2008年11月01日

●田舎移住は甘くない

 退職後に地方への移住を考えている団塊世代の方がたくさんいるそうです。
 私は十四年前に東京から岐阜県の山村へ移住しました。地域の方々に助けられて今日まで過ごすことができましたが、何もかも順調だったかといえばそんなことはありません。   
 まず、生活習慣やお付き合いの違いに驚かされました。地方では、地域の役員、消防団、婦人会など、あらゆる役割が回ってきます。「のんびりした田舎暮らし」など夢のまた夢で、休日も地域の用事で動き回る日々です。
 特に最近は、若年層の減少で、地域の役割を担わなければならない中高年層の負担は増加する一方です。
 また、公共交通の撤退のため、クルマなしでは生活が成り立たないことも知っておいた方が良いでしょう。高齢になって運転ができなくなったときのことを考えておかなくてはなりません。
 地方の実態は「自然に囲まれてのんびり暮らせる」などといった甘いものではありません。現地の実情を冷静に、そして徹底的に分析してから移住しなければ、移住者側も受け入れ側も不満を募らせるだけの結果になるのではと思います。

初出:2007年 朝日新聞

2008年11月02日

●紅葉と観測地探し

紅葉見物と観測地探しを兼ねて、岐阜県と滋賀県境の鳥越峠へ行ってきました。
揖斐川町坂内から林道を上っていくにつれ、紅葉が見事になりました。鳥越峠付近は揖斐郡内でもとりわけ紅葉が見事な場所です。
とはいえ、今年は暖かいせいかまだ盛りというわけではなく、半分程度というところでした。

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切り通しになっている峠はさすがに肌寒く、それでも標高が高いために空の青さが綺麗でした。
峠からは東に岐阜県側、西に滋賀県側が望めます。岐阜県側は山並みが連なり、滋賀県側には琵琶湖がきらきら輝いて見えていました。

ただ視界の良い場所はあまりなく、観測に使えるのは、滋賀県側に少し下った左手の平地ぐらいでしょうか。
夜間に訪れたことはありませんが、浅井町が近いために南西は夜でも意外と明るいかもしれません。逆に岐阜県側はかなり暗い夜空が期待できそうです。

星仲間の間では、この鳥越峠をはじめ、福井県境の冠峠、やはり滋賀県境の八草峠といつも「一度は訪れてみたい観測地」として語られるのですが、山奥のために天候が悪かったりして、「すばらしい星空が見えた」という報告はあまり聞きません。
今年中にぜひ一度、こうした県境の峠で星を見てみたいと思います。

写真:峠から岐阜県側を望む

2008年11月04日

●詩「星の見える記念碑」

希薄な皮膚から
冷えた内層が徐々に染み出し
横顔はいつかイオンの香り
拡散する周縁は長く背後に流れ
いぶかしむ間もなく
彼は静かに目を閉じる

その過程
遥か
悔恨に似た印象で受け止める
僕の痛覚
彼は崩壊し
恐らく数億年の後
砂浜で貝を探すように
僕は数個の粒子を拾い上げていることだろう

光射す淡い歩廊を辿り
僕はやがて
海に突き出た古い岬を歩いている

岬の突端
青空に向けて傾いた石碑が立つことを
記憶する人は誰もいない

彼の墓碑にたたずみ
その空間を切り取ると
足元に地球が見える


*1985年に作ったものですからずいぶんと古い詩です。
表現も甘いのですが、この頃の詩は自分では割と気に入っているものがたくさんあります。
時間と空間、永遠と刹那、無機と有機、そうしたものを重層的・複合的に描いてみたいと、この頃、いつも思っていました。
もちろんこうした訳のわからない(?)詩の根底にあるモチーフは宇宙です。

2008年11月05日

●童話「流れ星のおつかい」1

久しぶりに童話を。
もともとは読み聞かせ用の絵本として作ったお話です。
けっこういろんな会場で、大勢の人の前で読み聞かせを行いましたヨ。
私たちの読み聞かせというのはちょっと変わっています。
お話を私が書き、絵をカミさんが描き、ナレーションと登場人物ごとに数名で声を分担してお話しします。
お話の間には生ピアノの音楽をはさみ、読み聞かせというよりは俳優さんのいない劇のように進めていきます。
このところ、メンバーが忙しくなって公演?を休んでいますが、子どもたちには大好評です。
また機会があればやりたいなあ。
では、これからお話の始まりです。

