2010年08月01日

●10P/Tempel2が明るい

5.4年ほどで太陽を回っている周期彗星である10P/Tempel第2彗星が明るくなっています。
7月23日の明け方に15cm双眼鏡×25で観測したところでは、全光度8.5等、視直径6′、やや西に偏心しているコマを持つ拡散した大きなイメージでした。
位置は、みずがめ座とうお座の間あたり、木星が近くにいますので見当がつけやすいことと思います。
周囲には銀河がたくさんありますが、いずれも暗いものなので、間違えることはないでしょう。
この彗星は、現在が最も明るく、位置的にも見やすくなっています。
これからはゆっくりと減光していきますが、今後もかなり長期間、10cm程度の望遠鏡で観測が可能と思いますので、周期彗星をまだ見たことがないという方はぜひ観測をお勧めします。
次回は写真を撮ってお見せしたいと思っていますが、しばらくは月明の影響が・・・。

なお、この彗星にはごく最近、宮城県の遊佐徹さんがダストトレイルを検出しています。
ダストトレイルは、ごく大雑把に言えば、彗星が軌道上にばらまいたチリの帯です。
あれ、この言い方、どこかで聞いたことが・・・。
そう、流星群として見える流星物質の元になっているダストのことです。
これまでコプフ彗星で検出されており、今回の検出は2例目です。

2010年08月02日

●スター・ウィークを楽しもう!

昨日から7日まで「スター・ウィーク~星空に親しむ週間~」が始まりました。
愛鳥週間「バードウィーク」があるのなら、子どもから大人まで幅広い世代に星空に親しんでもらえる週間があってもいいじゃないか、という趣旨で、1995年から国立天文台を中心とした全国の有志が集まって行っているキャンペーンです。
私も発足当初からの実行委員として参加しています。

この期間だけでなく、夏休み中には、全国でスター・ウィークに協賛した天文イベントが行われ、スター・ウィークのホームページを見ると、全国都道府県の協賛イベントを一覧することができます。
プラネタリウム、天体観望会、工作教室、星祭りなど楽しいイベントが盛りだくさんです。
興味のあるイベントには、ぜひ足を運んでみて下さいね。

ホームページ上では、遠く離れて同じ星空を見上げている人々をネットで結ぶ「1万人のスターナイト【今、星を見ています・2010】」が期間中行われています。
ぜひ、アクセスしてみてください。
夜に星を見上げた人がどれくらい居るのか掲示板を通じて報告してもらおう、目標は1週間で1万人!という企画です。
携帯からの投稿や画像投稿もできます。
同じ星空を、全国の仲間と共有しましょう!
当日はぜひ星空を眺めていただき、場所と人数、感想などを投稿していただけると幸いです。

また、星に関する曲の人気投票「星メロアウォード」や、皆さんのホームページとスター・ウィークのホームページを相互リンクさせていただく「リンクバナーキャンペーン」も行っています。

現在、日が沈んで早い時刻には、西の空に金星、火星、土星が並んでおり、東の空には1等星3つで作る「夏の大三角」がきれいに見えます。
そうした星や星座を探していただくためのガイドマップもホームページから入手できますので、ぜひ実際の夜空で星や星座を探してみて下さい。

さあ、今夜は晴れるでしょうか。
詳しくは、下にあるスター・ウィークのバナーをクリックしてね。

学校向けには、スター・ウィークのテーマソングである「COSMOS」(byアクアマリン)のCDプレゼントも実施中。

スター・ウィークバナー

2010年08月04日

●小説「Ride On Stardust」①

 かなり以前に書いた小説で、星ナビの前身である「スカイ・ウォッチャー」誌が行っていた文芸賞で2席に入賞した作品です。
 先日、突然「バイクに乗りたいなあ」と思い、この小説を思い出しました。
 若書きの部分もありますが、バイクと星で青春を過ごした当時を思い起こしながら書き綴っています。 

--------------------------------------------------------------------------------

  トタタ・・・。
 文庫本を閉じ、そろそろ眠ろうと思ったときだった。不意に部屋の外で乾いた断続音が響いた。
 バイク。単気筒エンジン、たぶん250ccクラスだ。
 反射的にカーテンを閉じた窓に歩み寄ろうとして、ふと気づく。
そうだ。バイクでこの家へやって来る仲間など、今は誰一人いないはずなのだ。
 苦笑しながら僕は、それでも部屋のすぐ外の路上から響く鼓動にも似た排気音に耳を傾けていた。
 いつか心の奥深いどこかを、いくつもの断片的な、それでいて輝くほど鮮やかな記憶がよぎってゆく。
 目を閉じた。古いアルバムを開くように、そんな記憶の1ページが甦る。
 まだ星が残る夜明けのワインディング。冷たい朝焼けに向かって、それぞれのリーンアングルで飛びこんでゆく仲間たちのシルエット。テールランプが灰色のアスファルトに赤く残像を描き、仲間たちに続いて僕も、タイトなコーナーに向けて車体を寝かしこんでゆく。シールドごしの傾いた視界のなかを、センターラインの白さだけがすばらしいスピードで流れ去り、クリッピングポイントからアクセルを思いきり開けながらコーナーの出口へ向けて立ち上がる・・・。
 あの夜明けの大気の冷たさ、そしてヘルメットのシールドをかすめてゆく風の音が、昨日のことのように
鮮やかだった。あの頃、僕らの傍らにはいつでもそれぞれのバイクがあったし、頭上にはいつでも共に見上げる星空があった。
 静まり返った住宅街に、単気筒の規則的なアイドリングは、僕を誘うかのように時折空吹かしを繰り返しながら、かなり長いこと響いていた。
 やがて、何かを諦めたように回転を上げてバイクの音は走り去ってゆき、しだいに遠ざかるその排気音を、若い日を懐かしむ老人のような心境で、僕はいつまでも追い続けていたのだった。

