けはできません。

ダム工事が進む東谷と違って西谷は静かです。村人が去った集落に、木々はのびのびと葉を茂らせ、鳥は無心にさえずり、水底に沈むまでの束の間の静寂を謳歌しているようです。

写真:門入からホハレ峠への橋
(月刊「西美濃わが街」2004年6月号)

2006年07月17日

●随筆「小さな星座あれこれ」

“台風一過”という言葉がある。子供のころは、一年に一度か二度、必ず言葉どおりの快晴、あるいは満天の星空を見ることができたような気がするが、温暖化の影響か、最近は、台風が行き過ぎてもカラッとした晴天に恵まれることが少なくなってきたようだ。
 そんなことを思っていた矢先に通過した台風6号は、岐阜県西濃地方に大雨をもたらしたが、台風が去ったあとには、久しぶりに言葉どおりの晴天をももたらしてくれた。
 その晩は、娘と二人、今年で一番だろうと思われる星空を庭先から見上げ、感嘆の声をあげていたのだが、さそり座やはくちょう座などの大きくメジャーな星座のなかにあって、ふだんはあまり気にとめることのない小さな星座にしきりに目を引かれたのが、不思議と言えば不思議であった。
 透明度が極度に良かったため、と言ってしまえばそれまでだが、小さな星座のみならず、星座の形、というか星の配列がプラネタリウムで星座絵を重ねたような鮮やかさで目に映り、いきおい、小さな星座
にも目を引かれたというほうが正しいかもしれない。あるいは単に透明度が良かったという理由だけでなく、台風がもたらした湿潤な空気がディフュージョンフィルターのような作用を果たし、輝星をことさらに目立たせる役割を担っていたのだろう。
 その晩、とりわけ目を引いたのは、「いるか座」であった。ひし形の胴体に尻尾の星がちょこんとついたこの小さな星座は、どこか南国を連想させる。この星座をみるたび、澄んだ南の海を元気よく泳ぎまわるいるかの姿を、私は思い浮かべるのだ。

M57b.jpg

 同じように南国のイメージを感じるのが、有名ではあるけれど、星座としては小さな「こと座」である。おりひめ星のベガや、ドーナツ星雲M57があるために、どうしても星座そのものよりも個々の天体に目が向いてしまいがちだが、星の配列としても、きれいに整った星座だ。「こと座」は赤緯が高いために、夏の星座とはいいながら実のところほとんど1年中見ることができるのだが、春浅い明け方、霜柱を踏みながらこの星座を見るときでも、私はやはり南国をイメージしてしまう。
 反対に、見える季節そのままに寒い印象の小さな星座が「うさぎ座」だ。きらびやかなオリオン座の下にうずくまっているために、あまり目を向けられることがないのだが、よく見るとなかなか整った姿をした星座であり、一度、星の配列を覚えてしまえば、冬空にうさぎの姿を容易に描くことができる。うさぎは暑さを苦手とする動物だから、凍てつく冬の夜空が似合う星座ということができよう。そういえば、この星座にある球状星団M79は、寒さに丸まったように小さな姿をしている。
 形がわかりやすい小さな星座の代表格といえば「かんむり座」があげられよう。明るいアークツールスのすぐ近くにありながら、一度見ればまず忘れることのない美しい半円形にまとまっている。α星の名はアルフェッカ、文字通り“欠けた皿”という意味だ。
「かんむり座」と良く似た星座が、夏の南天低くに見えている。「南のかんむり座」である。さそり座やいて座といった超有名な星座に隠れてほとんど注目されることもないが、本家?の「かんむり座」と同じく半円形の姿が美しい。
 ほとんど注目されないといえば、春の星座に「こじし座」がある。有名なしし座のすぐ北にあるのだが、明るい星がないために、形をたどろうにも、街中ではそのエリアに星の姿を探すことすら難しい星座である。
 そんなマイナーな「こじし座」だが、だいぶ以前、ふとした拍子に、本家本元のしし座とそっくりな姿を夜空にたどることができてびっくりしたことがある。もっともそれはそのときだけで、その後は何度目を凝らしてみても形をたどることができずにいるのだが、今から思えば、あの晩も、かすかに海の香りを大気に感じるような台風一過の快晴だったような気がする。
 春の星座といえば、「かみのけ座」もあまり目立たない。面積的にはさほど小さくはないのだが、暗い星が朦朧と集まった姿は、やはり都会で見ることは困難だ。それでも、となりの「かに座」と並んで、春のうすぼんやりと霞んだ夜空に似つかわしい星座ではある。
 思いつくまま、季節の夜空に見える小さな星座を取り上げてきたが、ここまで書いてきて秋の星座がないことに気がついた。それでは、と思い、秋の星座を思い浮かべてみたのだが、こと、小さな星座となる
と、あまり印象に浮かんでこない。
 考えているうち、秋の星座のどれもが線の細い印象であることに気がついた。カシオペヤ座やペガスス座をはじめ、それこそギリシャ神話のメインキャラクターばかりなのだが、春のさそり座や、冬のオリオン座、あるいは春のしし座などに比べると、奇妙にひっそりとした印象なのだ。
 これは多分に、秋の夜空に明るい星が少ないこと、輝く夏が過ぎ、冬に向かう、どちらかといえば寂しい季節であることなどがその理由なのだろう。秋の星座は、有名な星座も小さな星座も、どれもつつま
しくこじんまりしているように感じられる。とりたてて取り上げるべき小さな星座が思い浮かばないのも、多分にそんな理由によるものなのだろう。
 そして、秋の星座には、そんなつつましさがよく似合うような気がする。

