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2006年08月15日

●天文ファン2030

2030年。進行する地球温暖化と飽和状態に達した光害のため、天文趣味は壊滅に瀕していた。
そんな絶望的な状況の中でも、軌道上に打ち上げられたアマチュア衛星を使って新天体発見を夢見る俺。
必ず到来する暗黒の未来を描いた衝撃の近未来天文小説!
星屋さんは、身につまされること間違いなし! 必読です!

 珍しく仕事が早く終わったので、夜の7時過ぎには家に帰ることができた。
 部屋のドアを開けると、昼間の名残のむしっ、と暑苦しい空気が襲ってくる。俺は窓を全開にして、古めかしい扇風機をぶん回した。
 今夜も寝苦しくなりそうだ。昼間の気温は30度を上回る日が続いている。
 それほどメジャーではないものの、まあ中堅会社に勤めている俺に、エアコンすら買わせない貧乏ぐらしを強いている理由のひとつが、狭い部屋の片隅に鎮座していた。
 昔のデスクトップパソコンそっくりの形をしたその機械のスイッチを、半ば習慣的にオンにする。タッチパネルで俺に割り当てられた捜索領域を指定してやると、給料の半分近くを食いつぶしているその装置が、音もなく動作しはじめた。
 あとはマシン任せにして、晩メシの支度に取りかかる。自動捜索モードに設定してあるので、万が一何か引っかかってくれば、アラームで知らせてくれるから手間はいらない。
 しごく便利なマシンなのだが、問題はこいつを導入してから2年間というもの、一度たりともアラームの音を聞いたことがないということだった。
(やはり捜索範囲が狭すぎるのかな)
 机の上の「自動天体捜索システム端末」と接続され、はるか衛星軌道上を飛んでいるシステム本体の姿を思い浮かべてみる。
 5年前、アマチュア天文ファンが金を出し合って、衛星軌道上に口径1mの宇宙望遠鏡を打ち上げた時には多いに期待をしたものだったが、それからあがった成果といえば、直径50mの小惑星がひとつと、軌道傾斜角の関係でたまたま見つかっていなかったEKBOがひとつという現状だったから、はじめのうちこそ気合が入りまくっていた俺も、このごろでは惰性で毎日の捜索を行っているにすぎないという状況にある。何と言っても、一人あたりに割り振られた捜索範囲が20分角という狭さでは、やはり無理があるのだろう。