Riders03.JPG

 国立天文台で行われた研究会が終わり、夕方遅く、天文台から電車で1時間弱の実家へ戻ってきていた。
 東京への出張のときは、大抵は郊外にある実家に泊まる。
 バイクの音が遠ざかり、やがて夜更けの住宅街特有の静寂が部屋のすみずみにまで満ちる頃、ベッドサイドの時計の針は、そろそろ0時を回ろうとしていた。
 ベッドに横になり、部屋の明かりを消し目を閉じた。耳の奥で、先ほどのバイクの排気音がまだ低く響いている。
(8年か・・・)
 僕は思った。
 公開天文台の仕事につくために、生まれ育った東京を離れ、岐阜県の山村へと移り住んでから、それだけの歳月が確実に傍らを通り過ぎていた。
 たまさか東京に帰り、生まれ育ったこの部屋でこうして眠りにつく時、僕はいつも奇妙に醒めた感覚で8年間の長さと重さを実感する。忙しい日々の暮らしの中では、過ぎた歳月を振り返るゆとりなどないのかもしれないし、あるいは子供の頃からずっと過ごしてきたこの部屋の香り・・・錆びた弦が張られたままのギター、15年以上も針を落としたことのないLPレコードの束、とうにメッキの曇った10cm反射鏡筒などから漂うセピアの輪郭をもった・・・が、そんなノスタルジックな感傷を誘うのかもしれなかった。
(あの頃・・・)
 耳の奥でまだ低く響いている単気筒の排気音に、懐かしい仲間たちの顔と青い星空、そしてバイクのバイブレーションがオーバーラップしてゆく。
(すべて通り過ぎたことだ。今、僕らは皆、それぞれの場所でそれぞれの人生を生きているのだから・・・)
 ほの暗い諦めが心の底を水のように流れ、その水の冷たさはやがてゆっくりと心を浸してゆき・・・いくばくもなく、僕は眠りに落ちていった。
 単気筒の排気音が、やはり遠く、低く、どこからともなく響き続けている・・・。(つづく)

2010年08月05日

●小説「Ride On Stardust」②

・・・風が、動いていた。青い闇の底で冷たい金属光沢がかすかにきらめく。シフトを1速に入れる音。突然、いくつものエキゾーストノートが重なり・・・。
 クラッチを切りギアを入れると、急速に小さくなってゆく赤いテールランプを追って、僕も走り始めていた。
タコメーターの針がダンスをするように揺れ、2速、3速とシフトアップしながら、フェアリングの表面を後方へちぎれ飛んでゆく風の声を聞いている。
 朝焼けのコーナーへ一直線になって侵入してゆく仲間たちのバイク。バックミラーの中で、西に落ちかかったオリオンが小刻みに震えている。
 冬の始めらしかった。それぞれのバイクのリアシートにパッキングされている望遠鏡。
 そうだ。今、僕らは夜を徹して写真を撮影し、あるいは星雲・星団を巡った一夜の成果と充足、そしてそれに見合った眠さと疲労をバイクのリアシートにくくりつけて、明けかかる奥多摩のワインディングを帰路につこうとするところだった。路面は所々白く凍結し、慎重に車体を寝かしこみながら、しだいに明るさを増してゆく東の空へ向け、いくつものコーナーをクリアーしてゆく。やがて金星の白い輝きだけが消え残る頃、遥か眼下に、いまだまどろみのなかに沈む奥多摩の町あかりが点々とその数を増しはじめる・・・。

Riders02.JPG

 
 あの頃、いつもバイクだった。生ぬるく湿った夜気が体中にまとわりつく夏の夜も、氷の方がまだ暖かいと思えるような風が全身を貫く真冬の明け方も、僕らはそれぞれのバイクに観測機材をくくりつけ、暗い夜空を求めてひたすらに走っていた。今ならば当然車を使うところだったが、あの頃、タバコ代すら賄えない貧乏学生ばかりだった僕らにとって、車を買うなどという贅沢は夢のまた夢だったのだ。
 それならば、貧困に打ちひしがれ、仕方なく安価な輸送手段として、危険で不便極まりないバイクという乗り物を選択していたのがその頃の僕らだったのかと問われれば決してそんなことはなく、僕らは皆、いつもある種のヒロイズムを感じながらバイクのハンドルを握っていた。
バイクは確かに、暑さ寒さに直接身をさらし、雨が降れば濡れ、怪我や死は常に隣り合わせであり、望遠鏡をはじめとした観測機材の運搬にも適しているとは言いがたい乗り物だったが、それでも仲間の誰もが、星を見に行くといえばバイクで集まり、寒いだのつらいだの文句を言いながらも、バイクで切り裂く季節の風を星空とまったく同じ自然の断片として感じとり、一晩の星との語らいをより印象深い記憶として心に刻みつけてゆくことに価値観を見いだしていたのだった。
「車で星見に行くなんて軟弱だ」・・・。いかにも手前勝手だが、ライダーとしては心から同意できる若さと覇気、そんなものをあの頃の僕らは、確かに誰もが持っていたように思う。