   ☆ ☆ ☆

 子どもの流れ星が、お母さんからおつかいを頼まれました。
「このお手紙を、すばる星に届けてほしいの」
 子どもの流れ星は、一人きりのおつかいがうれしくてたまりません。道順を教えてもらうのもそこそこに家を飛び出しました。

 びゅーん。星の間を、力いっぱい飛んでいきます。子どもの流れ星は大得意でした、
「僕、もう小さくなんかないんだぞ。こんなに速く宇宙を飛べるし、おつかいだって一人きりで行けるんだ」

 ところが、いくら飛んでも、すばる星の家が見つかりません。やっぱり道をまちがえたようです。道しるべになるはずのオリオン座がどこにも見えません。

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 困ってしまった子どもの流れ星は、通りかかったお月さまに聞いてみました。
「すばる星の家に行きたいんだけど、道がわからないんです。知っていたら教えてください」
 お月さまは、子どもの流れ星をちらっと見ると、かん高い声で答えました。
「すばる星なんて人、知らないわ。今、美容体操に忙しいの。このごろすっかり太っちゃって」
(続く)

絵:ひめねずみ

2008年11月06日

●童話「流れ星のおつかい」2

しばらく当てずっぽうにさまよっていた子どもの流れ星は、向こうから、きらきら白く輝く金星がやってくるのを見つけました。

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「金星さん。すばる星の家へはどう行ったらいいのですか」
 できるだけていねいに聞いたつもりでしたが、金星は、ツン、とすました顔で、
「すばる星? 知らないわ。それより私、お化粧中なの。きれいなお肌を守らなくちゃ」
 子どもの流れ星の顔など見もしないで、コンパクトをのぞきこんでいます。

(ああ、困ったなあ。どっちに行ったらいいんだろう)

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 だいぶ不安になってきたとき、大きな輪っかのついた帽子をかぶった土星が寝そべっているのに出会いました。
「土星さん、すばる星のところへはどう行ったらいいの」
 細い目で子どもの流れ星を見ながら、土星は大きなあくびをしました。
「そんなのボク、知らないもんね。それより眠くてたまらない」
 ほんとうに眠かったらしく、土星はその場でぐーぐー眠りこんでしまいました。
 さあ、困りました。誰もすばる星の家を知りません。

 そんなとき、宇宙のかなたから、すばらしいスピードでぐんぐん近づいてくるものを見つけました。
「どいたどいた。おいらは忙しいんでえ。邪魔するんじゃねえよ」

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 わめきながら近づいてきたのは、ほうき星でした。長いしっぽをひきずって、宇宙のあちこちを走り回っている変わった星です。
(ほうき星なら知っているかもしれない)
 子どもの流れ星は、急いでほうき星の前に両手を広げて飛び出しました。
「忙しいところすみません。ちょっと教えてほしいんですが」
 あやうくぶつかりそうになって、やっと止まったほうき星は、
「あぶねえじゃねえか」
 大声でどなりました。
「ほうき星さん。宇宙を走り回っているあなたなら知っていると思うんですが、すばる星の家へはどう行ったらいいのですか」
 子どもの流れ星が聞きますと、
「なにい? すばる星だ? どっかで会った気もするが・・・。いや、おいらも忙しいんでえ。他人にかまってるひまはねえ。どいたどいた。どかねえとけたおすぞ」
 早口でそう言うやいなや、長いしっぽをひいたほうき星は、宇宙のかなたへ、たちまち走りさってしまいました。 (続く)

絵:ひめねずみ

2008年11月10日

●いびがわマラソン

昨日は、勤務先である揖斐川町主催の「いびがわマラソン」でした。
21回目を迎えるこのマラソン、今年は8,000人以上がエントリーする盛況となりました。旧揖斐川町から旧藤橋村まで、揖斐川の清流と紅葉を愛でながら走ることができるのがランナーにとっては魅力となっています。
今年は、高橋尚子さんも出場することになり、一層の盛り上がりを見せました。

とはいえ、準備、当日の運営、片づけをする町職員とボランティアは大変の一言です。会場準備や参加賞の用意など、肉体労働の連続で、全職員、ほとんど半死半生の状態で大会当日を迎えます。

