2008年04月02日

●人事異動

いやはやなんとも・・・。
4月の定期人事で、何と住民課へ異動になってしまいました。
戸籍やら外国人登録、さらには住民基本情報サーバーの管理など、未知の領域の仕事ばかりです。
とにかく何にもわからないので、新入社員の気持ちで覚えるしかありません。
ずっと藤橋だったのが本庁勤務となりましたので、たとえば郵便物の出し方ひとつにしてもわからないことばかりです。
で、3月末からずっと残業ばかり。
3月~4月は特に忙しいらしいのですが、わからないにもかかわらず山のように仕事があるので、困ったとぼやいている暇もなく、もちろん昼休みもなく仕事をしています。
しばらくはこのブログも更新がままならないかもしれません。
できるだけ更新したいとは思っていますが・・・。

藤橋の天文施設のほうは、若手の新人がかわりに配属されました。
私とは違ったカラーを出してくれることでしょう。

2008年04月05日

●菜っ葉系がなぜか好き

ようやく春爛漫となりました。
あちこちで桜が満開です。
今日は天気がいいので、お花見に繰り出す人も多いことでしょう。

私も桜は嫌いではありませんが、この季節、桜よりも目につくのが菜の花です。
なぜか昔から菜の花、というより菜っ葉系の花が好きで、娘の名前にまで好きな星と菜の花をつけてしまったほどです。

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写真は、揖斐川の河川敷。
菜の花に囲まれていると、とても優しく穏やかな気分になれます。
菜の花畑には、花見客の喧騒はありません。
そのかわり、たくさんの蝶や蜂が群れ飛んでいます。
菜の花の香りと蜂の羽音に囲まれていると、いつか自分自身も、そうした自然に溶け込んでしまうような気がします。

2008年04月07日

●児童文学「赤い電車に乗って」その1

 駅には、今日も何人かのお年寄りが集まっていました。山に囲まれた終着駅です。
プラットホームに、赤い小さな電車が一両、冬晴れの日を浴びて、ぽつんととまっていました。お年寄りたちは、そんな電車の座席に思い思いに腰かけて、おしゃべりをしたり、窓の外を眺めたりしています。
冬の日ざしがいっぱいに差しこむ電車の中は暖かでした。こうして電車の座席に腰かけて何時間かを過ごすのが、ここ何年間か、お年寄りたちの日課になっているのでした。

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「四十年間、ずっとこの電車で岐阜まで通ったもんやったなあ」
 窓の外を眺めていたおじいさんが、呟きました。
「そうやなあ。健ちゃんは岐阜の繊維会社に勤めとったもんなあ」
 となりに座っていたおじいさんがうなずきます。
「わしも、商品の買いつけによう岐阜まで出かけたもんじゃ。帰りはリュックいっぱいの荷物で歩くのも大変やった」
「作どんもわしも、お互い、よう仕事をしたなあ」
 二人は小さく笑いました。
 ふと何かを思いついたのでしょう。作どんと呼ばれたおじいさんが、いたずらっぽい目で、通路をはさんだ座席で居眠りしているおばあさんを見つめました。
「そういえば、咲ちゃんも長いことあんたと同じ電車で通っとったな」
「そ、そうやったか」
 健ちゃん・・・健吾さんは、窓の外を見つめたままでしたが、その耳がかすかに赤く染まったのを作どんは見逃しませんでした。
「健ちゃんだけやないで安心しや。他にも咲ちゃん目当てで七時の電車に乗っとったヤツを何人も知っとるで。それにもう時効や。紀美子さんも、咲ちゃんの旦那さんも亡くなったでな」
 作どんが、からからと笑いました。紀美子さんというのは健吾さんの奥さんです。いつも元気で明るかった紀美子さんが亡くなってからもう十年が過ぎていました。
 その声で目がさめたのでしょう、咲ちゃんと呼ばれたおばあさんが、不思議そうな顔で二人を見つめます。髪はまっ白ですが、若いころはさぞ美人だったことをうかがわせる顔立ちです。
 にやにや笑って顔を覗きこむ作どんの腕を、窓の外に顔を向けたまま健吾さんは叩きました。健吾さんが、若いころからずっと咲ちゃん・・・咲江さんのことを好きだったのは、当の咲江さん以外は誰もが知っていることでした。
「昔のことじゃ。もう言うな」
 健吾さんの横顔は真っ赤です。
 もちろん作どんも、それ以上、言うつもりはありません。健吾さんも咲江さんも、今では高校生や大学生の孫がいる幸せな身の上です。
「それにしても、今でも信じられんね。もうすぐチンチンって合図が鳴って、動き出しそうな気がするもの」
 もうすっかり目がさめたらしく、さっと立ち上がってこちらの座席に移ってきた咲江さんが言いました。
 軽い身のこなしと都会的な話し方は、年をとっても少しも変わりません。忠節の会社で事務員をしていた咲江さんは、結婚してから長いこと東京で暮らしていたのです。
 作どんが、またにやにやと笑っています。咲江さんが腰をおろしたのは、健吾さんのすぐとなりだったからです。
「みんなこの電車にお世話になったんやね。もう二度と動かないなんてウソみたい」
 咲江さんの言葉に、お年寄りたちはしんとなりました。
 そうです。西国三十三霊場結願のお寺があるこの駅と岐阜駅を結んでいた赤い電車は、しばらく前に廃線になってしまったのでした。保存会の熱心な運動で、この終着駅と赤い電車は残されましたが、長い間、たくさんの人を運んだ線路を電車が走ることは二度とありません。健吾さんたちお年寄りは、畑仕事や山仕事の合間に駅に集まって、昔話をするのが楽しみになっていたのでした。
 お年寄りたちは、電車の運転席から見えるレールを見つめます。何年か前までは、電車に乗るだけでみんなを岐阜の街へ、そしてもっと遠くまで運んでくれた二本のレールは、ホームの先でぽつりと途切れていました。レールを剥ぎ取る作業が進んでいるのです。赤い電車は、咲江さんの言うとおり、もう二度とこの駅から動くことはないのでした。
 黙りこんだお年寄りたちの影を通路に映して、冬の日ざしはゆっくりと動いていきます。
 学生を、通勤の人たちを、買い物の奥さんたちを乗せて、雨の日も雪の日も休むことなく何十年も走り続けた電車。
(わしらも電車も同じかもしれんな。仕事して仕事して、今は暇にまかせてこうして日向ぼっこをしてい
る・・・)
 それでいいのかもしれない。健吾さんは思いました。これまでさんざん働いてきたのだから。
 でも。わしも作どんもまだ元気だ。電車もまだまだ働きたいんじゃないかな。美濃の里を、風を切って走り続けていたいのじゃないかな。
 ふと気づくと、咲江さんが運転席のすぐ後ろに立っていました。小柄ながら、背すじのしゃんと伸びた咲江さんの後ろ姿が日ざしに滲んで、健吾さんは目をしばたきました。乗り切れないほど満員だった毎朝の電車。窓を流れる見慣れた景色。そして、いつもいちばん前に立っていた咲江さんの後ろ姿。
 健吾さんは目を閉じました。何もかも変わってしまったような、そして何も変わっていないような不思議な気持ちで、窓越しの日ざしの暖かさを感じていました。

