2010年06月02日

●詩「永劫の明日」

紫の薄明が満ちるこの場所に
僕はいつから立っていたのか
見はるかす砂の海を吹き抜ける風のなかに
僕はいつまで立っているのか

歩み続けてきた足跡は砂に埋もれ
遙かな地平線を見つめてみても
同じ形の陽炎の群れが揺れるばかりで
いまは明け方なのか夕方なのか
それすら判然としない

歩む標も示されず
砂の海に沈むことも許されず
ただ異星の砂丘に立ちつくす
こんな寂寥の薄闇

せめて
この薄明が終わり
夜か朝が訪れるならば
歩み続ける決意もできるのだが

どれほど目をこらしても
見上げる空には雲も星も見えず
動くものといえば
足もとの砂に刻まれた風紋だけが
わずかにその形を変化させてゆくだけなのだ

☆ごく稀ですが、生きてゆく標を見失うことがあります。
心の奥底を吹き抜ける寂寥感のなかで思い出されるのは、喪ったものばかり。
そんな気持ちになったとき、いつもこの詩に書いたような永遠の薄明に包まれた砂漠の惑星が心に浮かびます。
てのひらからこぼれ落ちる砂のように、過去も未来も喪われ続け、見上げる空には星も雲も映さない虚無感のみが満ちる寂静の星・・・。
とはいえ、いつまでもそのような虚無の惑星上にたたずんでいるわけではありません。
自らの内部にある負の風景を再確認し、再び歩き始めるためにこうした詩を編むのだと思っています。


2010年06月03日

●おとめ座の相互作用銀河

先日、ウィルド第2彗星を観測した際、彗星のすぐ近くに私の持っている15cm双眼鏡の限界に近い明るさと思われる銀河を見つけました。
その晩、彗星は、おとめ座にありました。
星図を見ると、このあたりには銀河の記号が驚くほどたくさんありますが、15cm双眼鏡では星図に記載されている半分程度しか見えません。
それだけ暗いものが多いということです。

今回、見たのは、おとめ座イオタ星の近くにあるNGC5426・5427という銀河です。
たまたま、ウィルド第2彗星が近くにあったので位置がわかりやすく、探そうという気になりましたが、NGC5426が12.6等、NGC5427が11.9等(いずれも写真等級)と、通常の彗星捜索中では気づかない暗さでした。

見た印象は、非常に淡く細長い光のシミです。
南天は光害に浸食されていることもあって、バックグラウンドよりほんのわずかだけ明るいというだけ。
暗い星雲を見慣れた人でないと、存在の確認すら難しいほどの淡さです。
私が持っていた星図では、なぜかNGC5427しか記載がなかったことと、恐ろしく淡くて細部がわからなかったので、そのときはひとつの銀河だと思っていたのですが、実際にはNGC5426とNGC5427のふたつの銀河がごく近接していたことが後から調べてわかりました。
画像を見ると、ふたつの銀河は互いに細い腕でつながっており、いわゆる相互作用銀河のようです。
もっと大口径であれば、そうした細かい様子もわかったのでしょうが、何しろ淡くて「そこに銀河がある」ということがわかる程度でしたので、そこまでの観察はできませんでした。

今日、コメットハンターとして実績のあるある方のホームページを見ていたら、彗星捜索中にこの両銀河を見た話が掲載されていました。
その方は46cm反射で捜索されており、この程度の口径があれば捜索中に見つけることも十分に可能なのでしょう。
もちろん大口径での眼視捜索は、視野が狭い上に有効最低倍率が高くなるので困難も多くなります。
決して46cmだからラクに暗い星雲・星団を捕捉できるということではなく、その方のスキルが高いからこそ、大口径鏡の性能を活かすことができている、ということは銘記しておかなければなりません。

いずれにしても、光害で明るい南天にあの明るさの銀河を見ることができたのは嬉しいことでした。
次回は、もっと空の暗い場所で、ふたつの銀河が近接している様子を見ることができればと思っています。


2010年06月06日

●2009R1(McNaught)彗星が明るい!

6月下旬から7月上旬にかけて明るくなることが期待されているC/2009R1(McNaught)彗星を、今朝、揖斐高原で観測しました。

1時20分に家を出て、現地には1時45分に到着。
着いてみると、肝心の東の方角から雲が出ていて、月も木星もかすんでいます。
でも、運よく彗星のある位置から東の低空だけが晴れていましたので、さっそく15cm双眼鏡を向けました。
視野に飛びこんできた彗星を見て、思わず「こりゃ、明るい!」と呟いてしまいました。
正確に測定したわけではありませんが、光度は5等か、もう少し明るい4等台です。
視直径は10分、コマが非常に輝くしっかりした彗星像です。
肝心の尾は、若干の薄雲と下弦の月明がある中でも1度の長さがありました。
薄雲と月明がなければ肉眼でも楽に見えたことでしょう。

何よりも嬉しかったのは、コマがしっかりと輝いていること。
私の長い経験から、コマが輝いて締まって見える彗星は明るくなります。
彗星本体からの揮発物質放出が盛んだということです。
この彗星、いよいよ楽しみになってきました。

これから月は細くなっていきますが、問題は天候。
そろそろ入梅です。
梅雨といっても晴れ間はありますから、天候をチェックしながら僅かな晴れ間を探して観測するようにしたいものです。
皆さんもぜひ、早起きしてこの明るい彗星をご覧下さい。
明け方の地平高度は、これからどんどん低くなっていきます。
北東の地平線が開けた空の暗い場所で見るようにして下さいね。
小さな双眼鏡や望遠鏡のファインダーでも簡単に見つかります。


2010年06月07日

●穴掘りの毎日・・・

このところ毎日、揖斐川町内の山の中へ出かけては穴掘りをしています。
文化財標柱を立てるための穴です。
どこの自治体でも、市町村指定文化財というのが選定されていて、その文化財のある場所には文化財名称と文化財所有者名などを記した柱を立てることになっています。
揖斐川町では文化財担当の私が標柱を管理する業務を行っており、今回、傷んだり破損している標柱を12本、立て替えることになりました。
このほど発注していた標柱ができあがりましたので、それらを現地に立てる作業を行っているというわけです。

rokujizou01.JPG

1町5村が合併した揖斐川町は面積が非常に広く、山間地が多いために、現地へ到達するのもなかなか大変です。
数十分かけて山奥へ分け入り、持参したスコップなどを使って深さ40cmほどの穴を掘って、長さ2m、太さ10cm角、アルミ製の標柱を倒れないように埋めるのです。