「おい、このバイク、どうしたんだ。お前、免許持ってたっけ?」
 皆の問いにIは、へへへ、と曖昧な笑いを浮かべながら、
「おやじのバイクだよ。ちょっと借りてきた」
 そう言うと、その50ccのビジネスバイクにまたがり、あっと言う間もなく、白煙だけを残してその場から消えていった。
 流星観測会の最中だった。空は快晴で、そろそろ出現数を増やし始めたペルセウス座流星群が退屈しない程度に飛んでいたものの、辺りを一回りしてきたIが帰ってきてからは、もうみんなバイクに夢中になっていた。代わる代わるハンドルを握っては、慣れないクラッチ操作にウィリーしたりエンストしたりしながら深夜の畑の道を走り回った。
 結局その晩の流星観測は不満足な結果に終わったものの、仲間の全員が原付免許を取得したのは、それから1週間もしないうちのことだった。

 「ちょっと、あの車、むかつかねえか?」
 僕の左隣に並んだSが、ヘルメットのシールドを上げてそう言った。右隣のAも「さっきさ、危なかったよ。
いきなり幅寄せしてきてさ」
 そう言って、険しい目付きをする。
 「やるか」
 ふだんは温厚なYが、ぼそりと言った。
 清里からの帰りだった。皆のバイクのリアシートには、望遠鏡やテントがくくりつけられている。
 信号が青になった途端、真っ先に飛び出していったのはIだった。続いてSがフルスロットルで続く。
 目の前を1台のコルディアターボが走っていた。ずいぶん前から、しつこく僕らに幅寄せをしたり、接触しそうなほどに車間を詰めたりを繰り返していた車だ。
 XJ400に乗ったYがアウトからコルディアを追い越す。続いてDT125のIがインから前に出る。5台のバイクに囲まれたコルディアは、ローリングをしながら振り切ろうとするものの、やがて追い詰められる形で道の端に停車させられた。運転席側のウィンドウが開き、20歳前後の若い男が怒鳴り声を上げる。
 「てめーら、ふざけんじゃねえぞ」
 その男の襟首をSが鷲掴みにした。
「ふざけてんのはどっちだ。ぶん殴られてえか」
 Sは喧嘩慣れしている。本気で怒っているSの暗い表情に凄みがある。
 しばらくSと男の問答が続いた。と、やおら男が大声で泣き出す。
 「わかったよ。俺が悪かったからもう勘弁してくれよ」
 男の隣で、その彼女らしい女の子が震えているのを見たSが手をゆるめた。
 「まじめに運転すれば何も言わない。行っていい」
 タイヤを鳴らして走り去るコルディアをしばらく見送っていたSは、やがてシールドを下ろすとゆっくりと走りだした。僕も、仲間も、Sの後からゆっくりとギアをシフトアップして加速してゆく・・・。

 5月の野辺山。異様な大きさで北天にかかる、アイラス・荒貴・オルコック彗星を僕らは見上げていた。星明かりに電波望遠鏡のシルエットがほの白く浮かび、見る間に星空を移動してゆく彗星の姿をポタ赤に乗せたカメラで切り取ってゆく。
 傍らにはその頃乗っていたDR250。隣で写真を撮るAのバイクはXT250。2台のオフロードバイクで、
僕とAは野辺山へやって来ていた。
 それにしても寒い。バイクで夜風を切り続けてきたこともあり、ガイドもままならないほど手が震える。
 ようやく撮影を終えた僕らは、途中の大月で買ってきたほかほか弁当の包みを開いた。
「げっ。凍ってやがる」
 Aが悲鳴に近い声を上げた。
 半分ほど食べたものの、氷点下にまで下がった気温のなかで食べる凍りついた弁当は、撮影の後で予定していた彗星捜索をする気力を完全に失わせるに充分すぎるものだった。
 東の地平線には、M31が小さな白い雲のように昇りはじめ、シュラフにくるまった僕は傍らのAに軽口をたたいた。
「あの辺りに、彗星がいたりしてね」
・・・その夜、菅野・三枝・藤川彗星がM31のすぐ近くに発見されたことを知ったのは、家に帰り着き、たっぷり眠ったあとのことだった。

☆ ☆ ☆

 翌朝早い新幹線で岐阜へ帰った。
 車窓を流れる朝の風景を見つめながら、昨夜見たいくつもの夢のことを思い出している。
(野辺山での一夜は傑作だったな)
 あの夜、やはりそのころ彗星を探していたSはといえば、バイク(CBX125Fだった)で奥多摩へ行き、さあ、これから捜索だという時に知り合いの星好きとばったり出会い、意気投合して朝まで酒を飲んでいたという。
(本当にあの頃は、毎日が傑作だった・・・)
 車内販売のコーヒーを飲み終えると、僕は目を閉じた。
 風が、流れている。夏の終わりの風だった。