*平成19年度岐阜県文芸祭の入賞作品です。
 「児童文学」部門で受賞しましたが、子供は一人も出てこず、登場人物はお年寄りばかり。ヘンな童話です。
 星とは関係ありませんが、揖斐川町谷汲のお話ですので読んでやってくださいませ。しばらく連載します。

2008年04月09日

●「赤い電車に乗って」その2

 どんよりと曇って、今にも白いものが落ちてきそうな底冷えのする日でした。
 厚手のジャンパーの上にヤッケを重ねて、健吾さんは山仕事をしていました。ストーブに使う薪を作る仕事です。最近、健吾さんの家では、息子さんが離れで喫茶店をはじめました。『薪ストーブのある喫茶店』が売り物のお店です。山小屋風の建物の中に薪ストーブが燃えている息子さんのお店は、都会からやってくるお客さんでけっこう繁盛しているのでした。健吾さんは、忙しい息子さんに頼まれて、自分の山から薪を採ってくるのです。
 林道の脇には、軽トラックが置いてありました。鉄道が廃止になる何年か前、苦労して運転免許を取って買った軽トラックです。
 しばらく前に切り倒しておいた木をチェーンソーで小さく切り、さらに鉈で細かく割っていきます。ストーブにくべることができる大きさに割った木材を束ねて、軽トラックの荷台に積んでいくのです。
 昔は、山の手入れや山菜取りにも電車に乗って来たものでした。知り合いから譲り受けた健吾さんの山は、家から離れた場所にあるのです。今のように車もなく、林道もありませんでしたから、山に入るには、道具や機材を背負って細い山道を歩くしかなかったのです。
(あのころにくらべれば天国だ)
 健吾さんは思いました。背中いっぱいに荷物を背負って山道を下り、電車に乗って家まで帰ることを思えば、軽トラックのありがたみはひとしおです。
(みんなが電車に乗らなくなるわけやな)
 健吾さんは苦笑いをしました。

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 どれぐらい前からでしょうか。健吾さんの近所でも、だんだんと自動車を買う人が増えて、それと同時に道もきれいになり、好きなときに好きなところへ誰もが行けるようになったのです。いつも満員だった電車は、がら空きになり、本数もだんだんと減らされて、とうとう廃線が決まってしまったのでした。
 黙々と仕事をしながら、健吾さんは今日のみんなの話を思い出していました。午前中は、まだ薄日が差していましたから、いつものようにお年寄りが駅に集まっていたのです。
『廃線の何年か前から、ウチでも電車にはほとんど乗らなくなったなあ』
『そりゃ、あんたのところは息子さんがいい車を持ってみえるで。ウチみたいに車に乗れない年寄り夫婦にとっちゃあ、電車がなくなってどえらい不便になったもんやよ』
『子供んたがかわいそうやなあ。電車があれば岐阜の高校にだって通えるのに、わしの孫は下宿しとるよ』
『そうや。電車がなくなっていちばん困っとるのは、わしら年寄りや子供んたやでなあ』
『バスと違って、大雪の日でも電車はとまらんかったでなあ』
 駅に集まっているためか、どうしても話題は電車のことになります。何十年も昔から、通学に通勤に電車を使ってきた健吾さんたちにしてみれば、赤い小さな電車と小さな駅は、若いころの思い出がいっぱいにつまった宝箱みたいなものなのです。楽しかったこと、苦しかったこと、毎日さまざまな思いを胸に抱いて乗り降りした電車と駅からは、はるか遠くにかすんでしまった青春の匂いがただよってくるような気がするのでした。
(だからこそ、わしらは毎日のように駅に集まっとるんやな)
 ふと、健吾さんの胸を、咲江さんの面影がかすめました。
(作どんの言うとおり、初恋、やったかもな)
 誰も見ていないのをいいことに、一人でふふふ、と笑いました。
 さあ、もうひと仕事、と思ったときでした。軍手をはめた手に、ひらりと白いものが舞い落ちました。
「ありゃあ、とうとう落ちてきたのう」
 このあたりでは、ひと冬に何度か、けっこうな雪が降ります。揖斐谷の奥の方にくらべれば少ないのですが、一晩で五十センチ以上積もることも珍しくありません。そういえば、今夜から雪の予報が出ていました。
「まあ、今日のところは帰るかの」
 健吾さんも雪のこわさは良く知っていましたから、早めに仕事を切り上げて帰ることにしました。
 ちらほら舞い始めた雪は、すぐに本降りになりました。びっくりするぐらいの勢いで、景色を白く染めていきます。
 風も出てきました。すぐ目の前もみえないぐらいの吹雪です。
 道具を片づけ終えたときには、軽トラックも健吾さんも雪だるまのようにまっ白になっていました。
「いやあ、これは積もるぞ」
 ひとり言をつぶやきながらハンドルを握って走り出します。
 本当にひどい降りです。ワイパーが雪をぬぐうよりも早くフロントグラスに雪がこびりついて道路がぜんぜん見えません。
 こういうときこそ慎重に。心に言い聞かせながらハンドルを操作します。
 いくつものカーブを過ぎて、だいぶ山を下ってきたとき。
 突然、山全体を震わせるような、ゴーッという音が響きました。猛烈な風が軽トラックを包みこみ、舞い上がった粉雪で何も見えなくなりました。
 あっと思ったときには、健吾さんの軽トラックは路肩を踏み外していました。
 ふわっと車体が傾いて・・・。
 軽トラックは、そのまま雪の斜面をずりおちていったのです。

