2009年05月01日

●忙中閑あり、土星を楽しむ。

昨日は休みだったにもかかわらず忙しい一日でした。

午前中は文化財関係の仕事の電話とメールを数件、それから天文関係のメールをあちこちに。
午後は文化財の仕事の関係で設計事務所に赴いて打ち合わせ。
夕方から夜は出版の企画会議。
夕食を食べてから揖斐川歴史民俗資料館の駐車場で仲間内の観望会。

観望会では、好シーイングの下、月と土星を楽しみました。
8月に環の消失を控えた土星は、細い環の影が本体にくっきりと落ちて、すばらしい眺めでした。
土星を見ると、いつもしんと静かな気持ちになります。
同じようなガス惑星でも、木星ではそうした心持にはなりません。
環があるだけでなく、土星は不思議な魔力を湛えているように思えます。

月の近くには、ふたご座のカストルとポルックス、真南の空には、おとめ座のスピカが純白の輝きを放ち、北天高くには北斗七星が昇りつめ、やや冷たい春の夜気の中で見上げる星空は美しいものでした。

Hさん、MT-160、すごく良く見えましたヨ。
Nさんの自動導入も良いですね。
西美濃天文台の60cmしか自動導入の機材を使用したことのない私ですが、個人用に自動導入の経緯台が欲しくなってしまいました。観望会にはたしかに手軽でセッティングがすばやくできてgoodですね。

2009年05月03日

●さざれ石を訪ねる

日本人なら誰でも知っている「君が代」。
国歌として適当かどうかはとりあえずおいて、歌詞に出てくる「さざれ石」が、実は私の勤務先である揖斐川町にあります。

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写真の巨岩が「さざれ石」。
場所は、揖斐川町春日笹又という山奥です。
山奥とはいえ、車ですぐ近くまで行くことができ、一帯は「さざれ石公園」として整備されています。

この巨岩の正体は、たくさんの石が、このあたりに多い石灰岩によって固まったものです。
石灰岩は雨水によって容易に溶けます。そのために鍾乳洞をはじめとするさまざまな溶食地形が形成されるわけですが、液状になった石灰岩がたくさんの小石をセメントのように固めたものが「さざれ石」というわけです。

「さざれ石」にはしめ縄が張られ、国旗が掲揚されていますが、実はそれほど珍しいものではなく、詳しく観察すると近くには同様の岩石がいくつも見つかります。

私は、学芸員資格を地学と生物学で取得した関係上、鉱物や地形には興味があって、時折、山奥へ地質や鉱物の探検に出かけます。
「さざれ石」のある旧春日村は、現在でもドロマイト鉱山が稼働するなど、地学的には興味深い地域です。
鍾乳洞がないか探しているのですが、今のところは見つかっていません。小規模の鍾乳洞はいくつもありそうなのですが。

2009年05月05日

●揖斐祭り

連休中は、ずっと揖斐祭りの取材でした。
揖斐祭りは、揖斐川町にある三輪神社の祭礼です。
三輪神社は大物主大神を祭神とし、神武天皇の御世に創建されたと伝えられる古い神社です。
揖斐祭りは毎年、5月始めに行われ、御本社3基の大神輿と10基の子供神輿が町内を練り歩き、子ども歌舞伎を奉納する5輌の山車が一日3回の奉納歌舞伎を行いながら町内を巡行します。
祭りが現在の形になったのは、今から300年ほど前であることが現存する絵巻物でわかっており、かなり古い祭りであると考えられています。

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祭りといえば、威勢の良いお神輿や屋台がとかく注目されがちですが、祭りの語源は「まつろう」つまり神様とともにあるということです。
ですから、お神輿をはじめとするあらゆる祭礼行事には必ず神事が伴っており、ふだんは目に見えないそうした神事も含めて祭りが成り立っています。

揖斐川町では、町内の祭りや伝統芸能をあらためて調査しなおし、その起源や変遷を研究・記録する事業を行っていることから、町内最大の祭礼である揖斐祭りでも今年から予備的な調査を開始、学芸員である私が主担当をしているというわけなのです。

