2008年09月01日

●にょろにょろ雲

今日の夕方、夕日に照らされた雲が綺麗だったので撮影しているとき、妙なモノを見つけました。
山の上の雄大積雲の右側。

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ちょろっと山の端から顔を出しているものがあります。
ムーミンに出てくる「にょろにょろ」みたいです。
しばらく見ているとそれは次第に上空へと伸びてゆき、やがてこんな形になりました。

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こうなると「にょろにょろ」というよりは「ロケットの打ち上げ」を遠くから眺めているみたいです。
最終的にはS字に曲がりくねりながら高度を上げ、誰が見ても飛行機雲とわかる形状になりました。
かなり遠方の飛行機雲を視線方向に見た姿なのでしょうが、山の端から真っ白な突起が突き出ている当初のようすは、ふだんから空に気を配っている私でも今まで見たことのない現象でした。
上空に寒気があり、夕日がちょうど順光で照らし出すという条件がそろったために、ふだんは見ることのできない遠方の飛行機雲が見えたのでしょう。

夜の星空はもちろんですが、昼間や夕方でも空のさまは刻々と変化し、時にはごく珍しい現象を見せてくれます。
そういえば子供の頃は、よく庭の芝生に寝転がって1時間も2時間も空を眺めていました。
ボケッと星や雲を眺めることが好きな、今から思えば、およそ非生産的な子供時代ではありました。

2008年09月03日

●大雨

昨日の昼過ぎから今朝まで、三重県から岐阜西濃にかけては未曾有の大雨に見舞われました。
揖斐川町では、昨日夕方に1時間に70mm超の降雨を観測、それからも断続的に豪雨が降り続き、災害対策本部を設置、職員の半数が就業時間後も役場に泊り込む警戒態勢となりました。
私はたまたま警戒班からは外れ、自宅に帰ることができたのですが、一晩中、空が壊れてしまったかのような激しい雨と雷、そして猛烈な蒸し暑さで、まんじりともせず朝を迎えました。
明け方3時頃には、浸水する家屋が出始めたため避難を勧告する放送が流れ、いよいよ事態は緊急の度を深めたことを実感、いつ呼び出しがあってもおかしくないなと待機していましたが、結局、呼び出しはありませんでした。
今朝、登庁し、役場に泊り込んだ職員から町内の被害の状況を聞くと、旧久瀬村以遠の国道は寸断され、久瀬、藤橋、坂内地域とは通行ができないとのこと、また春日では住宅が土砂に流されるなどの大きな被害が出ていました。

レーダー画像によれば、今回、大雨が降ったのは、幅100キロ前後の非常に狭い範囲のようでした。
鈴鹿山脈で南北の気流がぶつかりあって発生した積乱雲が、岐阜県内ではちょうど揖斐川町を縦断するように次々と北上し、連続した大雨と雷をもたらしたのです。
先日は、愛知県岡崎市が積乱雲の通り道となり大きな災害となったわけですが、今回は揖斐川町が同様の被害を受けることになってしまったわけです。

今日午後には大雨洪水警報が解除となり、ひとまずは安心というところですが、頻発する豪雨被害は地球温暖化にも大きな原因があります。
このまま温暖化が進行すれば、大雨や台風、大雪など、年を追うごとに気象被害が増加してゆくことでしょう。
地球環境保全のために何をすべきか、他人事ではなく人類全員が考え、取り組まなくてはならないと改めて思わせられた今回の豪雨でした。

2008年09月05日

●マツモムシ

マツモムシって知っていますか。
写真は、今年の初夏、揖斐川町谷汲の湿地で撮影したものです。

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水面に仰向けになって死んでいる・・・わけではありません。
この虫、こうして仰向けに泳いでいるのがなぜかホームポジションなのです。
「こんな変な虫、見たことなーい」と思う方も多いかもしれませんが、季節と場所さえ選べば、水田や池、湿地などに意外なほどたくさんの個体を見つけることができます。
ただ体長が1センチほどと小さく、水中では半透明に見えるため、ちょっとコツをつかまないと見逃してしまうかもしれません。

ユーモラスな姿に反して、マツモムシは獰猛です。
オタマジャクシや水面に落ちた虫をつかまえると、針状の口で体液を吸い取ってしまいます。
相手が人間であっても容赦はしません。素手で捕まえようとすると、ちくりと刺されてしまうこともあります。
大きく分けるとカメムシの仲間で、そういわれてみれば姿が似ているような気もしますね。

