2009年03月02日

●天気が悪い!

昼間は天気が良くても、夜になるとクモクモという日が続いています。

昨夜もそうでした。
夕方はけっこう晴れてきて「今夜はルーリン彗星が見えるかな」と思っていたのですが、夜になると北から次々に雲が湧いてきて・・・。

でも、22時過ぎ、けっこう大きな雲の切れ間が来たので、とりあえず、と思い、ルーリン彗星を撮影しました。

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でも、困ったことに、雲で北極星が見えない!
加えて、流れてくる雲で彗星付近は2分と晴れ間が続かない・・・。

勘で極軸を合わせて撮影したところ、2分露出でも僅かに星が流れるので、また勘で微修正。
で、雲の切れ間から撮影したのですが、1分露出するともう全天クモクモ。
というわけで、結局、1分露出を1枚しか撮れませんでした。
機材は、あのファミスコ60です。
焦点距離は400mm。ペンタックスSDUFのようなキレはありませんが、けっこういい像だと思います。
でも、鏡筒全体を回してピントを合わせるので、微妙なピント合わせが難しいんですよね。

今日も夕方までは快晴でしたが、夜になるとベタ曇り。
月も大きくなるし、ルーリン彗星もそろそろ終わりのようです。

2009年03月04日

●春ですね

先日、家族で近くの梅園に行ってきました。
晴天で暖かく、梅園はたくさんの人で賑わっていました。

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桜のお花見は、飲めや歌えという雰囲気の人も多いですが、梅の場合は、春を求めて善男善女がそぞろ歩くという感じで、私はこちらの方が好きです。
匂いがない桜の花に対して、上品で雅な匂いを漂わすことも梅の花の魅力です。
豪華絢爛に咲き誇る桜もいいですが、梅は、日本人の繊細な感性に合っている気がします。

もう3月。
これからは日一日、春の気配が濃くなってきますね。

2009年03月07日

●太陽がふたつ?

今日の夕方、車を運転しながら撮影した画像です。
よく新聞やテレビ等で「太陽がふたつ?」と紹介される気象現象で「幻日」といいます。
左側が太陽で、右側にある光の塊が「幻日」です。

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「幻日」は、太陽の光が主に氷の粒で出来た雲に散乱されておこる現象で、広い意味では虹と同じようなメカニズムで起こります。
たいていの場合、「幻日」は、天気が崩れ始めて薄雲が空を広く覆い始めた頃に起こります。
「幻日」が見えるときは、よく見ると太陽を取り囲む「日傘」もいっしょに見えていることが多く、そんな日傘の一部が特に明るく光って見えるのが「幻日」と呼ばれるものなのです。

以前に紹介した「彩雲」も似た現象です。
今回の「幻日」も、良く見ると彩雲や虹と同じく、太陽光が七色に分散されているのが見て取れます。

非常に珍しい現象、というわけでもなく、気をつけていればけっこう頻繁に見えますから、曇り始めの頃、「彩雲」ともども探してみてくださいね。
こうした現象は昔から瑞兆と考えられてきましたから、見えた方は、もしかしたら良いことが起こるかもしれませんヨ。

2009年03月09日

●岐阜県文芸祭大賞を受賞

先週の土曜日、岐阜県民ふれあい会館で行われた「岐阜県文芸祭」の表彰式に出席してきました。
というのは、児童文学部門で文芸大賞を、今年から新設された「飛騨・美濃じまん」部門で奨励賞をいただくことになったからです。

岐阜県文芸祭は今年で17回目を迎えます。
今年は児童文学作品での受賞でしたが、数年前には純文学作品で大賞を受賞しましたので、二度目の大賞受賞ということになります。

表彰式では岐阜県の副知事さんから表彰状をいただきました。
表彰式後の作品講評会でも高い評価をいただき、ずいぶんと面はゆい思いでした。

今回、受賞したのは「星色の風に吹かれて」という30枚の作品で、題名の通り星をモチーフにしています。
作品集に納められていますので、手に取る機会がある方はご一読いただけると嬉しいです。
近日中に県内の図書館等に配布されると思います。

