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2009年01月17日

●渓流沿いの道で

山の中や海辺を歩くのが好きです。
それも、できるだけ人のいないひっそりとした所を。

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先日は、関ヶ原の山中を一人、歩きました。
観光地でも景勝地でもありません。ふと見つけた渓流沿いの名もない山道です。
前日に降った雪がそこここに残る道は、杉の林を抜け、葉を落とした広葉樹の間を通り、どこまでも山奥へと続いてゆきます。
かたわらには、次第に細くなりながらも雪どけ水を集めた渓流がどこまでも従いてきて、木漏れ日の下で清冽な水音を響かせています。
そんな光と影が織りなす山道を、時折、凛と冷たい真冬の風が吹き抜け、そのたびに頭上の梢に降り積もった粉雪が微細な光の粒子となって視界いっぱいに降り注ぎます。
苔むした岩には、冬にもかかわらず鮮やかな緑のシダが葉を広げ、みずみずしい生命の息吹を伝えてくれます。
水音と風の音の他、何の音もしない静寂の中、心の奥底まで澄み渡っていく覚醒感を楽しみながら、ただ黙々と歩いたのです。

そうして自然の中を歩いていると、感覚が次第に研ぎ澄まされていくのを感じます。
いや、研ぎ澄まされていく、というより、心が無防備になっていくという表現の方が正しいかもしれません。
世の中のあらゆる事物、出来事、そして自らの心の内側を、客観的に平明に見ることができるようになっていく気がします。あらゆる迷いや欲を、少なくともそのひとときだけは忘れることができるような気がします。

もちろんそれは、崇高な錯覚であるのかもしれません。
それでも、そうした錯覚を繰り返していくことこそが、あるいは煩瑣な日常の中で次々に生まれていくさまざまな迷妄を昇華していくために必要なプロセスなのではないかとも思います。
さまざまな宗教が求める完全な客観や統一した真理といったものは存在しないと私は思っていますが、自然の中を歩き、心を浄化することで、少なくとも主観や迷妄をできるだけ排した事物の見方、考え方に近づくことができるのではないかとは思います。

写真:光の中、雨のように注いでいるのは粉雪です。

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