2009年11月02日

●昔々の観望会

今でこそ一般の方対象の観望会は珍しいものではなくなりましたが、私が天文を始めた当時は、星はあくまで天文ファンが楽しむもので、一般市民の方に望遠鏡で星を見せてあげるという意識はほとんどありませんでした。
公開天文台も存在せず、プラネタリウムの数も僅かで、私の住んでいた東京では、渋谷にあった五島プラネタリウムが年に数回、一般の方相手の観望会を企画していただけだったと記憶しています。

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そんな状況の下、私が一般の方に星を見せてあげたいと思うようになったのは、天文を始めて間もなくのことでした。
東大和天文同好会の主宰で、近くの小学校の校庭などを借りて何度か小規模な観望会を催すうち、参加する市民の方が増加してきて、次第に観望会の規模が大きくなっていきました。

写真は、1979年9月6日(木)に、東京都東大和内の小学校で皆既月食にあわせて開催した観望会の様子と周知するためのポスターです。
この日は快晴に恵まれ、広い校庭を埋め尽くす数百人の参加者が集まりました。
写っている望遠鏡がどれも6~8cmの小口径であるところに時代を感じますね。
周知の方法は、手描きのポスターを十数枚、市内の各所に掲示し、加えて会員が手分けして、チラシを全戸に配布しました。
4万人の市民の家を自転車で手分けして回り配布したのですから、その労力たるやすごいものです。

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当時、東京では私たち東大和天文同好会が先進的な取り組みを行っていましたが、岐阜県では正村先生の岐阜天文台が早くから一般の方向けの啓蒙活動を行っていました。
現在まで続く岐阜天文台の活動は、そうした意味で先進的であり高い評価を与えられてしかるべきものです。

現在は、市民相手の観望会がひとつの活動分野として天文ファンの間にもしっかり根付いており、すばらしいことだと思います。
いつかまた、東大和天文同好会の面々とともに、これまでの常識を打ち破る観望会を企画してみたいものです。

2009年11月04日

●特別展準備で超多忙!

今日は終日、11月20日から開催予定の特別企画展の展示作業を行っていました。
「ふるさとの民具と日本の蓑(みの)」と題して、揖斐川町の農具やさまざまな生産用具、そして全国各地から収集した蓑を集めた展示です。

この種の展示は、3年ほど前にも開催したことがあるのですが、その際は旧谷汲村の民具のみで比較的小規模でした。
今回は、揖斐川町各地から多くの資料を集めて系統立てた展示を企画しているため、規模も資料点数も大きなものです。
館長と、私を含めた学芸員3人、そして民俗学者の先生2名で取り組んでいるのですが、なかなか進展しません。

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それでも今日は、ひととおり資料を並べ、大体の雰囲気を把握することができました。
民具は私を含めた3人の学芸員ともに専門外のため、勉強しながらの展示制作です。
わからないことばかりなのですが、日々、新しい知識を学ぶことができ、苦労しながらも楽しく展示に取り組んでいます。
休日・夜間返上でがんばっていますので、期日になったら、ぜひ皆さんで見に来て下さいね。

とはいえ、他にもさまざまな仕事を並行して行っているため、特別展の期日が迫ってくるにつれて次第に焦りが・・・。
今月は、この特別展に加え、いびがわマラソン、予算などお仕事が非常にタイトなのです。
でも18日のしし座流星群は何としても観測しますヨ。
それまでに気合を入れてお仕事を片づけるのだ!
がんばれ、まっちゃん!

写真:千石通し=おコメの粒の大きさを選り分ける道具です。

2009年11月06日

●詩「Lyra」

君の家から帰る雨上がりの道
こんなに雲の流れが速いのに
フロントグラス越し
こと座のベガだけが
いつまでも輝きを失わない

青い0等星に向けて
長い道を走り続ける
November

ただ
心を重ねて
星空の下
出会えた奇跡をともに生きる


☆この季節、夜の揖斐川堤防を北西に向かって車を走らせていると、正面にこと座のベガがずっと見えています。
先日もそうでした。
雲の切れ間にひとつだけ隠されることのないベガを見ながら、その輝きに導かれるように、とても静かな気持ちで夜中の堤防を走っていました。
 