地面が柔らかければいいですが、石ばかりで硬い場所だと少しもはかどりません。
ましてやこの季節、スコップをふるっていると暑くて暑くて・・・。
蚊に刺され、ヒルや蛇を警戒しながら、汗まみれになっての作業はなかなかに大変です。

昨日は、揖斐川町春日の山奥にあるお寺で作業をしていました。
お寺の境内で開けた場所でしたので、さほどの苦労はありませんでした。
12本作成した標柱のうち、昨日までに7本を立てましたので、残りはあと5本。
今週中に何とか目途をつけたいなあ。
学芸員の仕事にもいろいろあるんですよ。

写真:昨日立てた標柱(揖斐川町春日美束 六地蔵)

2010年06月08日

●企画展「清流揖斐川」が始まりました

今日8日から、勤務先の揖斐川歴史民俗資料館で、企画展「清流揖斐川」が始まりました。
木曽三川のひとつである揖斐川を、源流部から平野部までたどりながら、山紫水明の景観と、鮎や蛍といった川の恵みを、さまざまな資料で紹介しています。

fujiturihashi01.JPG

昨年度も「清流揖斐川と鮎」というタイトルで、この時期に企画展を行ったのですが、昨年は揖斐川町の平野部のみを対象にしたものでした。
今年は上流地域の資料も揃え、揖斐川の源流のひとつである福井県境の冠山から、旧藤橋村にあった「藤のつり橋」、旧久瀬村の景勝地「揖斐峡」から旧揖斐川町の簗場など、揖斐川町内の流域全体を俯瞰した展示としました。
この展示製作にあたっては、町内あちこちの写真を撮って歩いたり、さまざまな本を読んだりしましたので改めて勉強になりましたし、楽しんで展示を作ることができました。

展示期間は6月8日(火)~8月29日(日)です。
期間が長いので、お近くにお越しの際は、ぜひご観覧いただければと思います。

揖斐川歴史民俗資料館
岐阜県揖斐郡揖斐川町上南方901番地5
電話:0585-22-5373
入場料:大人100円 小中学生50円
休館日:毎週月曜日

写真:「藤のつり橋」の展示

2010年06月10日

●今朝のC/2009R1(McNaught)彗星

今朝は、揖斐高原でC/2009R1彗星を見ました。
晴れてはいるものの、透明度が非常に悪く、自宅からは北斗七星がやっと見える程度の空でしたが、これから先、晴れる日は少なそうなので、出かけることにしました。

揖斐高原に着くと、平日なのに若人が群れています。
G大学の天文サークルとのこと。
予想外の賑やかさを横目に、15cm双眼鏡と赤道儀を組み立てます。
透明度はやはり悪く、天の川がようやく見える程度。
双眼鏡を向けてみると、彗星、いました。
光度5等級前後、視直径5′、尾は1°ほど。
前回6日の方が、月が明るかったにもかかわらず、明るく大きく尾も長く見えました。
やはり透明度のせいでしょう。

2009R1amini.JPG

G大学の人たちは、なぜか彗星を見ずに帰ってしまい、夜明けまでひとときの静寂が訪れました。
彗星の高度は上がってきたものの、細い月が昇ってきて、やはり彗星の見えあじはイマイチ。

SNが悪く、3分以上の露光をするとカブってしまうので、短時間露光でとりあえず撮影はしました。
複数コマ撮影する時間の余裕がなかったので一発撮りです。
この悪条件ではこんなもんかな、という程度の写りです。

明けそめる東天に、地球照を抱いた細い月が綺麗でした。
月でも撮ろうかなと思いましたが、今日も朝から仕事。
速攻で機材を片づけ、帰宅しました。
この文章を書いている今も、めちゃ眠いです。

写真:60mmF6.7ED屈折 EOS Kiss(ISO1600)にて


2010年06月11日

●今朝も揖斐高原

今朝も、揖斐高原でC/2009R1(McNaught)彗星を見ました。
昨夜以上に透明度が悪く、夜半前、自宅では1等星しか見えない空でしたが、夜半過ぎからはやや回復し、はくちょう座がちゃんと見える程度の透明度になりましたので、出かけることにしました。

揖斐高原には、稲沢市から来たという先客が一人。
「今日は朝から仕事です」とのことで、気合が入っているなあと感心。
見上げる空には天の川も見え、さすがに自宅付近とは比べものになりません。
彗星の位置は、アンドロメダ座とペルセウス座の中間あたりですが、東天低空はモヤモヤ。
2時頃はコマしか見えませんでしたが、時間の経過につれて高度が上がってきて、尾も見えるようになってきました。
光度は4等台後半、イオンテイルとダストテイルがV字形に分かれているようすがわかります。
全体的に尾が太くなった感じです。
透明度が良ければ、かなり良く見えたことでしょう。
明日以降は天候が悪化する上、彗星の高度が低くなり、見るのは困難になってきそうです。

2010年06月12日

●実録?小説「天までとどけ」①

中学生の頃、手製のロケット研究に没頭した時期がありました。
その頃のことを書いた小説が出てきましたので、3回に分けて掲載します。
火遊び、ではありますが、もう時効だと思いますので・・・。

