2007年03月01日

●特別展「道具が語るふるさとの暮らし」

揖斐川町谷汲(旧谷汲村)にある同資料館では、収蔵資料と建物の劣化が進み、昨年後半から、学芸員資格を持っている私ともう一人の女性、そして地元の学識経験者2名の計4人で、収蔵資料のクリーニングと分類・目録化を進めてきました。
昨年末、それら一連の作業がようやく完了し、それまで埃にまみれ、虫害やカビによる汚損が進行していた約400点にのぼる資料をきれいな状態で分類しなおすことができました。
せっかく一連の作業が完了したのだから、仕上げとして特別展を開催し、地元の方に資料を見てほしいと思い企画したのが今回の展示です。

展示会場は、資料館に隣接した「谷汲サンサンホール」の2階ギャラリーです。
エレベーターホールをはさんで、ギャラリーをふたつのコーナーに分け、それぞれ「暮らし」「田んぼづくり」をテーマに収蔵品を展示しました。

「暮らし」コーナーでは、畳を敷いて簡易な座敷を作り、当時の「部屋」を再現、昔の教科書なども自由に手にとって読めるようにしてあります。

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「田んぼ」コーナーでも、柵やケースは一切使わず、実際に手に触れて木やワラの感触を確かめられるように配慮しました。

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ふたつのコーナーに共通したコンセプトは、展示された道具を見、触れることによって、単に「知識」を学ぶのではなく、道具が沈黙のうちに語りかけている何かに気づいてということです。
日本人が営々と伝えてきた生活の中の「心」。
まことに曖昧な表現ではありますが、長年、使われてきた道具は、それを伝えてくれているのではないかと思うのです。

2007年03月03日

●特別展その後

谷汲での特別展が始まって三日が過ぎました。
他にも山のように仕事があるので、なかなか現地につきっきりというわけにはいかないのですが、来場者も多く好評です。
芳名と感想を記入するノートにも、
「かつて使ったことのある道具がたくさん展示されていて懐かしかった」
「昔の暮らしが偲べました」
「文化財を保存することはたいへんですが、がんばってください」
「たいへんきれいにわかりやすく展示されていてすばらしい」
など、たくさんのありがたい感想を書いていただいています。
また、道具の使い方や往時のエピソードを聞かせてくれる方、自分の家にも珍しい道具があるのでぜひ寄贈したいと申し出てくださる方、さらには、もっと多くの人に見て欲しいので自分もPRに協力したいと申し出てくださる方などもあって、嬉しい限りです。
なかには、展示されている品々を前に、懐かしさのあまり涙をこぼされる方もあり、「使いこまれた道具の語りかけに耳を澄ませて何かを感じ取ってほしい」という展示のコンセプトが、観覧された方々に確かに伝わっているようです。
自分たちの手で分類整理・クリーニングした資料を、展示業者を一切使わず、自分たちの創意と工夫で展示し、観覧者に喜んでいただけること。
学芸員としてこれ以上の幸せはありません。
資料整理から始まって展示完成まで、苦労はしましたが、報われた仕事となりました。

2007年03月04日

●旧谷汲駅で

またまた旧谷汲村の話題です。

数年前まで、岐阜市から旧谷汲村までは、名鉄谷汲線が延びていました。
西国33箇所お寺巡りの結願寺である、谷汲山華厳時への参詣鉄道として敷設されたもので、岐阜市内線(路面電車)に乗り入れるために、ふだん私たちが乗りなれた通常の電車よりひとまわり小さな電車が、山あり川ありの風景の中をのどかに走っていたのです。

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私はこの電車が好きで、廃線になるまで何度も乗りました。
細い線路を軋ませながら、けっこうなスピードで走る電車の車窓はすばらしく、ゆったりとした根尾川の流れや四季折々の山々の景色を眺めながら、のんびりとしたひとときを過ごすことができました。

廃線後、地元の人たちの熱意が実り、旧谷汲駅に2両の電車が留置・公開されることになりました。
二度と走らないこの電車に、私は時折、会いに行きます。
そして、透明な日ざしの差しこむ座席に座り、しばし静寂の時間を過ごすのです。

