2006年12月02日

●豪雪に備えて

特別豪雪地域に立地する藤橋歴史民俗資料館では、毎年冬になると、時には2mを越える雪に潰されないために、雪囲いをし、屋根にシートをかぶせます。
今年もその時期がやってきました。

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はじめに雪囲いを完成させた上で、クレーン車を使って特別に作ったシートを屋根にかぶせてゆきます。
昨年は、この作業を終える前に雪が降ってしまい、必死に除雪を行なってようやくシートをかぶせました。今年は昨年の轍を踏まないよう、早めの作業を心がけ、雪が降る前に着手した次第です。
雪が消える3月まで、資料館はこのような完全防備の姿で豪雪を耐え忍びます。

2006年12月03日

●藤橋城、惜しむ秋

一昨日の藤橋城です。一面に敷きつめられた落ち葉が雨に濡れて、去りゆく秋を惜しむようでした。この日は天文台の自由見学通路も、半日で二人しか見学者がなく、毎年のことながら12月に入ると急に冬めいて、訪れる人もいなくなるのを実感しました。

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今日は冬型が強まって、朝から終日の氷雨。山の中腹から上は雪でまっ白です。
明日はもっと寒くなるようですから、藤橋城周辺も積雪があるかもしれません。
50センチ程度の積雪ならどうということもありませんが、昨年のように2mを越えると身の危険を感じます。







2006年12月05日

●雪の天文台

4日は朝から雪でした。
天文台周辺は5㎝程度の積雪で、一面、モノトーンの世界となりました。
私の車は、土曜日にスタッドレスに履き替えましたので、特に問題なく走れましたが、ノーマルタイヤで難渋している車も見かけました。

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豪雪地域に立地する天文台ということで、ドームも建物も耐雪仕様に設計はしてありますが、初めての冬ですから何が起こるかわかりません。点検・除雪に心がけて良い状態で冬を越したいと思っています。
そうそう、HRO(流星電波観測)のアンテナはさすがに取り外しました。以前、自宅のHRO用アンテナを雪で見事に破損したことがありましたので・・・。

2006年12月06日

●久々に60cm反射が稼動!

今日も忙しい一日でした。
午後から天文台に行ったのですが、着いてすぐ、町長が視察に来るとの連絡が入り、あわててドームを開けて60センチを起動、とりあえずベガに向けました。
町長が来た時には残念ながら雲が多く、太陽望遠鏡のライブ画像をご覧になっただけでベガは見られずに帰られました。
町長が帰ってすぐ、今度は豊川から私立の某天文施設の方が視察に来訪、この頃からぐんぐん晴れ間が広がってきて暗くなる頃には快晴。
60センチ反射と20センチ屈折で、M15、M31、プレアデス、二重星として有名なアンドロメダα、天王星などを観望しました。
シーイングが非常に悪く、また月が昇ってきましたので最良の条件ではありませんでしたが、1時間半ほど星空を楽しむことができました。
アンドロメダαは色の対比が美しく、M15はきれいに分解し、天王星も円盤像と独特の薄緑色がよくわかりました。
ドームを閉めて帰る頃には東天から満月を過ぎたばかりの大きな月が昇り、久しぶりに60センチを使用した観望会は、12月にしては珍しく終始快晴のうちに終了したのでした。

2006年12月13日

●スター・ウィーク実行委員会に参加しました

11日は、国立天文台でのスター・ウィーク実行委員会に出席してきました。
スター・ウィークは、西美濃天文台で開催された「全国の天体観測施設の会」で実施が決まった「星を見る週間」です。
バード・ウィークがあるのならスター・ウィークがあってもいいじゃないか。そんな趣旨で始まったこのキャンペーン、10年を経て、かなり認知度も向上してきました。
ただ、私を含めて全国の実行委員は皆、完全なボランティアであり、仕事や家庭を抱えながらキャンペーンを推進していますから、なかなか難しい面もあります。
それでも、こうしたキャンペーンを通じて、少しでも星空を見上げる人の数が増えればすごく嬉しいことです。
実行委員はほとんどが三十代~四十代の忙しい盛り。多忙な中、気合のみで毎年キャンペーンを継続している感もありますが、少しずつでも前進できればと思っています。
キャンペーンのテーマソングは、星空を歌うユニット「アクアマリン」の「COSMOS」です。
「COSMOS」に限らず、アクアマリンの楽曲は、星や自然が好きな人の感性にフィットするものばかりなので、まだ聴いたことのない方は、ぜひ一度、聴いてみてくださいね。