昨日の天候は曇りでした。ランナーにとっては暑くなく寒くなく、ちょうど良い気温だったのではないかと思います。
私は、朝7時に養老鉄道揖斐駅までランナーの出迎えに行った後、ゴールしてくるランナーへの給水のため、11時にゴール地点に向かいました。
揖斐駅では、いつもは閑散としている日曜日下り電車満員のランナー・応援の方に驚かされました。もともと出場者が多かったことに加えて、高橋尚子さん効果で応援・見物の方が倍増したようです。
ゴール地点では、用意したスポーツドリンクとタオルをランナーに渡す係でしたが、こちらも大忙しで大変でした。忙しさに紛れて、高橋尚子さんの姿を見ることができなかったのはちょっと残念でした。

ともあれ、町職員にとって年間で最も厳しい行事と言われるマラソンも終わり、何とか一息をつけた感じです。
でも、来週末も宿直と日直、休日出勤で休みなし。
公務員といえば暇だと思っている方もいますが、田舎の公務員の実態はかように悲惨なものなのです。

2008年11月11日

●童話「流れ星のおつかい」3

「流れ星のおつかい」の3回目です。
このところ、いびがわマラソンで忙しく、ブログを更新する時間がありませんでした。
子どもの流れ星は、無事にすばる星のもとへたどりつけるのでしょうか・・・。

 ☆  ☆

「ああ、誰もすばる星を知らない。困ったなあ。おなかもすいたし、帰り道もわからない」

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 すっかり疲れてしまった子どもの流れ星は、宇宙のかたすみにすわりこんでしまいました。
ひどく冷たい風が吹いています。宇宙はとても寒いのです。
 え? どのくらい寒いのかって?
 そうですね、氷がもう一度凍るぐらいの寒さといったらいいでしょうか。
 寒さがずんずん体にしみてきます。子どもの流れ星は目を閉じました。眠くて何も考えられません。頭の中がしびれてきます。

 そのときでした。子どもの流れ星のほっぺたを、さっと暖かい光が照らしました。はっと目がさめた子どもの流れ星は、大きくて明るくて、とても暖かい星が、すぐとなりにいるのを見つけました。

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「どうしたの。こんなところで」
 お母さんによく似た、優しい声がたずねました。
 お日さまでした。
 子どもの流れ星は、お日さまの暖かい光を受けて、体に力がわいてくるのを感じました。
「お日さま、僕、とても困ってるんです。すばる星の家までおつかいを頼まれたんだけど、道に迷っちゃって・・・」
「誰に聞いてもわからない、ってわけね?」
 にっこり笑いながら、お日さまはそう言いました。
「いいわ。すばる星は私の友だちだからよく知っています。地図を書いてあげましょう。それから、こんな小さな子が一人でおつかいに行ったのだから、お夕飯を食べさせてくれるようにお手紙を書いてあげましょう」

絵:ひめねずみ

2008年11月13日

●童話「流れ星のおつかい」4

 その晩のことです。こがらしの吹く道を、お家へ向って歩いている人間の男の子がいました。おばさんの家へ、焼きたてのケーキを届けにいった帰りでした。

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 空には、冬の星がいっぱいです。あまりきれいで、それに少しだけこわくて、何度も夜空を見上げながら歩いていた男の子は、
「あっ、流れ星!」
 思わず声をあげてしまいました。澄んだ冬の夜空を、すばる星に向って、小さな流れ星が飛んでいったのです。

 しばらく流れ星の消えた夜空を見上げていた男の子は、ケーキのお返しにおばさんからもらった焼きたてのパンを抱きしめると、お家へ向って小走りに走りはじめました。
 なんだかとても、お母さんと会いたくなったのです。
 おかしいですね。いつもいっしょにいるお母さんなのに。いっしょにいるのが当たり前のお母さんなのに。

 空では、冬の星がひときわキラキラとまたたきました。星たちの声が聞こえるような、深く澄んだ夜空でした。 (おわり)

絵:ひめねずみ

*絵本の絵をデジカメで複写したのですが、絵本の台紙に絵を貼った際にゴワゴワになってしまっていたため、絵に微妙な横線が何本も入ってしまいました。まあ、あまり気にしないで見て下さい。
またこういった絵本を作ろうと、時々カミさんと話していますが、なんとも忙しくてしばらくは時間が取れそうにありません。
星もぜんぜん見てないしなあ・・・。