 晩メシを食い終わった頃には、すっかり暗くなっていた。
 窓を開けて空を仰いだ俺は、小さなため息をつく。夜空は一面、古綿のような雲に覆われていた。半月が、おぼろにその位置を示しているだけのいつも通りの曇り空だ。
 子供だった頃には、時折は晴れた晩もあり、海だか山だかで、それこそ満天の星空を見た記憶もたしかに残っているのだが、ここ10年ほどの間に晴れた晩は極端に少なくなってしまい、去年の晴天夜数はわずかに10日間ほどだったと、先日講演を聴いた国立天文台の天文学者が話していた。
 (それでも、日本はまだいい方だな)
 俺は、昨日のテレビで見た海外の映像を思い出している。
 地球温暖化の影響で、大陸では急激な砂漠化が進んでいるし、小さな島国のいくつかは、海面上昇によって完全に領土を失ってしまっていた。アフリカでは、慢性的な干ばつと感染症のために人口が20世紀末の100分の1にまで減っているというし、世界中で食料を巡る戦争が起こっている。
(たとえ晴れた晩があったとしても)
 投げやりな気持ちで考えた。
今や、日本列島で天の川が見えるような場所はどこにもない。どんな山奥へ行っても、天頂で4等星がやっとという光害の海の中では、とても星を楽しむ気持ちになどなれないし、若者による天文ファンの暴行事件も、相変わらず新聞やテレビを賑わしている。この俺にしても、去年、たまさかに晴れた夜、郊外で撮像をしていたら、小学生の集団に囲まれてボコボコにされ、買ったばかりの500万画素CCDカメラをめちゃめちゃに壊されてしまった苦い経験を持っている。
 マシンの画面が点滅し、今日の捜索が終了したことを告げたのと同時に、電話がかかってきた。
「久しぶりだな」
 同じ天文同好会に所属しているMからだった。長いこと公開天文台の職員をしていたMだったが、1カ月前に解雇され、今は無職だと聞いている。
 それでもMの声は明るかった。
「今度の週末、オーストラリアに行かないか」
 いきなり撮影の誘いだ。
「俺はいいけどさ、お前の方はどうなんだ? 天文台、クビになったんだろ?」
「あはは」
 Mは、屈託なく笑う。
「とうとうオレも、って感じかな。ウチの天文台もさすがにやっていけなくなったらしいよ。自治体はどこも破産状態だから、天文台なんて金食い虫、とても面倒見られないんだ。第一、このごろは、肝心の客がさっぱり来ないからな」
「でも、一昨年だったか、でかい電波望遠鏡をいれたんだろ」
「ああ、あれね。メーカーの売りじゃ、曇っていても昼間でも観望ができるってことだったけど所詮は電波さ。撮像にも公開にも使ってみたけど、分解能が悪くてとても鑑賞に耐えられる代物じゃなかったよ」
「それにしても、クビになったわりには元気だな。もっとしょげていると思ったんだが」
「まあ、今の時代、お役所も民間も、いつクビになるかわからんからな。10年近く天文台の仕事ができただけ良かったと思ってるよ」
 Mの言葉を聞いて、たしかにな、と思う。一時は日本中に100以上あった公開天文台も、今ではまったくの壊滅状態だ。
「でもお前、天文学の博士号、持ってたろ? それでもクビになっちまうのか?」
 Mは、ふふっ、と自嘲気味の含み笑いをした。
「天文学者っていうとカッコいいけどさ。独立行政法人化で研究費は削られる一方だし、国内じゃ星が見えないからオレみたいな観測屋さんは仕事がない。優秀な理論屋さんはみんな海外に逃げちゃってるしね・・・。底辺を支えるはずの理科教育もどんどんカリキュラムから外されて、君も知っているとおり、かつては世界一だった日本人学生の学力は、今や世界最低レベルだ。天文学者を志す若者なんてどこにもいないし、仮に奇特な若者が学者になっても食っていけない。日本の天文学は、完全に崩壊したといっていいね」
 なんとなくパッとしない気分で、Mと俺は、オーストラリア行きのプランについて話し合った。
 昔は、俺たちのようなジプシー天文ファンは、暗い空を求めて国内のあちこちを歩き回ったらしいが、2030年代の今、海外での星見がアマチュアの主流となっている。航空運賃は安くはないが、天の川見ようとすれば週末を利用して海外へ出かけるしかないのだ。
「俺たちもそろそろ、オーストラリアに観測所でも建てたいなあ」
 俺の言葉にMがあいづちを打った。
「そうだな。何でも今は、第2の観測所ブームらしいからな」
「昔もこんなことがあったのか?」
「1980年代、長野や山梨に共同出資の観測所を作ることが流行ったらしいよ」
「信じられないな。山梨なんて見渡す限りの住宅街だぜ」
「いや、本当らしいよ。今じゃアマチュア界の重鎮の、元天〇ガイド編集長のTさんが言ってたけど、野辺山で昔は対日照が見えたらしい。Tさん、昔は良かったって、最近はそればかり言うんだ」