2009年11月09日

●懐かしのコホーテク彗星

先日の記事(詩「Lyra」)に関して、OgimotoさんとFurukawaさん、お二人のベテラン天文家から、コホーテク彗星についてのコメントが寄せられました。
何とも懐かしいので、今回はコホーテク彗星について・・・。

コホーテク彗星の現在の正式な符号はC/1973E1ですが、古い天文ファンにとっては1973fという方がぴったりくるのではないかと思います。
そのとおり、1973年3月7日にチェコのコホーテクが発見しました。
眼視ではなく、写真乾板上からの発見です。
近日点距離(太陽から彗星までの距離)が0.1424AUと近く、地球との位置関係も良かったため、マイナス等級になることが期待され、マスコミでは早くから『世紀の大彗星』と喧伝されました。

当時、私は小学生で、連日報道されるこの彗星の新聞記事やテレビを食い入るように見、非常に興味をそそられました。
彗星が接近してくるにつれ、折から地球を周回していたスカイラブからの写真が新聞に掲載されるなどブームは加熱、天体望遠鏡が飛ぶように売れたといいます。

いよいよ彗星が接近し、1974年1月、夕方の西空に見え始めました。
折から夕空には金星と木星が接近していて、その近くにマイナス等級の彗星が現れたなら夢のような光景になるだろうことが予想されました。
当時、結成して半年ほどの東大和天文同好会メンバーは、西空が見渡せる近くの小学校の非常階段を観測場所と定め、眼視と写真で世紀の大彗星の姿を心とフィルムに残すことにしました。

ところが。
次第に空が暗くなり星が見え始める時刻になっても、彗星はいっこうに見えてきません。
当時は今と比べれば光害も少なく、加えて冬の関東ですから連日の快晴、西の山並みをくっきりとシルエットにした真っ赤な夕焼けの上に浮かぶ金星、木星が本当に夢のような美しさなのですが、肝心の彗星はどこにも見えないのです。
その日は結局、彗星を見ることはできず、その後、望遠鏡にとらえた彗星は、4等級ほどの本当にかわいらしい姿でした。
マスコミでも、どうやら不発らしいという報道がされ始め、同じく大騒ぎをしながら不発に終わった1972年のジャコビニ流星雨の記憶も新しかったことから、天文現象というものはどうも空騒ぎに終わりがちだという認識がされるようになりました。

それでも、ISO100のフィルムで撮影した写真には、長い尾を伸ばした彗星の姿が奇麗に撮れていて、やはり時代を彩った彗星のひとつだったのだなと今でも思います。
あの頃は、今とは比べものにならない天文ブームでしたが、コホーテク彗星も、そんなブームに拍車をかけたエポックメイキングな彗星でした。

暮れなずむ非常階段にそれぞれの愛機(6㎝クラスの屈折経緯台か8.5㎝~10㎝クラスの反射経緯台ばかりでしたが)を連ねて、真冬の風に吹かれながら夢中で彗星を探索した当時の記憶は今でも鮮明です。
あのときの風の冷たさ、夕焼けに浮かぶ西の連山のシルエット、すばらしい輝きを放つ金星と木星。
私の心のアルバムに、強烈な1ページを刻んでいる光景です。

2009年11月11日

●お話「プラネタリウムで時間旅行」

 両手を操作盤にのせたまま、西川さんは天井を見上げていました。丸い天井に、数えきれないほどの星が光っています。操作盤にのせた指先から、ほんのりと暖かさが伝わってきます。
(これで最後なんだな)
 心の中でため息をついた西川さんは、
(いや。最後だからこそ、最高の仕事をしなきゃいけない)
 そう思い直しました。
 音楽のボリュームを調整し、マイクに向って星の話を続けます。時には星座の絵や写真のスライドを映しながら、わかりやすくていねいに、心をこめて説明をするのです。
 毎日がその繰り返しでした。スイッチやメーターが並んだ操作盤の前に座り、リクライニングシートに座ったお客さんに星空の説明をし続けてきた40年間。