2008年11月14日

●ピカピカの夜

昨日、一昨日は良く晴れて、仕事からの帰路、東に満月、南西に木星と金星が、それぞれピカピカに光っていました。
透明度が良かったこともあって月も木星も金星も非常に明るく、ともすれば夜空にはこの三つの天体しか存在しないのではないかと思うほどでした。
これだけ明るいと、一般の方の目にもとまるようで、職場でも「昨日はすごく月がきれいだったね」とか「西の方に見える明るい星はなに?」などと何人かから訊ねられました。

考えてみれば、今のように街明かりが溢れていない数十年前までは、夜を彩る光といえば月と星しかなかったのですね。だからこそ日本でも外国でも、天体にまつわるさまざまな言い伝えや神話が語り伝えられてきたわけです。
その頃の人たちにとって、正体不明でありながら美しく輝く月や星は、畏怖と憧れの入り混じった対象だったのでしょう。

科学が進み、月や星がどのような天体なのか、今ではたいていの人が知っています。
夜の街は明るく便利になり、闇を恐れる人など先進国では誰もいなくなりました。
でも、星空を見上げなくなった人々の心は満たされているでしょうか。
科学が進み生活が便利になった分、人々は大切なものを失ってしまったような気がします。

年に一回ぐらいは、日本中で街明かりを消して、星空を見上げる日を作ってみてはどうかなどと思います。

2008年11月16日

●随筆「この秋に」

秋である。いや、もう晩秋といっても良いだろう。
 忙しさにかまけて、このところ星を見る機会も減ってはいるが、それでも会社の帰路など、枯れた梢ごしに、オリオン座やプレアデス星団がすっかり高くなっているのを見ると、知らぬ間に身辺から遠のいていた季節感が、ひととき、鮮やかに甦るのを感じる。

 自宅の庭先で、かさこそと枯れ葉の落ちる音を聴きながら、東天高く昇ったプレアデス星団に望遠鏡を向け、季節の移ろいを全身で感じ取っていた幼い頃。星空も自然も、今よりはるかに身近な存在だった。
 あの頃、いつも感じていたある種の透明な感覚は、今も決して鈍磨しているわけではない。にもかかわらず、そうした感覚からすっかり遠のいてしまったような気がしてならないのは、私の内面にいつのまにか降り積もった微細な粒子に似た何かが、感性の窓を知らず知らずのうちに覆い隠してしまっているからだろう。
 
 人間は環境に適応しやすい動物である。置かれた環境が自らの価値観にそぐわないものであるとしても、いつのまにかその環境に慣れ、順応してゆく。
 心ある人は、与えられた環境と自己の価値観のわずかなギャップに気づき、抵抗を試みる。だがそうした抵抗が成功することは少ない。多くの人は、自らの内面に日常という粒子を分厚く積もらせて、いつしかその中に埋もれてゆく。

 そうなってはならないと思う。
 年齢を重ねるにつれ、分厚く降り積もった粒子に内面の輝きが埋もれてしまうことは避けえないとしても、少しでも抵抗を試み、感性を磨いてゆかねばと思う。

 11月、星空は一足早く冬の装いである。凍てついた夜空に瞬く星ぼしは凛烈とした輝きを放ち、心の表面に降り積もった日常を吹き飛ばしてくれるかのようだ。
 少し夜が更ければ、街中でも驚くほど美しい星空を見ることのできるこんな季節、透徹した夜空を見上げ、ひととき、自らの価値観との対話を試みるのも良いのではないか。
 
初出:東大和天文同好会会誌「ほしぞら」NO.93(1986年11月号)


*かなり以前、天文同好会の会誌に寄稿した文章です。
年をとるということは、まさに日常という粒子の中に身も心も埋没してゆくことなのだと、この文章を書いてから20年余を経た今、しみじみと思います。
この年齢まで自分は価値観に従って生きることができただろうか、少しでも何かを成し、生きてきた証を残すことができただろうか、いつもそう考えています。
所詮、人の一生など短く儚いもの、ことさらに何かを成そうなどと考えず、日常を大事にして穏やかに平凡に生きることができればそれで良いのかもしれません。
でも、生まれてきた以上は、たとえ自己満足だとしても少しでも人と違う何かを成し遂げたい、そう思います。

2008年11月18日

●今年も冬型「しし座流星群」

昨夜は、しし座流星群の極大日でした。
全国的に冬型となり、夜中に何度か起きだしてみたものの、曇ったままでした。
海外で突発出現があったというウワサも流れていますが、真相は今のところよくわかりません。