 帰宅すると、かなりメールがたまっていた。メールを読み流してゆくうち、懐かしい名前を見つけて目をとめる。
『・・・久しぶりにバイクを動かしました。もう10年エンジンをかけていないのでダメかと思いましたが、ちゃんとかかるではありませんか。ちょっとキャブを掃除すればノープロブレムのようです。それにしても懐かしいですね。晴れた晩にはいつもバイクを連ねて星を見に行ったあの頃、ほんの昨日のことのように思いだされます・・・』
 Yの書きこみだった。お互い住む所も遠くなり、滅多に会うこともなかったが、メールでのやりとりは続いていた。
 偶然とはいえ、もう10年以上も話題に上らなかったバイクのことがこうしてメールにアップされたことに、
僕は不思議な巡り合わせを感じていた。
『実は・・・』
 パソコンに向かい、僕も昨夜のことを書き綴りはじめる。
 翌日からのメーリングリストは、久しぶりに星とバイクの話題で賑やかなものとなった。お互い、すっかり
忘れてしまっていたようなエピソードが何人もから綴られ、僕も長文のメールを何度も書いた。
 やがて9月が終わり、メールのやりとりもしだいに少なくなりはじめ、秋風と共に、僕も、古い仲間たちも、それぞれの生活に還っていった。

☆ ☆

 10月。僕は2カ月ぶりの東京の風のなかにいた。
 今回も出張がらみだった。プラネタリウム関係の集まりに参加し、2泊3日の日程が終わって今夜は実家泊まりだった。
 ベッドサイドの時計を見た。夜の11時を回っている。
 (そろそろ、寝ようか)
 読みさしの天文雑誌を閉じ、明かりを消そうと手を伸ばした時。
 トタタ・・・。
 乾いた音が窓の外で響いた。
 一瞬はっ、としたものの、僕はすぐに苦笑した。たぶん、この前と同じバイクだ。近所の誰かがバイクを買い、乗り回しているのに違いない。
 あらためて明かりを消そうとした僕は、いぶかしくベッドの上に起き上がった。
 バイクの音が増えていた。単気筒だけではない。4気筒の低い音、そして2サイクルエンジンのかん高い音も交じっている。
 躊躇した時間は、ほんのわずかだった。一瞬の後、転げ落ちるように僕は階段を駆け降りていた。
 玄関の鍵をもどかしい思いで開く。開いた扉の向こう側から、うす青い大気が流れ込む。

「やあ」
 ひんやりとした10月の夜風のなかに、いくつものなつかしい顔があった。そして、仲間たちがそれぞの体を預けているどれもが型遅れのバイク。SのCBXのリアシートには、自作の10cmF5反射がくくりつけられている。
 バックミラーにかけていたヘルメットを手にとったIが、昔と同じさりげなさで言った。
「奥多摩に行こうよ。今夜は新月だから」

 しばらくぼんやりとしていた僕だったが、すぐ我に返ると、ガレージの片隅で埃をかぶっていた250cc4気筒のカバーを取りのけた。
「エンジン、かかるかな」
 僕の呟きを聞いてYが言う。
「きっとかかるよ。10年なんて、あっと言う間さ」

 ガレージの上に、青くオリオンがのぼっていた。震えるオリオンをバックミラーに映しながら、僕らはふたたび、星空へ向かって走り始める。(おわり)

2010年08月10日

●原村星まつりでTシャツ販売

あちこち出かけていましたので、更新をご無沙汰してしまいました。
まず6日~8日は、長野県原村で開催された「原村星まつり」に行ってきました。
星見ももちろん目的ですが、主目的は、スター・ウィークのTシャツを販売すること。
テントブースの片隅を借用して、2日間でまあ、そこそこ売りました。
売り上げは、スター・ウィーク実行委員会のお財布に入りますので、販売員たる私たちはボランティアです。

haramura01.JPG

この二晩、全国的にはあまり天気が良くなかったらしいのですが、原村は幸いにけっこう晴れました。
ときおり雲が覆ったかと思うと快晴になるという天気で、観測や撮影はしづらい天候ではありましたが、晴れ間が拡がると真っ暗な空に濃い天の川が見えて、東京からさほど遠くないにもかかわらず美しい星空を楽しむことができました。

スター・ウィークのテーマソングである「COSMOS」を歌っている、アクアマリンさんのテントブースを間借りさせていただきましたので、アクアマリンさんともいろいろな話や打ち合わせをすることができ楽しい二日間でした。
ほとんど店番をしていたので、あまり会場を歩き回ることはできなかったのですが、知り合いも多く、10年ぶりに再開した方もあったりして、星祭りの雰囲気を満喫できました。
私も会員であるSLP岐阜からは、愛知県のOさんと岐阜県のFさんが参加され、楽しんでいかれたようです。
お二人とも、遠路おつかれさまでした。

