●「赤い電車に乗って」その3
健吾さんが気づいたのは、あまりの寒さのためでした。
ぼうっとしていた頭が、急にはっきりします。
あたりを見回しました。どこもかしこもまっ白です。体がおかしなふうに傾いています。手足がぜんぜん動きません。
一瞬、自分は死んでしまったのかと思いました。だって、こんなに何もかもまっ白なはずがありません。
でも、死んでいるとしたら寒さも感じるはずないよなあ。妙にはっきりとそんなことを考えて。
健吾さんは自分がどこにいるのかを知りました。軽トラックが、十メートルも離れたところに雪に埋もれて転がっています。健吾さんは、首まで雪に埋まって、山の斜面に投げ出されていたのでした。道理で手も足も動かないはずです。
何とか吹きだまりから這い出した健吾さんは、もう一度、あたりを見回しました。
あいかわらず雪は激しく降り続いています。それでも、白いカーテンのすき間から、林道のガードレールが見えました。健吾さんは、ちょうどガードレールの切れ間から、車ごと落ちてしまったらしいのです。
どこにもけがのないことを確かめた健吾さんは、膝まで埋まる雪をかき分けて林道まで上りました。軽トラックはもう動きません。携帯電話も持っていませんから、助けを呼ぶこともできません。健吾さんは、自分の足で人里まで戻るしかないことをわかっていました。
まっ白に雪の積もった林道を下っていきます。ときには腰まで埋まる雪をかきわけて歩くのは、ひどく骨の折れることでした。でも仕方ありません。あたりはそろそろ薄暗くなり始めていました。夜になる前に山を下りなければ、凍え死んでしまいます。
通いなれた林道が、まったく知らない道に思えました。雪がこれほどまでに景色を変えてしまうのかと思いながら、一歩ずつ進んでいきます。
はじめのうちは暑くてたまりませんでした。雪をかき分けて歩いているのだから暑いのもしかたありません。汗をぬぐいながら歩くうち、今度は寒くなってきました。震えが止まらなくなってきて、吐き気までしてきました。ふらふらして足が前に出ません。風邪をひいたときのようです。
健吾さんは、動かない足を必死で前に進めました。かなり林道を下ってきたことは、見覚えのある木や沢のようすでわかります。あたりはだんだんと暗くなり、雪が青く光っている以外、景色はほとんど見えません。
ふもとまでもう一息、というところで、健吾さんは雪の中に倒れてしまいました。
不思議なことに、雪の中に倒れているのに少しも冷たくありません。
これはいよいよまずいな。そう思ったとき、わずかに雲が薄くなったのでしょう、あたりが一瞬、さあっと明るくなりました。
力を振り絞って起き上がった健吾さんの目に映ったのは、夕映えに鈍く光る二本のレールでした。もうだいぶふもと近くまで降りてきたようでした。
もうすぐだ。駅まではもうすぐだ。それだけを考えて健吾さんは立ち上がりました。
そう、林道の入り口には、健吾さんがいつも使っていた小さな駅があるのです。
駅まで行けば。駅まで。
もう一度歩き始めた健吾さんの頭にあるのは、そのことだけでした。
健吾さんは腕時計を確かめました。そうだ。四時四十分の電車があるはずだ。あと十五分。電車に乗れれば家に帰れる。薪を持って帰れなかったことは息子に詫びなければならないが、まだ軒下にも積んであったはず。何日かはしのげるに違いない。ぼうっとした頭で、健吾さんは考えました。
わずかな晴れ間が消えたのでしょう。あたりはふたたび、青い闇に閉ざされました。
腕時計に目をやりながら、健吾さんは歩き続けました。
そうだ。あのころも毎朝、腕時計とにらめっこをしながら駅へ歩いた。七時の電車に乗るために。咲ちゃんと同じ電車に乗るために。