もうひとつ受賞した「飛騨・美濃じまん」部門の作品は、やはり星をテーマにした随筆です。
東京から移住後、長らく住んだ旧藤橋村の星空を「自慢」するという形で書いています。
こちらは4枚と短いですから、近いうちにこのブログにも掲載しますね。

若い頃から星をテーマにした文学作品を書いてきましたので、今回の受賞は嬉しいものでした。
このところ忙しくてなかなか執筆をする時間が取れずにいますが、今回の受賞を機会にまたがんばろうと思っています。

2009年03月11日

●随筆「星のふる里に生かされて」

先日、岐阜県文芸祭で、ふたつの賞を受賞したことを書きました。
今回ご紹介するのは、そのうち「飛騨・美濃じまん部門」で奨励賞をいただいた随筆です。
東京から岐阜県に移住後、十数年住んだ旧藤橋村の星空を自慢する内容です。

 ☆ ☆ ☆

『藤橋村、全国3位の美しい星空』
 手元にある新聞記事の見出しだ。平成5年の記事だから、もう15年も前のことになる。
 新聞記事は、環境庁(当時)が、星がどの程度見えるかによって大気の透明度を計測する「全国星空継続観察」という調査を行なった結果を伝えたものだ。村職員としてこの調査に取り組んだ私としては嬉しくないはずがなかった。私の観測結果によって、旧藤橋村が全国で三番目に星の美しい所として認められたわけなのだから。

 調査の前年、家族とともに東京から旧藤橋村へ移住してきた。村営の天文台で仕事をするため、東京で勤めていた会社を辞め、清水の舞台から飛び降りる気持で移り住んだのである。調査に参加したのは移住して半年後、まだ期待と不安が交錯している時期だったから、なおのことその結果が嬉しかった。

 それ以来、私は精力的に天文台の仕事に取り組んだ。旧藤橋村は、星空の美しい場所として全国的に知られるようになった。星空を求めて天文台を訪れる人に星空を案内し、そうしたお客さんがいない晩には、自分の観測テーマに没頭した。
 調査が示したとおり、旧藤橋村の星空は掛け値なしに美しかった。彗星の木星衝突、2年続けての大彗星出現、雨のように降った「しし座流星群」と、大きな天文現象が連続したのも、ますます私が村の星空に惹きつけられる結果となった。一世紀に一度起こるか起こらないかの現象が、いずれも私の移住を待っていたかのように立て続けに起こったのである。

 いつか私は、会う人誰もに、村の夜空の美しさを語るようになっていた。
「ぜひ村へ来て下さい。都会では絶対に見ることのできない星空が出迎えてくれるはずですから」
 村の職員という仕事上からではない。自分が住み、勤めている村の星空が本当に誇らしかったからこそ、ごく自然に『自慢』が口をついて出てしまうのである。

 旧藤橋村は、揖斐川最上流部に位置している。山に遮られて星を見る支障となる街あかりは一切見えない。
 春、雪解けを待ちわびるように、しし座が東の稜線に顔を覗かせる。水蒸気が多く幾分潤んだ大気の下で仰ぐ春の星座は、しっとりとした情感を漂わす。
 夏、天頂から南の山稜にかけて流れる天の川の豪快さはすばらしい。南天低くには、さそり座のアンタレスが夏らしい真っ赤な輝きを放っている。
 あれほど溢れていたキャンプや行楽の人が嘘のようにいなくなる秋、星空も静けさを取り戻す。ペガスス、アンドロメダといったギリシャ神話を彩る星座たちが穏やかな輝きで夜空を彩る。
 冬は雪の季節だ。ときに2メートルを越える積雪を見ることもある。が、雪の止み間、たまさかに晴れた晩に見上げる星空は豪華という表現を通り越して戦慄を覚えるほどである。オリオン座をはじめ明るい星が多い冬の星座たちがぎっしりと凍てついた夜空を埋めている。