今のところ、マツモムシはたくさん見つけることができますが、同じ仲間で大型のタガメになると、レッドデータブックに載るほどの希少種となっています。
私も実は、タガメは数回しか見たことがありません。
水辺の環境は、乱開発で年を追うごとに悪化しています。マツモムシもいずれは、タガメのような希少種になってしまうかもしれません。

「星日記」というブログのタイトルなのに妙に詳しく昆虫の説明をしてるって?
実は私、星を好きになる前は「虫博士」と呼ばれるぐらい昆虫が好きだったのです。
虫を殺してしまう昆虫採集は嫌いで、フィールドにいる昆虫の生態を観察するのがもっぱらでした。

これから秋が深まると、私の好きなカマキリの季節になります。
休日には野原に行ってカマキリをじっくり観察したいなあ。

2008年09月06日

●帰ってきた猫

しばらく前にこのブログで、我が家を訪れていた野良猫が来なくなってしまったことを書きました。
野良猫というのは不思議で、突然、ふらりと訪れるようになり、しばらくは毎日のように顔を出すのですが、ある日を境に、また来なくなってしまいます。
もちろん、猫には止むにやまれぬ事情があるのでしょう。人に捨てられて餌を求めて人家を訪れ、やがて交通事故や病気で死んでしまい来なくなるというパターンが多いのではないかと推察しています。

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我が家を訪れていたのは「ぶんた」と名づけられたオス猫でした。
白と灰色の毛並をしたきれいな猫で、生まれついての野良猫にありがちなふてぶてしさや世を拗ねたようなところがないことから、もともとはどこかで飼われていたものと思われます。
数ヶ月間、毎日のように来ていたのですが、ある日、突然来なくなってしまい、交通事故にでも遭ったのではないかと案じていたのでした。

そんな「ぶんた」が、しばらく前から姿を見せるようになりました。
とはいえ、人が近づくとフーッと威嚇します。触らせてはくれません。
この「ぶんた」、どうやら近所の複数の家で餌を貰っているらしく、野良生活が長い割にはさほどのやつれもなく、毛艶も悪くありません。
ただ喧嘩は弱いらしく、時々、隣家の黒猫に苛められているのをカミさんが目撃しています。でも、喧嘩を避けるのも生きるための知恵のような気もします。野良猫の世界では、喧嘩に強い猫が長生きをする、わけではありません。噛みあいや引っかきあいをすれば、傷口からウィルスや細菌が入りこむ可能性が高まります。その意味では、喧嘩を避けてコソコソ逃げ出す猫の方が最終的な生存率は高い、ともいえるのです。

ともあれ「ぶんた」は、いわゆる地域猫としてしたたかに生き抜いているようです。
毎日、餌を貰い、病気になれば病院に連れて行ってもらえるかわりに、一室に閉じこめられて一生を過ごす我が家の飼い猫たちと、常に事故や病気の危険にさらされながらも自由に動きまわれる「ぶんた」とどちらが幸せか、サラリーマンと自由業という人間の職業を重ね合わせながら考えています。

2008年09月07日

●アンタレス

不安定な天気もようやく落ち着いてきたようで、暗くなってすぐに空を見ると、半月のすぐ西側に、さそり座のアンタレスが赤々と輝いていました。

アンタレスは、直径が太陽の230倍もある1等星です。
正しい明るさは1.2等星なのですが、どんよりとした夏場の天候に災いされがちなのと、高度が低いので大気の吸収を受けやすく、実際よりも暗く見えることが多いような気がします。
真っ赤な色から、中国では「大火」、日本では「酒酔い星」とも呼ばれています。
赤い星なので、さぞかし温度が高いのでしょうと訊ねられたこともありますが、アンタレスの表面温度は4000度ほどと、恒星の中では温度が低い部類に属します。
表面、と書きましたが、かなり年寄りの星で大きく膨張しているために、星を作っているガスは宇宙空間に拡散してしまっていて、どこが本当の表面やらわからないという、ふわふわの星でもあります。

私が星に興味を持ち始めた頃、名前も知らないままに、南の空に輝く不思議な赤い星として、母とともに毎晩、眺めていたのがアンタレスです。
あの頃は東京でも、アンタレスが本当に明るく見えていました。
まだ私が小学生だった頃のことです。