  ☆  ☆  ☆ 

 始まりは些細なできごとだった。
 9月の終わり、僕の家のベランダで湿気てしまった花火をバラして遊んでいた僕たちは、子供なら大抵そうするように、ほぐした火薬にマッチの火を近づけ火遊びを始めたのだ。
 花火に巻いてある色とりどりの紙をはがしていくと、やがて火薬がこぼれ出てくる。中に入っているのは銀色をした火薬で、ちょっと目には細かい砂鉄のような感じだった。
 マッチの火を近づけると、パチパチと勢い良く爆ぜる。さすがに火薬だけあって結構な迫力だ。
 それを見ていた清水が、自信ありげに言った。
「この火薬をさ、軽くて丈夫な筒に詰めたらロケットができるぜ」
 清水はサッカー部に入っている。やや押しが強い性格だが、それだけに行動も判断力もしっかりしていて頼りがいがある清水の言葉には真実味があった。
「ロケットか。かっこいいじゃん。やろう、やろう」
 河相が身を乗り出した。一見、ヌーボーとしているが秀才である。中学に入ってすぐの学力テストでも、学年で3位につけている。
 清水はノートの切れ端をくるくる丸め、セロテープで補強して即席のロケットを作った。長さ5センチほどのミニロケットである。その中に火薬を詰め、爆竹から引っこ抜いた導火線を突っこんでみると、なかなか格好がいい。いかにも勢い良く上がりそうだ。
 僕たちはできあがったロケットを持って近くの空地へ行き、いつかテレビで見た発射シーンを真似て、落ちていた板切れでやや傾いた発射台を作り、胸をドキドキさせながら導火線に火をつけた。
 導火線が燃え尽き、やがてロケットの下部から青白い炎が勢い良く噴き出しはじめる。
 それは本当にテレビで見たロケット打ち上げシーンとそっくりで、その即席ロケットが火柱をひいて空高く上昇する姿を、ためらいなく僕たちに予感させた。
 ところが、だ。ロケットは火を噴いているばかりで少しも飛び上がる気配を見せない。それどころか、巻いた紙がノズル部分から燃え始め、数秒後、ロケットは完全に黒こげになって燃え尽きてしまったのだ。
「ダメじゃんかよ」
 思わず強い口調で僕は毒づいてしまった。自信家の清水も、さすがにこたえたらしく何も言わない。
「機体を紙で作ったことに問題があるんじゃないかな」
 河相は、さすがに冷静で、すでに失敗の分析を始めている。
「でも、もう花火がないぜ。もう一回やろうにも、夏以外は花火なんて売ってないだろ」
 僕は言った。
 清水は何も言わない。こんなとき、もう一言、何か言ったら怒り出すに決まっているから、僕もそれ以上は黙りこんでしまう。
 思わぬ失敗に言葉もなく、いじけた気持ちのまま、枯れ草を集めて小さな焚き火を始めたとき。
 いきなり、焚き火の中から小さな蛇のようなものがシュルシュルと回転しながら、すさまじい勢いで飛び出してきて、僕たちは思わず飛びのいた。
「導火線だ。爆竹の導火線に火がついたんだ」
 その正体にすぐ気づいたのは河相だった。
「それにしてもすごい勢いだったぜ。ねずみ花火みたいだったよ」
 僕の言葉に、
「そうか、わかったぞ。ちょっとそれ、貸してくれ」
 清水は、僕が持っていた何本かの導火線を手の中でほぐし始めた。
「これだ。ほら、導火線の中に入っている火薬、色が黒いだろ。花火に入っていたのは銀色だったよな。きっと火薬の種類が違うんだよ。この黒い火薬を使えば、きっとロケットは上がると思うよ」
 河相がうなずいた。
「聞いたことがある。これはきっと黒色火薬だ。昔は本物の爆弾にも使っていたらしい」
 目を開かれた思いだった。
 もう一度実験してみた。道路に爆竹の導火線を置き、一端に火をつける。
 と、やはりねずみ花火のように火を噴きながら、導火線は激しくのたくった。
 それからだった。僕たち3人のロケット研究が始まったのは。(つづく)

2010年06月14日

●実録?小説「天までとどけ」②

 次の日から僕たちは、近所のおもちゃ屋を回っては、夏の残り物の花火や爆竹を集める仕事に熱中した。花火はあまり置いていなかったが、爆竹は1年中売っているようで、1週間ほどでかなりの量が集まった。
 花火や爆竹をほぐし、火薬を取り出す作業は、そのころ近所の星好き何人かで作っていた天文同好会
の「本部」で秘密裡に行うことにした。その部屋の扉には「天文同好会本部」といかめしく書かれた紙が貼ってあったが、実のところそこは、同好会の会長をしていた僕の自室なのだった。
「本部」での会議で、さらにいかめしく天文同好会の一組織として「宇宙開発事業団」なる部署が急遽作られ、その実験場として、初めてロケット実験を行った例の空き地を、公式の発射試験場として使用することが決定された。
 何と言っても天文同好会直轄の「宇宙開発事業団」であり、公式の発射試験場だ。僕たちの意識は高揚していた。
「実験を続けていれば、そのうち成層圏ぐらいまで上がるロケットができるかもしれないぜ」
「いや、それには多段ロケットが必要だろう。3段式か4段式が必要なんじゃないか」
「固体ロケットがうまくいくようになったら、液体ロケットも研究してみよう」
 僕たちの夢は今や、本家の宇宙開発事業団をも圧倒する勢いだったのだ。

 それから「同好会本部」であり「宇宙開発事業団」である僕の部屋での試行錯誤が始まった。
 僕たちは毎日のように集まり、ロケットを製作する作業に打ち込んだ。
 初日の実験で黒色火薬の威力はわかっていたものの、それは導火線の中にほんのわずかしか入っておらず、とてもじゃないが惜しみなく実験に使うというわけにはいかなかった。
 また黒色火薬だけを使ったロケット実験は確かにすばらしい結果をもたらしたが、強力なあまり、ロケットをよほど丈夫に作らないと爆発的に火が回ってしまい、一瞬のうちにロケットが黒こげになってしまうという事態が起こりがちであることもわかってきた。
「銀色の火薬と黒色火薬を混ぜれば、ちょうどいい力を出せるんじゃないか」
 僕らはそう考え、潤沢に得られる「銀色火薬」と黒色火薬をブレンドし、ベストミックスを探ることで、できるだけ安価に、そして効率のいい燃料を作り出すことに腐心し続けていた。
 同時に本や資料を読みあさり、少しでもロケットに関する知識を吸収することに努めた。あれぐらい熱心に学校の勉強に取り組んだら、僕だってきっと、河相より少し悪い程度の成績ならば取れるようになったに違いない。
 ともあれ試行錯誤を繰り返すうち、僕たちはしだいにロケット製作のノウハウを獲得していった。
 火薬の調合過程でわかったことは、とにかく黒色火薬の威力は絶大であることから、ロケットを飛ばすためには、銀色火薬8に対して黒色火薬2程度の割合で十分な力を得ることができるということ、また爆発的な燃焼を防ぐためには、ある程度銀色火薬を混ぜることが必要だということであった。
 さらにロケットに燃料を詰める作業も、銀色火薬と黒色火薬をできるだけ均一にブレンドしたものを、できるだけムラがないように詰めこむことが必要で、もしムラや隙間があると、その部分だけが爆発的に燃焼してしまい、ノズル以外の部分から火が噴き出したりして失敗してしまうこともわかってきた。
 もうひとつ、姿勢制御の方法も重要な技術だった。ただ紙を巻いただけのロケットでは安定が悪く、まっすぐに上がらない。当初はロケットに長い竹ひごを取りつけることでこの問題をクリアしていたが、竹ひごつきのロケットは何といっても格好がよろしくない。
 本物のロケットを真似て、機体に何枚かの安定翼を取りつけて姿勢の安定を試み、何度かの失敗の後でその技術獲得にも成功した。
 丈夫で軽く、しかも均一に機体を作る工程も、職人芸を要求される作業だった。どこかに弱い部分があると、そこから火が噴き出してロケットは火だるまになってしまう。かといって丈夫に作りすぎると重くなってしまって上昇しない。
 僕たちのロケット製作は、単純に経験値を積み重ねていくだけで論理的な検証や記録を伴なうものではもちろんなかったものの、次第に製作できる機体は大型化し、11月の半ば頃には、全長30cmほどもあるロケットの打ち上げにも成功していた。
 三人とも大いに気をよくしていたが、それでも多段ロケットの打ち上げは一度も成功しなかったし、液体ロケットに至っては、ノートに簡単な設計スケッチを描いたのみで、何を燃料として使うのかもわからないまま、一度の実験すらできない状態だった。
 僕たちは理解し始めていた。ロケット花火の大型版を作る職人芸こそ習得してはいたが、それ以上発展は望むべくもないことを。所詮は子供の火遊びに過ぎないのではないか、そんな思いが、僕の、清水の、河相の心を、ゆっくりとだが確実に侵食しつつあった。
 木枯らしが吹き始めた頃。
 僕たちは、だんだんとロケットの話題を口にしなくなってきていた。この2ヶ月間、あれほど熱中し続け僕たちだけの本物のロケットなのに、その技術をある程度確立し、数十メートルの高さに飛翔するほどの大型化を達成した時点で、急激にロケット製作への意欲が薄れていくのを誰もが感じていたのだった。
(つづく)