2007年03月06日

●18年度夏期星空継続観察結果

このほど、平成18年度夏期の全国星空継続観察結果が送付されてきました。
この調査は、環境省と(財)日本環境協会が毎年2回、夏と冬に主宰しているもので、以下の項目について参加者が地元の星空を調査するものです。

①指定された天域に天の川が見えるかどうかを肉眼で確認する
②双眼鏡を使用して、指定された天域に何等級までの星が確認できるか
③ISO400のリバーサルフィルムで天頂を撮影し、星が写っていないバックグラウ
ンドの明るさを等級であらわす

以上の項目のうち、①と③は眼視観測であるため客観性に欠けるきらいがありますが、③は写真によるために客観性の高い観測です。

今回、送付されてきた結果のなかで、揖斐川町東横山の調査結果は、写真によるバックグラウンドの明るさが21.7等級というものでした。
これは、天の川が十分に見える数値であり、撮影日が薄曇りだったことを勘案すれば、揖斐川町の夜空がまだまだ暗いことを示す結果です。

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ただ、徳山ダム建設による夜間照明の増加や周辺市町村の光害増加の影響で、揖斐川町の夜空も確実に明るくなっていることは事実です。
美しい星空は揖斐川町の財産だと思っていますので、町執行部にも働きかけ、光害を何とか減少させなければと考えています。

写真:藤橋城(西美濃プラネタリウム)と夏の天の川

2007年03月09日

●団塊世代の田舎移住を考える

マスコミ等によれば、退職後に田舎移住をしたいという団塊世代の方がたくさんいるようです。
そうした動向に合わせ、人口減少に悩む地方も、さまざまな優遇策を用意したりとPRに躍起になっているようですが、団塊世代の田舎移住は、移住者側、受入側双方にとって、実のところどれほどメリットがあるのでしょうか。

私は、14年前に東京から岐阜県の山村へ移住しました。
親、きょうだい、友人と離れて、それまでまったく縁のなかった地域への移住には不安もありましたが、ずっと憧れていた田舎暮らしが実現できること、しかも公開天文台の職員という長年の趣味を活かした仕事に従事できるという希望の方が勝った田舎移住でした。
地域の方の暖かさに助けられて、とりあえずは大過なく今日まで過ごすことができましたが、それでは何もかもが順調だったかといえばそんなことはありません。

まず、生活習慣やお付き合いの仕方の違いに驚かされました。
東京などの大都市では、良いか悪いかは別として、個人の権利やプライバシーが最優先されます。コミュニティにおけるお付き合いも、特に新興住宅街の場合はほとんどありません。
ところが、田舎では、自治会やPTAの役員から消防団や婦人会など、あらゆる役割が回ってきます。「のんびりした田舎暮らし」などは夢のまた夢で、休みの日も地域のさまざまな用事で動き回る日々です。
若年人口の減少のため、地域の役割を担わねばならない中高年層の負担は増加しています。

鉄道やバスといった公共交通が赤字で撤退していく中、自家用車なしでは生活が成り立たないのも田舎の現状です。
道路特定財源に関する議論も盛んですが、どこへ行くにも自家用車という生活習慣が定着している田舎では、たとえば一日に数台しかクルマが通らなくても、その地域に住民がいる限りは道路を作らなければならないという、税金の使途としては非常に不効率な現実がまかり通っているのが実態です。

団塊世代の方が本気で田舎へ移住されるのであれば、まずは地域のさまざまな役割を積極的に引き受けていただかなくてはなりません。
また、公共交通に期待できない現状では、高齢になってクルマの運転ができなくなった場合のことも考えておく必要があります。