2008年09月09日

●木星が明るい

一昨日は、さそり座の1等星、アンタレスのことを書きました。
でも、そんなアンタレスをかすませてしまうほど明るい星が、南の空に煌々と輝いています。とにかく明るくて街中からでも簡単に見つかります。

初夏以来、毎晩の一番星だったこの星、木星といいます。地球と同じく太陽を回っている惑星の仲間です。
地球は太陽から数えて3番目ですが、木星は5番目の星。地球からはずいぶんと遠く、太陽の光も届きにくい距離にあるにもかかわらず「夜半の明星」と呼ばれるぐらい明るく見えるのは、直径で地球の11倍というその大きさによります。

木星に限らず惑星は(月もですが)、自分で光を放っているわけではなく、太陽の光を反射して光っています。
木星は図体の大きさ分だけ反射される太陽の光が多いために、地球や太陽から遠く離れている割には明るく輝いて見えるわけです。

望遠鏡で木星を見ると、赤道方向に平行な縞模様が何本も見えます。
この木星、実は大きな図体のほとんどがガスでできています。本体は中心部にちょこっとあるだけ。望遠鏡で見える縞模様は、分厚いガスのいちばん上層部を見ているんですね。

木星のガスには、生命のもとになる有機物がたくさん含まれています。
有機物が分厚い大気の中で起こる猛烈な雷の刺激を受けると、生命を生み出す可能性があるという仮説があります。
そんな仮説によれば、木星の生命は、くらげのような、風船のような、大気中を漂う袋状の生物という想定がいちばんぴったりするそうです。
くらげ、とはいっても、直径が数十メートルもあるような超巨大な生物です。

いくら有機物が豊富でも、海のない環境では生命は発生しないという反論もあるようですが、このところ毎晩、南(ちょっと遅い時刻だと南西)の空に煌々と輝く木星にそんな生き物が人知れず生息しているかもしれないと考えると、夜空を見上げるのが楽しくなりますね。

2008年09月10日

●フウセンカズラ

うさぎのアルネ君の小屋に、蔓植物のフウセンカズラが絡んでいます。
花は白くて小さく、かわいいけれどお世辞にも派手とかきれいとかいえないのですが、実は名前のとおり袋状で面白い形をしています。

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ウチの庭にはとにかくいろんな植物が植わっているのですが、そのなかでも今の季節ではダントツで面白い形状をしています。
実は数十個ついていて、はじめは緑色だったのが茶色く変わり、やがて種がはじけて落ちます。種はサルの顔みたいな模様があってこれまた変わっています。
朝、アルネ君を外の小屋に出すとき、このユーモラスなフウセンカズラと、庭の木のあちこちに絡んで咲いている真っ白いアサガオの花を見ると、今日も一日がんばろうという気持ちになるから不思議です。

2008年09月12日

●自民党ってすごい!

自民党ってほんとうにすごい。
最近、つくづく思います。
やることなすこと日本をダメにすることばかりで、もはや命運尽きたと思ったら、首相の職務投げ出しという荒業から乱立の総裁選に持ち込み国民の耳目を集めるという、あまりにベタすぎる選挙戦術に突っ走る。
「そんな子供だましに引っかかるはずないじゃん」などというのは日本人の国民性というか民度をわかっていない発言で、ほとんどの国民はそうした自民党の戦術にモロにはめられてしまう・・・。
国民をどのように操縦したらよいのか、知り尽くしているところは、まさに国民政党です。

対する民主党、実際に政権をとったなら、それなりにうまくやるには違いないのですが、自民党に比べて決定的に欠けているのは、国民の操縦法を知らないということです。
コマ劇場の舞台で大立ち回り、興奮が頂点に達したところでおもむろに着流しのサブちゃんがこぶしを効かせた演歌をうなる・・・。
日本人が求めているのはこの展開です。
論理よりも人情、政策よりもゴシップ記事が好き。民主党の最大の欠点は、こうした日本人の国民性に気づいていない、あるいはうまく利用する術をもたないところにあります。賢く立派な人材は揃っているのですが・・・。

その象徴が、5人の総裁選候補者で人気ナンバーワンのassouさん。
いくらバラマキをしても景気は良くなるはずがありません。過去10年間で国民はそのことを十分に認識したはずです。それなのになぜこれほどの人気・・・。