2008年04月11日

●「赤い電車に乗って」その3

 健吾さんが気づいたのは、あまりの寒さのためでした。
 ぼうっとしていた頭が、急にはっきりします。
 あたりを見回しました。どこもかしこもまっ白です。体がおかしなふうに傾いています。手足がぜんぜん動きません。
 一瞬、自分は死んでしまったのかと思いました。だって、こんなに何もかもまっ白なはずがありません。
 でも、死んでいるとしたら寒さも感じるはずないよなあ。妙にはっきりとそんなことを考えて。
 健吾さんは自分がどこにいるのかを知りました。軽トラックが、十メートルも離れたところに雪に埋もれて転がっています。健吾さんは、首まで雪に埋まって、山の斜面に投げ出されていたのでした。道理で手も足も動かないはずです。
 何とか吹きだまりから這い出した健吾さんは、もう一度、あたりを見回しました。
 あいかわらず雪は激しく降り続いています。それでも、白いカーテンのすき間から、林道のガードレールが見えました。健吾さんは、ちょうどガードレールの切れ間から、車ごと落ちてしまったらしいのです。
 どこにもけがのないことを確かめた健吾さんは、膝まで埋まる雪をかき分けて林道まで上りました。軽トラックはもう動きません。携帯電話も持っていませんから、助けを呼ぶこともできません。健吾さんは、自分の足で人里まで戻るしかないことをわかっていました。 
 まっ白に雪の積もった林道を下っていきます。ときには腰まで埋まる雪をかきわけて歩くのは、ひどく骨の折れることでした。でも仕方ありません。あたりはそろそろ薄暗くなり始めていました。夜になる前に山を下りなければ、凍え死んでしまいます。
 通いなれた林道が、まったく知らない道に思えました。雪がこれほどまでに景色を変えてしまうのかと思いながら、一歩ずつ進んでいきます。
 はじめのうちは暑くてたまりませんでした。雪をかき分けて歩いているのだから暑いのもしかたありません。汗をぬぐいながら歩くうち、今度は寒くなってきました。震えが止まらなくなってきて、吐き気までしてきました。ふらふらして足が前に出ません。風邪をひいたときのようです。
 健吾さんは、動かない足を必死で前に進めました。かなり林道を下ってきたことは、見覚えのある木や沢のようすでわかります。あたりはだんだんと暗くなり、雪が青く光っている以外、景色はほとんど見えません。
 ふもとまでもう一息、というところで、健吾さんは雪の中に倒れてしまいました。
 不思議なことに、雪の中に倒れているのに少しも冷たくありません。
 これはいよいよまずいな。そう思ったとき、わずかに雲が薄くなったのでしょう、あたりが一瞬、さあっと明るくなりました。

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 力を振り絞って起き上がった健吾さんの目に映ったのは、夕映えに鈍く光る二本のレールでした。もうだいぶふもと近くまで降りてきたようでした。
 もうすぐだ。駅まではもうすぐだ。それだけを考えて健吾さんは立ち上がりました。
 そう、林道の入り口には、健吾さんがいつも使っていた小さな駅があるのです。
 駅まで行けば。駅まで。
 もう一度歩き始めた健吾さんの頭にあるのは、そのことだけでした。
 健吾さんは腕時計を確かめました。そうだ。四時四十分の電車があるはずだ。あと十五分。電車に乗れれば家に帰れる。薪を持って帰れなかったことは息子に詫びなければならないが、まだ軒下にも積んであったはず。何日かはしのげるに違いない。ぼうっとした頭で、健吾さんは考えました。
 わずかな晴れ間が消えたのでしょう。あたりはふたたび、青い闇に閉ざされました。
 腕時計に目をやりながら、健吾さんは歩き続けました。
 そうだ。あのころも毎朝、腕時計とにらめっこをしながら駅へ歩いた。七時の電車に乗るために。咲ちゃんと同じ電車に乗るために。