こうした田舎の現状を考えると、それまで長い間、都会での生活に慣れてきた団塊世代の方々が、退職後の長い人生を、移住先で楽しく暮らせるとは思えません。
よほどの覚悟があれば別ですが、少なくとも「田舎はのんびりしていて心が安らぐ」だとか、「自然に囲まれて自分らしい暮らしができる」などという考えで田舎へ移住された方は、田舎暮らしの現実に困惑し後悔されることでしょう。
受入側にしても、そうしたお客さん気分で移住されることは期待していません。衰退していく地域の明日を本気で考え、自ら知恵と汗を提供して動いてくれる移住者を求めています。
厳しい言い方ですが、受入側が本当に望んでいるのはこれから子どもを産んでくれて地域のコミュニティを担ってくれる若者なのであり、団塊世代を歓迎する姿勢を見せているのは、あくまで次善の策なのです。

移住を検討されている団塊世代の方は、都合の良い夢ばかりを見るのではなく、田舎の現状を冷静に、そして徹底的に分析すべきです。
そうでなければ、移住者の方も、受入側の住民も、お互いに不満を募らせるだけの結果になってしまうでしょう。

2007年03月11日

●寒の戻り

ずっと暖かだったこの冬ですが、3月になって寒の戻りがあり、藤橋でも何度か雪が降っています。
写真は8日の雪のようすです。揖斐川町役場藤橋振興事務所の窓から撮影しました。

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積雪は屋根が白くなる程度でしたが、この日、プラネタリウムや天文台があるあたりでは、30センチほど積もったそうです。
今日も冬型で、雪まじりの強風が吹いています。
東京では、この冬、一度も雪が降らなかったそうですが、岐阜の山奥では、そう簡単に春は来てくれないようです。

2007年03月14日

●時には弱音を吐きたくなります

「趣味を仕事にできていいですね」
プラネタリウムの解説と天文台のインストラクターという私の仕事を話すと、ほとんどの人がそう言います。
確かに、子どもの頃から好きだった星を仕事にしているのですから、その通りなのかもしれません。
実際、星空ばかり見上げて給料を貰えるのであればこんなに良い仕事はないでしょう。
でも、実際はそんなことはありません。
実のところ、私が遂行している業務のうち、純粋に星空を見上げていられる仕事は全体の十分の一もないのです。
では、十分の九は何をしているのかといえば、そのほとんどが事務仕事です。
施設の維持に関わる日々の業務から工事の設計や入札、天文とは全く関係のない民俗学や歴史関係の業務など、内容はさまざまです。
以前は、昼間はプラネタリウム、夜は天文台と、業務のほとんどが天文に直接関係するものだったのですが、年々事務や管理的な仕事の割合が増加し、反比例して施設の職員数が減らされたこともあって、いつのまにかそんなことになってしまったのです。
現在の私は、事務も工事も天文も民俗学もの何でも屋です。良い勉強をさせてもらっているといえばその通りですが、天文の現場も事務仕事も何もかもこなさなければならず、正直言ってかなりしんどいことも事実です。
町村合併して2年。たった二人の職員で何もかもを切り盛りするのは時間的にも肉体的にも精神的にも限界があります。
職員増員は以前から町執行部に訴え続けていますが、馬耳東風のまま。
天文はあくまで趣味として続ける方がいいのかもしれません。

2007年03月15日

●3月の除雪作業

寒い日が続いています。
プラネタリウムや天文台の周辺は、どこもまっ白の雪景色です。
これが1月や2月であればそれなりに風流な景観なのですが、3月半ばとなった今、実のところかなり焦りを感じる光景となっています。
というのは、4月1日からプラネタリウム、天文台、歴史民俗資料館が春季の開館となるのですが、その前に種々の開館準備を行なわなければならないからです。

特に問題は歴史民俗資料館。
萱葺き民家5棟を移築してある資料館では、冬の間、豪雪で茅屋根や板壁が雪害を受けないよう、屋根にはビニールのシートで覆いをし、各棟周囲にはベニヤ板で雪囲いをしてあります。
春季開館時にはこれらの防雪資材を取り除けて、掃除や展示の補修をしなければなりません。
ところが今年は、つい数日前に降った雪が、各棟周囲に1m弱ほど残ってしまっているのです。この雪を除けないことには、防雪資材の撤去ができません。