2010年06月15日

●実録?小説「天までとどけ」③

 紫のシルエットを描く丹沢から奥多摩にかけての山なみに、線香花火の赤い玉のような夕日が吸いこまれると、辺りは急に、うそ寒い夕暮れに包まれる。
(冬の夕暮れは、どうしてこんなに短いんだろう)
 訳もなくそんなことを考えながら、僕はロケット発射試験場に立っていた。
 空を見上げる。東の空高くには10日月が昇っており、すっかり定着した冬型の気圧配置に洗われたように、その輝きは眩しいほど白く明るい。月明かりと、まだ僅かに残っている薄明の空に、カペラの輝きだけが針で突いたように白く、鋭くきらめき始めている。
 手に持っていたロケットを、発射台に据えつけた。全長50cm、これまでで最大のロケットだった。機体に月明かりが映えて、白いボール紙製のロケットは、いっそう白く鋭く尖って見える。この1週間、部屋に閉じこもりきりで作った、それまでの技術とノウハウを結集した大型ロケットだった。
(清水と河相がいればな)
 そう思う。清水は、サッカーの試合を控えて練習に余念がない。河相は早くも高校受験のための塾に通い始め、勉強が忙しくなっていた。
 発射台に載せたロケットを点検し、最後の調整をする。ベストブレンドの火薬を詰めこんだその機体は、ずしりと重い。
 このロケットの製作に、清水と河相はいっさい関わっていなかった。彼らが、サッカーや勉強に注いだのと同じ時間と努力を、僕はこのロケットに傾けたのだった。
 発射台に作ったガイドに沿って、導火線をまっすぐに伸ばす。導火線が曲っていると、途中で火が消えてしまうことがあるのだ。
(よし)
 大きく深呼吸をした。
 マッチを擦る。うす闇のなかに灯った小さな火が、驚くほど明るい。
 導火線が燃えるかすかな音が、やがてノズルの内部へと吸いこまれ、ほんのひととき、静けさが満ちた。
(失敗か?)
 そう思った直後。
 ロケットのノズルから吐き出された炎の眩しさに、僕は目をしばたいた。
(上がれ。上がるんだ!)
 ノズルから吐き出されるまっ白な炎を見つめ、僕はただそれだけを念じ・・・。
 次の瞬間、すさまじい速度で紫の夕空へと舞い上がった僕のロケットは、ますます白い輝きを増し始めていた10日月に吸い込まれるように見えなくなっていた。焼け焦げた発射台と、月明りの空にまっ白に残る煙を見なければ、この1週間、何もかも忘れて作りあげたロケットが、初めからこの世に存在しなかったのではないかと思えるほど、それは一瞬のできごとだった。
 ロケットが消えた空を、僕はいつまでも見上げていた。
 月明りの夜空に、次第に星の数が増えてくる。
 ロケットは、落ちてこなかった。
 てのひらに残っている、ロケットの重さと冷たさを確かめるようにぎゅっと拳を握り、僕は12月の風の中に立ち尽くしていた。(おわり)


☆ノンフィクション度90%のロケットボーイ小説、いかがでしたか。
清水も河相も実在の人物です(敬称略ですみません)。
特に天文界で活躍している清水は、ご存知の方もいるのではないかと・・・。
彼らは、当時のことを覚えているかな。
東大和天文同好会からは、今日の天文界を担うアマチュア天文家多数を輩出しています。
なんとも奇抜で異常でヘンタイで面白い同好会でした。
天文雑誌写真コンテスト入選常連のY会長のもと、創立37年が過ぎた今も続いていますよ。

2010年06月17日

●雲間のC/2009R1(McNaught)彗星

梅雨の晴れ間となった今朝、C/2009R1(McNaught)彗星を観測しました。
これから梅雨空が戻り、彗星の高度もぐんぐん低くなってしまう今後を考えると、今朝が恐らくラストチャンスと考え、気温が下がって明け方に雲が出るリスクを負っても観測に行こうと決めていました。

夜半前、揖斐高原に着くと、かなり薄雲が出ていました。
しばらくすると晴れてきて、夏の星座がきれいに見えてきました。
と、いきなり眩しいヘッドライトの光に照らされました。
停車後もしばらくの間、こちらをまっすぐに照射しているのでたまりません。
時刻は午前1時30分。
「天文屋さんか?それにしてもマナーを知らないヤツだな」
と思っていると、おっさんが車から降りてきて、何やらうろうろしています。
カップルや暴走族ではなく、ごくノーマルなおっさん。
やがて車に乗りこんで立ち去ってしまいましたが、いったい何者だったんだろう・・・?