2008年04月13日

●「赤い電車に乗って」その4

 積もった雪の青い光も消えて、闇の中を歩いていた健吾さんは、いきなりつまずいて雪の中に倒れてしまいました。
「いてて」
 腕をさすりながら起き上がった健吾さんは、足元に固いものを感じて雪を掘り返しました。
 レール。
 健吾さんをつまずかせたのは、鉄道のレールだったのです。
 はっと気づいて腕時計を見た健吾さんは、
「間に合ったあ」
 大声でつぶやきました。
 腕時計は、四時三十八分を指していました。
 踏み切りを渡って小さなホームに上がります。
 ホームも雪でまっ白でした。もともと改札口も屋根もない無人駅です。レールでつまずかなければ、雪に埋もれた駅を見つけることなどできなかったことでしょう。
 健吾さんは、もう一度、時計を見ました。
 あと一分。
 そう思った瞬間、全身から力が抜けました。
 その場に座りこみながら、健吾さんは気がついたのです。いくら待っても電車が来るはずないということに。鉄道は、もう何年も前に廃線になっているということに。
ホームに座りこんだ健吾さんの体に、吹雪が激しく吹きつけます。疲れきった体が芯まで冷えていくのがわかりました。
 座りこんだ健吾さんの体がゆっくりと倒れました。頬に触れる雪の冷たさを感じながら、あと一分、あと一分待てば。
 それでも健吾さんは、心のどこかでそう思い続けていたのでした。

 雪に埋もれた健吾さんの体を、オレンジ色の光が、さあっと照らし出しました。
 ゴトン、ゴトン。プシューッ。
 重く懐かしい音が近づいてきて、健吾さんのすぐ横で止まりました。
 信じられない思いで、健吾さんは見つめます。
 暖かそうな光を窓いっぱいにたたえ、おおぜいの人が乗っている赤い電車。
『谷汲ゆきです。まもなく発車します』
 車掌さんの放送に、健吾さんはあわてて起き上がりました。体の雪を払いながら、出入り口のステップを上ります。
 ピーッ。車掌さんが笛を鳴らしました。
 プシューッ。ドアが閉まり、電車はゆっくりと動き出します。
「山仕事かい」
 声をかけてきた人を振り返った健吾さんは、一瞬、返事ができませんでした。
「作どん・・・」
 そう、その人は作どんでした。大きな風呂敷包みを背負い、暖かそうなオーバーを着た・・・。
「岐阜まで買いつけに行ってきたんや。今日はええもんがようけ買えたで」
 にこにこ笑うその顔は、まだ二十代の若者でした。
「この雪じゃ、山もたいへんやな」
 もう一人、声をかけてきた人を見て、健吾さんはもっと驚きました。
「浜ちゃん」
 もう二十年も前に亡くなったはずの、魚屋の浜ちゃんではありませんか。
 気を落ち着かせて車内を見回してみると、乗客の半分以上が知り合いでした。そして、誰もが若いころのままなのです。
 気さくに声をかけてくる若い知り合いたちに返事をしながら、健吾さんは恥ずかしくてたまりませんでした。みんなが若いころのままなのに、自分だけが八十才近いおじいさんなのです。
 みじめな気分で窓の外を見つめた健吾さんは、あれ、と思いました。どこかで見たことのある人が映っていたからです。
 すぐに気がつきました。真っ黒な髪をポマードでぴっちり固めて、茶色のハンチング帽を斜めにかぶったその顔。
 健吾さんでした。どういうわけだかわかりませんが、みんなと同じように健吾さんも若いころのままの姿で、電車に揺られているのでした。
「健ちゃん。いちばん前」
 寄り添ってきた作どんが耳元で囁きました。
 運転席のすぐ後ろに立っているその人。長い髪を結い、白いうなじを見せた・・・。
 咲ちゃん。
 心の中でつぶやきました。
「珍しいね。こんな早い電車で帰ってくるなんて」
 作どんに背中を押され、健吾さんは何歩か前に出ました。それにあわせるようにブレーキがかかり、たたらを踏んだ健吾さんは、その人のすぐ後ろでようやく踏みとどまりました。
 驚いた顔で振り向くその人。
 健吾さんには、電車の音も聞こえなくなり、まわりの人も見えなくなっていました。
「あ、あの」
 とまった時間のなかで、健吾さんに言えたのはそれだけでした。
 でも、そのとき、その人がもう一言を待っていたような気がしたのは、やはり健吾さんの思いこみにすぎなかったのでしょうか。
『まもなく終点、谷汲です』
 車掌さんの声が、健吾さんのそんな思いもかき消して、電車はゆっくりと終着のホームへ滑りこんだのでした。(つづく)