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昨年の大雪では(茅屋根に上れるほどでした)、役場職員に依頼して大人数で除雪を行ないましたが、今回の雪はそれに比べればたかが知れていますので、昨日、今日と、一人で細々と除雪を行ないました。
ちょうど風邪を引いていることもあって体力的にはしんどかったのですが、少しずつ目の前の雪がなくなっていくのが妙に嬉しくて、さすがに楽しい、とはいえないものの、事務仕事よりはよほど健康的な勤務時間を過ごすことができました。

雪のない地域の方には、この時期の雪景色はきっと珍しいことでしょう。
それにしても、まだまだ寒気が居座る気配。
防雪資材撤去は無事にできるのでしょうか。

2007年03月16日

●風邪を引いていても忙しい

風邪を引いてしまいました。
ここ1年ほど風邪には縁がなかったので、久々の風邪にちょっと呆然としています。
とにかく咳が出て参ります。何の前兆もなくいきなり咳が始まるので、仕事で人と話したり電話に出るにも気が引けます。職場でも家でも人前ではずっとマスクをつけ、伝染るのを防ぐ努力をしています。

ひどい風邪とはいえ、今日も忙しい一日でした。
朝は旧揖斐川町の歴史民俗資料館でいくつか用事を済ませ、9時半から10時20分まで藤橋振興事務所で19年度のさまざまな保守管理委託契約の準備。10時45分からの谷汲での研修に間に合うように車を飛ばし、11時半まで毎週受けているコーチングの研修、12時まで研修会場と同じ場所にある谷汲郷土資料館特別展の展示修復。教育委員さんと若干の打ち合わせ。昼食を速攻で食べ、新聞社と観望会の記事掲載についての打合せ後、ふたたび藤橋振興事務所へ。プラネタリウムの更新についての打ち合わせの後、保守管理契約の書類をいくつか作成し、16時30分、揖斐川歴史民俗資料館へ。作成中のプラネタリウムのパンフレットに関する打合せを行い、数ヶ所に電話で諸般の確認。

風邪を引いているので、これでもペースをかなり抑えています。
町村合併で行政範囲が広くなったため、書類の受け渡しや打ち合わせ・会議など、とにかく車で走り回る必要性が増え、多い日には一日100km以上も走ります。公用車が不足しているので、ほとんどが自分の車。町内はガソリン代が支給されないので、燃料費はすべて自費。携帯電話の使用料ももちろん同様。

この冬は、雪が少なかった分、分刻みのスケジュールで走り回ったり打合せをしたり電話をしたりと、かなりハードに動き回りました。
休日は、小説やエッセイを相当書き、観測もそれなりにしていました。
仕事がどんどん片付いていくのは楽しいし、趣味である観測や執筆も進むのは嬉しいのですが、どこかで無理をしていたのかもしれません。
少しはのんびりしなければいけないなあと思います。

