2007年01月02日

●年頭随筆「正月徒然」

 毎年、年末年始には東京へ帰省するのだが、今回、カミさんと娘は帰省したものの、私は一人、岐阜の自宅を守っている。
 毎年、と書いたが、そういえば昨年も帰省せず、かわりに父と母が岐阜へやって来た。昨年は、甥っ子が大阪の病院に入院しており、見舞いも兼ねて父母がやって来たわけである。そんなわけで元日から大阪まで見舞いに出かけた。12月の大雪がまだ残っており、関が原付近は駅のホームに1m以上の雪が積もっていた。甥っ子は夏の盛りに亡くなった。
 今年はといえば、さほどの大事件があったわけではない。消防団の年末夜警当番が29日に当ったこと、カレンダー上の正月休みが短いこと、そして、うさぎ1羽と猫8匹の世話を家族の誰かがしなければならないため、「それじゃあ、今回は僕が残ろうか」ということになった次第である。
 年末夜警の晩は雪であった。大雪の予報も出ていたため、車にスコップを積み込み、帰れなくなったときのためにシュラフも用意して出かけたのだが、藤橋の積雪は思いのほか少なく10cm程度だった。
 翌日、カミさんと娘を駅に送ったあと、年末は若干の書き物、掃除、うさぎと猫の世話をして過ごした。大晦日には、職場であるプラネタリウムまで車を走らせ、施設点検と池で飼っている鴨と鯉に餌を与えた。我ながら律儀というか苦労性なことではある。
 元日と今日、2日も、さして特筆すべきことはない。両日とも朝8時過ぎに起床し、まずは、うさぎを外の小屋へ出し餌を与えることから始まった。ウチのうさぎは贅沢なことに、室内と庭それぞれに小屋というか檻を有している。朝になると外の家へ出し、夜になると室内の家へ連れ帰る。外の家は土が敷いてあるため、大好きな土掘りを楽しめる。夜は、寒いのと蛇やイタチに襲われるのを防ぐために室内へ入れるのである。
 次は、朝食の前に猫のお世話である。拙宅には猫が8匹いる。そのうち1匹はいちばん古株であり、自由に家の中をうろうろしている。特設の、どこでもドアならぬ『ねこでもドア』を通って外へ出るのも自由である。女王様とも言われているその猫、ビビさんに食事を与えた後、残る7匹が住まう通称『ねこ部屋』へ向う。
『ねこ部屋』というと何やら怪しげだが、実のところ拙宅で最も良い6畳間を猫専用にリフォームしてある。猫たちが出てしまわないように二重になったドアを開けると、腹を空かした猫たちが寄ってくる。一匹ずつ分けた食器にドライフードを盛って与える。
 7匹のうち1匹だけは特別食を用意してある。下部尿路疾患と口内炎を併発している黒猫なのだが、予防食と通常のドライフードをミキサーで粉にしたものにお湯を注ぎ、さらにウェットフードと薬を混ぜて粥状にしたものを与える。口内が痛むために、固形の餌は食べられないのである。くろ、と安易な命名がされているこの猫、どうやら鬱病も併発しているらしく、何とも難儀な猫なのである。(猫に鬱病なんてあるのかって? 長い私の猫経験によればたしかに猫も鬱病にかかるのである)
 食事をしている間に、3つ置いてあるトイレの掃除と床掃除。遊ぼう遊ぼうと寄ってくる猫たちと少しだけ遊ぶ。
 うさぎと猫の世話は終わったが、まだ仕事が残っている。昨夜の残りのご飯と、新しい食パンを持って庭へ出る。庭に配してある大きな石の上にご飯とちぎったパンをばらまく。すぐにスズメが舞い降りてくる。あとからあとから、数十羽が集まってくる。スズメだけではなく、ヒヨドリやモズもやってくる。それなりに風情のある庭石なのだが、今や主たる役割は鳥たちのダイニングテーブルである。石にしてみれば憤懣やる方ないことだろう。
 こうして、ようやく人間様の食事時間となる。鳥に与えたために1枚減ってしまった6枚切りのパンをトーストし、ごくごく簡単な朝食を摂る。昼まで簡単な原稿仕事を一件、片づける。昼過ぎには、またプラネタリウムまで車を走らせ、池の鴨と鯉に餌をやってきた。
 こう書いてみると、なんてことはない、単なる動物の飼育係である。それも、血統書つきの犬や猫ならいざ知らず、学校からもらってきたうさぎ、捨てられていたのを保護した猫、客寄せに飼っている鴨と鯉、さらにはただの野鳥。
 馬鹿みたいである。それでも、それなりに満足して冬の一日は過ぎてゆく。
 娘が帰ってきたら、一緒に近所の神社に初詣に行かねばなどと思いながら、居眠りしているビビさんを膝に乗せ、この文章を書いている。怠惰なのか勤勉なのか、自分でも分かりかねる正月である。