 西川さんは、プラネタリウムの解説者でした。子どものころから星を見ることが大好きだった西川さんは、学校を出てすぐにこのプラネタリウムに勤めました。まだプラネタリウムが珍しい時代でしたから、毎日が大入り満員で大忙し、プラネタリウムの座席でうたたねをして、そのまま次の日の仕事が始まることもしばしばでした。
(月日の過ぎるのは本当に早いものだなあ)
 客席を見渡しながらそう思います。あのころ、あんなに大勢のお客さんであふれていた客席は、このプラネタリウムが閉館となる今日でさえ半分も埋まっていません。
 年々減ってゆくお客さん。古い部品の取替えがきかないこと。それがプラネタリウムを閉めることになった理由でした。

 西川さんは、古びた操作盤をそっと撫でました。あちこちがすり減り、ペンキも剥げてはいるものの、指先に伝わる温もりが、
(僕はまだまだがんばれるぞ)
 そう言っているような気がします。
 40年間、手足のように使ってきた操作盤でした。部屋の真ん中の投影機もそうです。病気の子どもをいたわるように毎日点検をし、修理をしながら使ってきた大切な機械でした。
(申し訳ない。今日で君たちとの仕事は終わってしまうよ)
 そう思いながら、いつもと同じくていねいに、西川さんはスイッチやボリウムを操作しました。

 そろそろ夜明けの時間でした。西川さんの指が魔法のように操作盤を走ります。真っ暗だった部屋がだんだんと明るくなり、最後の星が消え、太陽が東の空から顔を出し・・・。
「ありがとうございました。これからも、この小さなプラネタリウムを応援して下さい」
 西川さんの言葉に、客席から拍手がおこります。これで最後とはどうしても言えませんでした。喜びも苦労も共にしてきたプラネタリウムの機械に、申し訳なくてたまらなかったからです。
 鳴りやまない拍手を、西川さんは目を閉じて聞きました。思い出が頭の中を巡ります。この拍手は、いつか誰よりも心の通じ合う友だちになっていた操作盤と投影機に捧げられた拍手なのだと西川さんは思いました。

   ☆ ☆

 拍手の音が急に大きくなったような気がして、西川さんは目を開きました。あれれ、と思いながら客席を見回します。いつのまに、こんなにたくさんのお客さんが入っていたのでしょう。
 それに。
 西川さんは首をひねりました。操作盤がピカピカなのです。操作盤だけではありません。部屋の真ん中にある投影機からも、真新しいペンキの匂いがしています。
 ふと、操作盤に貼ってある紙を見た西川さんは、目をごしごしとこすりました。日の出・日の入りの時刻をはじめ、その日の星空のようすを書いた紙です。毎日、張り替えるその紙に書かれている日付は、40年前、西川さんがこのプラネタリウムに勤め始めた年のものでした。そういえば、帰り支度をはじめたお客さんの服装や髪型は、どう見ても40年前のものに違いありません。

 しばらくぼんやりしていた西川さんは、操作盤のかたすみに置かれているファイルに目をとめました。
『プラネタリウムで時間旅行』。
 それは、今日の解説に備えて作ったシナリオでした。プラネタリウムを使うと、大昔や遠い将来の星空を自由に映し出すことができます。閉館を惜しんだ西川さんが、心をこめて書いたシナリオなのでした。
 西川さんは、シナリオのファイルをそっとてのひらで撫でました。ファイルの表紙には、西川さんの字で2009年の日付が書かれていました。

 西川さんに語りかけるように、操作盤が、ちかちかとまたたきました。
(また長い付き合いになりますね。よろしく)
 ペンキの匂いがする操作盤が、微笑みながらそう言っているようでした。
(こちらこそよろしく)
 操作盤と投影機に頭を下げた西川さんは、自分が20歳を過ぎたばかりの若者であることに気がつきました。
 体いっぱいに力がみなぎってきます。
 明日から、また忙しい毎日が始まるんだ。
 そう思いながら西川さんは、円い天井に高く昇っていく太陽を見つめました。


※だいぶ以前に書いた作品です。
小説でも童話でもないので「お話」としました。
大人のための童話、とでも言うべきかもしれません。
過去でも未来でも任意の時代の星空が映し出せるプラネタリウムは、誰もが体験できるタイムマシンと言えるでしょう。
投影機を慈しんできた解説者に起こる小さな奇跡。
これから解説者として過ごす40年間、西川さんは、どのような人生を送るのでしょうか。