2006年12月14日

●アルネ君

ウチでは、人間が3匹の他に、猫が8匹、うさぎが1羽、そして12月になってもしぶとく生きているカマキリが1匹、暮らしています。
タイトルにあるアルネ君は、5歳になるパンダうさぎです。藤橋小中学校で子うさぎがたくさん生まれた際に頼まれてもらったものです。

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うさぎが5年以上生きる例は少ないらしいのですが、アルネ君は元気いっぱいです。
アルネ君は、昼間は庭に作った小屋で過ごし(ここには土が入っています)、夜になると家の中にある檻(かなり広い)に移されます。つまり、家の外と中、2軒の住居を有しているのですね。なかなか贅沢なうさぎです。
頭を撫でてあげると奥歯をボリボリいわせて喜びますし、機嫌がいいときにはボール遊びもします。
アルネ君の他にも、怪我をしたり病気になったりした学校うさぎの面倒を随分とみてきましたから、飼い主である3匹の人間はうさぎ飼育に関してはオーソリティです。
アルネ君も病気知らず怪我知らずで、これから先、まだまだ長生きしそうです。
ところで、アルネという名前は、星の名前から名づけています。うさぎ座のα星の名が「アルネブ」というのです。名前もなかなか贅沢ですね。

2006年12月15日

●アルネ君その2

なかなか晴れずに星が見えないので、またうさぎの話題。
前回、アルネ君はふたつ家を持っている、と書きました。前回掲載した画像は「外のおうち」です。全体に土が敷いてあり、自由に穴掘り遊びができるようになっています。

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今回、掲載した画像は「中のおうち」です。ウチの居間に置いてあり、広さは1畳ほどです。カミさんが自作したこちらは、足を傷めないように「すのこ敷き」となっています。足裏の柔らかいうさぎは、金網張りの床で足を傷めてしまうことがあるからです。
かじり木もいくつか入っていて、遊べるようにボールも入っています。
と、ここまで書いたら、カミさんと娘が「アルネ君には他にも家があるよ」とのこと。
そうそう、栃木県の那須に別荘があるのですが、その敷地内にアルネ君も別荘を持っています。こちらは6畳ほどのスペースがあります。
以前は、東京のカミさんの実家にも2畳程度の広さでアルネ君の別荘がありました。こちらは建てかえた際になくなってしまい、東京に連れて行く時には適当な場所に放しているようです。
これまで東京や那須に何度も行ったアルネ君。これだけ新幹線や高速道路で旅をしたうさぎも珍しいかもしれません。

2006年12月17日

●旧谷汲村の民具整理

私の本来の仕事はプラネタリウムと天文台なのですが、学芸員資格を持っていることから、天文以外の学芸分野も担当します。
今年、春から担当しているのが、旧谷汲村の郷土資料館に保管されている民俗資料の整理です。
この資料館には、約400点の民俗資料が収蔵されていますが、建物の傷みがひどく、資料の劣化が懸念されていました。そのため、収蔵品目録の再整備もあわせて、資料のクリーニングと整理を行なうことになったのです。

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私と、もう一人、学芸員資格を持っている女性が整理を担当しており、現在、目録整備・資料整理ともに8割がたまで仕事が終了しました。
相棒の女性が非常に仕事のできる子のため、お互い、本来業務がありながらここまで仕事が進んだわけですが、他の担当者と組んでいたならば、恐らくずっと仕事は遅れていたことでしょう。
現在は、資料一点ずつの写真を撮りながら、整理番号、資料名などを記したラベルを貼っています。
民俗は正直言って専門外でしたが(一応、地学と生物学が私の守備分野です)、この仕事を通じて、ほんの入口ですが、民俗学の世界を垣間見ることができました。大変でしたが、勉強させてもらったと思っています。

写真:整理着手前の資料陳列状況

2006年12月19日

●今年のふたご座流星群

「ふたご座流星群」は、年間で最も出現数が多い流星群です。好条件下では、1時間あたり100個近く見られることも珍しくありません。
今年は月齢が下弦のため、夜半前は月明りのない状態で観測できることから、がんばって観測しようと思っていました。
ところが、12月に入ると晴れた日がほとんどなく、極大日の14日もあいにくの雨。
これは全滅かな、と思っていたら、活動終盤の17日になって強い冬型ながら、まあまあの天候となりました。
予報では夜半は雪ということだったので、晴れているうちにと早い時刻から自宅近くの揖斐川町谷汲深坂で観測開始。
北西から絶えず雲が流れてくるため満足できる条件ではありませんでしたが、透明度は良く、ぎょしゃ座付近では冬の天の川も見えました。
ところが肝心の流星はぜんぜん。雲が増えたため35分間のみの観測でしたが、ふたご群は4等級が1個のみ、散在も4等級が1個のみと、寒いばかりで何とも寂しい結果に終わりました。
北西低空の雲の中では絶えず稲光が光り、強風が吹き募るなかでの観測でした。
ふたご群は例年、極大を過ぎると急激に減衰しますので、仕方のない結果かもしれません。