2007年01月04日

●随筆「ちゅらさん」

 年末年始は、動物の飼育係として過ごしたことを書いた。とはいえ、もちろん一日中、動物の世話をしていたわけではない。というより、正月三日間、夕方の時間帯は、およそ私らしくない時間を過ごしていた。なんと「テレビを見ていた」のである。
 私をよく知らない人は「なんでテレビを見るのがらしくない過ごし方なのさ」と思うだろう。日がなテレビの前でゴロゴロすることこそ正月の醍醐味だ!と力説する向きも少なくないに違いない。
 それはそれで正しい正月の過ごし方だと思う。が、普段、私はテレビをほとんど見ない。誤解していただくと困るのだが、別段、テレビが悪いとか否定しているということではない。ただそういう習慣なのである。
 そんな私が、正月の三が日はなんとホームドラマに見入っていた。それもNHKの朝ドラ再放送、しかも何度も放送されてきた『ちゅらさん』総集編である。
「だせえ!信じらんねえ!」とか「まっちゃんらしくない!」とか「おばさんみたい」とか言われることは覚悟の上でこの文章を書いているのだが、実のところ私は『ちゅらさん』の大ファンなのだ。私だけではない。家族そろって大ファンである。
 クサいストーリーであることはわかっている。超越的な力に導かれた初恋の成就、主人公を支える家族と友人の愛情、泣き笑い。
「シニカルで理性的で情に流されないまっちゃんがなんでよ!」と思う方には申し訳ないが、私の一面は直情的で情に脆くお人好しである。自分で言うのだから間違いない。『ちゅらさん』は、そんな私の一面を見事にヒットしたドラマなのである。
 ストーリーは誰もが知っているからここでは書かない。それでも、直情的で、ある意味ごくごく安易な展開のストーリーが、久しぶりに見た今回、これまで以上に心に染みて、恥ずかしい話だが何度か私は涙しそうになった。
 重なるのである。主人公を支える賑やかな家族と、数年前まで東京に帰るたび、集まって同じように賑やかな時間を過ごした私とカミさんの家族の姿が。
 『ちゅらさん総集編』の3回目を見た後、猫の世話をしながら娘がぽつりと言った。
「前は東京に行くとすごく楽しかったのにね。ほんの何年か前のことなのにね」
カミさんと私の家族、親戚の何人かが続けて亡くなり、父の体調もすぐれない。今、東京へ帰っても、かつてのように親きょうだいが集まって賑わうことはなくなってしまった。娘が言うとおり、数年前が嘘のようだ。
『ちゅらさん』を見終わり、夕食を済ませた後で、娘がピアノを弾いた。私の好きなラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』を娘が弾くのを聴きながら、突然、小さかった娘がよくぞここまで成長したものだという感慨にとらわれた。同時に、何よりも家族がいちばん大切なものなのだと、ごく当たり前のことを改めて何者かに告げられたような気がした。
「テレビドラマを見てそんな当たり前のことを考えるなんて、まっちゃんもヤキが回ったもんだぜ」と思われるかもしれない。
 が、日常の些細なできごと、それが安易なテレビドラマであれ、何かしら心を正してくれることを見つけられるうちは、私もカミさんも娘も前を向いて生きてゆけるのだと、そして離れて暮らす東京の父母やきょうだい、光や風となって今も私たちの傍らにいる亡くなった人たちとずっと心を通じ合ってゆくことができるのだろうと、直情的で情に脆くお人好しの私は思うのである。
『ちゅらさん』というドラマは、そんな、人としての基本的なありかたを、誰にもわかるようごく平易に展開してくれるからこそ、これほど広汎な支持を得ているのだろう。

