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2006年08月21日

●公開天文施設の現状と意義に関する私的考察

五島プラネタリウムの閉館前後から、各地でプラネタリウムや天文台の休止がアナウンスされ、公開天文施設の今後に大きな翳りが見え始めています。大きく報道されるのは大型館ばかりですが、マスコミ等で報道されないまま、全国で多くの施設が存亡の危機にさらされています。

私が勤務する西美濃プラネタリウム・西美濃天文台は、開館以来50万人の方に利用していただき、小規模なりに地域に貢献してきたと自負していますが、オープンしてから十余年が過ぎた今、当初は五人いた職員は二人に減らされ、予算の大幅削減はもとより、開館日数も半減されてしまいました。かつて暗かった施設周辺は、徳山ダム工事によってさまざまな灯りが林立し、ダム完成までの一時的なこととはいえ、以前とは比べものにならないほど明るくなってしまっています。職員は集客とコストダウンに必死に取り組んでいるものの、努力は限界に近づいています。

当館に限らず、バブル期、全国に雨後の筍のように生まれた天文施設の多くが運営に行き詰まっており、特に小規模館ほどその傾向は顕著です。予算もなく休みも取れず、もちろん事業も行えず、こんな状態ならば思い切って閉館になってしまった方が楽、小規模館の担当者からはこんな声も聞かれるほどです。

それでも、最近になってようやく、公開天文施設が連携してこうした危機に対処してゆこうといいう気運も生まれてきました。ただ、そうした運動を推進しているのは、実のところ危機にはほど遠い恵まれた大型館ばかりであり、小規模館は連携のための会合に参加することもままならず、意見や提案を述べる時間的余裕すらないまま、日々の業務に追いまくられているのが現実です。本当に追いつめられている施設は蚊帳の外に置かれ、余裕のある大型館だけが大所高所からの議論を楽しんでいるように思えてなりません。

私は、自らの施設の存亡に汲々としてはいないつもりです。税金を投入した施設維持が困難であれば、費用対効果の面から閉館という選択肢もあり得るでしょう。ただ、天文施設に期待されている本来の役割を、社会も、施設で働く職員自身も忘れているのではないかと感じます。

宇宙を知ることは、客観的な世界観を養い、地球環境問題への正しい認識やバランスのとれた人格形成にも不可欠です。プラネタリウムは流行のアニメ映画を上映するだけの視覚的遊園地であってはいけませんし、公開天文台は、一部の天文マニアや研究者の自己満足の場であってはいけません。宇宙とは何か、地球とは何か、人類とは何か、生きる意味とは何かといったことを、来館者とともに考えていく哲学を持った場所でなければならないと思います。

観測も研究も大切ですし、いわゆる「天文普及」も大事でしょう。しかし、何のために観測をし、研究をし、普及活動をするのかといった根本を、私たち公開天文施設の職員は、もう一度、考えてみる必要があるのではないかと思うのです。
  

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