2008年04月15日

●「赤い電車に乗って」5

 そのころ。
 健吾さんの家では大騒ぎになっていました。暗くなっても健吾さんが帰ってこないのです。
「おやじ。警察は何て言ってるんだ」
 苛ついた声で大学生になった孫が怒鳴ります。
「この吹雪じゃ、捜索にも行けないってよ。さっきから何度も電話しとるんやけど」
 健吾さんの息子さんが、同じように大声で怒鳴り返します。
「やっぱり自分たちで捜しに行くしかねえよ」
 お孫さんが立ち上がりました。
「警察も消防もあてにならねえ。じいちゃんが山に行ったことはわかっとるんやで」
 息子さんも立ち上がりました。
「仕方ねえな」
 防寒具を身に着け、長靴をはき、かんじきを用意した二人が、玄関を出ようとしたとき。
 ガラガラ。いきなり玄関の戸が開きました。
「おやじ!」
「じいちゃん!」
 お孫さんと息子さんは同時に叫びました。そこには、雪でまっ白になった健吾さんが立っていたからです。
「悪いな。車、つぶしちまった」
 照れ臭そうに健吾さんは言いました。それでも、その顔はほかほかと元気そうです。
「どこに行っとったんや。車、潰したってどういうことや」
「道を踏み外してな、林道からがんがらがん、ってな」
「落ちたんか」
「そうや」
 林道から転落したとすればたいへんなことです。
「で、そっから歩いて帰ってきたんか」
「途中までな」
「途中までって」
「あとは電車に乗ってな」
 集まってきた家族は顔を見合わせました。寒さと疲れで頭がおかしくなったんじゃないか。みんな、同じことを考えました。
 にこにこ笑っている健吾さんを薄気味悪そうに見つめた息子さんが、何かを言いかけたときでした。
「健吾さん!」
 開け放したままの玄関の外から聞こえた声に、みんなはもう一度、どきっとしました。
 健吾さんと同じく、体中雪まみれで立っているのは・・・。
 咲江さんでした。
「おお、咲ちゃんやないか」
 ゆったりとそう言った健吾さんに、咲江さんは駆け寄りました。
「良かった。やっぱりあの電車で帰ってきたんやね」
 今にも健吾さんに抱きつきそうな咲江さんの目から、涙があふれました。
「ごはん、作っとったらね、突然、まわりの景色が変わってまったんや。私は電車に乗っていて、いろんな人が若いころのままたくさん乗っていて、そしたら、あんたが、健吾さんが飛んできて、私・・・」
 健吾さんが、咲江さんの手を取りました。
「ありがとう。咲ちゃん」
 もう一言。もう一言、言わなければ。そう思ったとき。
「おい、健ちゃん! 大丈夫やったか!」
 わめきながら、雪の中を転がるように走ってくるのは作どんでした。そのあとから何人ものお年寄りがこけつまろびつ走ってきます。
「夢を見たんや。健ちゃんといっしょに電車に乗ってる夢。なんかいやな予感がして警察に聞いたら、健ちゃん、行方不明っていうやろ」
 作どんを押しのけるように、別のお年寄りが言いました。
「わしな、見たんや。駅にな、電車が着いてな、おおぜいの人が降りてくるのを。みんな影みたいやったが、健ちゃんだけははっきりしとった」
「わしも見た。雪をけたてて線路を電車が走っていくのを。そこに健ちゃんが乗っとったんや。若いころのままの健ちゃんが」
 興奮してはいますが、みんなが言うことは同じでした。
「そんな・・・。電車は廃線になったはずなのに」
 息子さんが、呆然とつぶやきます。
「そうや。これ」
 健吾さん手をそっと放した咲江さんが、着物のたもとを探りました。
「わすれもの。電車の中で落としたやろ」
 咲江さんが差し出したものは。
「おお、これか。道理で頭が寒いと思っとった」
 しばらく差し出されたものを見つめていた健吾さんは、それを頭に乗せました。
 茶色のハンチング帽。
「健ちゃん、どえらい似あうやないか」
「そういやあ、昔は健ちゃんのトレードマークやったなあ」
 お年寄りたちが、どっとわきました。
「みなさん、とにかく中へお入りください。雪の中で立ち話もなんですから」
 息子さんのお嫁さんが、なんだかわからないけれど、という顔でそう言い、健吾さんと咲江さんを囲むように、みんなは暖かい家の中へあがったのでした。

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 次の日。
 積もった雪を、降り注ぐ日ざしがまぶしく照らしています。
 健吾さんは一人で、電車の座席に座っていました。
 ホームには屋根がついているのに、電車は雪でまっ白です。そして、どこもかしこも雪で埋まっている景色の中で、ホームから見える線路だけが、冬の日ざしにキラキラと光っていました。
「レール、昨日までは錆びていたのにね」
 うしろから声をかけられて、健吾さんはゆっくりと振り向きました。
 窓越しの日ざしをいっぱいに浴びて、咲江さんがほほえんでいました。
「そうや。錆びとったな、昨日までは。でも今日は、あんなに光っとる」
 健吾さんの顔を、咲江さんがじっと見つめます。
「かぶっとるんやね」
 健吾さんは、頭にそっと手をやりました。
 茶色のハンチング帽。
 気づくと、二人は運転席の後ろに並んで立っていました。
「電車、走ったんやなあ」
「そうやね」
 揺れる日ざしがレールに反射して、咲江さんの顔を明るく照らしました。
 その顔は、昨日、電車に乗っていた若いころのままのように、健吾さんには思えました。(おわり)

2008年04月16日

●アケビの花

我が家の庭に今を盛りと咲いているこの花。
アケビです。

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アケビといえば、山野に自生し、実を食べることができる蔓植物です。
藤橋在住中は、山を歩いてよくアケビのみを食べたものでした。
ただ、サルの大好物でもあるため、私とサルとどちらが早く見つけるかの競争です。
都会に住んでいる方は、アケビなど食べたことがないかもしれませんね。

我が家では「バラのアーチ」ならぬ「アケビのアーチ」をしつらえてあります。
今年は例年になくたくさんの花が咲きました。
我が家を訪れた人は一様に「これがアケビの花なんですか」と驚きます。
昨年は1個しか実がなりませんでしたが、今年はもう少したくさんなるかな。