2007年01月06日

●天文台と藤橋城

新しい天文台は、プラネタリウムのある藤橋城に隣接して建設されましたが、実は両施設を同時に撮影するのはけっこう難しいのです。

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鶴見(藤橋城と天文台が建っている場所)からは良い場所がなく、この写真は揖斐川を渡った対岸の東杉原から撮影しました。
役場の企画担当者からは、星空を背景にした天文台の写真が欲しいと言われているのですが、すでに天文台には雪囲いも設置されていますので「天文台のある星景写真」を撮影できるのは、3月以降、雪が溶けてからになりそうです。

2007年01月08日

●新・西美濃天文台の設備紹介「トイレにも宇宙が」

新・西美濃天文台は、トイレにも仕掛けがあります。
とはいっても、トイレの性能そのものはごく一般的、仕掛けは照明にあるのです。
昨今、暗く不潔なトイレが流行らないことは当然です。日本中のトイレは、こぞって明るさと清潔感を全面に出しています。

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もちろん明るさと清潔感は大切ですが、せっかく天文台のトイレなのだから、なんとか「宇宙」の要素を取り入れることはできないだろうか、そんな発想から設備されたのが、ブラックライトを使用して、壁や天井に星空が浮かび上がるトイレです。
バリアフリーに配慮した広い空間いっぱいに、青い星空が映し出されるこのトイレ。
瞑想に耽るにはもってこいの場所かもしれません。
春になったら、天文台でぜひ、このトイレを使ってみてくださいね。

2007年01月11日

●全国星空継続観察

このほど、平成17年度冬期の「全国星空継続観察」の写真撮影結果結果報告書が送付されてきました。
同観察は、環境省と(財)日本環境協会が、大気の清澄度と光害の影響を調査するために、毎年、夏冬、
①肉眼による天の川観察
②双眼鏡による最微等級観察
③スライド撮影による星野バックグラウンド等級調査
を行っているもので、揖斐川町では、旧藤橋村の頃から平成4年度より観察に参加しています。
以前は、肉眼・双眼鏡の観察結果と同時に写真撮影の結果も送付されてきていましたが、スライドの測定に手間取っていたらしく、写真の結果のみが遅れて送付されてきました。

写真観察は、揖斐川町横山の「藤橋小中学校」で継続して撮影しており、今回の結果は21.1等でした。数字が大きいほど空が暗いということになります。
撮影当夜は、透明度があまり良くなかったので「すごく良好」ではありませんが、まあまあ暗い夜空、という結果となりました。
同観察では、平成4年度冬期の調査で、旧藤橋村が全国で3番目に夜空が暗いという結果となり、以来、「星のふる里・ふじはし」として全国的に有名になった経緯があります。
とはいえ、全国の傾向にあわせて次第に夜空が明るくなりつつあることも事実です。
温暖化防止や省エネルギーの観点も含め、無駄な夜間照明の抑制に努力することは、行政の義務だと思っています。