気を取り直して空を見ると、ところどころ星は見えるもののクモクモです。
平野部に下れば晴れている可能性にかけて、急遽、山を下ることにしました。
揖斐川町内の某観測地に着いて空を見上げると、やはりクモクモ。
時刻は午前2時30分。あと30分ほどで薄明が始まります。
少しずつ雲が晴れてきました。
でも、彗星のいる北北東低空は依然としてかなりの厚い雲。
薄明との勝負です。
カシオペヤ座が見え始め、ペルセウス座が見えてきました。
彗星はペルセウス座とぎょしゃ座の真ん中あたりに見えるはずですが、そこだけいつまでも雲が残って星が見えません。
空が明るくなるまでに残された時間はあと10数分。
今日が仕事にもかかわらず観測に来ていたogawa嬢ともども、彗星のいる位置を捜索しますが、やはり雲。
でも、諦めずに最善を尽くすしかありません。
低空がはっきりと朝の色になり始めた頃。
突然、雲が晴れて彗星が視野にとらえられました。
光度5等、視直径7′、1度近い尾がある姿です。
彗星が見えているのは、帯状に雲が薄くなっているほんのわずかな晴天域。
ほんの僅かな時間でしたが、夜明け直前、しかもあの雲の下、彗星を視認できたのは本当に奇跡的でした。

多少の仮眠は取ったものの、今日も一日お仕事。
眠いですが満足です。
あとは、南半球か北海道に行かないと見ることはできないでしょうから。


2010年06月19日

●永遠の子猫、くろっぴ

くろっぴは、ウチに7匹いる猫のなかでいちばん若い子です。
昨年、母親のめそめそが連れてきた3匹の子猫の1匹で、くろっぴだけが貰われずに残ってしまいました。
金色の目をした黒猫で、なぜかおなかだけ白い毛が生えています。
器量は決して悪くない、というより、けっこうな美猫なのですが、なぜか貰い手が見つかりませんでした。

kuroppi01.JPG

このくろっぴ、生まれてから1年が過ぎ、もうすっかり大人・・・のはずなのですが、いつまで経っても心は子供のままです。
やんちゃですばしこく、じっとしていることがありません。
警戒心が強く、飼い主にもなかなか慣れてくれません。
食欲は旺盛で、他の猫が食べ残した餌をみんな食べてしまいますので、肥らないようにコントロールするのが大変です。
私の猫飼育の経験では、オス猫に比べてメス猫は、どちらかといえば大人しく分別があるはずなのですが、くろっぴはどう見てもオス猫です。
母親といっしょの部屋にいるせいで親離れできないのかもしれません。
猫用のおもちゃで無心に遊ぶ姿はとても可愛らしく、子猫そのものです。
ただ、鋭い爪と歯で突進してきますので、遊ばせるときは人間が怪我をしないように注意が必要です。

2010年06月21日

●中央アルプス千畳敷、氷雪の一夜①

久々に掲載する未公開観測記。
今回は、天文雑誌の取材で出かけた天文登山の紀行です。
リベンジを果たしたい星見旅行はいくつかありますが、今回掲載の中央アルプス登山もそのひとつ。
そんな爆笑と涙に彩られた「男の天文登山」を3回に分けて掲載します。
お楽しみいただければ幸いです。(同行したメンバーは、泣きながら思い出に浸って下さいませ・・・)


  ☆  ☆  ☆

 人影まばらな早朝の中央本線、高尾駅。鳥のさえずりだけが、初夏の大気をかすかに震わせる。
「10円玉、みーっけ!」
 静寂と、ほのかな旅情を土足で蹴倒すように響いたのはIgawa氏の大声であった。
「ほら、見ろよ。ベンチの下に10円玉が落ちてるぜ!」
 ホームのベンチの下に潜りこんだIgawa氏、目にもとまらぬ素早さで10円玉を拾い上げ、「これで110円儲けた」。
 実はIgawa氏、20分ほど前にも立川駅のホームで100円玉を拾っているのである。
「みんなで探そうぜ。他にも落ちてるかもしれねえからよ」
 こと金銭に関しては抜群に高感度という目を更に超増感しながら、Igawa氏、周囲を見回している。氏の姿を見ているホームの乗客すべてが爆笑している中、当のIgawa氏だけは真剣である。

 そんなIgawa氏と、じーさん、akapi、山吉、そして私の5人は、朝5時の高尾駅で、天文雑誌編集部のカメラマン、イエティ氏を待っていた。
 その天文雑誌編集部から取材の依頼があったのは、4月初旬のことだった。
『星とアウトドアの雑誌を出すことになりましてね。東大和天文同好会の皆さんに中央アルプスで満天の星を見てもらい、記事を書いて欲しいんですよ』
 魅力的な申し出である。3000m級の高山で見る星空は、さぞかし素晴らしいことだろう。
 会長だった私は、即座に申し出を承諾した。それから数次にわたる打合せの末、5月の連休に星見登山を行なうことが決定し、私たちは西へ向う列車とイエティ氏を、今こうして高尾駅のホームで待っているのであった。

「あっ!50円!」
 Igawa氏の大声がふたたび響いた。氏の指さすあたりを見ても、私には50円玉の姿など見えぬ。
 階段を飛び降り、すぐに戻ってきたIgawa氏のてのひらには、しかし、しっかりと50円玉が握られていた。
 氏は、尚も捜索を続けている。私を含めた同行4名は、ひたすら他人のふりをしていたものの、それでもいたたまれない思いであった。
 結局Igawa氏は、合計180円を拾得し、その金でホームの自販機からコーヒーを購入した。
「恐ろしい野郎だ・・・」
 美味そうにコーヒーを飲むIgawa氏の傍らで、山吉がうめくように呟いた。

 まもなくイエティ氏が到着した。がっしりとした体躯に撮影機材を詰めこんだフレームザックを背負ったイエティ氏、まさにその愛称が相応しい山男だ。
 爽やかな笑顔で近づいてきたイエティ氏、キラッと白い歯を輝かせて『天文登山を楽しみましょう!』とでも言い出すかと思ったら、
「なんか曇ってますよ。ほんとに行くんですか。だるいっすね」。
・・・思い切り脱力。
 そう、見上げる空は快曇である。現地の天気予報も思わしくない。
「なんだか悪い予感がしますよ。今からでも遅くないからやめましょうよ、ね」
 ごつい外観に似つかわしくなく、しょっぱなから弱気なイエティ氏、しきりに計画の撤回を勧める。
「まあ、仕事ですからね」
 根が真面目な私はそう答えた。
 しかし、そう答えたことを、半日後、私は深く後悔することになる・・・。(つづく)