2006年12月20日

●C/2006L1 Garradd観測報告

揖斐高原で、C/2006L1 Garraddを観測しました。

2006.12.20 20h00mJST m1=9.1 m2=- Dia=3′ DC=5 Tail=- 15cm×25双眼鏡

ぎょしゃ座のカペラとペルセウス座α星の間あたりにあって、探しやすい位置です。
すでに最大光度は過ぎており、視直径も最盛期より小さくなっていました。12月上旬には、8.5等、視直径10分に達したそうですが、あいにくの悪天候で観測できませんでした。
集光が比較的強く、核があるようなないような感じです。尾は(多分)ありません。
透明度が優れなかったので、もっと良い条件で見れば印象が違うかもしれません。

ところで揖斐高原ですが、このところいつも西の山の上に強烈な明かりが点灯されています。
ホテルのあたり?と思うのですが、この状態が続くと、観測地としてはちょっと使えません。東はまあまあですが、西は最悪の条件です。

2006年12月23日

●旧谷汲村の文化財整理その2

先日も書いた旧谷汲村の民俗資料整理、半年以上かかってようやく整理と目録作成が一段落しました。
一昨日は、とりあえずの作業完了ということで、クリーニング後、整理票を貼った資料を、埃よけと万一の雨漏り対策として透明なビニールで覆いました。
雨漏り?と思われるかもしれませんが、そもそもこの作業が始まったきっかけは、資料を展示している建物が極度に老朽化しており、資料の劣化が急速に進む可能性があるためでした。実際、昨年の冬には、屋根に積もった雪が溶けてかなりの雨漏りがありました。
はじめは「ばっちい民具ばかりだなあ」と思っていましたが、半年以上付き合ってみると、次第に親しみが湧いてきます。資料について調べるほど、木と紙で驚くほど実用的かつ堅牢に作られていることに気がつきます。

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11月以降は作業もかなり寒くなってきたのですが、気がつくと片隅にあった火鉢に炭を熾して、ごく当たり前に暖を取っていました。石油ストーブや、ファンヒーターを使う気がどうしても起こらないのです。
炭の匂いの中、使いこまれた民具に囲まれていると、やはり日本人は、プラスチックなどではなく木と紙を使って生活するべきなのだと気づかされます。
「人にも自然にも優しい日本古来の文化を取り戻さなくてはいけないね」
すっかりきれいになった資料に囲まれて話し合ったことでした。

写真:これ、「蚊いぶし」といいます。けっこう可愛い形をしています。

2006年12月24日

●随筆「クラシック・テレスコープ賛歌」

「天文はやっぱり観測だ!」
 ちょっと大げさですが、これが長年の信念?でした。
 天文という趣味には、観望、観測、写真とさまざまな流派?があり、最近ではプロも裸足の研究屋さんや、本物の星を見るよりも「プラネタリウムを見るのが大好き」という人もいます。色々な楽しみ方があり、それゆえ天文という趣味は楽しいのですが、私は単なる観望よりも、何か目的を持って観測をするという、どちらかといえば硬派路線が好きで、ここ10年ほどはそんな楽しみ方をしてきました。
 いわゆる「観測屋さん」志向は今でも変わらないのですが、最近はもうひとつ、「オカネがあればやってみたい」ことがあります。それは「古い望遠鏡を集めてみたい」ということです。
 天文以外の趣味では、こうしたレトロ趣味の収集志向という路線は、ひとつの分野として確立しています。たとえば、クラシックカー、バイクのレストア、古書収集など、いわゆる「大人のシュミ」として確固たる地位を築いているように思います。しかし、こと天文という趣味分野では、そうした収集志向はあまり聞いたことがありません。
 どちらかといえばハード志向の「観測」に対し、こうしたレトロ趣味は、ややもすれば後ろ向きの姿勢とも取られかねませんが、長年、天文趣味を続けていると、やはり懐かしい望遠鏡、そして時代を画した往年の名機を、折に触れ思い起こしてしまうのです。
 私が天文をはじめた頃のベストセラー機であるミザールのH-100反赤、その頃の天文少年の憧れだった同じくミザールのカイザー型屈赤、初の本格的自動赤道儀であるタカハシP型、驚異的な鋭像を誇ったニコン8㎝屈折、短焦点屈折のハシリ、カートンコメットシーカー6㎝屈赤、日本離れしたスタイルと性能のユニトロン(日本精光)赤道儀シリーズ、初のシステム赤道儀の五藤マークXシリーズ等々、挙げればキリがありません。比較的最近では、トミーのファミスコなども異色の存在として挙げることができるでしょう。現行品では、タカハシEM-200赤道儀、ビクセンR-200SS反射なども、いずれ「名機の殿堂」入りすることと思われます。
 同じ光学品でも、カメラの場合は東京にカメラ博物館があり、古今東西の名機を収蔵・公開しているのですが、天体望遠鏡に関してはそういった事例を知りません。光学品としての歴史的・文化的価値を考えた場合、天体望遠鏡についても、収集・保存を行う必要性が急務であると考えます。
 今回、例に挙げたのは、過去30年間ほどの比較的新しい機種ですが、古くは戦前・戦中の機種も保存する必要に迫られており、既にその多くは散逸してしまっているものと思われます。
 何だか学芸員報みたいになってしまいましたが、趣味として、そして文化遺産として、古い天体望遠鏡を収集して公開できたら、最近、そんなことを思うのです。
 有志でお金を出し合って「幻の名機集め」をしてみるのもいいかもしれません。お金はかかりますが、ハイソな大人の楽しみでっせ~。