2007年01月17日

●随筆「星の香りに包まれて」

「星にも香りがある」と言ったら、笑われるだろうか。
 小学生の頃から、星を見ることが好きだった。星への憧れはやまず、当たり前のようにプラネタリウムの解説者になった。かれこれ三十年以上、夜空を見つめ続けるうち、星それぞれの香りに気づかされた、というわけだ。
 こんなことを書くと、
「香りは大気が伝播するものなのだから、遥か大気圏外にある星が香るはずなどない」
 そんな反論をされるかもしれない。というより、科学的にはその通りだ。
 それでも私は、それぞれの星に固有の香りを感じ取る。たとえば、星占いで知られる「おとめ座」のスピカは水仙の香り、さそり座のアンタレスは真っ赤な薔薇の香り、そして織姫星である「こと座」のベガは生命溢れる初夏の香り。
 こうした「香り」が、その星の見える季節や星自体の色によって印象づけられたものだという見方もあるだろう。実際、スピカは、初春の水仙が咲く季節に見える星だし、アンタレスの色は薔薇のように赤い。ベガは「夏の大三角」のひとつだ。 
 と、合理的な解釈をしてみるのだが、真冬の低空を渡っていく「りゅうこつ座」のカノープスは、甘い南国の香りを漂わせる。同じく冬の星座である「こいぬ座」のプロキオンが放つ香りは、柑橘系の果実を思わせる。冬の夕方、西の空に傾いたベガは、やはり初夏の香りをまつろわせる。必ずしも季節や星の色が、その星の香りを印象づけているとはいえないようなのである。
 私が星を見るのは、基本的には学術データを得る「観測」のためだ。とはいえ、科学の視点のみで見上げる星空はいかにも味気ない。星の香り、風の匂い、木々のざわめき。そうした自然からの語りかけにいつも包まれてきたからこそ、私は星を見続けてきたのだろうし、これからも見続けていくのだろう。

2007年01月19日

●異常な暖冬

「今年は暖かくて楽だね」
この冬、揖斐川町内で誰もが挨拶のように交わす言葉です。
「でも、どう考えても異常気象だよね。温暖化の影響かなあ」
そのあとにこの言葉が続きます。

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写真は、冬の藤橋城(西美濃プラネタリウム)ですが、例年はこのように1m以上の雪に覆われています。
それが今年は、日陰に僅かの残雪があるものの、まったく積雪がありません。こんなことは私が藤橋へ移住して以来はじめてです。
昨年はまれに見る豪雪で、今の時期、2m近い積雪がありました。それはそれで異常だったのですが、今年の暖かさもまた異常です。
温暖化の影響なのか、それとも通常の気象変動の範囲内なのかはわかりませんが、藤橋のお年寄りに聞くと、昨年の豪雪も今年の暖かさも、ここ数十年で初めての現象とのこと。
地球の行く末が本格的に心配になってきました。

2007年01月22日

●峠を越えて

 山に囲まれた旧藤橋村では、昔から峠道を越えて近隣集落との交流が行われてきました。下流の旧揖斐川町までにしても、今でこそ、国道を走って30分ほどですが、昔は、屈曲を繰り返しながら延々と揖斐川の川筋をたどる不便な道でしたし、旧坂内村や旧久瀬村の小津へ行くにしても、徒歩で山道を越えていました。
 揖斐から、現在、揖斐川町藤橋振興事務所のある横山まで車道が開通したのが明治25年です。それまでは揖斐川に沿った山道で、揖斐からの物資運搬は、背中に背負っての徒歩が普通でした。徳山まで車道が開通したのは明治40年でしたが、現在は主要道となっている国道417号線ルートは杉原道と呼ばれ、車道開通までは両岸が断崖絶壁で、とても通れる道ではありませんでした。車道開通後も、杉原道は、落石や増水、転落の危険が多く、岐阜方面から徳山へのもうひとつの主要ルートである馬坂峠越えの道路整備が進められ、雪崩による犠牲者を出しながらも昭和19年に完成、昭和33年には岐阜乗合バスが通うようになり、交通は飛躍的に改善されたのです。

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 坂内方面へは、現在の藤橋村役場付近から、旧坂内村広瀬に至る鉄嶺(くろがね)峠を越えての往来が行われていました。明治27年には、坂内川沿いの車道(現国道303号線)が開通しましたが、鉄嶺峠越えの道の方が距離的に近いために、大正はじめ頃まで利用されました。鉄嶺峠には、お地蔵様が立っており、ほとんど通行する人のいない今でも、ひっそりと峠道の安全を見守っています。
 今では、こうした峠道のほとんどは草に埋もれ、廃道となりつつありますが、旧藤橋村に限らず、山間部の集落はどこも、峠道と尾根道で結ばれ、意外なほど広い範囲での交流が行われてきました。旧徳山村では、信仰や生活様式に越前の影響が色濃く見られるなど、静かな峠道は、文化交流の道でもあったのです。