写真:こと座のリング星雲M57(60cm反射)
「STAR RIGHT PARTY通信Vol.20(2002年)」掲載

2006年07月19日

●第4訓「田舎はいつだって忙しい!」

今、猛烈な眠気を堪えながらこの文章を書いています。
昨日午後から、東海地方~西日本は梅雨前線の活発化にともない、猛烈な雨となりました。
揖斐川町役場では、台風や大雨など災害が予測される天候の際には、各部署で警戒班体制が組まれ、警報が出されている間はずっと職場待機となります。
昨日は、ちょうど私が警戒班に当っていました。昨夕方から今朝、他の職員が出勤してくるまで、私を含め5名の職員は、徹夜で職場に詰めて、各地からの情報を収集したり、地域の巡回に出たりしながら、長い一夜を過ごしたのです。

田舎暮らしに憧れる方は一様に「田舎はのんびりしていていいですね」と言います。
満員の乗客を乗せてひっきりなしに走る電車、建ちならぶオフィスビル、早足で歩く人波。
そうした都会の情景に比べれば、緑に囲まれ行き交う人の姿も稀な田舎は、のんびりしているように思えるのでしょう。

私も、田舎へ移住するまではそう思っていました。
ところが実際に移住してみるととんでもありません。
公務員という職業柄もありますが、上述したような悪天候時の出勤は頻繁ですし、消防団の出動も時にはあります。人口が少ないために、さまざまな役も回ってきます。
都会暮らしであれば、どんなに忙しい職場であっても、いったん電車に乗り、自宅へ帰ってきてしまえば、とんぼ返りで会社へ呼び戻されることはほとんどありません。
ところが、田舎の場合は、夜中でも休みでも、呼び出しはしょっちゅうです。台風の猛烈な風雨が吹きすさぶ中、決死の思いで車を走らせることもあります。
そしてたいていの場合、そうした呼び出しや地域の役は無報酬です。人口の少ない農山村部に住む人は、当たり前のこととしてそうした忙しさを受け入れています。

yuukeinisiyokoyama1.jpg

マスコミの取材の際など、田舎暮らしは実のところ非常に多忙であることを繰り返しお話してはいるのですが、田舎イコール人情に溢れのんびりした場所、という固定観念は拭い難いものがあります。
田舎暮らしに憧れている方は、今以上に忙しい日々が待っていることを覚悟しておかれた方が間違いないでしょう。

写真:揖斐川町西横山(旧藤橋村西横山)6月夕景

2006年07月21日

●蛍と教育

今年も、家族で蛍見物に出かけた。自宅から車で三十分ほどの小さな川だ。山あいなので、晴れた晩には、地上に蛍、空には満天の星が見えるという贅沢な場所である。
当夜も、初夏の星座に蛍の光が群れ飛ぶ景観に、しばし陶然としたひとときを過ごしたのであるが、そんな光景をじっと見つめていた中一の娘が呟いた言葉に胸をつかれた。
「日本中どこでも、蛍や星が見られるようになれば、簡単に人を殺しちゃうような子供はいなくなるはずなのにね。外は街灯やネオンでピカピカ、家の中ではテレビやパソコン、これじゃ誰でもおかしくなるよ。夜は静かで暗いのが自然なのに」
もっとも心に栄養を与えるべき年齢に、過度の刺激を与えられ続ければ、子供の心が壊れてゆくのは当然のことだ。
子供たちに必要なのは、インターネットやテレビゲームではない。青空や緑の草木、夜を彩る蛍や星の輝きといった、静かで穏やかな自然なのである。
百万編の教育論議を重ねるより、自然の風と光の中で子供たちの心を解放することこそが、何よりも急務なのではないだろうか。
 