2008年04月18日

●田舎で仕事を探す・・・農林業編

田舎暮らしを希望する都会人が、まず直面する問題が、仕事をどのように探すかということです。
停年退職後、暮らしていけるだけの年金を貰っている方なら何とか食っていけるでしょうが、若い人の場合は、まずは収入の道を探さなくてはなりません。
田舎暮らしを志す人から尋ねられることも多いので、二回か三回に分けて、田舎での仕事探しを少しだけアドバイス・・・。

田舎暮らしに憧れる人がまず考える仕事が「農業」です。
都会のオフィスでの仕事はもうこりごりだ。田舎へ引っ込んで土を耕す仕事ができたら健康的だし生産的だ。だから自然と人に優しい有機農業・・・。
お約束の思考パターンではありますが、農業で食っていくのは大変に難しいのが実情です。プロの農家ですら赤字経営に喘ぎ、見切りをつける人が多いのに、何も知らずに都会から移住した人が農業で食っていくことは、ほぼ不可能といっても良いでしょう。
まして有機農法など、除草ひとつをとっても恐ろしい労働量です。農薬や農業機械なしで「安全な」作物を作ろうと思えば、相当の覚悟をしなければなりません。
わが国の農業は、種や苗の入手から施肥・農薬散布などの生産管理、さらには出荷に至るまで農協が組織的な介在をしています。逆に言えば、農協を通さなければ農家経営は難しい仕組みになっているのですが、有機農法の場合、農協が提供するそうしたシステムに馴染まないことが多く、せっかく収穫した作物を出荷するルートも自ら開拓する必要があります。
まずは農家と懇意になり、手伝いをしながら少しずつ勉強をしてゆくのが早道でしょう。
農業系の学校に入学して系統的な知識を得ることも大切です。

では「林業」はどうでしょうか。
構造的不振産業の最たるものとして知られる林業ですが、実は仕事の募集は意外なほど多いのです。
地球環境保全にからみ、外国からの木材輸入が次第に困難になりつつあること、地球温暖化対策の一環として森林の価値が見直されてきたことなどから、全国的に林業の担い手が不足しているからです。
具体的には、地域の「森林組合」へ照会すれば、募集要項を入手することができます。
まさに自然の中での仕事でやりがいも大きいのですが、危険も少なくなく、肝心の給料も高いとはいえません。
体力に自信があって山が好きな人であれば、考えてみるのもいいと思います。

次に「畜産業」です。
一時、北海道などでアメリカを真似た大規模な畜産経営がブームとなりましたが、今ではほとんどの畜産農家が巨額の赤字に喘いでいるのが実態です。
広大な土地や大きな設備が必要な畜産業では、初期投資がどうしても大きくなるため、それを回収するだけの収益を上げなければなりませんが、外国産の安価な肉や乳加工製品が大量に出回る中で収益を得るのは非常に困難です。
わずかに成功している人は、自らの生産品に何らかの付加価値をつけたり販売方法に工夫を凝らしています。
「北海道へ渡って牧場をのんびり経営するぞ」的な感覚ではとても無理で、専門の学校へ通って知識を身につけた上、懇意になった牧場で手伝いをしながら経営感覚を身につけていくことが必要だと思います。

2008年04月21日

●満水の徳山ダム

わが国最大のダムとして、良くも悪くも話題の徳山ダムでは、昨年の竣工時から試験湛水を行ってきましたが、このほどほぼ満水になりました。
写真は、最近のダム湖の様子。

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満々と水を湛えた風景は確かに雄大ではありますが、水面からは水没した木々があちこちに顔をのぞかせ、そのほとんどは半分以上水に漬かりながらも健気に新緑を芽吹かせ、あるいは花を咲かせています。
この広大なダム湖のために、いったいどれほど多くの生き物が冷たい水の底に沈んでいったのでしょう。
動くことのできない植物はもちろん、すばやく移動することのできない小動物や昆虫なども、すべて溺れ死にました。
さらに言えば、これだけ広大で莫大な税金を投じたダムに、果たしてどれほどの意味があるのだろうかという疑問があちこちから指摘されています。
治水のためであればこれほど巨大なダムは必要ありませんし、発電のためといっても電力需要は頭打ちです。
工業用水需要もこれから先、伸びるとは思えず、広い水面を見渡しながら、ひどく虚しい思いにとらわれます。
数え切れないほどの生き物を殺し、一つの村を沈めた徳山ダム。
手放しで完成を喜べる気にはどうしてもならないのです。

2008年04月24日

●ふじはし星の家が復活!

かつて西美濃天文台を訪れる人が宿泊のベースとしていた「ふじはし星の家」が、徳山ダム完成に合わせてこの4月20日から営業を再開しました。

もともとは地域の廃校を再利用した宿泊研修施設でしたが、今回のリニューアルオープンにあわせて内外装ともに一新、現代水準の宿泊施設になっています。

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ただ、以前のような合宿自炊型の施設ではなくなりました。
一般の方が利用される場合、1泊2食付で大人6,500円、高校・大学生5,000円、中学生以下4,000円、未就学児3,000円という料金設定となっています。
最大で60名まで宿泊が可能で、21畳の大部屋と10畳の小団体用の部屋があります。

写真は、10畳の小部屋?の様子。かつてのような「いかにも廃校改造!」という感じはありません。
お問い合わせ・申し込みは下記までどうぞ。

電話:0585-52-2077 ふじはし星の家

2008年04月25日

●小説「Last Planetarium」1

この4月で天文担当から役場の本庁へ異動になった私ですが、町村合併前、藤橋村当時にも、天文担当から離れた時期が数年間ありました。
これからしばらく連載するのは、その頃に書いた小説です。
当時と今では行政の体制も異なり、異動を命じられたときの思いも異なりますが、共通しているのは「自分には天文の専門家としてのスキルと使命感があり、行政内でのポストや施設に頼らなくても独力で夜空への想いを語り成果をあげることができる」という自負です。
自らへの励ましもこめて、10年近く前に書いた小説を何度かに分けて掲載します。
自伝的小説ではありますが、登場人物等、フィクションも含まれていますのでご了解ください。以下、本文です。