写真:鉄嶺峠からの景色

2007年01月24日

●冬の猿

昨日、プラネタリウムすぐ下の県道脇で猿が草を食べていました。

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今年は雪が少ないためか、猿やカモシカなど野生動物の姿をよく見かけます。
昨年は記録的な豪雪で、かなり動物も死んだようですが(藤橋管内のカモシカだけで40頭以上の死体が見つかりました)、今年は暖かいせいか、生きている姿を見ることはあっても死体をみることはあまりありません。
雪が少なく、動物の足跡をたどれないため、ハンターも猟ができないと嘆いています。
もちろん、動物にとっては嬉しいことでしょうし、狩猟反対論者の私にしてもありがたいことではあります。
ただ、クマのように本来は冬眠する動物が動き回っているという情報もあり、異常な暖冬が動物たちの生理にどのような影響を与えるのか、慎重な観察が必要な気がします。

2007年01月25日

●マックノート彗星

久しぶりの大彗星となったマックノート彗星、現在、南半球でかつてのウェスト彗星を彷彿とさせる勇姿を見せているそうです。
この彗星は、近日点(太陽に最も接近する位置)通過前後には、日本からも超低空に非常に明るく見え、昼間でも青空のなかに確認できたという近年稀な大彗星でした。
当然、私も見たかったのですが、比較的今年は天気が良いとはいえ、日本海側に近い藤橋では観測できるほどの晴天には一度も恵まれず、結局、見ることができませんでした。
南半球に去ってからも、長大な尾の末端が日没直後の低空に見えるとの情報を受けて、ようやく晴天となった22日、仕事を速攻で切り上げて揖斐川町谷汲で撮影をしましたが、透明度が非常に悪く、撮影することはできませんでした。
最初から最後まで、この彗星には振られてしまったことになります。
次の大彗星に期待!

2007年01月26日

●論説「身近な生き物を守りたい」

 東京から、緑豊かな山村に移住して十年になる。十年経てば、さまざまなことが変わるものだが、何よりも大きな変化は、身の回りから生き物が消えてしまったことである。
 移住してきた当初は、庭に蛍が迷いこみ、初夏ともなればカエルの大合唱が聞こえ、雨の後には、サワガニが道路を渡っていたものだった。そうした小さな生き物たちは、年を追うごとに少なくなり、気づいてみれば、蛍はもとより、あれほど賑やかだったカエルの声も聞こえなくなってしまっていたのである。
 オタマジャクシやサワガニが群れていた畦や沢は、圃場整備と砂防工事によってコンクリートの水路となり、水田には繰り返し農薬が散布される。蛍の乱舞していた湿原は埋め立てられて駐車場となり、路傍の草にはこれでもかとばかりに除草剤が撒かれる。
 恐らくあと十年もしないうちに、カエルをはじめとする水辺の生き物の多くが絶滅危惧種になるだろう。バッタやカマキリといった身近な昆虫も、同様の運命をたどることは間違いない。
 今ならまだ引き返せる。人間の身勝手で、これ以上、小さな生命を殺してはいけない。

(2003年 朝日新聞掲載)

2007年01月28日

●随筆「ビビさんの妖力」

 ビビさんは、ウチで飼っている猫である。飼いはじめた当初は、ただの「ビビ」であった。「ビビ」が「ビビさん」と尊称で呼ばれるようになるには、それなりの理由がある。それについて書こうと思う。
 ビビさんは野良猫だった。痩せこけて皮膚病に侵され、しかも原因は不明だが足がうまく動かない状態で、よろよろと我が家に迷いこんできたのである。
 あまりに哀れなので保護した。病院に連れてゆき治療を施したが、当初は外猫として餌だけを与えていた。折しも冬に向う時節で、日ごとに寒さが募るなか、玄関に作った雪囲いがビビさんの住まいとなっていた。雪が舞い始めるころになると、寒かろうなあ、家に入れてやろうかと何度か家族で話し合ったが、ちょうど娘のアトピーが悪化していた時期でもあり、抜け毛やダニの飛散を考えるとなかなか決断がつかなかった。娘は、そんなビビさんが不憫だったのだろう、餌の時間になるとビビさんを膝に抱き、ときには2時間以上も寒い雪囲いの中で撫でたり話しかけたりしていた。
 そんなある日、私の顔を見るなり娘が唐突に言ったのである。
「ビビさんが人間になった」
 玄関で人の気配がしたので様子をうかがうと、曇りガラスのドアごしに、白黒の和服を着た長い髪の女が立っていたのだという。ああ、お客さんだと思ってドアを開けると、そこにいたのはビビさんだったというのだ。
 ビビさんの毛は白黒模様だ。顔立ちも立居振舞も断然、和風である。人になったとすれば、娘が言うイメージがぴったりだ。

