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2007年12月30日

●名鉄揖斐線廃止後の現状

 大野町内を通っていた名鉄揖斐線が廃止されて2年になる。営業的には赤字だったものの、過疎地のローカル線とは異なり、通学・通勤以外にも多くの旅客需用を擁する都市型の路線であった。そうした路線を廃止することに当初から危惧の念が持たれていたが、廃止から2年が過ぎ、地元では廃止は早計だったのではないかという声が次第に大きくなってきているように思われる。

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 最も直接的な影響を被ったのが高校生だった。廃線にあたって、地元自治体では岐阜・大垣方面へ直通するバス路線を整備したが、学校へ着く時刻が早すぎる、あるいは渋滞で発着時刻が読めないなど、結局は保護者が車で送迎、あるいは40分以上もかけて自転車通学するといった方法を取らざるをえなくなった例が多い。私の娘もそうである。
 車を運転できない高齢者は移動の手段を失い、岐阜の柳ヶ瀬をはじめ各駅前の商店は寂れてしまった。電車の利用者が車に流れたために道路交通量は増加し、温暖化に拍車をかけている。
 企業の論理から言えば赤字線廃止は有効な選択肢だが、地域インフラの維持、あるいは地球環境保護という視点から考えると、収支だけで安易に鉄道を廃止してはならないはずだ。名鉄揖斐線が廃止された今、地元利用者としてそのことを痛感している。

写真:先に廃止された揖斐線・谷汲線とのジャンクションだった黒野駅
(2007年7月「鉄道ジャーナル」誌掲載)

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コメント

こんばんは、難しい問題ですね。

結局、地域全体で考えると、赤字でも必要となりますが、
問題はどの程度ならという事になります。
赤字で良いというなら、鉄道の経営努力はどう判定したらよいか?
いくらまでの赤字なら良いか?その赤字を
税金でまかなってよいと市民が判断できるか
どうかですね。
民主主義が問われているかも知れません
民主主義の根幹は優れた市民の存在が
基本ですので、それがなくなると衆愚となり
目先の事を追いかえる事になる傾向があります。
まさに天文や、文化施設も行政機能として
どう評価していくか?甘くも無く、過酷でもなく
正当な努力のプロセスをどう評価するかも
良く似ていると思います。

こういったことは、すぐに国が、県が、町が

いう意見になりますが、市民が判断していく

事が大事で、結果廃止になって、不自由を
しても、
選んだ結果であれば甘受する位の意思もいります。
そのへんの覚悟は如何にというところが、
肝ではないでしょうか?

生川さん、こんにちは。毎日、寒いですね。
コメントいただいた内容、仰るとおりだと思います。鉄道廃止の件は、本来であれば利用者である地域住民がもっと真摯に受け止め検討しなければならなかったにもかかわらず「お上が廃止するというのなら仕方がない」ぐらいの気持で関係市町の議会でも了承されてしまったのです。

天文施設も然りですね。
特に、鉄道と違ってどうしても「一部の人しか利益を享受できない施設」という目で見られがちですから、なおのこと難しい問題を含んでいます。

税金の使い方を住民がもっと適正に監視するシステムが必要なのですが、わが国の議会制民主主義は、残念ながら衆愚政治と紙一重というのが現状です。
民主主義が成り立つためには、議員という住民の代表者を選出し民意を付託するに足る資質を持つ国民が存在することが前提条件です。

けだし、現在の日本国は、理想の民主主義にはほど遠い現状です。
政治家が、国が、自治体が、と言う前に、国民一人一人が、わが身を省みることが必要なのですね。

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