2007年03月18日

●随筆「うすあかり礼賛」

 陰影の乏しい時代である。最近、ことさらにそう思う。街を歩けば、どの店もファッショナブルで意匠を凝らしている。テレビを見れば、まだ幼いとも言える娘たちが群れ集って踊り歌い、夜ともなれば、林立するコンビニと街灯が、都会や田舎にかかわらず闇を浸食している。
 何もかも、どこもかしこも明るいのだ。置物と見紛うばあさんが店番をしている商店は絶滅し、七十年代フォークのようなもの悲しい歌は流行らない。日没を迎えるよりも早く道路にも家の窓にも煌々と灯りがともされ、黄昏などという言葉は死語になりつつある。
 ちょっと前まで日本人は、寂とした秋の夕暮れや淡い月あかりを愛でることができる感性を持っていた。季節の移ろいや黄昏の薄闇を、心の襞に映して愉しむことができる能力を持っていたのだ。それは、生物が生存のために有している、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚といった五感から取得した物理情報を統合し、精選し、心というフィルターを通して自然の静謐な意志を汲み取る力だった。
 かつてはすべての日本人が有していたこうした能力を、現代の我々は急速に喪っているように思われる。とにかく便利なモノ、美味しいモノ、小ぎれいなモノ、新しいモノが欲しい、そのためにはお金が第一、自分が幸せになるためには周囲の人も自然も顧慮しない、明るく賑やかでさえあれば毎日が楽しい・・・。
 すべてを商品にしてしまう資本主義社会が行き着いた結果といえばその通りだろう。資源がなく狭い国土に人が満ちあふれているこの国を維持していくためには経済成長こそがすべてに優先される、そのためにはとにかくモノを、情報を売り続けなければならない、購買意欲をかき立てるためには、とにかく明るく賑やかに、毎日をハレの日に仕立てなければ・・・。
 そんな構図が透けて見える現代の日本だが、こうした状況を一語で表した言葉も、かつての日本人は知っていた。その言葉は「餓鬼道」という。もともとは地獄の一形態を表した概念だ。食べても食べても空腹感がなくならない、挙げ句の果てには他人の食い物や、さらには他人の肉体そのものまで飽くなき食欲の対象にしてしまう、これが「餓鬼道」に墜ちた人間の姿である。
 季節のあわいを感じ取り、そのことに愉しみを見いだす能力を喪失し(あるいは喪失させられ)、大手資本がこれでもか、これでもかと投入する商品に飛びつきながら、いくら買い物をしても心が満たされることなく、やがては心そのものさえ喪失して、ただ買い漁り喰い漁るだけの化け物に変化していく・・・。
 資本主義経済がおのずとこうした結末を導くのか、それとも目に見えない仕掛け人がどこかに存在するのかはわからない。それでも、日本人の半数以上が餓鬼に変化してしまったことだけは確かなように思われる。
 抗いがたい力に絶望したくなるが、それでも私は、日本人の心を信じたい。あらゆる事物に宿っている物言わぬ意志を知覚する繊細な力、そうした物言わぬ意志とことさらに諫うことなく、相和し協調してゆくことのできるやさしさ、そうした徳性は、戦後数十年の僅かな期間で完全に喪われるものではないと信じたい。
 こうした日本人の徳性を、偏狭なナショナリズムと混同している(あるいは意図的に結びつけようとする)一部の政治家がいるが、それこそ、もはや完全に日本人の心を喪失してしまった輩なのだろうと思う。
 物言わぬ意志は、草木にも山や川にも動植物にも道具にも、あらゆる存在に宿っている。薄明のあわいのなかで、闇を舞う蛍の光を見つめながら、そうした「いのちの声」を聞き分ける力を養いたい。そうした社会にしていきたいと思う。

2007年03月21日

●明け方のさそり座

昨夜は宿直でした。月に2回程度の割りで回ってきます。
いつものようにあまり眠れず、何回も外に出ては空を眺めていました。

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明け方近く、南の空に横たわるさそり座が妙に新鮮に感じられ、つい長い間、見つめてしまいました。
久々に見る夏の星座だからということはもちろんですが、今朝は非常に寒く、藤橋では何もかも霜で真っ白という状態だったので、そんな冬景色の中で見る夏の星座とのコントラストが新鮮だったのだと思います。
透明度が良くなく、天の川も見えない空でしたが、それだけに星座の形はたどりやすく、S字のカーブを描くさそり座が、とても大きく鮮やかに感じられた夜明け前でした。

写真:さそり座

2007年03月24日

●「月と土星を見る会」

昨日は、「月と土星を見る会」と題して、天文台から小型機材を持ち出して、揖斐川歴史民俗資料館の駐車場で、揖斐川町民向けの観望会を行ないました。
夕方から薄雲が出始め、終了の頃には月と土星しか見えないほどになってしまいましたが、大勢の参加者があり(たぶん100人以上)、大盛況となりました。
望遠鏡は、20cm反射、15cm屈折、15cm対空双眼鏡、13cm反射、8cm屈折の5台。
観望した天体は、金星、土星、月、折から月と接近中のプレアデス星団(すばる)です。