2日から5日まで祭りは続き、4日、5日は早朝から深夜まで祭礼の様子を動画とスティル画像で撮影しました。
祭りの会場には車を乗り入れることができませんので、役場に車を置いて行動はすべて徒歩。
足が棒になりましたが、祭りの全貌をとりあえずつかむことができ、来年度の調査に向けてのステップになりました。

写真:三輪神社拝殿

2009年05月06日

●揖斐祭り2「子ども歌舞伎」

揖斐祭りで特徴的な祭事のひとつに、子供たちが演じる「子ども歌舞伎」があげられます。
揖斐川町三輪地区にある5つの町それぞれが所有する5輌の山車に設えた舞台で、小学生の子どもたちが本格的な奉納歌舞伎を演じるものです。

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今年の演目は「恋女房染分手綱・重の井子別れの場」でした。
それまで厳しい練習をしてきた8人の子どもたちは、5月2日から5日まで一日三回の披露を行ないます。
一回の披露は約1時間。台詞も節回しも所作も間違えることは許されません。体力的にも非常に厳しいにもかかわらず、まったく破綻なく今年の披露を終えることができました。

子ども歌舞伎は、三輪地区の5町が順番で担当します。
児童数の減少に伴い、最近では三輪地区以外の町内から出演者を公募していますが、少子化はとどまることを知らず、将来的には揖斐川町外からも出演者を募ることになるかもしれません。

私は東京の新興住宅街で育ちましたから、地区をあげての祭りや行事に積極的に参加した経験がありません。
そうした視点から見ると、幼い頃から伝統ある祭りに参加できる揖斐川町の子どもたちは幸せだなあと思います。
もちろん練習は厳しいですが、大人になってから貴重な経験として思い出すことができるはずです。

人間同士、あるいは伝統風土との関係がどんどん希薄になっていく現在、都会にはない農山村地域の祭りや風習が再評価され、都会から田舎へと若者が移動しはじめる胎動が、そろそろ始まるのではないか、田舎に住んで16年、最近はそんな予感を感じています。

2009年05月08日

●揖斐祭り3「曳き揃え」

揖斐祭りで、子ども歌舞伎が行われる山車を「芸やま」といいます。
芸やまは揖斐川町三輪の5町がそれぞれ管理しており、毎年順に歌舞伎披露を行っていきます。
写真でおわかりのように大変に大きく立派な山車で、ふだんは蔵に保管されており、祭りの日になると大勢で曳き出すわけです。

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4日は、この日最終の歌舞伎披露が終了してから、それぞれの町が所有する5輌の芸やまが本町通りに並ぶ「曳き揃え」が行われました。
芸やまは非常に大きいため、時には電線を吊り上げたりお店の看板や街灯の向きを一時的に変えたりしながらゆっくりと進みます。
提灯を灯した豪奢な芸やまが5輌、揃ったさまは幻想的な光景です。

5輌が揃うと、芸やまはそれぞれの町の蔵へと戻ってゆきます。
木の輪を軋ませながらゆっくりと芸やまが蔵へと戻ってゆくさまは、まさに祭りの終わりを惜しむかのようです。

2009年05月10日

●満月の晩に見えるモノ

ここ二日ほど天気が良くて、夜になるとほとんど欠けていない大きな月がきれいです。
こんな満月の頃になると、よく言われます。
「満月の晩は、月の観察に適しているんでしょうね」
まん丸に煌々と輝く満月を見ると、たしかにそう思いますね。

でも。
実は満月の晩は月の観察にあまり適していないんです。
というのは、満月は太陽が真正面から月面を照らしていますから、月面に影ができず、地形の細かな凹凸がわかりづらいんですね。
太陽が斜めから月面を照らし出す半月の頃だと、逆に欠け際の地形がよくわかります。
隕石の落ちた跡のクレーター、高さ2000mを超える山脈、さらに「海」と呼ばれる暗く平坦な低地(月のウサギを形づくっている暗い部分です)の中にうねうねと伸びる皺状の地形や低いドーム状の盛り上がりなど、太陽高度が低い欠け際部分でしか詳細に見ることができません。
ですから、月の観察をしようと思ったならば、満月は避けた方が良いのです。