2010年06月22日

●中央アルプス千畳敷、氷雪の一夜②

 松本行きの普通列車に乗りこんだ私たちは、辰野で急行「天竜2号」に乗り換えた。
 伊那谷を進むに連れて、左手に雪をいただいた山々が見え始める。
「まだあんなに雪があるじゃんかよ」
 悲しげに叫ぶIgawa氏を尻目に、登山が趣味の山吉は嬉しそうである。
「これから登る中央アルプス、4mの積雪だってさ。山頂は暴風雨に違いない。気温も真冬なみに下がるだろうし、うわあ、楽しいな、楽しいな!」
 こいつ、やはりマゾだったか。そんなことを思ううち、駒ヶ根駅に列車は滑りこんだ。
 駅から、これから登る中央アルプス山系が見えるはずだが、低く垂れこめた雲に厚く覆われて全く見えぬ。
 頭をもたげ始めた不安を押し殺しながら駅前の食堂で腹ごしらえをし、11時30分のバスに乗りこむ。
 バスは空いていた。私たちは最前席に腰を下ろし、窓外の景色にしばらくは無邪気にはしゃいでいたのだが、次第に皆、無口になってきた。
 ダートである。道幅は、ほぼバスの車幅と同じ。左手は千尋の谷。加えてヘアピンカーブの連続だ。カーブでは、バスの先端が路肩からはみ出す。最前席に乗っている私たちは中空に飛び出した格好になり足元に地面が見えぬ。タイヤは辛うじて路肩に乗っているのだろうが、私たちには、今、乗っているこの乗り物がバスとはどうしても思えない。航空機かロープウェイにでも乗っている気分である。小惑星のごとき巨岩が路上に鎮座している箇所もあり、あのような物体が頭上から落下してきたら、どうなってしまうのだろうと思う。

「しらび平」に到着した。ここからロープウェイに乗り換えて、千畳敷までの900mを一気に上る。
 ロープウェイは、すぐにまっ白な霧の中に突入した。何も見えぬ。ただ、ぐんぐん高度を稼いでいることだけが体感できる。
 千畳敷は、3mの積雪と濃霧、強風、そして横殴りの雨であった。
「ね、やっぱりやめた方がよかったでしょ」
 イエティ氏の言葉に皆、熱く頷きながら、それでも仕方なく防寒具と雨具を身に着ける。とはいえ、雨という事態は容易に想像されていたにもかかわらず、まともな雨具を用意していたのは山岳部長の山吉とイエティ氏のみで、私を含めた他の4人はどうしようもない軽装だ。
「オレ、ビニジャンだよお」
 Igawa氏が泣きそうな声で言う。
 懐が決して暖かいとはいえないIgawa氏、ビニール製の黒いジャンパーを平常から愛用している。遠くから見ると皮ジャンにも見えなくはない造作だが、実態はペラペラのビニール製のため、防寒効果も耐久性もないという代物である。
「山なんて登りたくないよお。もう帰ろうよお」と駄々をこねていたIgawa氏だったが、それでもいざ出発となると、
「冬山をビニジャンで登ったのは、歴史上、オレ一人だろうな」などとホクホクしていたから、やはり偉大な男には違いない。
 山吉を先頭に、千畳敷カールをゆっくりと歩き出す。
「踏み跡を外さないように!」
 山吉の鋭い指示が飛ぶ。
 太腿まで雪に埋もれながら苦闘することしばし、道は俄然、稜線に向けての直登となった。
 いつのまにか氷雨が止んでいる。あるかなきかのトレースをたどるうち、稜線へとたどり着いた。さらに数分、目指す宝剣山荘に到着する。
 屋根まで雪に埋もれた山荘の周囲には、すでに10数組のパーティーがテントを張っていた。
 霧が深い。数メートル先すら判然としない。
 山荘の裏は絶壁だった。絶壁の遥か下から、巨大な風圧が吹き上げてくる。風は渦巻き、雲を吐き、山全体を吹き飛ばそうとするかのように狂奔している。
 しばらく呆然として、その巨大な風の所業を見つめていた私たちに山吉が指示を出す。
「早くテントを張ろう。場所をとられちまうぞ」
 思い出したように、皆、動きはじめる。
「akapi、スコップは?」
 山吉の問いにakapi、「えーと・・・。忘れた」。
 軽やかな返答に絶句していた山吉、気を取り直したように言葉を継いだ。
「機械文明に頼っちゃいかんな。やはり最後は人力だ」
 強風と濃霧の中、私たちは1時間あまりかけて、凍える手で雪を掘り、足で雪面を踏み固めた。
「スコップ・・・。実に偉大な機械文明だ。俺たちは人類の叡智をもう一度見つめなおすべきなんじゃないのか」
 押し黙ったまま、心の奥底でそんなことを考えつつ雪を掘り踏みしめる私たちの心中など知るはずもない他のパーティーは、偉大な発明品であるスコップを駆使し、私たちがまだ半分も雪を踏み固めないうちに、すでにテントを設営し、あまつさえその中でコーヒーなどを飲んでいる様子である。
「どーしてオレらはいつもこうなんだろう」
 足をせわしなく動かしつつ、Igawa氏がぶつぶつと呟く。
 強風に煽られつつ、何とかテントの設営を終える。もう全員、フラフラである。
 べちょべちょの靴を脱ぎ、テントに転がり込むと、ようやく平安が訪れた。誰もが精も根も尽き果てたようすで自分のシュラフに潜りこむ。
 テントの中は静かである。外の強風が嘘のようだ。
「これからどうする?」
 誰からともなく呟く。天候は悪化の一途をたどっているし、何もすることはない。
「メシ食って寝る!」
 山吉が、きっぱりと言う。
「山で何が楽しいかといえば、飯を食って寝ることだ」
 確かに今の状況でそれ以上の真理はない。
「メシの前にコレでしょ」
 イエティ氏が、ドンとウィスキーのボトルを置く。
「さ、どんどん食って荷物を軽くしてねー」と、じーさん。
 私も同じ心境だ。じーさんと私は食料係なのである。
 二人のザックから食料をぶちまけてみれば、あるはあるは、シーレーション(アメリカ軍の携行食糧)、チリ、鳥めし、牛めし、チキンライス、牛肉、焼肉のたれ、ドライフルーツ、バターライス、鶏肉、梅干、レモン飴、サラダの缶詰、マグロのフレーク、シーチキン、お米、スープ、なぜか白玉、ゆであずきの缶詰まである。
 山での食事とは思えない豪華メニューを食し、とりあえず胃袋も心も安らかになった。
 ただ、皆が一様に嫌がったのは水である。水そのものではない。水をいれるために持参した容器が嫌われた。
「なんで現像液の保存容器なのー!?」
「いや、何でと言われても・・・。液体を入れる容器のうちで、これがいちばん身近にあったので・・・」
 それから水を飲むたび、病気になりそうだとか酢酸の匂いがするとか文句を言われたが、密閉性も優れているし、たくさん入るし、悪くないと思うんだけどなあ。(つづく)