この国はまた失われた10年を繰り返すのでしょうか。
今までは過去のストックで何とか対面を保ってきましたが、もう一度、失われた10年が繰り返されたなら日本は破綻します。
反省しない、学習しない、進歩しない国民。
この国はもう本当にダメかもしれない・・・。

2008年09月13日

●明日は名月

明日は十五夜、中秋の名月です。
ススキに月見団子を飾ってお月見・・・などというのは古きよき時代の話で、忙しい昨今では、そんな悠長に月を愛でるような人はいないのかもしれません。
何よりも街中では街灯やネオンサインといった明かりが多すぎて、月明りを楽しむような気分にはなれないのでしょう。

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私は、といえば、藤橋村に住んでいた頃には、毎年、ススキとお団子を用意して正式な?お月見をしていました。
ススキとお団子を飾って電灯を消すと、街あかりのまったくない山間の村のことですから、とたんに月明りだけが部屋に満ちます。
人工の灯りのない場所では、月明りは意外なほど明るいものです。山奥の村ですから、何の物音も聞こえません。
家族3人、したたるような月明りを浴びながら静まり返った夜空を見上げている時間は、最高に贅沢な、紛うことのない幻想のひとときでした。

明日の名月、お天気はどうでしょうか。
久しぶりにススキとお団子を用意しようかと、家族で話し合っているところです。

写真:雲間の満月

2008年09月14日

●食べられてしまったカエル

庭でギャッという鳴き声が聴こえたので、茂みの中を探してみたら、蛇がカエルを飲み込んでいました。
少し前にこのブログで紹介した、庭の睡蓮鉢に来ていたあのトノサマガエルです。
蛇は体長60センチほどのヤマカガシ。
見つけたときにはカエルの両足をすでに飲み込んでいました。
カエルには気の毒ですが、蛇にとっては大切な獲物です。そのまま見ていたら、カエルを咥えたまま、そろりそろりと藪の中へ逃げ込んでしまいました。

「庭に蛇がいるなんて怖い」と思われるかもしれませんが、食物連鎖の最上位にいる蛇がいるということは、それだけウチの庭の生態系が豊かだということを示しています。
蛇のほか、トカゲもたくさんいます。そうした爬虫類が多いということは捕食される小動物や昆虫が豊富だということなのです。

とはいえ、食べられてしまったカエルは本当にお気の毒。
睡蓮鉢の常連カエルは、トノサマガエルとヒキガエルの2匹だけになってしまいました。
(アマガエルはたくさんいますが)
やはり、早いところカエルが繁殖できる本格的な池を作らなくてはなりません。
でもね、場所がないんですよね。どこも木や草が植わってるので・・・。

2008年09月17日

●夏の夕焼け

夏の夕焼けが好きです。
写真は、2年ほど前の8月に撮影したもの。
空全体が紅く染まるほど壮麗な夕焼けでした。

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一口に夕焼けといっても、季節によってだいぶ雰囲気が違います。
冬の夕焼けは、空気が澄んでいて長波長の赤い光が分散されにくいために、空全体を染めるような夕焼けはあまり見られません。
夏は、水蒸気量が多いために長波長の光がより多く分散されて、写真のように空の広い範囲にわたる夕焼けが見られる機会が多くなります。

午後7時を過ぎているにもかかわらず、空一面が紅く染まっているこんな夕暮れ時、ふと、このまま時が停まってしまうのではないかと錯覚してしまいそうです。
全てが寒気に縮こまり、そそくさと暮れ急ぐ冬の夕方と比べて、同じ昼から夜へ移行する時間帯なのに、夏の夕暮れは何とのびやかなのだろうと思います。

台風がいよいよ近づいてきました。
この台風が通過してしまえば、一気に秋らしくなるかもしれません。

2008年09月18日

●詩「秋の想い」

9月
月明りの枕辺に
ゆうれいが一体
僕の寝顔を見つめて立っている

遠く静かなその面差し
言葉にならない想いが
ゆうれいの体をすり抜けて流れ去る

燐光が淡くまつろい
その青さは
月明りのためばかりではないらしい

夜風がカーテンをほのかに揺らし
細くたおやかな首すじに
虫の声が溶け続け

月は白く
下弦
冴えた秋の印象で

(1985年9月5日作。詩集「僕といるかのいる海辺」より)


*両親によれば、私は「ゆうれい」や「がいこつ」や「ミイラ」といったものが大好きな子どもだったそうです。別に怪奇マニアだったわけではなく、人の形をしていながら人ではない、生命はないのだけれど想いを残している、そんな存在が好きだったような気がします。