2009年11月13日

●昔のスケッチを見つけました

コホーテク彗星の記事で、うちやまさんから、当時はスケッチを取った旨のコメントをいただきました。
今でこそデジカメで簡単に画像が撮れますが、昔は星雲・星団、彗星、惑星、太陽、月面、何でもスケッチを取ったものでした。
当時のスケッチは、あまり残っていませんが、ごそごそ探していたらウェスト彗星のスケッチが出てきました。
黒い紙に白鉛筆で描いたスケッチのデータを見ると、1976年3月21日 4時28分 60mm f1000mm屈折経緯台 K20mm(×50)となっています。

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ウェスト彗星は、1975年に発見された20世紀最大級の彗星でした。
1976年3月、明け方の空に30°以上の尾を伸ばし、頭部の明るさはマイナス2等以上という偉観を呈しました。
当時、中学生だった私は、いっしょに東大和天文同好会を創立したS君と毎朝、近くの学校の校庭でこの彗星を観測しました。
東京でも、まだ明け方の空は比較的暗く、幅広くカーブした雄大な尾が素晴らしい光景でした。

最も壮麗だったのは3月初旬でしたから、スケッチを取った21日には、ちょっとおとなしい姿になっていました。
それでも、肉眼で尾がくっきりと見え、明るい時期には見えづらかった頭部の細かい構造が良く見えていました。
稚拙なスケッチですが、大彗星観測に奔走した当時の興奮と感動を思い出します。
60mm屈折経緯台 f1000mmという正統的な望遠鏡のスペックが泣かせますね。

他に星雲・星団や太陽のスケッチもたくさん見つかりました。
月面スケッチもかなり取ったのですが、これはまだ見つかりません。

スケッチなんて面倒だし古くさい、不正確だ。
そんなことを思わずに、皆さんもスケッチを取ってみて下さい。
じっくり何度も見ないと描けないので、それだけ天体の細部を詳細に観察できますよ。

2009年11月16日

●秋好日、美濃路を散策

昨日は、一宮市の尾西歴史民俗資料館へ行きました。
14・15日が毎年恒例の「もみじまつり」で、たくさんの人が訪れて盛り上がっていました。

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この資料館は美濃路沿いにあります。
起(おこし)宿の脇本陣だった旧林家と展示施設が併設されており、美濃路に関するさまざまな資料が展示されています。
旧林家は庭園の見事さでも知られ、穏やかな秋の日ざしが降り注ぐなか、林家の座敷で行われる箏や雅楽などの演奏を楽しみました。
この館で学芸員実習を受けたogawa嬢がガイド役を買って出てくれましたので、館の学芸員さんのお話とあわせ、じっくりと展示を勉強することができました。
ちょうど特別展「美濃路を行き交う大名」が開催されており、参勤交代で美濃路を使用した大名たちの資料や文書も見ることができました。

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資料館見学後は、ogawa嬢の案内で周辺の名所旧跡を散策しました。
散策の足は自転車。
国指定の一里塚や木曽川の渡しの跡などを見学、美濃路を一日かけて満喫しました。
夕方には、木曽川に残る渡し船「中野の渡し」で岐阜県まで木曽川を往復。
この頃には曇ってきて少し寒かったのですが、あの広い木曽川を船で渡りながら、船頭さんというべきか、乗務員さんというべきか、同乗のおじさんの楽しい解説を拝聴し、珍しく楽しく勉強になる経験をすることができました。

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この渡し、なんと愛知県営なのです。
料金は無料。
一度、乗船してみる価値がありますよ。

資料館の学芸員さんの一人は、おばあさまが坂内の方とのことで、期せずして揖斐川町の話題で盛り上がってしまいました。
どこにも縁があるものです。

今後も各地の博物館施設を訪れて、いろいろと勉強をしたいと思っています。

2009年11月19日

●快晴と暴風のしし座流星群観測

2001年に日本で大出現をした、しし座流星群。
今年も、11月18日朝に、2001年ほどではないもののダストトレイルの接近により、ある程度の出現が予想されていました。
出現予想時刻が日本時間で夜明け後となるため、出現のピークは見られないものの、出現の増加が観測できる可能性があったのです。