 そんな四季の星空を見上げていつのまにか15年が過ぎた。星空は変わらないが、藤橋村は町村合併で揖斐川町となり、私も家庭の事情から藤橋の地を離れることになった。
 それでも、星を見るときには藤橋まで車を走らせる。会う人みんなに藤橋の夜空の美しさを語ることも続けている。
 東京で生まれ育った私だが、揖斐川上流の「星のふる里」は、いつしか第二の故郷となってしまったようだ。
 今は異動で天文台を離れているが、機会があればまた星空の下で仕事ができればと思っている。そして、揖斐川上流に広がる満天の星空を、もっともっと自慢したいと思うのだ。

2009年03月14日

●谷汲山華厳寺ご開帳

揖斐川町谷汲(旧谷汲村)にある谷汲山華厳寺は、西国33箇所巡礼の結願の寺として有名です。
この華厳寺で、3月1日から今日まで御本尊のご開帳が行われていました。
昭和30年以来54年ぶりのご開帳ということで、先週、カミさんと二人で行ってみたところ、天気が良かったこともあり、聞きしに勝る大混雑。

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駐車場には車が列を作り、参道は人また人。
参道沿いのお店も大賑わいで、初詣よりも人出が多いということでした。
信仰心はまことに薄い私とカミさんではありますが、生きている間は見られないかもしれないので、一目でもご本尊様を拝もうと参道を進みましたが、本堂のずっと手前から長蛇のお参りの列。
信仰心の薄い私たちはその列を見ただけで参拝を諦め、境内を探索したり満開の梅を眺めたりして帰ってきました。
参道の知人の店にも立ち寄りましたが、ひっきりなしに訪れるお客さんの対応に忙しそうで二言三言しか話せませんでした。
写真は、本堂への参道を埋める参拝の列。
いつもこれほど賑わっていればありがたいのですが・・・。

2009年03月16日

●思い出の夜行列車あれこれ

九州行きブルートレインが全廃となりました。
テレビや新聞でも大きく取り上げられていましたが、どの報道も「なくなって寂しい」といった単なる感傷に終わってしまっており、なぜ廃止に至ったのか、存続させる術はなかったのかといった報道が皆無だったことが残念でした。
これまで私は、何度となく寝台・座席を問わず夜行列車を利用してきました。
眠っている間に移動でき、翌日をフルに使える夜行列車は、私にとって非常に有益な交通手段だったのです。

長崎への旅では、往路に「あかつき」、復路に「さくら」と、往復ともに寝台特急を利用しました。
四国への旅でも、往復とも「瀬戸」を利用。
山陰からの帰路、米子から乗車した「出雲」では、おばさん3人組と乗り合わせてしまい、朝まで際限なく続くお喋りに辟易した記憶があります。
山陰への旅では、寝台急行「だいせん」にも乗りました。保線が悪かったのか、走行音がうるさくて眠れなかったものでした。
東京~大垣間の「ムーンライトながら」も「大垣夜行」と呼ばれていた当時からかなり乗りました。

何度も行った北海道旅行では、往路はいつも急行「八甲田」の自由席でした。上野駅のホームで何時間も前から並んで席を取るのです。
東北方面では、やはり座席夜行の「十和田」も利用しました。
「はくつる」や「ゆうづる」といった寝台特急では、揺れる車窓から飽かず満天の星空を見上げたものです。
新婚旅行の帰りは「北斗星」の二人個室を奮発したものの、食堂車の予約が取れなかった上に駅弁も買い損ね、カミさんと二人、個室寝台でお菓子と牛乳を食べて空腹を満たした情けない思い出もあります。
プラネタリウムの研修会で秋田県へ行った際には「あけぼの」の個室を利用。狭いながらも快適な空間を満喫しました。
冬の北海道旅行では、札幌から釧路まで寝台急行「まりも」に乗車。「この列車は、これから極寒の地へと進んで参ります」という発車時のアナウンスどおり、翌朝の釧路駅の気温は零下20度、「これが冬の北海道なんだ」と感動したものでした。