(2004年7月16日 朝日新聞)

2006年07月23日

●現在、茅屋根吹き替え中

藤橋城(西美濃プラネタリウム)に隣接して、地域の萱葺き民家5棟を移築した「藤橋歴史民俗資料館」があります。
この施設の4号棟の茅屋根を、現在、葺き替え中です。古い屋根材をすべて取り払い、ススキ茅で葺き直していくのです。
なかなか見られない光景ですので、入場者の方は、皆さん、興味深そうに見学しています。

fukikae1.jpg

かつて農山村では、ほとんどがこうした茅屋根でしたが、今ではそうした昔ながらの民家は、文化財として保存されているもの以外、まったく見ることができなくなってしまいました。
茅屋根なんて雨漏りしそうだし寒そうだし、なんて思ってしまいますが、実のところ、雨漏りなんて全くありませんし、夏は涼しく冬は暖かく、日本の風土にぴったりの家屋です。
屋根の葺き替えにしても、廃材は完全な自然素材、数年すれば土に還ってしまいますし、新しい屋根材料も普通に生えているススキです。国内で一から十まで自給と処分が可能な素材なのです。壁や障子といった屋根以外の部材も同様の自然素材であることはもちろんです。「建築廃材」などといった言葉は、少し前の農山村では存在し得なかったのですね。

若干面倒なのが、常に囲炉裏の火を焚き続けなければならないということでしょうか。煤が付くことによって腐食や虫害を防除するのが茅屋根民家の特徴ですので、これを怠ると、見る間に家が傷んできます。
藤橋歴史民俗資料館でも、できるだけ各棟に火を焚いて部材を燻すように心がけています。

こうして家族で囲炉裏を囲む光景は、恐らく縄文時代から変わらない「イエ」の原型だと思われます。
家族がバラバラに自分の部屋で食事を取るといった現代を象徴する光景と、煤まみれになりながらも、ひとつの囲炉裏を囲んで団欒をしていた光景、どちらが人間らしい姿なのでしょう。
囲炉裏の火を見つめながら、心静かにそんなことを考えてみたいですね。

2006年07月25日

●満天の星を見ながら音楽を聴きたいなあ!

星を見るという行為と音楽を聴くという行為は、まったく異なるものでありながら、どこかでつながっているような気がします。それは恐らく、どちらも人間としての心の琴線に触れる行為であり、目で見る、耳で聴くという違いこそあれ、私たちの精神が求めている「心地よさ」を具現化する行為であるからなのでしょう。
私の仕事はプラネタリウムの解説ですが、その意味では満天の星を見上げながら美しい音楽に身を任せることのできるプラネタリウムは、よく考えられた「癒し」の空間なのだなあと、いつも思います。
精神的に疲れているときなど、私はときどき「瞑想」と称して(妄想ではありませんヨ)、部屋を真っ暗にして好きな音楽を何時間も聴いていることがありますが、そんな時、心の表面に積み重なっていた澱のようなものが少しずつ剥がれ落ち、精神がクリアーになっていくのを感じます。身の回りに生起する何気ないできごとや自然の移ろいが、愛しく新鮮に思えてくるのです。
実際の星空を見上げながらじっくり音楽を聴いたことは残念ながらありません。本当に疲れているときなど、そんな状況に身を任すことができれば、それは最高の癒しになると思います。つくりもののプラネタリウムと違い、目に映っているのは何十光年もの時間と空間を渡ってきた本物の星の光なのですから。
ただ、星を見るのは基本的には屋外であることから(天文台のドームの中で、という場合もありますが)、本格的に音楽を楽しむ環境を作り出すことはなかなか難しいものです。ラジカセを傍らに置いてCDを聴くぐらいはできますが、やっぱりもう少し良い音で聴きたいですよね。
全面ガラス張りドーム(曇り止め機構つき)で、ちょっと高級なオーディオセット完備、リクライニングチェア-装備、というような天文台があればいいなあ。この際、望遠鏡はあってもなくてもかまいません。でも、望遠鏡なしでは天文台とは言わないのかなあ。
光害がなく、視界抜群の場所にそんなドームを設置し、冷暖房完備のもとで、ちょっと高いお酒でも舐めつつ、好きな音楽を聴きながら満天の星空をリクライニングチェア-から見上げる・・・。
うーん。贅沢ですねえ。でも、堕落しているようにも思えます。いや、どうせ実現しないのだから、堕落でもなんでもいいのだ。
・・・閑話休題。
星を見るのにどんな音楽が良いかというテーマが、天文ファンの間でときおり話題になります。もちろん、個々それぞれ好きな音楽はさまざまですから、結局は自分の好みを開陳するだけという結果に終わってしまうのですが、ふたつだけ、私の大好きな曲を紹介させていただきます。
ひとつはモーリス・ラヴェルの「逝ける王女のためのパヴァーヌ」です。ラヴェルが当初、作曲したのはピアノ曲としてですが、後にオーケストラバージョンも作られています。いかにも深夜を連想させるこの曲を聴きながら夜空を見上げていると、時間と空間の流れが眼前に見えるような、そんな気にさせられます。いかにもフランス的な技巧を凝らし、不協和音に溢れたものが多いラヴェルの曲の中で、この曲だけは
ロマン主義を強く感じさせるものとなっています。
もうひとつは、これもポピュラーな曲ではありますが、ドビュッシーの「月の光」です。ところどころに散りばめられたピアノのフレーズが、月明りの中できらめく輝星、微星の輝きを連想させる名曲です。
 ボクはこんな曲が星見に合ってると思うヨ、という方がいましたら、ぜひ教えて下さいね。