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曇る直前ということで、シーイングがとにかくすばらしく、15cmで見る土星はほとんど微動だにしないほど。本体の縞もカシニの空隙もしっかり見え、参加者は感嘆の声を上げていました。
町村合併後、初めて町内平野部での企画観望会ということもあって、どれほど参加者が集まるものか、正直言って不安もあったのですが、たくさんの方に喜んでいただくことができ、企画した甲斐があった観望会となりました。
町内の公民館単位で、今後、同様の観望会をという声もあり、「星のふる里・揖斐川町」へ第一歩を踏み出した昨夜の観望会でした。

2007年03月25日

●病気になってしまいました

風邪がなかなか治らないと思っていたら、重度の気管支炎になってしまいました。
以前にも医者には行っているのですが、咳止めを飲んでも良くならないため、昨日、別の医者に行ったところ、レントゲンのフィルムを見ながら「うーん、これはひどいねえ。肺炎に近い状態だねえ。しばらくは安静が必要だねえ」とのこと。
「でも、仕事が忙しくて安静になどしていられないんですけど」と言ったら、
「でもねえ、本当に肺炎になっちゃったら大変だよ。入院しなきゃならないよ」。
いやはや、弱りました。とりあえず点滴と抗生物質を処方されて帰ってきました。
ただ、この状態ではプラネタリウムの投影は絶対にできないので、藤橋城の春季オープンまでは可能な限り安静にして治療に努めなければと思います。

2007年03月27日

●随筆「銀河鉄道に乗って遥かな旅へ」

 世は不景気である。娑婆の風は寒いし、懐はもっと寒い。どこもカネがないはずなのに、なぜか街灯は増え続ける。天文家の心は冷え込む一方・・・なんて情けないことを考えているばかりでは浮かばれない。
 こんな時こそ旅にでも出て日頃の憂さを晴らしたいもの。「そんなこと言ったって、ほんとにカネもヒマもないんだよお」などと愚痴らずに、空想の旅に出かけてみよう。星の名前の列車に乗って・・・。

 手元に時刻表があれば、前の方の「特急運転系統図」なる色刷りのページを開いてみてほしい。全国の特急網が描かれている地図と併せ、特急列車の一覧表が印刷されているはずだ。五十音順に並んだ列車名を見てゆくと、天体の名前を関した列車がいくつかあることがおわかりいただけると思う。
 旧国鉄では夜行列車に天体の名前をつけることが慣行となっており、遠距離の旅行といえば夜行列車が当たり前だった頃には、星の名前がついた急行・特急列車が雁行して運転されていたものだが、新幹線網の発達により夜行列車が次々に削減されている現在では、「星の列車」は数を減らしてしまっているのが実情だ。
 それでも、天文ファンであれば、一度はそんな列車に乗って星三昧の旅がしてみたいもの。そんなわけで、東海地方から北海道までの汽車旅をコーディネートしてみた。
 旅は道連れという。ぜひ一緒にご乗車いただければありがたい。ツアーの名称は『遥かな夜空へ、星づくしの旅』。

☆ 第1日目 尾張星の宮~東京
 始発駅は、尾張星の宮である。「ワシ、長く岐阜に住んどるが、そんな駅、知らんぞ」と言うなかれ。名古屋の隣にある枇杷島駅は皆さん、ご存知と思う。この枇杷島と中央線の勝川を結んでいるのが東海交通事業城北線であり、そんな城北線の駅のひとつが尾張星の宮である。
 近代的な高架の駅だ。しばし待つうち、列車がやってくる。が、何と、停車した列車は僅か一両、しかもディーゼルカーである。いきなりミステリー列車じみてくるが、この城北線、もともと貨物線であったためにそれほど旅客需用があるわけでなく、たった一両のディーゼルカーが往復しているわけなのだ。
 ともあれ、乗りこむ。暮れなずむ名古屋の街を高架から見下ろすうち、一駅で枇杷島、東海道線に乗り換えてまた一駅で名古屋に着く。
 名古屋市科学館でプラネタリウムを鑑賞してから夕食を食べる。天体にちなんで天むす、なんていかがでしょうか・・・いきなりお粗末。
 夕食に続いて少しだけアルコール燃料を補給し、真夜中の名古屋駅ホームに立つ。
 やがて青い車両を連ねた寝台列車がしずしずと入線。サイドボードには“銀河”の文字。おお、まさしく星のブルートレイン!
 二段式のB寝台で浴衣に着替え、旅の気分が盛り上がったのも束の間、何だかヘンだな、と思う。時刻表を開いても、こんな名前の寝台特急は載っていない。まさにミステリートレイン、と思ったところに車掌さんのアナウンス。
『本日は、急行列車銀河号をご利用下さいましてありがとうございます』
 そう、“銀河”は、今や数少なくなった急行夜行寝台列車。東京と大阪を結び、ビジネス客の利用も多い名門列車なのである。急行とはいっても、ベッドは特急と変わりない。カンカンカン・・・とドップラー効果で遠ざかってゆく踏切の音に旅情をかきたてられるうち、いつしか夢の中へ。