三つ子の魂云々という言葉どおり、私の書く詩や小説のなかには、実は今でもそうした「人ではないモノ」、あるいは「かつて人だったモノ」がたくさん出てきます。
私はよく愛想がいいとか営業向きとか言われますが、実のところ生身の人間はちょっと苦手です。愛想がいいのはきっと、誰とも上手につきあっていかなければならない、誰にも厭な思いをさせたくないと、いつも気弱な気持でいるからなのだろうと思います。
おばけめいたモノに親しみを感じるのは、生身の人間が持っている「生きていくためのエネルギー」をそうしたモノが喪失しているからなのでしょう。

この詩に出てくる「ゆうれい」が誰なのか、何のために僕の枕辺に立っているのか、作者である僕自身にもわかりません。
むしろ「出てきたわけ」が明確でないからこそ、月明りに透ける「ゆうれい」の想いは、一層深く、透徹したものに純化されているような気がします。

2008年09月19日

●詩「歳月」

古い木乃伊のある床の間から
うつろい始める
雨音
寂静。

崩れかけた肩のあたり
歳月がほのかにまつろい
黒褐色に寂びた眼差し
深化してゆく時の添景

沈んだ会話が傍らを流れ
こぬか雨
畳表のかすかな香り

閉じた障子戸の内層で
何かが緻密に分解し続け

僕と木乃伊の距離感に滑りこんでくる
秋の印象
傾斜してゆく
冷えた静けさ

(1986年10月11日作)


*昨日に続いて昔の詩です。
昨日が「ゆうれい」だったので今日は「木乃伊(ミイラ)」ということで・・・。

床の間に木乃伊が置いてあるというシチュエーションからしてヘンですよね。
でも、静まり返った床の間に木乃伊が安置してあるのって妙にしっくりくると思いませんか。
ここは「骸骨」ではダメだし「ゆうれい」では軽すぎるし、やっぱり木乃伊かな、という感じです。

そう、世界中の木乃伊の中でも、日本の木乃伊が特に好きです。いわゆる即身仏といわれるものですね。最高の技術で作られたエジプト王家のミイラは素晴らしいですし、インカのそれは素朴な雰囲気がいいのですが、自ら望んで木乃伊となった日本の即身仏は、生と死が一体となっている、あるいは連続しているように思えるのです。

この詩に出てくる木乃伊も、イメージ的には日本の即身仏です。
そうそう、ウチの近くの横蔵寺というお寺には即身仏があって、よくお参りに行きますヨ。

2008年09月21日

●星のテレフォンカード

最近は携帯電話に押されて、テレフォンカードをとんと見なくなりました。
でも10年ほど前までは、さまざまなデザインのカードが売り出され、オリジナルデザインのカードもたくさん作られていたものです。

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今回、ご紹介するのは、西美濃プラネタリウムのある藤橋城とへール・ボップ彗星のカード。撮影者は私です。
まだ彗星が明け方の東天に見えていた頃ですから、3月中旬だったでしょうか。
気温は零下5度、1mほどもある積雪を踏みしめてお城と彗星がちょうど良い構図になる場所にカメラをセット、50mm標準レンズで23秒露出で撮影しました。雪の表面はカチカチに凍っていましたが、体重を支えるほどではなく、雪にずぼずぼと穴を開けながら撮影場所に向かったのを思い出します。

今でも時々、当時のカードを欲しいという問い合わせがありますが、すでに完売しており、残念ながら頒布できるものはなくなってしまいました。
その意味では貴重品かもしれません。

それにしてもあの頃は、百武彗星、ヘール・ボップ彗星と2年続けて大彗星が夜空を彩り、けっこうな天文ブームでしたね。
またあのぐらいのスケールの彗星が来てくれないかなあ。

2008年09月22日

●回顧・・・百武彗星

先日、星のテレフォンカードについて書いたところ、以前によく、ふじはし星の家に来てくださっていた木村さんからコメントを頂戴し、久しぶりに百武彗星当時のことを思い出しました。