ただ、会場までの道案内がわかりづらく、二晩ともに迷いました。
なにしろ、どこに行っても同じような雰囲気の別荘地と農道なので・・・。
本部のみなさんはじめ、誰もが親切だっただけに、あとは道案内だけ完備してくれれば完璧だったと思いました。
とはいえ、迷った林間の道から見上げた星空は素晴らしかったです。

2010年08月13日

●尾鷲市でペルセウス座流星群を観測

毎年、豊富な出現を見せるペルセウス座流星群の極大日が昨夜でした。
台風は何とか通り過ぎたものの、南の海上から湿った空気が入り、天候は良くなりません。
天気図とにらめっこをしながら観測地を検討、関東地方は晴れそうでしたが、さすがに遠く、結局、三重県尾鷲市に行くことにしました。
いつもならば三重県鳥羽市あたりまで行けば晴れるのですが、今回の悪天候は鳥羽市辺りではまだ雲から抜け出せそうになく、尾鷲市まで遠征することにしたのです。

松阪市まで行ってもまだ雲ばかり。
尾鷲市に入ると、予想通り星が見え始めました。
国道42号線から海沿いに入った展望台を観測地に決め、一旦仮眠。

25時30分に起きると、雲はあるものの天の川も見える天気です。
さっそく観測を開始。
雲が流れ、何度も中断を余儀なくされたものの、明け方まで比較的良い条件の下でペルセウス座流星群を堪能することができました。
木星より明るい火球も出現し、波の音を聴きながらの流星観測は楽しいものでした。
出現数は例年並みか、やや少なめといったところでしょうか。

この時期、明け方になると、東天にオリオン座をはじめとした冬の星座が昇ってきます。
青い夏の明け方に消えてゆく冬の星座を眺めながら、同行したogawa嬢と遠征観測の成功を喜び合いました。

観測の成否を握る秘訣はただふたつだと、いつも思います。
天気図を深く読むこと、そして決して諦めないこと、です。
今回も奇跡的な晴れでした。


2010年08月15日

●尾鷲市立天文科学館を見学

13日、ペルセウス座流星群を観測後、せっかく尾鷲市まで来たのだからと、尾鷲市立天文科学館を見学しました。
市役所のすぐ隣りですから、わかりやすい場所です。
天文台の建つ高台からは尾鷲港が南側に広く見渡せます。
市街地ですが、南は海、周囲は山ですから、空は意外に暗そうです。

owase02.JPG

朝一番なので、見学者は私たちだけでした。
館内には、さまざまな天体写真や望遠鏡が展示されていて、それらを拝見するうち、職員の方が太陽を見せてくれることになりました。
ところが、ペルセウス群観測時にはまあまあ晴れていた空は次第に曇り始め、太陽の姿はなかなか雲間から現れてくれません。

owase01.JPG

望遠鏡は、旭精工製の80cmです。
焦点はニュートンカセで、架台はなんとドイツ式。
天体導入も、パソコンの画面からではなくエンコーダーからの赤経・赤緯表示に合わせるというもので、太陽の導入に至っては小型望遠鏡よろしく鏡筒の影を見ながら合わせるという、昨今のコンピューター導入に慣れた(というかそれしかできない)公開天文台職員にとっては、なかなかにハードルの高い機器です。
私にとってはそうした機器の方が楽しいのですが、実際の運用には苦労が多いものと思います。

肝心の太陽は、結局雲から姿を現さず、見ることは叶いませんでした。
それでも、職員の方はとても親切で、楽しい時間を過ごすことができました。
80cmのドイツ式ニュートンカセ、見るだけでも迫力です。
機会があれば、観望会にも参加したいものです。

2010年08月16日

●池田町児童館で星見会

やや以前のことになりますが、8月4日(水)は、岐阜県池田町児童館から依頼されての星見会でした。
親子120人が相手ですから、スタッフも機材もそれなりに準備しなければなりません。
幸い、スタッフは10人以上、機材も30cmクラス以上の反射望遠鏡も含め、豊富なラインナップが揃いました。

梅雨が明けたとはいえ、夕方になると雲が広がり雷雨となる不安定な天候が続いていましたが、この日ばかりは参加者とスタッフの熱心さが天に通じたのかよく晴れて、私がその晩に見える天体の説明を軽く行なった後、スタッフが持ち寄った機材で、暮れなずむ夕空に勢ぞろいした金星・火星・土星、アルビレオ、球状星団、1等星など多くの天体を見ていただくことができ、参加された親子は大いに満足されたようでした。
私は、20cm反射で土星を、15cm双眼鏡でアンタレスとM3を見せていました。
会場は芝生となっていますので、今後は流星群の観望会などにも使用できそうでした。

スタッフとして参加し機材を準備してくれた皆さん、児童館の先生方、そして調整役としてスケジュールの作成や連絡に腐心された西美濃天文台のMさん、おつかれさまでした。
会場となった児童館内には、さまざまな星座の絵や写真が飾られ、館長さんはじめ職員の皆さんの熱心さがうかがわれました。
ふだんは天文台で観望会を担当しているMさんも「このような観望会ならば取り組みがいがある」と良い刺激を受けたようでした。
今後も、あちこちでこうした楽しい観望会が開催され、星空の素晴らしさを多くの方に知ってほしいと思います。