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ただ、満月の頃が最も観察に適している地形もあります。
それは、比較的新しくできたクレーターから放射状に伸びる「光条」と呼ばれる地形です。
月面に隕石が激しく衝突した際にえぐり取られた月表面の物質が、衝撃で周囲に飛散してできた地形ですが、この光条は満月近くになるほど白く輝きが際だちます。
写真でも、左下にある「ティコ」というクレーターから伸びる光条がおわかりいただけると思います。

今夜も、大きな月が間もなく昇ってきます。
光条は目のいい方なら肉眼でわかりますし、双眼鏡があればもっとよくわかります。
ちょこっと外に出て光条を確認してみて下さい。

2009年05月12日

●詩「湿原」

そのせせらぎを手のひらにすくい
僕を見上げたあなたは
ふと
染みとおる微笑を浮かべる
白いスカート
無造作に束ねた髪に揺れる
うす緑の木漏れ日

すくった水を一口含んで
あなたの姿は
一叢の柳に変わっている
古い木道を辿り
足元を流れる水の音を聴きながら
この渓流までずっといっしょに歩いてきたのに

そういえば
あなたのうなじはひどく儚げで
柔らかな前髪からは
いつも水の匂いがしていたっけ
だから
あなたが柳に変わっても
何も驚くことなんてなかったよ
ただ
柳の葉をほんの一枚ポケットに入れただけで
バス停まで木道を歩き
誰も客がいない最終のバスに乗ったんだ

バスの窓から振り返る湿原は
どこまでも透き通る6月の夕映えで
永遠に暮れることなどないかのように遠くまで見通せる

「姿や声なんて時間や空間と同じぐらい意味がないんだよ。
わかってると思うけどさ」
身じろぎもせずハンドルを握る運転手の言葉に僕はうなずき
いつか
そんな運転手の後ろ姿さえも
終わらない黄昏に溶けてゆくのを見つめながら
それでも
あえかな愛惜を噛み締めたくて
バスの揺れに目を閉じる


☆「またヘンテコな詩だよ」と思われた方もいるかもしれません。
しかも星にはぜんぜん関係ないし・・・。

初夏になると湿原に行きたくなります。どこを見てもきれいな水が流れ、草木がみずみずしい若葉を広げているのを見ると、心が浄化されるような気がします。
この詩を作ったのは福井県敦賀市にある湿原でした。誰もいない湿原に佇み、ただぼんやりと日が暮れていくのを見ていました。
初夏の夕暮れはいつまでも明るく、永遠に夜が来ないような錯覚にとらわれながら、手帳にこの詩を綴っていました。

ときどき載せている詩、明確な解釈は書いている本人もわかりませんので深く考えないで下さいね。
心象風景を言葉にしているのですが、私が思い描く心象風景は大抵、このような曖昧模糊としたものです。国語の教科書にあるような立派な詩は・・・どうも書く才能がないようです・・・。

2009年05月14日

●揖斐城跡を訪ねる

先日、揖斐川町三輪にある揖斐城跡を探索してきました。
揖斐城は、守護大名、土岐氏の流れを汲む揖斐氏の居城で、城台山の尾根筋に築かれた典型的な山城です。
揖斐氏は約200年間、揖斐の地を治め、六代光親の代に、斉藤道三に滅ぼされました。