☆ 第2日目 東京~室蘭
 東京着、6時42分。東京駅内の銭湯で朝湯を浴びてから、中央線で武蔵境へ。バスに15分揺られれば国立天文台。昔は象牙の塔だった国立天文台も、今や様変わりして構内の見学自由である。65センチ屈折、大子午環など、文化財級の望遠鏡が緑溢れる構内に点在している。ふたたび中央線で都心へ戻り、夜まで都内の望遠鏡ショップ巡り。国立科学博物館で天文の展示を見るのもいいかもしれない。
 夜行列車が出るには早すぎるような夕方4時過ぎ。上野駅13番線に長大なボディを横たえる札幌行き寝台特急、“カシオペア”に乗りこむ。“銀河”ではチープにB寝台を選んだが、“カシオペア”は、個室寝台しか連結されていない超豪華列車である。ホテルなみのベッド、シャワーまでついた大名個室の窓から暮れてゆく東京を眺め、フランス料理のフルコースに舌鼓を打つ。ここで妙齢の女性でもいてくれると最高なのだが、まあシブい一人旅もよかろうと、一人納得するボクなのであった。
 そうそう、せっかく寝台列車に乗ったのだから、部屋を暗くして、窓から夜空を見上げてほしい。繁華な東海道を走る“銀河”に対して、東北本線を走る“カシオペア”の夜空は暗い。北の空にカシオペア座を探してみるのも一興だ。

☆ 第3日目 室蘭~札幌
“カシオペア”は札幌ゆきだが、途中の室蘭で下りる。かつて鉄鋼業で栄えた町の常として、がらんとした街路に風だけが吹いている。
 寂しい町並みをしばらく歩くと地球岬。星の旅にふさわしい名前の岬だ。ただし、読み方は“チキウミサキ”である。見晴るかす水平線は遥かに遠く、その名のとおり地球の丸さを実感できそうな光景が広がる。
 室蘭から札幌に向う。乗りこむ列車は“スーパー北斗”。JR北海道自慢の最新式振り子車両は、在来線最高レベルの130kmで見渡す限りの原野を疾走する。
 札幌では、札幌市天文台や科学館を見学するのもいいだろうし、普通列車で1時間ほどの小樽には、プラネタリウムを備えた小樽市科学館がある。途中には、ほしみ、星置という駅があり、何やら曰く因縁がありそうではあるが、列車から見る限りでは変哲もない住宅地である。
 再び札幌に戻り、泊。

☆ 第4日目 札幌~陸別
 札幌から千歳線、石勝線を走る“とかち3号”の客となる。帯広から乗り換える列車は、ただの普通列車ではない。根室本線をしばらく走った列車は、池田から晴れて急行に変身する。その名も“銀河”。1日目に乗ったブルートレインと同じ愛称ではあるが、こちらは白地に星のペイントを散らしたおしゃれなボディだ。
 池田からぐいと北を向いて走り始める路線名は“ふるさと銀河線”という。もと国鉄池北線を引き継いだ第3セクターであり、星をブランドイメージとして売り出しているローカル線だ。途中駅には、この路線を応援する会の会員名を刻んだ星形のボードが設置してある。沿線には、低い丘と原野がひたすらに続く。松山千春の故郷である足寄を過ぎ、やがてあたりが開けてくると陸別。
 星の町として有名な陸別町のポイントは、何といっても口径100cm望遠鏡を備えた陸別天文台である。オーロラの見える町としても知られる他、日本一寒い町としても有名。今夜は、100cm望遠鏡で、“しばれる”夜空を見上げてみよう。