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つい一昨年にも、山口県へ家族で出かけた際に、岐阜駅から「富士」を利用しましたし、「彗星」を利用して大分の鍾乳洞めぐりにも行きました。

このように夜行列車を便利に使わせてもらってきた私にとって、列車の廃止はただ哀しいとか寂しいというレベルではなく、実際に旅の手段がなくなる困った問題です。
とはいえ、さまざまな理由から、夜行列車の復活は望み得ないことは事実。
これまで多くの夜行列車に乗ることができたことを嘉とするべきなのかもしれません。

2009年03月19日

●トトトの死

ウチで飼っている7匹の猫のうち、トトトが突然、死んでしまいました。
半年ほど前から巨大結腸という病気で便が出づらく、以前にも病院で溜まっている便を取り出してもらった経歴がある猫でした。
しばらく調子が良かったのですが、ここ数日は食欲がないため、病院へ連れて行って便を取り出してもらうことにしたのです。
治療はうまくいき、便はほとんど排泄することができましたが、その直後、大量の嘔吐をし、吐瀉物が気管に詰まって窒息してしまったとのこと。

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トトトは藤橋在住中に保護しました。
拾った当時は野良生活のためか乱暴で他の猫とケンカばかりしていましたが、成長するにつれておとなしい性格になり、いつも猫部屋の隅っこの方にちょこんと静かに座っていました。
薄い茶色と白の毛並みがきれいで顔立ちもかわいらしいトトトは、猫部屋を訪れる近所の子どもたちや娘の友だちにもかわいがられていました。

トトトが死んだ時刻、私は仕事中でしたので、看取ることはできませんでした。
仕事から帰宅し、きれいな紙の棺の蓋を取ると、すっかり硬くなってしまったトトトがいました。
やや開いた口元は今際の苦しみを残しているようでしたが、柔らかな毛並みは生前と変わらず、その体を撫でているうちに、大あくびをして起きあがりそうな錯覚にとらわれました。

ウチではこれまでに、ずいぶんたくさんの生き物を飼い、その中には死んでしまったものもたくさんいます。
どの生き物にも家族同様の愛情を注いできたつもりですから、限られた一生を彼らは幸せに生きたと信じています。
トトトの死もいたずらに嘆くのではなく、トトトと過ごした日々を、折に触れて家族で笑って話すことができればと思います。

写真:ちょっと眠そうなトトト

2009年03月21日

●1年ぶりの彗星捜索

昨夜はよく晴れていましたので、藤橋まで15センチ双眼鏡と共に出かけました。
南西の空が開けた某所に双眼鏡を設置し、山の稜線の上から水平捜索を始めます。
捜索をするのは実に1年ぶり以上です。このところ公私共に恐ろしく多忙で、星を見る余裕がほとんどなかったのです。

視野の中を静かに動いてゆく微星を見つめるうち、心が次第に澄んでゆくのを感じます。
シンチレーションで瞬く星のひとつひとつが、ひどく懐かしい気がします。

「いまどき眼視で彗星捜索なんて・・・」と思われそうですね。
「彗星はもうアマチュアには見つからないよ。大望遠鏡によるサーベイですべて発見される時代だよ」
「真天体を見つけたいのなら彗星じゃなくて新星か超新星の方がまだ可能性があるよ」
こう思われた方、正しいです。確かに眼視による彗星発見はよほどの奇跡でも起こらない限りまず不可能になってしまいました。
でも私は、眼視にこだわりたいのです。もちろん、彗星は見つけづらいから新星や超新星に転向などというポリシーのないことはしたくありません。
というわけで、いささか時代遅れかもしれませんが、自分の目だけを頼りに、ふたたび彗星捜索を再開したわけなのです。