 まだお客さんの入場していないドームの中は、ひんやりと静かだった。
 コンソールの椅子に腰をおろした僕は、知らず知らずのうちに皮膚になじんでいるドーム内の空気を軽く目を閉じて吸いこんだ。
 空気に、独特の匂いがある。コンソールと投影機に塗られた塗料の匂い、白熱する恒星球の匂い、ボ
リュームダイヤルを回すたびに発熱して灼ける抵抗の匂い。
 それは、丁寧に使いこまれ、日々努めを果たしている、生きた機械の匂いだった。 
 目を閉じているほんの数秒間の間に、心の底を形にならないさまざまな記憶が流れて消える。
 夢中で過ごしてきた歳月の長さと短さを、甘く、そして苦い想いのうちにひととき反芻した僕は、目を開き、体が覚えてしまっている手早さで、投影準備を始めていた。
 昼光とブルーライトをミックスさせ、暗すぎず、明るすぎない柔らかな光でドーム内を満たす。プロジェクターのスイッチを入れ、投影中の注意事項や天体観望会のお知らせを織り混ぜたテロップをスクリーンに映す。傍らのミキサーを操作して、投影開始までの待ち時間用のBGMを流す。
「時間です。入場を開始してもいいですか」
 ドームの扉が開き、場内係のIちゃんの顔が覗いた。
 僕は、コンソールから、指で「OK」のサインを出す。
「お待たせしました。どうぞご入場ください」
 Iちゃんが手際よくお客さんを誘導するようすを見ながら、コンソール近くの席に座ったお客さんに、僕も「いらっしゃいませ」、頭を下げている。
 いつもの入場風景だった。過去8年間、季節や天候によってお客さんの多い少ないはあったものの、毎日繰り返してきた投影開始前の入場風景。
 僕はコンソールの時計を見た。4時の投影開始まで、あと7分。

*

「教育委員会の事務局へ戻ってきてほしい」
 教育長からの突然の呼び出しの用件は、予想していたものだった。
「他に適任者がいないんだ。天文の仕事で村に来てもらったことは重々承知しているが、現場を離れて、社会教育の業務の中で天文普及をすることもまた、新しいアプローチだと思うんだが」
 これまで教育委員会事務局の仕事を担当していた県からの派遣職員が、新年度から県に戻ることは僕も知っていた。そして、やはり教育委員会の職員である、僕を含めたプラネタリウムと天文台担当者の誰かが、事務局の業務を引き継がなければいけないことも。
 僕の頭の中を、この村に移住してから今日までの日々がアルバムをめくるように去来した。断片的な、しかし驚くほど鮮鋭ないくつものシーンが心の底を流れ去る。
一瞬の後、僕は答えていた。
「わかりました。新年度からは、村の子供たちやお年寄りと身近に接してゆきながら、天文の仕事をさせていただきます」
 
 プラネタリウムと天文台は、村の中心から10km離れた場所に立地している。人口の極端に少ないこの村では、プラネタリウムと天文台のある地区までの間は道路だけが続いている山間地であり、住民は一人も住んでいない。
 そんな奥まった場所でありながら、手つかずの自然を求めてやって来る観光客に支えられて、プラネタリウムと天文台を合わせると、村人口の100倍もの年間入館者を数えていることはありがたいことではあるのだが、反面、交通が不便なために住民の利用が極端に少ないことは、村営の社会教育施設として構造的な問題でもあった。
 国内の公開天文施設の半数は、観光客を主なターゲットとしている。特に過疎地域の振興を目的として建設された施設にその傾向が強い。ただでさえ少ない地域の人口を集客の対象として当てにすることができない以上、地域の目玉である天文施設を目的に集まってくる観光客を対象にせざるを得ないのは当然のことだった。

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 僕の村のプラネタリウムと天文台は、そうした施設の典型だった。名古屋市とほぼ同じ面積に人口わずか450人、しかも総面積の97%が山林というこの村で、地域の住民のみを施設運営の対象とすることはどだい無理な話だったし、村の中心中心から10kmも離れた山の中にポツンと立地している施設に対する村民の関心は、どうしても薄れがちになってしまう。
 それならば「ターゲットは観光客(と天文ファン)」と割り切って考えてしまえばいいのだろうが、僕にはそれも納得のゆきかねるところだった。
 税金を投じてせっかく優れた天文施設を建設し、専任の職員が公務員として勤務しているのに、地域へのフィードバックができなくてもいいのだろう
か。「天文普及」という言葉は、いかにも知らない人に天文を「教えてあげる」という匂いがして個人的には嫌いなのだが、同じ地域に住む住民として、人工光の影響をさほど受けていない満天の星空を一緒に見上げながら心のうちを語り合うことこそ、地域に密着した天文施設にふさわしい使われ方ではないのだろうか。
 この仕事に就いてからずっとそんなことを考え続けていたからこそ、ことあるごとに村の人を招待し、あるいは村の中心地区まで出向いてゆき、村民対象の「出前観望会」を開くなどの努力をしてきたのだが、それでも移動距離のネックという基本的な問題点の解消は難しく、昼間も夜も施設に拘束されてしまう僕ら職員にとって住民へのアプローチを行う時間的・人的余裕を生み出すことは困難であり、そのことは年を追うごとに、僕の内部で大きなジレンマとなりつつあった。
 教育長からの異動の内示に、ほんのひととき躊躇したとはいえ即答した背景には、明確に意識していたかどうかは別として、地域に密着した天文活動をしたいという、そんなジレンマに答えを出したかったからなのかも知れなかった。それがあるいは、後悔する結果になるかもしれないとしても。(つづく)