それにしても、しし座流星群の極大日というのは、毎年のことながら天候に恵まれません。というのは、ちょうど11月17日頃から気圧配置が一気に冬型になるからです。毎年、示し合わせたようにこの日を狙って強い冬型が出現するのは本当に不思議です。
思い返してみれば、冬型にならず、しし座流星群がまともに観測できたのは2001年の大流星雨の年だけ。他の年は強い弱いはともかく、毎年、冬型の悪天候に悩まされ続けてきました。私が流星観測を始めてから、かれこれ30年近くずっとです。
11月17日は「悪天の特異日」といえます。

そう考えれば、2001年は信じられないほどラッキーでした。ちょうど日本の夜に、快晴の空の下であの流星雨を見ることができたのですから。

同じように、8月のペルセウス座流星群も天候には恵まれません。というのは、梅雨が明けて10日ほど良い天気が続いた後で一時的に夏型が崩れ、軽く秋雨前線的な気圧配置になるのが、ちょうどペルセウス座流星群の極大日の頃なのです。

とはいえ、しし座流星群ほど毎年、悪天候が際立つ天文現象は珍しいといえます。
天文ファンの方は思い出してみて下さい。冬型に泣かされずにこの流星群を見ることができた記憶は非常に少ないはずですヨ。

2008年11月20日

●紅葉の絨毯

いきなり冬になってしまいました。
今朝、自宅付近はみぞれ。窓から見える山は真っ白でした。
滋賀県との県境の揖斐川町坂内では積雪30センチとのこと。
やっぱり、しし座流星群極大日を境に天気が変わりますね。

とはいえ、雪が降ったのは岐阜県でも山間部。平野部ではまだ紅葉が見ごろです。
写真は、揖斐川町谷汲にある「天皇林公園」の様子。

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谷汲の紅葉といえば華厳寺や横蔵寺が有名ですが、名所なだけに人出も多く、紅葉ではなくて人を見にきたような気分になってしまいます。
そんな時期でも、ここ天皇林公園は人影を見ることも稀で、静かに山里の秋を楽しむことができます。
この写真は何年か前に撮影したものですが、地面に散り敷いた紅葉がとても綺麗でした。

そのうち、紅葉を前景にした星景写真を撮りたいなあと思っていますが、夜はどうしても露出不足になって紅葉の美しさを表現することが難しいんですね。
この秋の紅葉が終わらないうちにトライしてみたいと思っています。

2008年11月22日

●太陽の異常

太陽の黒点って知ってますか。
「学校で習ったよ。太陽の表面にあるホクロみたいな黒い部分のことでしょ」・・・。
そうです。太陽の表面温度はなんと6000度もあるのですが、黒点は4500度程度とちょっとだけ温度が低いために黒く見えるのですね。

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そんな黒点は、11年周期で増減を繰り返しています。今は、極小期を過ぎて少しずつ黒点が増えてくる時期・・・のはずなのですが、なぜか一向に増えてきません。いつ見ても太陽面はのっぺりと白いままです。

実は、1645年から1715年頃にかけても、黒点がほとんど現れない期間が続きました。このことを見出した学者の名前を取って「マウンダー極小期」と呼ばれているこの時期、ヨーロッパではテムズ川が凍りつき、夏でも気温が上がらず、飢饉が毎年のように続きました。
黒点数との関連性ははっきりわかってはいないものの、この時期、地球は明らかに寒冷化していたのです。
1450年~1540年頃と1790年~1820年頃も黒点が少なく、それぞれシュペーラー極小期、ダルトン極小期と呼ばれています。この頃も、小氷期ともいうべき寒冷期でした。

地球温暖化が叫ばれていますが、このまま黒点が少ない期間が続くと、温暖化どころか、地球は寒冷化する可能性もあります。
もちろん、人間活動による温暖化、そして太陽活動による寒冷化双方共に、そのメカニズムは詳しくわかっていませんから、未来を占うことは困難です。仮に寒冷化に向かっているとしても、化石燃料の燃焼による二酸化炭素の増加は好ましい影響は与えませんので、現在の温暖化防止対策は継続・強化する必要があります。

それにしても、太陽活動がほんの少しだけ衰えただけで地球にそんな影響が出るなんて・・・すごいですよね。
人類をはじめ、地球上の生物の生殺与奪権は太陽が一手に握っているといっても過言ではありません。

人類が久々に経験することになるかもしれない太陽活動低下期。
どんな現象が起こるのか、怖いけれど、興味深いところです。

写真:西美濃天文台の太陽望遠鏡がとらえた太陽面

2008年11月24日

●地球と太陽の未来は?