なお、観望会終了後はにわかに掻き曇り、雨となりました。
まさに、みんなの思いが天に通じた観望会でした。

2010年08月19日

●2夜続けてペルセウス群を観測

ペルセウス座流星群が、そろそろ終息に近づきました。
極大の12/13日、三重県尾鷲市まで遠征して観測できたことは書きましたが、その後も極大後の観測を16/17日と17/18日に行いました。

16/17日は、起床したのが遅かったため遠くまで行けず、自宅近くで観測しました。
天の川がうっすら見える程度の空でしたが、それでも1時間で7個のペルセウス群流星を数え、みずがめ群、やぎ群も観測できました。

17/18日は、揖斐高原まで出かけました。
さすがに空は暗く、天の川がくっきりはっきりです。
暗い流星まで見えるので、全部で16個の流星を数えた中で、5個がペルセウス群でした。
空が暗いので、痕を残す流星も多く、5個のペルセウス群のうち3個に痕が見られました。
この日は仕事でしたので、眠い目をこすりながらがんばって一日、お仕事をしました。

昨夜は透明度が悪化、雲が出はじめましたので観測はお休みしました。
今夜も天候が悪く、観測はできそうにありません。
そろそろ活動が終息に向かうので、今回のペルセウス群は、7月に1夜、8月に3夜、観測できたことになります。
まあまあかな。

2010年08月22日

●「夜の資料館探検と月の観察会」を開催しました

8月20日(金)、勤務先の揖斐川歴史民俗資料館で「夜の資料館探検と月の観察会」というイベントを実施しました。
通常、資料館や博物館などを観覧していただくのは昼間ですが、今回の企画は、夜間に館内の照明をすべて消灯し、真っ暗な中で持参の懐中電灯でひとつずつ展示を見ながら、配布されたクイズの答えを展示の中から探し出すというものです。
そんな夜中の資料館内探検が終わったら、駐車場に並べた天体望遠鏡で月齢10の月を観察しようという欲張った企画で、親子連れ20名の参加者が集まりました。

当日の天候は、曇り時々晴れ。
夕方まではけっこう晴れていて、月が見えるかと期待しましたが、イベント開始時刻になると急速に曇ってきて、月を見ることができたのは参加者の3分の1程度でした。

22siryoukantanken.JPG

というわけで、月の観察会は残念な結果に終わりましたが、夜の資料館内探検の方は大盛況。
親子で真っ暗な資料館の中をあちこち歩き回り、クイズの答えを探し出すたびに歓声が上がっていました。

なぜ、わざわざ夜の資料館内を見せるの?と疑問に思う方もいるかもしれません。
夜間の博物館施設は薄気味悪いものです。
しんと静まり返った中に古い資料が並んでいて・・・。
「ああ、お化け屋敷的な効果を狙っているのね」
そう思った方は、半分、正解です。
教育施設といえども、やはり楽しく興味を持たせるイベント性は不可欠です。
でも、本当はもうひとつ理由があるのです。
暗い館内を、懐中電灯でクイズの答えを探しながら歩き回ることによって、普段なら何気なく見過ごしてしまう展示や解説をじっくり見ていただける効果を狙っています。
プラス、親子で協同して答えを探し出すことによって、家族のつながりが深まれば、それも大いに良いことです。

そんな理由から企画したこのイベント、最後は参加した子供たち全員に「探検・観察博士認定証」が館長より授与され、楽しく終了することができました。

残念だったのは月があまり見られなかったこと。
これについては、秋に天体観察会を再度、開催することとなりました。
次回は月だけでなく、他の天体も見てもらおうと思っています。
学芸員は、展示だけではなくて、いろいろと企画も行わなければならないんですよ。

2010年08月24日

●星空とともに

「星がきれいな所に住みたい」
 子供の頃から星を見ることが好きだった私は、ずっとそんな夢を抱いていました。
 夢をかなえて、生まれ育った東京から旧藤橋村(現揖斐川町)へ移住したのが17年前のことです。
旧藤橋村での仕事は、プラネタリウムと天文台の解説者。いよいよ天文熱に拍車がかかり、それ以来、星ひとすじの人生を過ごしています。

aiyouterewith01a.jpg

 平成15年には小惑星に私の名前を命名していただくことができました。
 その後も星空への想いは募る一方で、晴れた晩には必ず夜空を見上げています。
 昨年7月には、46年ぶりに日本国内で見られる皆既日食を、小笠原沖まで船で遠征して観測してきました。快晴の空の下、真珠色に輝くコロナを見、本当に感激したものです。
 現在は、学芸員の資格を生かして文化財関係の仕事をしています。
 私の勤務する揖斐川町は、揖斐川上流の大自然に恵まれ、星空が大変に美しい場所。これからも満天の星空を見つめながら、自然と共に、自分らしく生きてゆきたいと思っています。

写真:愛用の望遠鏡と

☆平成22年5月発行の岐阜県地方公務員共済機関誌から依頼された原稿を転載しました。

2010年08月26日

●母娘生き別れの悲劇・・・?