Star Light Party通信 Vol.5(1995年1月28日発行)掲載分を一部訂正

2006年12月30日

●モズのはやにえ

ウチでしばらく飼っていた雌のカマキリが、とうとう死んでしまいました。
その日は暖かかったので、日光に当ててやろうとカマキリを庭の木にとまらせておいたのです。
カマキリを庭に出してから5分も経たないうちでした。何となくざわざわした厭な気配が庭から漂ってきたので急いで外に出てみると、カマキリがいません。

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しばらく探すと、首から上を食われた姿で枝に突き刺されていました。いわゆる「はやにえ」というヤツです。冬鳥であるモズの習性で、昆虫や小動物を捕らえ、木の枝に突き刺しておくのです。
腹の部分はまだ動いていましたが、どうすることもできませんので、とりあえず写真を撮りました。

カマキリは普通、11月いっぱいまでには寒さのために死んでしまいます。ところが今年は、暖かい日が続いたために、永らえていたカマキリが結構いたようなのです。たまたま庭にいたそんなカマキリを家の中にいれ、カメムシなどを与えていたのですが、思いがけない最期となってしまいました。
寒くなるにつれ餌の昆虫を入手することが難しくなっていましたし、いずれは寒さで死んでしまうのですから、むしろ他の生き物の栄養になった方が、自然の理にかなったことであったかもしれません。

私が星を好きになったのは小学校5年生の頃です。それまでは昆虫少年でした。
中でもカマキリは大好きで、野原で捕まえてきては庭に放して生態を観察することが楽しみでした。
今でもカマキリには思い入れがあります。秋の好日、道路の真ん中で日向ぼっこをしているカマキリを見つけると、車に轢かれないように草むらへ戻してやったりもします。
虫といえばカブトムシやクワガタが人気ですが、私は今でもなぜかカマキリが大好きです。肉食獣的な、あの精悍さに惹かれるのかもしれません。

2006年12月31日

●ビビさん

ウチには、このブログでもすでに紹介したパンダうさぎのアルネ君の他に、猫がなんと8匹います。どの猫も、捨てられていたのを保護したもので、その中でいちばんの古株が今回ご紹介する「ビビさん」です。

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ビビさんを保護したのはもう5年ほど前でしょうか。まだ藤橋村に住んでいた頃です。もともとはどこかの家で飼われていたのでしょうが、ウチに来たときには飢えと皮膚病でボロボロでした。
足が悪く、走ったり高い場所へ飛び上がることができないため、このままではいずれ死んでしまうだろうということで、とりあえず外猫として餌を与え、皮膚病の治療を行なうことにしました。
次第に秋が深まり、雪が舞うようになると、玄関前に作った雪囲いの中で過ごすようになりましたが、真冬には零下10度以下になる藤橋ですから、直接風や雪が当らないとはいえ、寒さは半端ではありません。娘は、そんなビビさんがかわいそうだと言って、真冬の寒さの中、毎日1時間以上も雪囲いの中でビビさんを抱いて温めていました。
結局、家の中で飼うしかないだろうということになり、ビビさんは晴れて我が家の飼い猫第1号となったのです。

皮膚病が治り元気になってみると、ビビさんは鼻筋の通った美人でした。
最初に保護した私のことが大好きで、娘やカミさんに言わせると「ビビさんはパパのことを、飼い主としてじゃなくて異性として愛しているんだよ」とのこと。
私にだけ見せる妙に色っぽくしどけないしぐさを見ると、なるほど、そうかもしれないとも思います。