一昨日は、黒点が一向に増えないことによる地球寒冷化の可能性について書きました。
11年周期の黒点数増減による寒冷期の到来、もう少し長期的には氷河期と温暖期が交互に訪れることなど、地球は(恐らく)太陽活動の影響を非常に大きく受けています。
それでは、もっと長期的には、地球の気候はどのように変化していくのでしょうか。

太陽は「主系列星」に属するごく平凡な恒星です。「主系列星」に属する恒星は、基本的には次第に明るく大きくなっていきます。
太陽も、数億年というスパンで考えるならば、活動は次第に活発化していきます。直径は少しずつ大きくなり、明るさも増大し続け、地球が受け取る熱量も確実に増えてゆきます。
地球の気温が上昇すれば、水の蒸発による水蒸気量増加によって雲が増え、わずかに気温を下げる役割を果たしますが、それも焼け石に水です。
人類の活動如何を問わず、いずれ地球の気温は生物が存在できないレベルまで上昇することでしょう。

そして、今から30億年~40億年後、最終的な破局が訪れます。
太陽が急激に膨張し始めるのです。
地球から見る太陽の大きさは現在の倍以上になり、その色は赤く変化していきます。
気温は急激に上昇し、南極と北極の氷の溶解により陸地の多くが水没します。
海水はやがて沸騰を始め、大気も宇宙空間へ蒸発していきます。
巨大化して水星や金星を飲み込んだ太陽は、空の半分以上の大きさとなり、40~50億年後には地球も太陽に飲み込まれてしまうのです。

以上が、現在考えられている太陽と地球の未来です。
その頃まで人類が存続していたとすれば、太陽の進化を制御したり、木星や土星の衛星などに移住することもできるかもしれません。

ただ、世界の現状を見る限り、人類という種がこれからも存続できる可能性は非常に少ないように思えます。もしかすると、私たちの子どもと孫の世代ぐらいまでが「人間らしい」生活ができる最後の人類かもしれません。その後は、資源や食料、水の奪い合いによる戦争、貧困、疫病、温暖化、環境悪化等によって人類の大半が死滅し、残った者も悲惨な暮らしを余儀なくされるのではないでしょうか。
どう考えても明るい未来は描けないのが、地球と人類の現状です。

2008年11月26日

●雪の天狗山

11月も下旬となり、岐阜県山間部ではいよいよ冬の足音が近づいてきました。
写真は、先週末、揖斐川町の藤橋と坂内にまたがる天狗山を横山ダム越しに写したものです。
路面に雪はありませんでしたが、天狗山の山頂付近はもちろん、日陰にもあちこちに雪が残っていました。

yukitengu1.JPG

 
天狗山は標高1100mほど、山頂部はチャートの岩峰になっていて、こうして雪が積もるとなかなか立派な姿となります。
天狗山に限らず、岐阜県と福井県境に聳える山々は、能郷白山や冠山をはじめとして、ほとんどがその山頂付近はチャートの岩峰です。

このあたりは「隆起準平原」と呼ばれる地形が特徴となっています。
大昔、このあたりに聳えていた高い山々が長年の浸蝕で削られて低くなり、準平原と呼ばれる平原状の
地形となっていたのが、その後、ふたたび隆起が始まって現在のような1000mを超える山々になりました。
それぞれの山の山頂付近にあるチャートの岩峰は、かつて平原状に低くなっていた頃、岩体が硬いために浸蝕から逃れて残っていたそれ以前の高峰の山頂です。
そうしたチャートの岩峰が、その後の隆起によってふたたび押し上げられ、現在の山頂付近の地形を形成しているのです。チャートの岩峰は、準平原となる以前の山々の山頂だったわけなのですね。
その証拠に、チャートの山頂を持つ山にはどれも、山頂から少し下ったあたりに「平(だいら)」と呼ばれる平坦な地形があります。大昔には、この平坦な地形が地表面だったのです。
この平坦地形のことを「隆起準平原」と呼んでいます。

現在の揖斐山地は、日本でもっとも隆起が盛んな地域であると同時に浸蝕が盛んなエリアでもあります。
今から数千年後、岐阜・福井県境の山々がどのような姿になってゆくのか、想像してみると楽しいものです。