この彗星は、百武さんが光度10等ほどで発見された後、太陽と地球に接近し、核の一部が分裂したことをきっかけに最大光度0等、尾の長さ100度という超大彗星となりました。
当時の観測日誌を見ると、1996年3月21日までは、全光度2.8等、尾の長さ1度程度だったものが、23日になると全高度1等、尾の長さ60度に急発達、以後、近日点通過後の4月末まで長い尾を引いた彗星として夜空に君臨したものです。地球に接近したために、コマの視直径も40分に達し、とにかく壮大無比な彗星でした。

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翌年には、やはり光度0等に達したヘール・ボップ彗星が見えましたが、暗い夜空で見る限りでは私が過去に見た彗星の中では百武彗星がダントツでした。最盛期には真夜中の夜空に、関つとむさんの著書ではありませんが「夜空を翔ける虹」さながらに100度に及ばんとする長大な尾を引いて壮観でした。

大彗星が2年続けて現れたこともあって当時は天文熱が盛り上がり、私の勤務していた西美濃天文台は連日、押すな押すなの大盛況。
天文仲間が若かったこともあって、星が見えない晩でも夜遅くまで天文談義に花を咲かせたものでした。
あの頃に比べると今は、私も仲間も年をとり、社会状況も変わってそれぞれ生活に追われるようになり、無心に星を楽しめる晩はめっきり少なくなってしまいました。
仕方のないことですが、当時を振り返ると楽しかったなあと思います。

写真は、近日点通過後の百武彗星を20センチF8屈折望遠鏡の直焦点で撮影したもの。
長い尾を引いた画像がポピュラーなので、ちょっと雰囲気の違うものをと・・・。

2008年09月23日

●詩「Street117」

東を向いた街角で
この通りは
異次元へと続いているらしい

視線と並行に
くっきりと断ち切られた夜空の向こう
沈んだ輝きを投げて見知らぬ星雲が横たわり
いつか
僕の影すら異星の気配に変わっている

ただ一人
通りを横切った老人が
しおり戸をくぐるようにこの街から歩み去った後

Street117
遙か遠く
廃墟となった僕の感覚

月の冴えた街路に
静けさのみたたえて
恨むような白骨が散乱している

(詩集「僕といるかのいる海辺」より)


*Street117って、どこにあるんでしょうか。
どこの街にもあるありふれた通りのようですが、今夜は特別な現象がこの街路をすっぽりと覆っているようです。
「ゆうれい」「ミイラ」に続いて今回は「白骨」の登場。
いかにも有機物、という感じのミイラと違って、白々と月光に照らされた白骨は、星の輝きに似て、無機の存在感をいっそう鮮やかに主張しているような気がします。

2008年09月25日

●回顧・百武彗星2

百武彗星のことを再び・・・。

百武彗星とヘール・ボップ彗星が続けて出現した後で、「どちらの方が大彗星だったか」ということがよく話題になりました。
彗星の形状には好みや主観もありますので、何ともいえないところではありますが、多くの意見を集めてみると面白いことがわかってきました。どちらかといえば空の明るい場所で見ていた人はヘール・ボップ彗星を推し、逆に空の暗い場所で見ていた人ほど百武彗星を推していたのです。
これはうなずける話でした。ヘール・ボップ彗星は、コマも尾も全体に集光度が高く都会でも見やすかったのに対して、百武彗星は全光度こそ明るかったものの、その長大な尾は淡く、十分に空の暗い場所でなければ偉容を堪能できなかったからです。

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私はどちらも空の暗い場所で観測していましたので、双方の特徴も良さも公平に見ることができた気がします。
じゃあどっちなの? と問われれば・・・。
断然、百武彗星を推してしまいます。
夜空の3分の1にわたる尾をもった彗星なんて、一生の間に一度、お目にかかれるかどうかというシロモノです。
月明かりでできる虹は白いと言いますが、多分、百武彗星のようなイメージなのではないかと思うのです。
その姿は、まさに夜空の虹でした。夢のような毎晩でした。
そう、私がこれまでに経験した「夢のような晩」は2回。
百武彗星を追いかけたあの頃と、しし座流星雨を徹夜で見上げた一晩です。
どちらも、これから先、再び見ることは叶わないだろうという現象でした。

写真は、400mmF4レンズで撮影した百武彗星。
まだフィルムカメラが全盛の時代でした。

2008年09月26日

●ヘール・ボップ彗星は優等生

百武彗星のことばかり書いてしまいましたが、きっかけは「ヘール・ボップ彗星と藤橋城」のテレカでした。やはり、ヘール・ボップ彗星についても触れないわけにはいきませんネ。