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城跡への登り口はいくつかありますが、今回は三輪神社から登りました。
途中、北アルプス槍ヶ岳を開山した播隆上人が開基した一心寺を経て、白山神社を過ぎると登り口から40分ほどで南の丸跡に到着します。
南の丸から少し登ると本丸跡。さらに二の丸跡、三の丸跡、出丸(太鼓櫓)へと続きます。
木が茂ってはいますが、曲輪跡や堀は長い年月を経ている割りには非常に鮮明に残っていて、中世の山城の姿を髣髴とさせてくれます。
本丸の直下には井戸があり、今でも水が溜まっています。この城で唯一の水源です。
当時の山城はほとんどがそうですが、揖斐氏も通常は麓の城下に居住し、戦のときだけ城にこもりました。

気持ちの良いハイキングコースですから、緑のまぶしいこの季節、三輪神社の参拝・見学と揖斐城跡探訪をセットにして揖斐の地を訪ねてみてはいかがでしょうか。

2009年05月18日

●満開のバラ公園へ

快晴の午後、揖斐郡大野町にあるバラ公園に行ってきました。
ここ何日間か、バラ祭りが開催されており、平日にもかかわらずたくさんの人で賑わっていました。

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大野町はバラ苗生産で全国の60%のシェアを誇っていることから、バラを町の花として制定、年に一度、バラ公園でバラ祭りを開催しています。
毎年この時期にバラを見に行くのですが、なかなか満開に恵まれることがありませんでした。
でも、今年はほぼ満開で、同心円状にしつらえられた花壇に競い合うように咲くバラを楽しむことができました。
特設のテント会場では、バラの苗をはじめ、うどんや団子が販売され、汗ばむ初夏の日ざしの下、善男善女が買い求めていました。

バラの見ごろは今週いっぱいと思われます。
お近くの方は訪ねてみて下さいね。

2009年05月20日

●ツチガエルが庭の池に産卵

庭の一隅に、睡蓮鉢を埋めた小さな池があります。
中には睡蓮と菖蒲が植えてあり、ミニビオトープを目指していました。
昨年から何匹かのカエルが訪れるようになり、カエルを捕食するヘビの姿も見られるようになりました。
で、今年はとうとう、ツチガエルが産卵をしたのです。

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ツチガエルは、いわゆる「イボガエル」の愛称で親しまれてきたカエルです。
どこにでもいたカエルですが、最近は全国的に急激に生息数を減らしており、東京都では絶滅危惧種に指定されました。
生息数減少の原因は、オタマジャクシのまま越冬するというツチガエルの生態にあります。
昔は冬でも田んぼに水がありましたが、最近は冬になると、ほとんどの田んぼで完全に水を抜いて乾かしてしまいます。
そのためにオタマジャクシが死んでしまい、急激に生息数が減少しているのです。

環境意識の高まりで、ここ数年、ようやく冬季も田んぼに水を張ったままにしておくことが一部で始まりましたが、そうした例はまだごく僅かで、このままでは以前は当たり前に見ることができた多くの生き物が絶滅してしまいます。

ウチでも、池をもうひとつ作ることを検討していますが、こうしたことは省庁や農協が全国の農家に指導しないことには大きな動きになりません。
そうした動きを盛り上げていくための行動をしなければと考えています。

写真:ツチガエルの卵。だいぶオタマジャクシらしい形になってきました。

2009年05月22日

●両生類の絶滅を防げ

カエルなどの両生類が激減しているという。その最大の原因が生息環境の悪化である。

 両生類は、卵から幼生までを水中で過ごす。全国の田んぼや小川が格好の繁殖場所だったのだが、高度成長期以降、里の小川はコンクリート張りの水路となり、田んぼには大量の農薬が撒布されるようになった。さらに、ある時期になると稲の生育促進のために田の水は完全に抜かれてしまう。以前であれば、たとえ水を抜いたとしても、生物の多くは田とつながった小川に逃れることができたが、コンクリート張りの水路では生命を維持することができない。

 田んぼは人間の食料を得るための施設ではあるが、生物多様性の維持という観点からも、その役割は非常に大きい。今の技術をもってすれば、農業生産性の向上と生物多様性の維持を両立させた田んぼや水路を作ることは決して不可能ではないはずだ。

 効率一辺倒の圃場整備を進める時代は終わった。日本中の田んぼからカエルの声が聞こえなくなる日がくる前に、関係機関は早急な対策を打ってほしいと思う。


☆先日、カエルの生息環境が急激に悪化しているという記事を書きました。
 一昨年、ある雑誌に関連した文章を書きましたので、参考までに掲載します。

2009年05月25日

●人生最大の失敗!