うさぎ座の球状星団M79をとらえ、視野は、おおいぬ座からさらに南へと進みます。
おおいぬ座、とも座付近は散開星団や小さな散光星雲の多いところで、視野を動かすたび、さまざまな姿をした星雲星団が入ってきます。
とも座のゼータ星付近に見慣れた星団が入ってきました。NGC2477、私が生まれた晩、関勉さんが、この星団のすぐ近傍に「関・ラインズ彗星」を発見しています。この星域に限らず、かつて新彗星が発見された星域に視野が向くと、なぜ知らず緊張してしまいます。
この星団の北には、8等星を囲むようにぼんやり滲んだNGC2467。誰も知らないごく小さな散光星雲です。
さらに視野を進めると、おおいぬ座タウ星を取り囲む小さな散開星団NGC2362が入ってきました。繊細かつあでやかなこの星団は、私の好きな天体の一つです。

1時間ほどの捜索を終えると、オリオン座がだいぶ西へ傾いていました。
東の空には、しし座が高くかかり、「もう春なのだな」と思いながら双眼鏡を片付けました。

2009年03月22日

●薄曇りのメシエマラソン

昨夜は、天文同好会の例会を兼ねたメシエマラソンでした。
昼間は快晴だったのですが、夜に入って薄雲が次第に濃くなり、見上げる夜空には数えるほどしか星が見えない状況。
望遠鏡を組み立てるかどうか迷ったものの、とりあえず私は15センチ双眼鏡をセッティング。
雲の切れ間から、何とかM35(ふたご座の散開星団)、M81・82(おおぐま座の銀河)、M3(りょうけん座の球状星団)をとらえたところで全天、曇ってしまいました。

傍らでは、HさんがNJP赤道儀にC-14シュミカセをセッティング。
また、Oさんが32センチドブソニアンを組み上げ、それぞれの望遠鏡で土星を見せていただきました。
環を真横から見る位置にある土星は、串刺しのお団子のよう。
大口径で見るその姿は格別でした。

その後は寒い中、あれこれ天文夜話。
天気予報では夜は絶望的だったにもかかわらず、とりあえず晴れたしいくつかの天体も見ることができたので、まあ成功だったんじゃないの、ということになりました。
寒くても曇っていても、仲間が集っていっしょに夜空を見上げるのは楽しいものです。

メシエマラソン:全天に109個あるM(メシエ)天体を、一晩のうちにいくつ見ることができるかを競うもの。

2009年03月24日

●奥琵琶湖へ

春爛漫の気配が漂う先週末、家族で琵琶湖へ出かけました。
ウチから琵琶湖までは車で1時間半ほどです。昨年秋に岐阜県揖斐川町坂内と滋賀県木之本町を結ぶ八草バイパスが完成したために、ますます近くなりました。

ウチから近いのは琵琶湖の北側、湖北と呼ばれる地域です。
国道303号線から8号線に入り、新装開店した「水の駅」(あちこちにある道の駅と基本的には同じですが飲食店が充実)を、ちょこっと覗いてから奥琵琶湖パークウェイへ。

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湖岸に沿う山並みの高所を走る観光道路で、随所から琵琶湖の展望が望めます。
現在は法面の工事中で一方通行となっています。
写真は、奥琵琶湖パークウェイから眺めた琵琶湖。湖面がキラキラ輝いてとてもきれいでした。

車を走らせながら、東京に住んでいる頃は琵琶湖なんて遙かに遠い場所だったのになあと考えていました。
私の住んでいる岐阜県は、風土、言葉などあらゆる点で関東と関西の接点です。
三重県や滋賀県に行くと急に関西の色が濃くなり、愛知県や静岡県に行くと関東の色が濃くなります。
その意味では、琵琶湖や関ヶ原などウチから近い名所旧跡を訪れるたび、狭い日本ながらさまざまな人が住み、さまざまな風土慣習があることを身をもって感じられます。
ずっと東京に住んでいたのでは味わえない体験をできたという意味で、岐阜県への移住は私の人生で面白いエポックになったと思っています。