そんな予測に基づき、17/18日は観測を計画していたのですが、折悪しく低気圧が接近し、低気圧通過後は強い冬型となる天気予報となりました。
日本海側気候の影響を受けやすい岐阜県では、悪天候で観測できない可能性が強くなったため、直前まで天気図とにらめっこをしながら観測地を検討、結局、冬型の影響を受けづらい三重県まで遠征することにしました。

17日、仕事から帰り準備をして出発。
国道23号線をひたすら南へ向かいます。
四日市を過ぎたあたりから晴れ始め、津あたりからは快晴。
あとは暗い空と視界を求め、さらに南下し、結局、2001年の大出現を観測した鳥羽市某所の観測地へ。

空は快晴で、6等星超まで見える素晴らしい透明度ですが、風が非常に強く、強風というより暴風です。
出現の増加が期待されるのは夜明け直前なので、3時半まで車の中で待機、フロントグラス越しに満天の星空を眺めていたのですが、しし群が頻々と流れます。
母彗星が遠く去り、通常は1時間に10個程度しか出現しないはずなので、この出現数は確かに異常です。

3時半からはいよいよ気合いを入れ、外に寝転がって本格的な観測を開始。
雨上がりの夜空は素晴らしく、メガスターで映し出す星空のように細かい星が無数に見えています。
流星は、やはり頻々と出現。
しし群だけでなく、おうし群もいくつか見られました。
速度が遅く長経路で火の粉を散らす、おうし群の火球も見られ、退屈することがありません。
面白かったのは、隣で観測しているogawa嬢の反応。
暗い流星では、一言「あ!」。
もう少し明るい流星では「ああっ!」
0等よりも明るい流星が出現すると「わあーッ!」
マイナス等級では「キャー!」
声で流星の等級がわかります(笑)。

薄明まで観測しましたが、コンスタントに1時間あたり30~40個のしし群が出現、散在まで含めると1時間あたり50個程度の出現が続きました。
流星数は多かったのですが、明け方に向けて出現が増加する傾向は感じられず、果たして予測通り中央アジアで出現が増加したのかどうかは、今のところ情報も入っておらず不明です。

夜明け直前、低空に輝く金星を見てからしばらく仮眠。
その後は、伊勢神宮を内宮・外宮ともに参拝、さらに川越町にある中部電力の電力館「テラ46」を見学し帰路につきました。

悪天候の予測にもかかわらず、快晴の空の下でそれなりの出現が見られ、伊勢神宮参拝などオプションまでついての(?)意義深い観測行となりました。

他の観測者の結果ですが、悪天候で見られなかった場所が多く、観測できた方の報告では、やはり1時間あたり30~40個程度がコンスタントに出現したようすです。


2009年11月21日

●特別展開場式が挙行されました

ここ2ヶ月ほど、揖斐川歴史民俗資料館では、特別展の準備を行ってきました。
年に一回の特別展、今年は「ふるさとの民具と日本の蓑」と題して、揖斐川町内各地の農耕生産用具や養蚕、紙漉の道具の展示に合わせて、旧藤橋村で収集してきた全国各地の蓑を展示することになり、乏しい予算と人員をやりくりして準備をしてきたのです。

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ようやく準備が整った昨日、その特別展の会場式典が開催されました。
揖斐川町長、県会議員、町会議員などたくさんの来賓が出席し、秋らしい好天の下、テープカットが行われました。
式典の後は、60名の出席者が展示を観覧され、農具の展示コーナーでは「昔に使ったことがあるものばかりで懐かしい」という声が随所で聞かれました。
全国の蓑を一堂に集めたものとしてはおそらく全国初となる「日本の蓑」の展示はさすがに圧巻で、観覧された皆さんは「これはすごい」と歓声をあげていました。

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今回の展示では、揖斐川町内という狭い範囲で使用されてきた民具展示と、全国から収集した蓑の展示を同時に開催することにより、ミクロからマクロな視点で民具を考えてほしいという意図があります。
ぜひ誘い合わせてご来場いただき、観覧していただければと思います。
天文は好きだけど民具なんて興味がないと思われる方も、全国から収集した蓑の展示を見ると、認識を新たにさせられますよ。