毎年、5月になると大学生の頃の失敗談を思い出します。大笑いの失敗談です。
大学生の頃でした。
東京では星が見えませんから、週末になると仲間と長野や山梨に観測に出かけていました。

アイラス・荒貴・オルコック彗星という彗星が地球に接近したその晩も、私を含めたメンバー数名は、野辺山で彗星の撮影をしていました。
その頃は、今のように誰もが車を所有している時代ではありませんでしたから、私とA氏はいつものように250ccのバイク、他2名は列車(高原列車で有名な小海線です)で現地に赴いていました。

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折しも快晴で、高原の夜空はまさに降るような星です。
そのかわり、5月にしては猛烈に寒く、真夜中を回る頃には気温は零度を下回っていました。
アイラス・荒貴・オルコック彗星はちょうど地球に再接近しており、光度は5等、満月よりも大きなイメージで真夜中の空に浮かんでいます。

撮影も順調に進み、時刻は午前2時過ぎ。
私のその晩の観測プログラムは、同彗星の撮影後、10センチ反射で東天の彗星捜索を行なうことでした。(捜索にいちばん燃えていた頃です)
腹が減ったので、途中で買ってきたほかほか弁当を開いたのですが、あまりの寒さに凍りついていてとても食べられたものではありません。これでまず、やり気をそがれました。
めちゃくちゃ寒いので温度計を見ると、なんと零下5度。
もとより寒風の中をバイクで東京から走ってきたわけですから、体は冷え切っており、疲れと眠さも手伝って意識は朦朧、足はフラフラという状態です。

東の空にはアンドロメダ大星雲M31が、青白く浮かんでいました。
他のメンバーはといえば、すでにシュラフにくるまって就寝の準備をしています。
「まっちゃんももう寝なよ。またバイクで帰るんだぜ。このままじゃ体がもたないよ」
そんな言葉に、私の観測意欲はもろくも崩れ去りました。
「そうだな。撮影もできたし、捜索はいつでもできるからな」
機材を撤収しながら私は、東天に昇っているM31が気になって仕方ありませんでした。
そう、M31の方向から何か呼ぶ声が聴こえてくるような・・・。
「M31のすぐ近くに明るい彗星があったりして。あはは」
耳について離れない呼び声を振り払うように私は言い、シュラフに入りました。

で、その日の午後。
某天文○イド編集長から電話が入りました。
「ああ、どうも。実は今朝、彗星が発見されましてね」
受話器を握ったまま、私は返事もできませんでした。
「日本人3人が発見しました。光度は8等。位置はM31のすぐ横です」

編集長からの撮影依頼を受けて、仲間を募って出かけた奥多摩で見たその新彗星は明るく、大きく、野辺山でちょこっと捜索していれば、よほどの間違いがない限り、確実に発見できたイメージでした。
一生に一度あるかないかのチャンスを、怠け心のために私は逃してしまったのです。

その晩、奥多摩へいっしょに観測に行った人に、現在は愛知県の某天文台に勤務するS氏がいます。
大変に熱心な捜索家であるはずのS氏に訊いてみました。
「昨日は観測に行かなかったの?」
するとS氏、頭をかきながら、
「ちゃんと奥多摩湖へ行ったよ。捜索しに」
「じゃあ、違う方向を観測してたの?」
「いや、それが・・・」
S氏、観測地で知り合いの天文同好会と遭遇し、勧められるまま酒盛りに参加、観測をしないまま眠りこんでしまったというのです。
「いやあ、M31がきれいに見えててさ、すごく気になったんだけどさ、どうしても飲めっていうもんだからさ、ついつい・・・」

もしかしたら自分たちの名前がついたかもしれない新彗星をお互いの望遠鏡の視野にいれたまま、私とS氏は並んで大きなため息をつきました。
一瞬の怠け心が、人生最大の失敗につながるというお話でした。
チャンチャン!