2010年06月23日

●中央アルプス千畳敷、氷雪の一夜③

 時刻、19時。宵の口だが、することもない。皆、寝る。
 ややウトウトした、と思ったとき。じーさんが、がばと起き上がった。
「ど、どうした?」
 訊ねると、真剣な顔をして、
「まっちゃん、しょんべん、行こう!」
 そう言う。
「しょんべんぐらい、一人で行けよ」
「でも外は真っ暗だし風はビュービューだし、こわいんだもん」
 あー、仕方ねーなーとばかりに私も起き上がる。ぐちょぐちょのキャラバンシューズを履いて、じーさんと二人、霧と強風の中へ出て行く。
 山荘のドアを開け中へ入ると、すさまじい風の音がぴたりと止んだ。排尿を済ませ、一憩する。闇の中で、じーさんのくゆらすタバコの火だけが暖かく明るい。
 テントに戻るが、風が一層強くなり雨も降り始めたらしく、吹き降りの音で眠れない。吹きすさぶ風と雨の音を聞きながら、長い夜になりそうだと思った時であった。
 バフバフ!という異様な音が間近に聞こえた。かと思うと、テントの窓から雨がシャワーの如く吹きこんできたのである。
 さすがに寝こけていたメンバー全員が飛び起きた。窓に近い場所に寝ていたメンバーの顔はびしょ濡れになっている。
「今の音、フライシートが飛んだ音じゃないか?」
 akapiが叫んだ。
 しばらくテントの外をうかがっていた山吉が、やがて沈鬱な声で答えた。
「どうやらそうらしい。まずいことになった」
 あとは予想された結末であった。
 あちこちから吹きこむ雨のためにテントの内部に水が溜まり始める。水位は次第に上昇し、私たちの体と荷物をぐっしょりと濡らしてゆく。
 それでもなお、しつこく寝ていた私たちも、さすがに身体の下半分が水没するに及んで起き上がらざるをえなくなった。そのまま寝ていれば、生命の危険を招くことは明らかだった。シュラフが半分以上、水没している。遠からず水位は顔より高くなって、あろうことか3000mの山の上で私たちは全員、水死するに違いない。
「もうこりゃいかん!撤収だ!」
 山吉の号令が下った。
 気温0度、相変わらずの風雨と霧の中でテントを畳む。体の芯まで、いや、心の奥まで凍えて水浸しで、誰もが話をする元気もない。
 いつしか薄明が迫り、あたりはぼんやりと明るくなっている。とはいえ、爽やかであるべき初夏の黎明にはほど遠い。空も地面も気分も、何もかもが鈍色に澱んだ陰鬱極まりない朝である。
 白いはずの雪さえも灰色に染め上げる風雨と霧の中、どこまでも重苦しい気分で下山する。寒さと睡眠不足で足がよろけ尻餅をついたメンバーを、容赦なく烈風と氷雨が包みこむ。
 それでも、あくまで私たちは生真面目だった。こんな状況下でも仕事だけはこなさなくてはという使命感から、いくつかのポイントでロケをし、メモを取り、カメラに収まった。陰鬱な心中とはうらはらに、『天文登山って、こんなに楽しいんですヨー!』的な笑顔を作って。
 演技派の私たちである。その後、刊行された雑誌の記事を飾る私たちの写真は、どれを見ても楽しげで明るい。いや、やはりカメラマンであるイエティ氏の腕が良かったと言うべきか。

 例に漏れず悲惨な旅ではあったが、それでも帰りの列車内でメンバーの表情は明るかった。星は見られなかったものの、過ぎてしまえば楽しく得難い経験である。
「次に来るときには、絶対に満天の星を見ようぜ」
 懲りもせずリベンジを誓い合う私たちであった。
 とはいえ、さすがに皆、疲労の極みである。
 往路では180円也を拾得したIgawa氏も、金銭を発見する目の感度が極度に低下したようで、1円玉のひとつも見つけることはかなわなかった。(おわり)


☆いかがでしたでしょうか。
私の星見行は、大抵がこのように悲惨極まりないものです。
これからも折に触れて、こうした涙と笑いの観測記を公開してゆくつもりですので、ご笑覧いただければ幸いです。
ただ、こうした星見行を通じて、観測技術のみならず人生についてさまざまなことを学び、一生の友を得ることができたのは、すばらしいことだったと思っています。

2010年06月24日

●超低空のC/2009R1(McNaught)彗星

太陽に近くなって見づらくなったC/2009R1(McNaught)を、今朝、観測しました。

昨日の夕方から晴れ始め、若干の期待をしてはいたのですが、夜になっても薄曇りの空に満月近い月だけが見えている状態で、これはダメかなと思っていました。
あまり寝付けぬまま、午前1時30分、空を見上げると、全体に薄雲が覆ってはいるものの、北の空はけっこう星が見えています。
晴れる可能性は低いと思いつつ、まあ曇ったら帰ってくればいいやと、揖斐高原へ出発。

現地に着くと、空の南半分は曇り、北半分は晴れという、まさに梅雨前線と高気圧の境目の空模様。
前線から遠い北へ行くほど晴れているという天候です。
幸い、彗星のいる北東の空も晴れています。
少しく東天を15cm双眼鏡で流した後で、彗星を見つける目印となるカペラが昇ってくるのを待ちますが、揖斐高原のいつもの観測地からは北東に行くほど山の稜線が高くなっていて、ちょっと危なそう。
一瞬の判断で、双眼鏡を一度撤収、やや低い場所へ移動しました。
空を見ながら走っていると、カペラがキラリと見える場所がありました。
時刻は3時。
もうここで見るしかないと、道路際に再び双眼鏡を組み立て、カペラの下方にあるはずの彗星を探します。
でも、さすがに低く、なかなか山の稜線から昇ってきません。
そうこうするうちに、時刻は午前3時20分を回りました。東天はかなり明るくなっています。
こりゃ、ダメかな、と思ったとき。
稜線から青白い光のかたまりが現れました。
彗星です。
高度は5度。
薄明が進んでいるため、尾はほとんど見えませんが、コマはしっかりしています。
比較星がないため正確な明るさはわかりませんが、この薄明の中で鮮やかに見えていることから、4等程度と思われます。
コマは3′ほど。淡い部分は薄明に呑まれてしまっているのです。
明け染める空に次第に淡くなっていく彗星を見つめているのは、至福のひとときでした。