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 こんなこともあった。
 当時住んでいた藤橋村は山奥の寒村だが、となりの坂内村から峠を越えると意外なほど日本海が近い。そんなわけで、夏にはよく家族で泳ぎに行った。
 8月のある日、やはり海に行った。遊びすぎて帰りが遅くなった。あたりは薄暗くなり始め、このままでは家に帰りつくのは午後8時を回ってしまう。
 ビビさんに餌を与えるのは、毎日午後6時前後だった。一人ぼっちで寂しいだろう、おなかを空かしているに違いない、そんなことを考えながら、とっぷりと暮れた峠道を走っていた。
 猫の姿を見たのは、峠を越えてしばらく走ったころだった。道の端に、ぽつねんと座った猫がこちらをじっと見つめている。人家などまったくない深い山中だ。しかも冬には3メートル近い雪に覆われる。野良猫が住んでいるはずなどない。
 猫の姿にビビさんをダブらせながら、アクセルを踏みこむ。妻も娘も「ビビはどうしているかな」と話している。
 峠を下り、坂内村と藤橋村のちょうど中間、やはり人家も何もない山中で、また猫の姿を見た。やはり道の端に座りこみ、しんねりとこちらを見つめている。
「あれはビビだよ。私たちが帰るのを待ってるんだよ」
 娘の声に、さらにスピードを上げた。
 ようやく家に帰りついた私たちを、ビビは道の端に座って待っていた。そろそろ戻る刻限だと知っているような顔つきだった。
 そんなことがあって、ビビさんは家の中で飼われるようになった。単なる「ビビ」から「ビビさん」と呼ばれるようになった。
「ビビさん、また人間にならないかなあ」
 今でもときおり、娘が言う。
「でも人間になったらパパが大変かもね。ビビさんはパパを愛しているから」
 そうなのだ。私へのビビさんのなつき方は尋常でない。
 人間になったら本当に大変かも知れないと思う。愛人や妾に細かく気配りできる甲斐性を、残念ながら私は有していないのだ。

写真:ビビさん、笑う。

2007年01月31日

●特別展の準備をしています

旧谷汲村の民具整理を行なっていることは、これまでにも書いてきました。
現在は、整理そのものは終了し、3月1日から開催予定の特別展に向けて鋭意、準備をしています。
開催予定の場所は、揖斐川町谷汲の「サンサンホール」という施設です。スタッフ4名で何度か展示プランを練り、今日から本格的に資料の搬出に入りました。

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民具というと古ぼけた農機具が頭に浮かびますが、そうした農具を並べるだけではつまりませんので、できるだけ当時の暮らしが思い浮かべられるよう、そしてできるだけ触れることができるよう、工夫を凝らすつもりでいます。
資料全体の点数が少ないので(約400点)展示としては非常に作りづらいのですが、そこは4人の知恵と工夫で何とかしなければと思っています。
それにしても、1年近く民具整理をしていると、それなりに系統立てて民俗学のさわり程度は覚えることができました。
単なる古くさいモノと認識していた民具ですが、今は日本人の心が封じこめられた知恵のかたまりのように思えるようになりました。
丹精こめて作られ、丁寧に使われてきた道具には、確かにいのちがこもっています。
道具だけでなく、植物にも動物にも雲や風、山や川にもいのちがあると信じ、あらゆる存在に対して敬虔に接してきた日本人の心を、モノと情報が溢れている現代の私たちは取り戻さなくてはいけないと思います。

写真:整理分類された民具資料