写真:当日朝撮影した野辺山観測所の電波望遠鏡。この写真を撮影したときには、まだ新彗星の発見を知らない・・・。

2009年05月27日

●林間の古社を訪ねる

快晴の午後、自宅から自転車で30分ほどの山裾を訪ねました。
野古墳群にほど近いこのあたりは、大野町が最近になって整備したハイキングコースとなっており、古墳あり古社ありの歴史を感じさせる里山です。

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自転車を停めて明るい林の中を歩くうちに「山の神」という道標を見つけました。
木漏れ日に埋もれるように小さな社が鎮座し、かたわらには苔むした石像が何体も並んでいます。
「布賀利神社跡」と書かれた石柱が立っていましたから、社の中はからっぽなのかもしれません。
それでも、周囲には神寂びた雰囲気が漂い、心の奥底まで木漏れ日が降り注ぐような静けさを感じながら、しばらくその場に佇んでいました。
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後日、布賀利神社の由来を調べてみると、天照大神の流れを汲む彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)を祀っており、天暦年間(947年~956年)の美濃国神名記帳にも記されている有数の古社ということでした。

山の中を歩いていて、こうした小さな古社を見つけると、訳もなく嬉しくなってしまいます。

写真:布賀利神社跡地と石像

2009年05月30日

●反射望遠鏡も使います

このところ天気が悪くて星が見えません。
なので、今日は私の持っている望遠鏡の一台の写真などを・・・。

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天文に詳しい方はご覧になってすぐにおわかりのように、ビクセンのVMC-200L、口径20cmの反射望遠鏡です。
「へー、まっちゃん、反射も持ってたんだ」
古い星仲間は思うかもしれません。
基本的に私は、子供の頃から屈折派です。
最初に買った望遠鏡が6cmの屈折経緯台でしたから、以来、屈折の落ち着いた像が好きになって基本的に屈折望遠鏡ばかり使ってきました。
いろいろと使ってきた中で、反射はこのVMC-200Lと、高校生の頃に買ったミザールの10センチ短焦点反射の2台のみです。

観望会や月面、惑星の観察に使っていますが、シーイングと鏡の状態が落ち着いているときにはなかなか良い像を結んでくれます。
昔の反射望遠鏡は、正直言って製品のばらつきが大きかったのですが、最近の量産品は機械による研磨技術の進歩とコンピューターによる光学設計によって、名の通ったメーカー品であればどれも良く見えるようになってきました。

接眼レンズの進歩も反射望遠鏡の良像結合に大きな寄与をしています。
昔は、反射望遠鏡にもハイゲンスやミッテンゼーハイゲンスといった接眼レンズが付属していることが多く、ちょっと高級品でようやくケルナーやオルソスコピックが付いている程度でした。
ハイゲンス系の負の接眼レンズは、どちらかといえば屈折望遠鏡と相性が良い接眼レンズです。
ケルナーやオルソといった正の接眼レンズは反射望遠鏡にも適していますが、いずれにしても正の接眼レンズで45度程度、負の接眼レンズでは35度程度と見かけ視界が狭く、アイリリーフも短いことから覗きづらいものでした。
それがここ20年ほどは、視界が広く収差も良く補正された接眼レンズが出まわるようになり、屈折に比べて収差の影響を受けやすい反射望遠鏡が本来持っているポテンシャルを容易に引き出せるように変わってきたのです。

最近、カミさんが「家に天文台を作るんだ」と言い始めました。
ある程度の口径の機材を設置するとなれば、値段の点から反射望遠鏡を選ばざるをえません。(屈折の大口径は恐ろしく高価です)
機材の選択を考えなきゃなあと思っているところです。
あ、その前に資金繰りを考えなくては・・・。