2008年04月27日

●随筆「樽見鉄道賛歌」

 先般、連載した児童文学「赤い電車に乗って」を読まれた方何人かから「星も好きだけど鉄道も好き」というメッセージを頂戴しました。
そこで今日は、2002年に鉄道雑誌に書いた短いエッセイを再掲。
残念ながら、一昨年からこの列車は走らなくなってしまいましたが、懐旧と惜別の念をこめて掲載です。
以下、本文です。

「樽見鉄道賛歌」

 今年も、樽見鉄道の客車列車に乗ってきた。
 樽見鉄道では、終着の樽見駅からほど近い「薄墨桜」の開花にあわせ、花見客輸送のための客車列車を運行している。今年は桜の開花が早く、私が乗車した4月中旬には、すでに散ってしまった後だったが、それだけに車内は空いており、快適な旅を満喫できた。

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 根尾川の渓谷と絡み合い、目の中まで染まりそうな新緑の中を列車は走る。終着間近に響く懐かしいオルゴール、黒い肩掛けカバンを提げた車掌の姿、何よりもどっしりとした客車独特の揺れ具合。青いモケットにもたれて目を閉じれば、のびやかで心豊かな昔ながらの鉄道の旅へ心は確実に還ってゆく。
 JRの幹線ですら希少価値となった客車列車が、ましてや単線の盲腸線を堂々と走行するシーンなど、樽見鉄道以外ではもはや見られないのではあるまいか。たまたま近くに住んでいるために、こうして気軽に乗りに来ることができるけれど、実のところ、僕はとんでもなく幸せな人間なのではないだろうか。車窓を過ぎてゆく水と緑の景色を眺めながらそんなことを思う。
 今年はもう運行を終えてしまったが、客車の旅を楽しみたい方は、ぜひ来年、桜ダイヤの樽見鉄道を訪れてほしい。レールのジョイントを数えるにつれ、心が柔らかくなること請け合いである。

写真:雨の樽見駅に停車中の客車列車

2008年04月29日

●小説「Last Planetarium」2

「さきほど入場された方が最後のお客様です。投影を始めて下さい」
 Iちゃんからのメッセージをインターホンで確認すると、僕はヘッドセットをつけた。
 コンソールの椅子から立ちあがって周りを見回す。
 ほぼ満席だった。決して広いとはいえないドームに設置された86席のリクライニングシートに体を預けたお客さんが、投影の開始を待っている。
 MDで流していたBGMを絞りながら、CDのプレイボタンを押す。ミキサーを操作し、しだいに低くなってゆくMDの音にかぶせながら、CDの音量を上げてゆく。
 小さく息を吸いこむと、僕はマイクのボリュームを上げ、話し始めていた。
「お待たせしました。ただいまから、プラネタリウムの投影を始めます。本日は、ようこそお越し下さいました。これからおよそ30分間、短い時間ではありますが、満天の星空をお楽しみ下さい・・・」
 昼光を少しずつ絞ってゆくと、ドームの中がゆっくりと暗くなる。満席のお客さんがかすかに身じろぎする気配とともに、そこここで聞こえていた小さなざわめきが夜の気配に静まってゆく。
 このプラネタリウムは、完全なマニュアル機だ。うるさすぎないように解説を行いながら、ブルーライトを絞り、夕焼けを上げ、薄明とスカイライン投影機を操作する。同時に傍らのCD,MDデッキを操作して、そんな天上のドラマにマッチしたBGMを、解説の邪魔にならない程度の音量で流してゆく。
 夕焼けから薄明にかけての演出は、マニュアル投影機を操る解説者にとって、最大の腕の見せどころだ。機械の操作や解説を滞りなく行うことだけならば、星をまったく知らない人であっても練習さえすれば何とかなるだろう
が、夕方と明け方の微妙な、そして刻々と変化する天空の色彩だけは、何年も星空に親しんできた者でなければ描き出すことはできないに違いない。

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 自らの指先が演出する壮麗な夕暮れに小さな満足感を覚えながらも、時間の経過を僕は忘れてはいなかった。すでに日没から1時間、透き通る薄明がやがて深い夜の闇に変わってゆき、いつのまにかドームのスクリーンには、無数の星がちりばめられている。息を詰めてそんな時の経過を見つめていたお客様が、薄明が消えると同時になぜ知らず小さなため息をつく。
 宵に見える星座を、明るい星、特徴ある星列からたどりながら説明してゆく。神話だけでなく、星の物理の初歩についてもわかりやすい解説を加える。
 神話や物語はたしかに多くの人の共感を得やすいのだが、それだけでは宇宙の理解にはつながらない。僕は、だから、いつもうるさくない程度に物理や宇宙論についても話すように心がけている。
 ややスピードを上げて日周運動を送ってゆく。星の動き方を示しながら、地球の自転について説明する。
 真夜中を回ったドームのスクリーンは、いつか春の星座で埋まっている。北斗七星が北天高くかかり、春の大曲線をたどれば、ほの赤いアークトゥールスと純白のスピカが、夫婦星の別名どおり一対の穏やかな輝きを放っている。(つづく)