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2007年12月20日

●小学校の理科専門教員配置

政府の教育再生会議最終案によれば、近年の学力低下対策の一環として、小学校への理科専門教員配置を盛りこむそうです。
学力低下は「ゆとり教育」の弊害であるとも指摘しています。
ようやく理科専門教員を配置する必要性に気づいたのかと呆れると同時に、「ゆとり教育」を提唱・推進した政府自身が「ゆとり教育」こそ学力低下の原因であると決めつける定見のなさにがっくりきました。
結局、学校の先生や親、何よりも子どもたち自身が政府のあやふやな方針に右往左往させられただけです。

理科教育の重要性がようやく見直されたのは嬉しいことですが、たとえば天文学を含む地学関連の授業は、小学校、中学校、高校と、ここ10年間、一貫して削減され続けてきました。
その理由はいくつかありますが「星の観察は夜間なので指導が困難」「天文学に詳しい教師がいない」また「フィールドで実習を伴う地学の授業は時間やフィールドの確保が困難」「詳しい教師がいない」などが主なものです。
理科専門教員が確保され、理科の授業に欠かせない実験やフィールド実習がまともに行われるようになれば大歓迎です。
しかし、夜間には授業が行えない、フィールドに出る時間や場所が確保できない」といった問題は、たとえ専門教員が確保できても解決できず、かえって専門教員の士気を阻喪させる結果に終わるのではないかという危惧を拭いきれません。

また「ゆとり教育」が学力低下の原因という決めつけはあまりに短絡的です。
教育は、ただ詰めこめば良いというものではありません。
身の回りのことに疑問を持ち、自然や人文のシステムを論理や情感に基づいて考察する心の余裕がなければ、単に知識を入力しただけに終わってしまいます。
本来「ゆとり教育」の目的は「考えさせる」ことにあったはずなのですが、やる気のある教師ほど授業以外の雑事に追われ、おざなりに時間を消化するだけで本来の目的に沿った教育ができたとは言い難かったのが「ゆとり教育」の実態でした。
子どもたち、そして教師が「楽しくない・無理矢理やらされている」教育が、血肉となるはずはありません。

私は、公開天文施設に勤務するという仕事柄、星空や宇宙に興味を持つたくさんの方に接しますが、子どもも大人も、天文学に非常に純粋な興味・好奇心を抱いています。
これは天文学だけではなく、他の理科教育分野でも同様です。理科への興味関心は決して低くないのです。

理科教育は、何よりも実物に接しなければ興味関心が喚起されませんし、教育効果も上がりません。
基本的に座学のみで行われてきたわが国の理科教育を、フィールド中心に変革しないことには、たとえ専門教員が採用されても教育効果は得られないと思います。
教育再生会議は、ただ専門教員を採用するという小手先の手法ではなく、わが国の理科教育のポリシーそのものを見直す姿勢を見せなければなりません。
しかし、「ゆとり教育」こそが学力低下の原因だった、などといういかにも表面的な見解を恥ずかしげもなく述べる政府と教育再生会議に、そうしたポリシーが果たして本当にあるのだろうかと疑問を抱かざるを得ないのです。

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