(STAR LIGHT PARTY通信Vol.16掲載加筆訂正)

2006年07月28日

●月にまつわる言い伝え(旧藤橋村)

折に触れて、地域で天体に関する言い伝えや伝説を収集しています。
とはいっても、星を方角や航海のしるべとして使っていた海辺の地域と比べると、山間地では驚くほど天体に関するそうした情報が乏しいのが実情です。
そんな中で最近、西美濃プラネタリウムで働いて下さっている方から月にまつわる地域の言い伝えを聞くことができました。

1.月の暈(かさ)に関して
①破れ暈(暈の中に星が見える)は天気が良くなる
②暈の中に星が見えない場合は天気が悪くなる

2.月の西側に星が近いと身内に不幸がある

太陽や月が暈を被ると天気が悪くなるというのはどこでも言われますが、暈の中に星が見えるのは、上空の気温が低く、細かな氷の雲が薄く空を覆っている場合だと思われます。強い冬型の場合、旧藤橋村辺りでは時雨模様の天気となりますが、弱い冬型の場合は逆に快晴になることが多くなります。
月の暈の中に星が見えるというケースは、おそらく弱い冬型の天候なのでしょう。地域性を表した言い伝えだと思います。
「月の西側に・・・」については、根拠がわかりません。西方浄土のある方角、ということからこうした言い伝えが生まれたのでしょうか。

他にも、揖斐谷、春日谷に伝わる星がらみの言い伝えをご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えて下さい。

2006年07月30日

●梅雨晴れの星

東海地方の梅雨明け宣言前、27日は久しぶりの好天でした。
早い時間帯はそれでもやや雲が多かったので、22時過ぎから星を見に出かけました。
彗星捜索をしようか、それとも写真でも撮ろうかと思いましたが、そろそろ夏の流星シーズンですので、シュラフひとつを持って流星観測をすることにしました。

藤橋方面の山には低い雲がかかっていましたから、近場で見ることとし、旧谷汲村の横蔵にある某駐車場で22時30分から観測を開始。
この場所は、自宅から車で15分ほどとごく近いにもかかわらず、視界は広いし、空も暗く、人家もあるにはあるのですが、ほとんど灯火の影響がない絶好の観測地です。加えてアスファルト敷きなので、機材のセッティングもしやすく、最近は頻繁に利用しています。
太平洋高気圧が一時的に張り出したためでしょう、夏とは思えないほどの透明度で、6等星までバッチリ、天の川が白く地平線を結んでいます。南の空にはさそり座が低く身を横たえ、頭上には夏の大三角が鮮やかというほかない壮麗さで輝いています。

sco.jpg

観測の目的は、極大を迎えつつある「みずがめ座流星群」と「やぎ座流星群」ですが、北東の空からはカシオペア座が昇り始め、夏の主役の「ペルセウス座流星群」も期待できそうです。
残念ながら30分ほどで西から雲が広がってしまい、流星数もわずかという結果に終わったのですが、久しぶりに本物の星空を見ることができ、心が洗われた気持で帰路に着くことができました。

仕事柄、特に夏休み中は観望会が入ることが多く、一人で星を見る機会はなかなかありません。
好きで選んだ仕事ですが、やはりこうして、一人きりで静かに星を見上げるのがいちばん好きです。
静寂と風の匂い、そしてゆっくりと巡ってゆく星空。時間と空間、そして宇宙に浮かぶ地球という惑星に心を巡らせるひとときでした。