揖斐川歴史民俗資料館は月曜日が休館、開館時間は午前9時から午後5時までとなっています。
不明の点等は、電話0585-22-5373までお問い合せ下さい。

2009年11月24日

●かわべ天文公園への旅

和歌山県日高川町にある「かわべ天文公園」に、久しぶりに行ってきました。
なだらかな高原状の丘に、100cm反射望遠鏡とプラネタリウム、快適な宿泊施設が整備されたこの天文公園は、紀勢本線の駅から歩いていける交通の便が良い場所にあります。
市街地に近い割に空は暗く、清潔な施設とアットホームな職員の対応が嬉しい施設です。

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しばらくぶりの訪問でしたので、星が見られることを楽しみにしていたのですが、残念ながら到着した日の夕方から雨。
それでも、100cm反射望遠鏡やプラネタリウムを職員の方に案内していただき、懐かしく楽しい時間を過ごすことができました。
公開天文施設の現状についてもいろいろと話すことができ、各地の施設の今後について考えさせられました。

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翌日は朝から晴れ。
日ごろの行いの悪さを反省しつつ、チェックアウト後には「日本一短い私鉄」として有名だった紀州鉄道に乗車したり(現在は千葉県の芝山鉄道が最短の私鉄だそうです)、鍾乳洞を見学したりしながら、気持ちの良い一日を過ごしました。
紀州鉄道は、運行距離が2.7kmしかないローカル鉄道。
細いレールをバスのようなディーゼルカーがのんびり往復します。
左右にゆらゆら揺れながらのんびり走る乗り心地は、鉄道というよりも船に近い感じ。

他にも、往路にみさと天文台を訪問したりと、いろいろと珍しく面白い経験ができた紀州路の旅でした。

写真:100cm反射望遠鏡・紀州鉄道

2009年11月26日

●おうし座流星群

先日のしし座流星群観測の際には、おうし座流星群の流星もいくつか見ることができました。
おうし座流星群は、9月末から11月末までの長期間にわたって活動します。
北群と南群に大別することができ、北群は11月5日頃、南群は11月12日頃が極大とされていますが、シャープな極大ではなく、その頃にやや数が増加するかな、という程度です。
通常の年は1時間あたり5個出現すれば良い方という、ささやかな流星群です。

おうし群は、対地速度が北群で29km/s、南群で27km/sと非常に遅いために、ある意味、見応えがあります。
明るいものは、打ち上げ花火がシュルシュルと上がるときのように火の粉を散らし、色をさまざまに変えながらゆっくり流れてゆきますので、対地速度が71km/sと速く、あっという間に見えなくなってしまうしし群よりも印象が強いかもしれません。
ただし、速度が遅い分、痕を残すことは少なく、ほとんどが痕を残すしし群とは、この点でも対照的です。
ときおり火球を飛ばすことがあり、先日のしし群観測の際に見られた流星も、準火球と言って良い明るいものでした。
流れている最中に「あーっ!まだ見えるぅー!すごいすごい!」と騒いでいる時間がたっぷりあるほど長経路でゆっくりでした。

この流星群に性状がよく似たものとしては、夏に見られるやぎ座流星群があります。
1時間あたり1~2個程度という出現ですが、対地速度が23km/sと遅く、長経路で火球を飛ばすことが共通しています。
ただ、私の経験では両者は色に大きな違いがあるように感じています。
赤っぽい火球が多いおうし群に対して、やぎ群はエメラルドグリーンと言って良い青さの火球が多いのです。
流星物質の組成が違うのかもしれません。
また、やぎ群の方が経路途中で爆発する流星が多いような気もしています。
いずれにしても、おうし群はやぎ群と並んで好きな流星群のひとつです。

2009年11月28日

●国際宇宙ステーションとスペースシャトルのランデブー

昨日の夕方、国際宇宙ステーション(ISS)とスペースシャトル(STS)がランデブー飛行するようすが全国で見られました。
実は私は当日までこのことを知らなかったのですが、ogawa嬢がメールで教えてくれました。