2009年03月28日

●早春の徳山ダムにて

国道417号線の冬季通行止めが解除されたので、久しぶりに徳山ダムへ行ってきました。
旧揖斐川町内は桜が咲き始め、菜の花が満開で春爛漫の雰囲気でしたが、旧藤橋村まで行くとようやく木の芽が青くなり始めた程度、西美濃天文台がある揖斐川町鶴見付近では雪が舞い始め、徳山ダムの堰堤付近は日陰に雪が残ってまだ真冬のままでした。

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それでもダム堰堤にはけっこうたくさんの人が来ていて、冷たい強風の中、散策を楽しんでいました。
ダムから見える山々は雪で真っ白、さらに北上し、国道の終点まで行くと路面に10センチほども雪が積もっていました。

私が旧藤橋村へ移住してからずっと工事の進展を見守ってきた徳山ダムが、満々と水をたたえているさまは、良くも悪くもさまざまな感慨を抱かせるものでした。
巨大な公共事業によってふるさとを追われた徳山の村民、ダムによって莫大なおカネが舞い込むと一部のマスコミが騒ぎ立て、不愉快きわまりない思いをさせられた旧藤橋村の住民(実際にはそうしたマスコミの報道はほとんどが何の根拠もないものでした)、ダム建設に費やされたこちらは本当に莫大な税金、そしてダム建設のために破壊された自然。
完成はしたものの、今のところは洪水調節以外に徳山ダムの使い道はありません。
いずれは発電にも使用されるものの、これまでに費やした巨額の工事費や二度と回復しない自然環境を考えれば、コストパフォーマンスの悪さは明らかです。

徳山ダムのそもそもの始まりは、戦後間もなく、中央のお役人が地図を見て「揖斐川上流はダム建設に適している」と考えたことによりますが、そうした役人はダム建設によって地域の暮らしや自然がボロボロにされてしまうことなど全く顧慮しなかったに違いありません。

冷たい水の下に沈んで、物言えないまま息絶えた無数の動植物、昆虫、微生物。
同じく、国策工事によって終焉を迎えざるを得なかった縄文時代から連綿と引き継がれてきた人々の営み。
今、ダムを訪れる観光客のなかに、そうしたことに思いを寄せる人はいったいどれほどいるのだろうか、日本人はいつまでこんな愚かなことを繰り返すのだろうか・・・。
静かな湖面を見つめて、私はそんなことを考えていました。

どのような美名のもとになされても、ダム建設は美しい国土と人々の営みをズタズタに切り裂いてしまいます。
旧藤橋村へ移住してからずっとダム建設を見守ってきた私は、そのことを誰よりも実感しています。
巨大ダム建設は徳山ダムでもう終わりにして欲しい、心からそう思います。

2009年03月30日

●探し続けたCDをゲット!

十数年探し続けていたCDが、ようやく手に入りました。
有名なサーフィン映画「big wednesday(ビッグ・ウェンズデー)」のサントラ盤です。
ベトナム戦争をはさんで、サーフィンに熱中する3人の若者の友情を描いたこの作品は、その後、たくさんのサーフィン映画を生み出す原点になりました。
映像はもちろんですが、音楽もすばらしく、映画が公開された当時からサントラ盤の発売を望む声が高かった映画です。
でも、サントラ盤は発売されませんでした。
今でもDVDの売れ行き好調な作品にもかかわらず、です。

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CDショップ、インターネット、どこを探しても見つからなかったこの映画のサントラ盤を見つけたのは、3ヶ月ほど前のことでした。
しつこくインターネットで探していたら、3000枚限定で発売されているのを見つけてしまったのです。
ネットの記事によれば、映画公開直後に音源が行方不明となってしまい、それがために27年もの間、サントラ盤が発売されなかったとのことでした。
もちろん速攻で注文してゲットしました。

今回発売されたのは、スコアを元に新しく演奏しなおしたものです。
オーケストラとともに多用されているアコースティックギターの演奏が非常に美しく、聴くたびに映画のシーンが髣髴としてきます。

なんでも諦めずにしつこく探し続けてみるものですね。