なんだか衝撃的なタイトルですが・・・。
猫部屋にいる猫たちの中でいちばん若いくろっぴは、ここ1週間ほどとっても不幸です。
私たちが撫でてやろうとしても逃げてしまうし、食欲もなく、いつもひどく怒っています。
餌をやろうとすれば手を齧るし、ひっかくし・・・。

kuroppi03.JPG

くろっぴがこうなった原因はわかっています。
ずっと猫部屋でいっしょに過ごしてきたお母さん猫のめそめそが、猫部屋から出されてしまったからなのです。
じゃあ、めそめそはどこに行ったのでしょう。
実は、めそめそは、しばらく前から猫部屋住まいを卒業し、家の中どこでも歩き回れる地位に出世しました。
大好きだったお母さんが突然、いなくなってしまったために、甘えん坊だったくろっぴは途方にくれているのです。

めそめそが猫部屋住まいから人間と同じ空間に住めるようになったわけはいずれ書くとして、いずれはこの母娘は引き離さなくてはならないと私たち飼い主は思っていました。
というのは、母娘ずっといっしょにいるために、くろっぴは大人になっても親離れができず、もう1歳をすぎているというのに、めそめそのおっぱいをねだり、おかげでめそめそのおなかは、くろっぴによる噛み傷と引っかき傷が絶えない痛ましい状態になっていたからです。

野生の猫では、親子がいつまでもいっしょに暮らすことはありません。
ところが、家の中でいつまでもいっしょに飼っていると、子どもの猫はずっと子猫の気分でいます。
不妊手術を行った猫はますますその傾向が強くなります。

中でもくろっぴは、母親に依存する傾向が強く、おかげでめそめそは大人になったくろっぴにいつまでもおっぱいをねだられて困りきっていたのです。

嘆きのただ中にいるくろっぴに対して、めそめその方は大喜び。
ウチに捨てられる前は、もともと家の中を自由に歩き回って飼われていた猫だったようで、毎日、楽しくてたまらない様子です。
そんなめそめその日常は、また後日、書くことにします。
人懐こくて可愛いめそめそにも、ある癖があって、飼い主はちょっと困っているのですが・・・。

それにしても、くろっぴ。
いつまでも母親に頼らず、早く大人になってほしいなあ。

写真:嘆きのくろっぴ

2010年08月28日

●月の出前に・・・

満月が過ぎ、月が昇るのが少し遅くなってきました。
月は綺麗ですが、月明かりは星を見る大きな障害となります。
遅くなった、とはいっても20時ちょっとには昇ってしまうのですが、折から快晴だったので、月が昇るまでの数十分間、星空を楽しもうと藤橋まで出かけました。

通称「遠めがねの丘」と呼んでいる高台に15cm双眼鏡を据え付けます。
まだ薄明が残っていて、星の数は多くありませんが、月が昇ってしまう前にと接眼レンズに目を当てます。
南西を中心に水平捜索を始めてすぐ、低空に、みなみのかんむり座のNGC6541をとらえました。
あとは、見ている方向がさそり座、いて座、へびつかい座なので、視野を動かすごとに星雲・星団の嵐です。
よく知っているものが多いので星図と照合するのは半分程度、NGCナンバーだけで、Mナンバーは一瞥しただけで素通りです。

いて座の天の川に浸るM8(干潟星雲)周辺はことのほか美しく、銀の砂をばらまいたような天の川の中にほんのりと光る星雲と星団が、ため息が出るようなすばらしさです。
7等の明るい流星が視野をかすめました。
望遠鏡流星にしては珍しく光度変化があり、後半が明るい形状をしていました。

やがて月が昇ったようで、急速に空が白んできます。
天の川も淡くなり、いくつかの星雲・星団を観望した後、観測を終了。
自宅方面へ向かうにつれて雲が多くなり、月も見えませんでした。
ちょうど晴れた時間に晴れた場所で観測できたことになります。

この初夏から夏はフジノンをかなり酷使したので、近々、時間を作ってレンズや可動部分の手入れをしなくては・・・。

2010年08月29日

●詩「星あかり、光の音」

星あかりの野原で
長い耳をぴんと立てて
小うさぎが一羽
何を聴いているの?

森の音
風の音
それとも
遥かな空間を渡ってきた光の音?

そんな小うさぎに
僕は星の名前をつけたよ
冬の夜空に光る小さな星の名前を。
小うさぎの瞳が
その星の輝きにそっくりだったから

時が過ぎて
いま
冬の星が西へ沈む季節
この野原に
小うさぎはもういない
ただ初夏の星座が空いっぱいにきらめいて

忘れないよ
その静かで無垢な瞳の輝き
僕はこれからもずっと
この野原で君と同じ音を聴いているから

☆9年間飼っていた、うさぎのアルネ君が死にました。
といっても、もうかなり前、5月23日のことです。
皆さんの中で、もしかしたら上の詩を読まれた方もいるかもしれません。
東京から藤橋に移住して以来9年間、家族同様に苦楽をともにしてきたアルネ君の死があまりに悲しくて、それでもとにかくわかる人にだけお知らせしたいと、ブログに一度、この詩を掲載したのですが、やはり悲しくて掲載直後に削除してしまいました。
ですから、読まれた方はほんの少数だったと思います。