昼間は雲が多かったのですが、夕方から晴れ始め、暗くなりはじめた頃には雲量3程度と、まあまあ良い天気になりました。
上空を通過する予想時刻は17時49分頃です。

車にはいつもカメラと三脚を積んでいますので、職場の駐車場にカメラをセッティングして待機します。
職場の駐車場は、空は暗く、視界は広く、誰も来ないという絶好の観測地。
だいたい空のどの辺りを通過するという予想を立て、待つことしばし。

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現れました。
北西の低空に3等星ぐらいの小さな光が。
やや遅れて同じ程度の明るさの光点が後を追います。
ふたつの光点は高度を増すにつれ明るくなり、北西に輝く「こと座」の1等星ベガをかすめ、さらに明るさを増しながら「わし座」のアルタイル付近を通過、10度ほどの間隔を保ちながら月の近くを通り過ぎ、次第に暗くなりながら南東の山並みに沈んでいきました。
いちばん明るいときは、このところの一番星である木星よりもずっと明るく見え、キラキラ輝きながら夜空を翔けていく光景はとても美しいものでした。

月明かりと露出時間の兼ね合いから、いつもはISO800で撮影するところ、感度をISO400に設定、南東の山に沈むまで連続して撮影することができました。
すぐにogawa嬢から「見えた?」とメール。
「見えたよ」と返信し、ふと気づいて再度メール。
「あのー、どっちがISSでどっちがSTSなの?」
情けないことに、ふたつの光点のうち、どちらがISSでどちらがSTSなのか知らなかったのです。
「先行しているのがISSだよ」とogawa嬢からメールが来ました。

写真は、ベガをかすめていくようすです。
ISSは頻繁に見えますが、STSとのランデブーはなかなか見ることができませんので、情報を教えてくれたogawa嬢に大感謝です。

2009年11月30日

●天文講演会とISS

11月28日(土)、名古屋大学で開催された講演会に行ってきました。
名古屋大学星の会が主催する天文講演会で、今回はJAXAの岩田隆浩先生が「かぐやで明らかになった月の起源と進化」、なんてん天文台の福井康雄先生が「なんてん分子雲からガンマ線源を追求する」と題して講演を行いました。

月の成因や歴史には以前から興味がありましたので、岩田先生の講演は興味深く拝聴できました。
月の表側には海が占める面積が大きいのに対し、裏側には海が殆どないことについては、地球の引力によって月内部の物質分布に偏りが生じていることが原因だと以前から指摘されてきましたが、日本の月探査機「かぐや」のさまざまなミッションによって、それが確かめられたとのこと。
そのことに関連して、講演会終了後の懇親会では、以前から疑問に思っていたことをお尋ねしてみました。
「月の表側に海が集中している原因はわかったが、表側でも南半球には陸地(高地)面積が多く北半球には海が集中しているなど不均衡が見られるのはなぜか。月とは環境が異なるが、火星についても、巨大火山がある地球的な地形とクレーターに覆われた月的な地形に全球が2分されているが、それはなぜか」
そんな質問です。
岩田先生は、それはまだ謎ですとお答えくださいました。
謎であると答えてくださったことで、私は長年の疑問に一定の回答を得られた気持ちになることができました。

福井先生の講演は、宇宙からやってくるガンマ線の発生源が陽子起源なのか原子起源なのかという2説を比較、超新星の衝撃派面と水素の分子雲・原子雲双方の相互作用を観測することにより、ガンマ線の発生源を特定するというもので、正直、難しいお話でした。
それでも、4mの電波望遠鏡による観測でそこまでの研究を行うことができる技術と理論に感嘆しながら講演を拝聴していました。

懇親会では、日食で同室だったKさんはじめ何人かの方とお話することができ、とても楽しいひとときを過ごすことができました。

帰り際も快晴でした。
夕方にISSが見えることがわかっていましたので、視界の開けた夕暮れの大学キャンパスから、ogawa嬢と二人、ISSを探しました。
予報時刻、ISSはすぐに見つかり、高度17度ほどの低空を渡っていく様子がよく見えました。
半日、天文の講演を聴き、楽しい懇親会を過ごした後、冷たい風に吹かれて都会の空にISSを見つめるひとときが、とても大切な時間に感じられました。

これからも頑張って天文の勉強をしようと、あらためて思った実りの多い一日でした。