やがて、南の雲が全天を覆い始めたので撤収。
「今日も仕事だぁ!」と思いながら、帰路につきました。

2010年06月26日

●幻の土倉鉱山第一選鉱所遺構

岐阜県揖斐川町坂内川上から八草トンネルを抜け、少し滋賀県側に下った所に、土倉鉱山の遺構が残っています。
城砦とも見紛う壮大な選鉱所跡は廃墟ファンならずとも多くの人の関心を呼ぶに十分な迫力を持っていますが、この遺構が実は第二選鉱所であり、林道を遡った奥に古い第一選鉱所があることを知る人はほとんどいません。

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土倉鉱山は、明治40年に岐阜県安八郡の中嶋善十郎が鉱石の露頭を発見したことが発端で採掘がはじまり、硫化鉄鉱をはじめ、金、銀、銅、亜鉛など高品位の鉱物が採掘されました。
採掘された鉱物は、空中索道を使用して木ノ本駅まで輸送されました。土倉谷の奥に巨大な選鉱所とともに従業員の住宅や学校の分教場も建設されましたが、冬期の豪雪が凄まじいことから、昭和15年に現在の第二選鉱所が建設され、従業員や分教場、空中索道も移転しました。
やがて、昭和40年、鉱山は閉山され、土倉鉱山は51年に及ぶ歴史を閉じたのです。

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ここまで、土倉鉱山の歴史をおさらいしました。
で、問題の第一選鉱所ですが、第二選鉱所から土倉谷林道を数キロ遡った場所にひっそりと残っています。
第二選鉱所を右手に見、しばらく林道を上ると、すぐに第二通洞抗が真っ暗な口を開けています。
そこから林道は狭い悪路となりますが、私は200CCのバイクで調査に行きましたので、まったく困難は感じませんでした。
しばらく進むと、右手に小さな木の橋がかかっています。
橋を渡ると、そこが第一選鉱所跡。
小広い草原状の平地で、真ん中辺りに2箇所、巨大な竪穴がぽっかりと落とし穴のように開いています。
覗きこむと地底のトンネル内を大量の水が流れており、柵で囲われているものの、落下すれば生還の可能性はありません。

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左手には、一見すると岩山のような第一選鉱所が聳えています。
全面に草木が繁茂しており、らピュタのような第二選鉱所とは異なり、マヤの遺跡のイメージです。
あまりに繁茂した草木のために、第二選鉱所のように上って調べることはできません。
ほとんどの遺構は草木に埋もれており、選鉱所らしさが伺えるのは、写真に示したようにほんの僅かです。
選鉱所の奥には第一通洞抗があるはずですが、調査の際には鉱山の詳細な歴史や地形を知らなかったので、残念ながら未踏です。
また、住宅の跡らしいものも気づきませんでした。
機会を見て、再度、調査したい場所ですが、危険ですから、必ず複数人で探索していただきたいと思います。
また、このレポートは10年近く前の調査によるものですから、現在では状況が変わっている可能性があることをご承知おき下さい。

2010年06月28日

●坂内民俗資料館

私の勤務する岐阜県揖斐川町は、1町5村が合併した関係で、旧町村それぞれに歴史民俗系の博物館施設があります。
どれも、地域の特色を知ることができる貴重な資料を収集・展示していますが、それら博物館施設のうちで、最も山奥に位置するのが坂内民俗資料館です。

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揖斐川町の中心部から国道303号線を北上し、滋賀県との県境、八草トンネルの手前にあるこの資料館は、茅葺の民家と隣接した収蔵庫内部に、さまざまな生産・生活用具を収蔵・展示しています。
茅葺民家は、屋根をトタンで覆ってしまってありますが、山間地の民家としては非常に大きく立派な造りです。
民家内部には、当時の生活が偲ばれる部屋が再現されており、山仕事や紙漉きの道具など、平野部では見られない珍しい資料を展示しています。
そうした道具の中に「油搾り器」と呼ばれるものがありますが、完全なものは西濃地方全域でもこの資料館にしか現存していない非常に貴重な資料です。

坂内民俗資料館、開館日は土日祝日です。
入館料は無料ですので、八草トンネルを通って滋賀県へ行かれる方は、ぜひ立ち寄ってみて下さい。
あまり知られていませんが、小粒でもピリリと辛い資料館ですよ。

2010年06月30日

●学芸員実習の受け入れ

勤務先の揖斐川歴史民俗資料館では、毎年1~2名の学芸員実習生を受け入れています。
学芸員資格を取得するには、国家試験を受験する、大学で必要単位を取得する、通信教育で必要単位を取得するなどの方法があるのですが、大学や通信教育で単位を取得した場合は、一定期間、博物館施設で実習が義務づけられているのです。

今年は2名の受け入れが決まっており、すでに1名が今月から実習に来ています。
8月にはもう1名を受け入れます。
館長と指導学芸員である私が指導をすることになっており、指導の方針やプログラムは館独自で決めて良いことになっています。

私は学芸員資格を国家試験認定で取得しました。
民間会社に勤務しながらの独学でしたので苦労しましたが、それだけに自負もあります。
これから学芸員を志す人たちに、揖斐川歴史民俗資料館での実習で少しでも自分の血肉となるものを持ち帰って欲しいと思っていますので、これまでの実習生には、博物館学の座学から、展示やキャプションの作成、収蔵庫や書庫の整理作業、学芸員としての心得、さらには混沌としたわが国の博物館行政の中で、予算の確保や効率的かつ実効力ある仕事をするための役所内でのテクニックに至るまで、単なるきれい事だけではないすぐに推進力が身に付く内容を教えてきました。

今回も、初日は館内見学を行いながら展示のコンセプトや今後の展示プランの説明、館の機能説明などを行い、2日目は7月20日から始まる企画展の展示準備を館の学芸員といっしょに行いました。
今後は、企画展の制作をいっしょに行いながら体験イベントなども手伝ってもらい、少しでもたくさんの勉強をしてもらいたいと思っています。