気持ちの整理もついたので、たびたびこのブログに登場してきたアルネ君の死を、あらためて追悼の詩とともに報告することにしました。

arune22may.JPG

アルネ君は、藤橋小中学校の生まれです。
学校のうさぎが増えすぎて貰って欲しいという先生方の要望に応えて、子うさぎの頃に貰い受けました。
とても頭の良いうさぎで、名前を呼ぶと飛んできて嬉しそうに喉を鳴らし、鼻先を撫でてあげると小さな歯ぎしりをして喜んでいました(うさぎは嬉しいと歯ぎしりをするのです・・・)。

藤橋では昼間は庭に作ったサークル内に放し、自由に草を食べていました。
大野町に転居してからは、室内と室外双方に2m四方ほどの大きなケージを作り、昼間は外のケージで、夜は室内のケージで過ごすのが日課となりました。
広いケージで運動ができ、餌もハードタイプのラビットフードをメインに、干し草、新鮮な野菜、果物などバランスよく与えていたせいか、病気もせず元気にずっと過ごしてきました。
でも、昨年あたりから急に老化が目立つようになり、足腰が次第に立たなくなりました。
目も白内障でまったく見えなくなり、私たちもいつかはと覚悟するようになりました。

亡くなった当日は、じっとうずくまっていたのが、急にキキキーッ!と大声で鳴き、痙攣を始めました。
うさぎは通常、鳴くことはありません。
家族全員と、やはり藤橋時代からずっと一緒だった猫のビビさんがケージに駆け寄りました。
そして全員が見ている前で、少しずつ痙攣が弱くなり・・・やがて動かなくなりました。
ビビさんは、動かなくなったアルネ君をいつまでも見つめていました。
ずっと一緒に過ごしてきたアルネ君が星の世界に帰っていったことを、ビビさんは即座に理解したのに違いありません。

アルネ君の遺体は、雨の降る中、私が庭に穴を掘って埋葬しました。
しばらく前に死んだ猫のマーブルと猫夜叉くんが眠っているすぐ隣です。

ビビさんは、その翌日、雨が降っているにもかかわらず一晩帰ってきませんでした。
ビビさんがどんな思いで雨の中、一晩を過ごしたのか・・・。

アルネ君の死は、これまでごく親しい人にしか語れなかったほどの悲しいできごとでしたが、この件はこれだけで終わりませんでした。
悲しみは、まだ続きます。
その話は後日・・・。

写真:亡くなる数日前のアルネ君

2010年08月31日

●アルネ君に続いて・・・

アルネ君が亡くなってから、ビビさんのようすがおかしくなりました。
亡くなった次の晩、大雨の中をふらりと外に出て行って、一晩、帰ってきませんでした。
これまで夜になっても帰らなかったことなど一度もなかったので心配で、あちこち探し回りましたが、どこにもいませんでした。
結局、またふらりと戻ってきましたが、その後もずっとアルネ君が住んでいたケージの前に座り、何度もケージ内を確かめるようなそぶりをしたり、アルネ君を医者に連れて行くときなどに使うキャリーの中に入って眠ってみたり、アルネ君のお墓の前にずっと座りこんでいたりと、奇妙な行動が目立つようになりました。

kuro10.JPG

ビビさんも心配でしたが、アルネ君が亡くなる前後から、猫部屋の住人の一人、やはり藤橋から移住してきたくろも、おかしくなりました。
くろはずっと鬱病で、食欲もなく、鳴くこともほとんどなかったのですが、それが独り言?をぶつぶつ呟くようになったのです。
小さな声で「にゃ、にゃ、にゃ」と、ずっと鳴き続けています。
少し鬱病が良くなったのかなと思っていたのですが、やがてごはんを食べなくなりました。
しきりに猫部屋の外に出たがり、出してやってもどこへ行くでもなく、ごはんを食べたそうなそぶりはするものの、大好きだったはずの魚や肉を与えても、匂いを嗅ぐだけで口をつけません。

ごはんを食べませんから、当然、痩せてきます。
もともと食が細く、ガリガリだったのがますます痩せてしまい、それでも独り言を呟きながら歩き回っていましたが、ある日、とうとう横になってしまいました。あとは衰弱する一方です。

最後の日、娘が猫部屋へ行くと、くろは部屋の隅で横になっていたそうです。
名前を呼ぶと、目を開けて答えようとするのですが、声がもう出ず、しばらくしてもう一度猫部屋へ入ると、亡くなっていたとのことでした。
くろも8年間、生きました。
鬱病、尿路疾患と、生きている間のほとんどが病気でしたが、それでも大好きだったogawa嬢の膝に乗っているときには、いかにも幸福そうな表情を浮かべていました。

ほんの半月ほどの間に、アルネ君に続いてくろが逝ってしまいました。
くろの遺体は、母猫のマーブルの傍に葬ってやりたかったのですが、たくさんの動物が埋まっている庭にはもう掘る場所がなく、仕方なく町の葬儀場で火葬にしてもらいました。

そうこうするうち、ビビさんのようすがますますおかしくなってきました。
何年間生きているのかわかりませんが、恐ろしく長寿であることは確かな上に、人語を解し、妖しげな術まで使うビビさんが、アルネ君の死を境にして、体力、妖力ともに、急激な衰えを見せ始めたのです。