2008年11月28日

●永遠の彗星捜索

先日、愛知県の天文台に勤める小学生時代からの旧い友人から久々に電話がありました。
いつものようにあれこれとりとめのないことを話すうち「最近、捜索、やってる?」という話題になりました。
これはいつものことで、彼も私も、いわゆる「コメット・ハンター」なのです。お互いに中学生の頃から続けていますから、もうウン十年になるでしょうか。

新天体の発見は、アマチュア天文家にとって非常に魅力ある観測分野です。
特に日本ではアマチュアによる新天体捜索が盛んで、彗星、小惑星、超新星、新星など多くの分野でたくさんの発見がなされてきました。
1980年代頃までは彗星の捜索が非常に盛んだったのですが、最近は傾向が変わり、新星を探す人が多くなっています。
というのは、かつて小望遠鏡でも努力を傾ければ発見が可能だった彗星が、天文台の大望遠鏡によってまだ地球から遠く暗いうちから発見されてしまうようになり、アマチュアによる発見の機会が皆無と言って良いほど激減してしまったからなのです。

「でもさ、俺たちはやっぱり彗星だよな」
私たちはそんな話をしました。
「新星の方が見つけやすいことはわかってるんだけどさ、ほら、新星って、結局ただの星でしょ。明るくなっても肉眼で見えるか見えないか程度だしさ、しっぽもないし」
「そうそう、いくら明るくなっても点像の星だもんね」
「それに比べると彗星は」
「尾がある。自分の名前がつく。大彗星になればそれこそ自分の業績が歴史に残る」
「やっぱさ、理想のパターンってこういうのじゃない? 晩秋の明け方に発見した10等の新彗星。軌道が計算されると地球と太陽に猛烈に接近してマイナス等級になることがわかった。地球に近づくのは3月の夕空。で、その彗星は確実に明るくなり、天文界のみならず一般peopleも巻き込んで世間は彗星一色」
「そうこうするうちにいよいよ地球に再接近、長い曇り空がようやく晴れた弥生の夕空に長さ60度に及ぶ長大な尾をひいた自分の彗星が・・・」
「光度は予想を上回るマイナス4等」
「うおーっ!」

夢ですねー。いわゆる男のロマンってやつですねー。
「見つかる確率はゼロに近いかもしれないけどさ、やっぱり男は彗星だよ」
「んだんだ」
てなわけで、いつもの馬鹿話は延々と続くのでした。

でも、ここ1年ほど、彗星捜索、してないんですよね。身辺にいろいろとあって、肉体的にも精神的にも余裕がない。15cm双眼鏡がかわいそう。

ようやく身辺も少し落ち着いてきたので、捜索を再開するつもりです。
がんばろう!

2008年11月29日

●金星と木星が接近

夕方の西空で、金星と木星が接近しつつあります。
最接近は12月1日ですが、その頃は天気が悪そうなので、とりあえず今日の夕方、撮ってみました。

venusjupiter1.jpg

とはいえ、今日も午前中は快晴だったのですが、午後からは一転して変わりやすい天候となり、撮影の10分前までは雨が降っていました。
そのために、絶えず雲が流れ、地面からは水蒸気が立ち昇る悪条件でしたが、一応、撮影することができました。
金星の像が歪んでるって? 雲のせい、もありますが、ズームレンズで撮影したために収差が出てしまったようです。雨が上がってすぐに飛び出したために、単焦点レンズを家に忘れてしまったのです。

ともあれ、明るい惑星がこれだけ接近するとなかなかの見ものです。
12月1日にはもっと近づきますから「UFOだ」という通報があちこちの関係機関になされるかもしれません。
本当なんですよ。惑星同士の接近の際には、必ずこうした通報が天文台や警察に届きます。
通報者に「あれは惑星ですよ」と返答しても、「揺れ動いていた」とか「色が変わっていた」などと言い張って、どうしても譲らない人もいます。
低空の金星や木星は、大気の影響でちらちら揺れたり色が変化するように見えることがありますから、まんざらでもない観察力ともいえますが、それをすぐに「UFO=宇宙人の乗り物」」と結びつけるのは、いささか非科学的と言わざるを得ません。

12月1日、晴れるといいですね。
都会でも良く見えますから、南西の空が見渡せる場所で、ぜひ御覧になって下さい。