「彗星のごとく」現れた百武彗星と違って、ヘール・ボップ彗星の方は肉眼光度になる2年も前から見つかっていました。当然、軌道も光度曲線もしっかりと研究されて、かなり確実なシミュレーションができていました。
百武彗星が大化けした原因は、核の一部が太陽熱でポロリと剥がれ落ち、そこから一気に揮発性の物質があふれ出したことによるのですが、ヘール・ボップ彗星の方は太陽からちょっと遠く、そうしたサプライズも起こらないであろうことも予想されていたのです。

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太陽からも地球からもやや遠かったヘール・ボップ彗星でしたが、彗星そのものは百武彗星よりもかなり大きなものでした。そのために、予想通りの立派な姿を私たちの前に現してくれたわけなのです。
百武彗星については、「夢のような」と、かなり持ち上げてしまいましたが、もちろんヘール・ボップ彗星だってしょぼかったわけではありません。見えている間は、連日、興奮の夜を過ごしていました。それどころか、輝度が高かったため、百武彗星よりも観望会などでの一般受けはよほど良かったほどです。
渦を巻いているように複雑な核周辺の構造もすごかったし、黄色っぽいチリの尾と青白いガスの尾があれほどくっきりと分かれて見えた彗星もなかなかありません。

でも、百武彗星と比べると、どこか教科書的というか、優等生というか、いい子ちゃんすぎるんですよね。
育ちの良い子が立派な大人に成長しました、という感じで、彗星という天体が想起させる意外性や不確実性がなかったのが、個人的に評価を下げてしまう要素になってしまっています。
彗星って、もっとワイルドで予測がつかない天体って印象があるじゃないですか。
そう思ってしまうのは、私がひねくれているのでしょうか。

とはいえ、ヘール・ボップ彗星も歴史に残る大彗星だったことは間違いありません。
シューメーカー・レビー彗星の木星衝突から始まって、百武彗星、ヘール・ボップ彗星、しし座流星雨と、私が藤橋へ移住してから歴史的な天文現象が連続して起こったのは、本当に神様の巡り会わせだったような気がします。

写真:400mmレンズによる最盛期のヘール・ボップ彗星

2008年09月27日

●詩「みずいろ」

お星さまを
集めている人を知っています
透明なガラス瓶の中に
青いのや
赤いのや
うずまきのや
いろいろな星が入っているのです

その人のおうちで
地球を見ました
ちっちゃなガラス瓶の中で
それは小さな水玉のようでした

いっしょに地球を見ていたその人の目が
とても優しかったのを覚えています
そして
とても哀しげだったことも覚えています


*「星を集めて展示できたらいいな」と子どもの頃から思っていました。
その天体周辺の空間ごと切り取って、ガラス瓶の中に保存しておくのです。
さまざまな天体を集めたガラス瓶が棚にずらりと並んでいる・・・不思議で荘厳な光景だと思いませんか。
そんな収集品の中には、もちろん地球も含まれています。
星を集めている「その人」は、水色に輝く地球をどのような想いで見つめているのでしょう。

2008年09月29日

●ちょっとまずい状況かな・・・

このところ体調不良で、ちょっとまずい状況です。
夜は眠れず、肩と腰の痛み、腹痛、吐き気がし、気力がない。

実は、これと同じような状況を10年ほど前にも経験しました。
百武彗星とヘール・ボップ彗星が2年連続して出現した頃のことです。
夜は遅くまで、あるいは明け方に彗星の観測を行い、ちょうど同じ頃、環境庁(当時)が主宰した「ヘール・ボップ彗星ライトダウンコンテスト」に奔走し、藤橋村でもさまざまな問題が発生するなど、心身共に酷使した時期でした。
彗星も去り、諸般の問題もとりあえず片づいた頃から、先述したような症状が出はじめて、その後、半年ほども苦しみました。体重も7キロ減少して、当時は過労なのだろうと思っていましたが、今から思えばいわゆる鬱病だったのだろうと思います。
当時、いちばん困ったのがプラネタリウムの投影でした。とにかく吐き気がしてたまらず、30分間の投影は非常に辛いものでした。(もちろんプロですから、お客さんに迷惑をかけることはなく表面上はあくまで流暢に行いましたが)

で、今のところは当時ほどひどくはありませんが、かなり似た状況になってきました。
早めに病院へ行って何とかしなければと思っています。