 Mとの電話を切った俺は、同好会のホームページにオーストラリア行きの募集を書き込み、ついでに自分のメインバンクにアクセスして目下の財産状況を確認してみる。いつものことだったが、ため息が出た。オーストラリア観測所の建設に向けて細々と貯めている預金は目標の半分にも達していない。
 もう一度ため息をついた俺は、ベッドに横になると天文雑誌をぱらぱらとめくった。写真コンテストのページには、世界各地で撮影されたため息の出るようなすばらしいディープスカイの画像に加え、最近新しい分野として徐々に応募が増えている電波望遠鏡を使った画像も何点か入選している。超マイクロ波を使ったアマチュア向けの電波望遠鏡の価格もだいぶこなれてきたから、いずれは天候にも光害にも左右されない電波での画像が主流となってゆくのだろう。望遠鏡メーカーのほとんどが倒産し、すっかり寂しくなってしまった広告ページでも、電波望遠鏡の広告だけは気を吐いているようだ。
 ふと、グラビアページが目に留まる。
『ノイズよさらば。ジプシー電波観測のすすめ』
 こんなタイトルのついたグラビアページでは、小型の電波望遠鏡を車に積んで、田舎へジプシー観測に出かける記事が載っていた。都会では、さまざまなノイズに邪魔されて、天体からの電波がとらえられないのだという。ノイズの少ない田舎へ遠征して電波で撮像を行い、そのデータをさまざまなフィルターにくぐらせることによってシャープな画像が得られるという撮影方法はたしかに魅力的ではあったが、記事を読み進むうちに俺は、何だかやりきれないような気持ちになり、雑誌を閉じてしまっていた。
 そうまでして天文という趣味を続けてゆく意味があるのだろうか。自分の目で星の光をとらえ、自然の風の中で星座や天の川の輝きを見上げることこそが天文という趣味の醍醐味だったのではなかろうか。天文雑誌やメーカーはハイテク化をあおり、天文趣味を追求する手段を次々に提示してはくれるが、どこか本質的なものを見失っているような気がする。
 俺は、半月ほど前に彼女と行ったプラネタリウムを思い出していた。観客は決して多くはなかったものの、ドーム一杯に映し出される満天の星空に誰もが感嘆し、解説者の流暢なナレーションに酔っているようだった。
 そうした観客の反応は、彼女のこんな一言に凝縮されているように俺には思える。
「星ってこういうものだったのね。初めて見たわ」
 俺は天文を趣味にしているから、とりあえずは天の川くらいは何度か見たことがあるが、彼女を含めた観客のほとんどは、天の川はもちろん、生まれてから一度も星を見たことがなかったのに違いない。
 1980年代までに生まれた年寄り連中が生きている今はまだいい。彼らは本物の星空を実体験として知っているからだ。しかし、その後の世代、特に21世紀になってからこの世に生を受けた人々・・・地球温暖化による晴天率の極端な悪化、強烈な光害、治安の悪化などによって生まれてから一度も星を見上げたことのない世代・・・が世の中の大半を占めるようになったとき、俺の住むこの国は一体どうなってしまうんだろう。
 柄にもなくそんなことを考えた俺は、暗い気持ちを振り払うようにオーストラリア行きの航空ダイヤをネットで調べはじめた。
 それにしても暑い。もう11月も半ばを過ぎたというのに・・・。 

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コメント

ああ、やるせない。
唯一の救いは、わたし自身はこのストーリィに出てくる年寄りに属すること。本格的にトシをとったら、昔はよかったと語り合うことにしましょう。んや、今でも時々言ってますこのセリフ。すでにジジィか。

やるせないですねえ。でもこれ、かなりの確率で正しい未来予測だと思っています。今でも私たちが子供の頃に比べれば晴天日数は大幅に減っているし、日本中どこへ出かけても満天の星が見られる場所はなくなりつつあります。
で、この話って、11月半ば過ぎという季節設定なんですね。それでも30度を越える暑さ。真夏はどうなっているんでしょうね。今年の夏の暑さを考えると、やっぱり絵空事とは思えなくありませんか?

この続編を妄想してみる。自動天体捜索システムが発見の知らせを告げるのに気付かないまま出かけたオーストラリア。そのころ国立天文台のW教授は電波観測するアマチュアからNEOに関する多数の報告を受け取っていた。おかしい、ドップラーシフトの量と 観測されるNEOの位置はあり得ない組み合わせだ。たまたまTガイド誌の取材中にM電機の技術者に連絡が入る。そしてオーストラリアの砂漠で主人公の見たものは?(オチありません)

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