 まだまだ旅を続けたいところだが、紙数が尽きた。続きはまたの機会に。
 空想の旅なんてつまらないと思われるかもしれない。けれど、こうして頭の中で旅のイメージをふくらませていればこそ、いつか本当に旅立つ日の感動が一層大きなものになるはずだ。
 こんな原稿を書いているうち、久しぶりに旅に出たくてたまらなくなってきた。暖かくなったら、列車に飛び乗り、気ままな旅に出かけてみよう。それがたとえ小さな旅でも、失われていた感性が確実によみがえるはずだから。

(スターライト・パーティー岐阜会誌 2003年 vol21掲載)

*「ふるさと銀河線」は平成18年4月で廃線となりました。
*小樽市科学館は現在リニューアル中です。
*列車の時刻は原稿執筆当時のものです。

2007年03月29日

●喋れない解説者

いやはや、弱りました。
重症の気管支炎になってしまったことは書きましたが、通院して薬も飲んでいるにもかかわらず、なかなか良くなりません。
熱はないのですが、咳がひどくて普通の会話すらままならない状態です。仕事で電話を取るのにも困っています。
4月1日のプラネタリウム春季オープンが間近に迫ってきましたが、当館のプラネタリウムは、マニュアル機+肉声解説。
喋ることができない今の状態では、解説することができません。
このまま回復しなければ、本当にかなりまずい状況です。
ああ、困ったなあ。

2007年03月31日

●団塊世代の田舎移住を考える(2)

朝日新聞の「声」欄(東京版は29日朝刊)に掲載された「団塊世代の田舎暮らしブーム」について、多方面から感想やご意見をいただき、ありがとうございました。
基本的な内容は、このブログで3月9日に「団塊世代の田舎移住を考える」と題して書いたことと同じです。読んでいない方は、ちょっと遡ってお読みいただければと思います。

「退職後は窮屈な都会を離れて田舎でのんびり」と夢見ている団塊世代の方には酷な内容ですが、平成4年以来、田舎独特の風習、慣習、お付き合い、考え方、無責任(というか無意味な連帯責任)と日々、闘い続けてきた私が、身をもって感じたことをアドバイスさせていただきました。
「のんびり」するには都会の方がずっと適しています。誰からも干渉されず、自由に価値観を表明できる都会の方が。
本当に田舎に住んでいただきたいのは「自然の中でのんびり暮らしたい」などという退嬰的な考えでなく、自由で豊かな価値観を持ちながら地域の人たちと連携し、闊達な議論の中で田舎から日本という国を変革してゆく気概を持った、高い意識と行動力を持った人です。
従軍慰安婦問題や靖国問題に象徴される国家主義的な発言を繰り返していたずらに国益を損ない続けている総理大臣や閣僚、夕張市の破綻として現実化した民主主義の未成熟といった未だ先進国とは言い難いこの国のレベル、その根幹が田舎に存在しています。
世界から糾弾される発言や行動を繰り返す議員や首相を支持し選出している地方人の意識を変えないことには、この国の精神構造は変わりません。

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団塊世代の方は、戦後、この国の形を作ってきた気概と責任があると思っています。
表面的な繁栄の一方で、大切なものを失い続けてきた日本という国。
たかが会社を辞めたからといって、「のんびりと」田舎へ引っこんでいいものでしょうか。
団塊世代のパワーと知恵に期待するからこそ、会社から解放された今、今度は地方からこの国の根幹を
変えてゆくような高い意識を持って、田舎移住をしてほしいと心から思います。

写真:廃止された名鉄揖斐線。政財官にうまみのある道路が道路特定財源によって次々に建設される一方で、交通弱者に必須の鉄道が廃止されています。田舎移住を果たした団塊世代の方が、やがて高齢となってハンドルを握れなくなったとき、移動の手段をどのように確保したら良いのでしょうか。