2010年08月04日

●小説「Ride On Stardust」①

 かなり以前に書いた小説で、星ナビの前身である「スカイ・ウォッチャー」誌が行っていた文芸賞で2席に入賞した作品です。
 先日、突然「バイクに乗りたいなあ」と思い、この小説を思い出しました。
 若書きの部分もありますが、バイクと星で青春を過ごした当時を思い起こしながら書き綴っています。 

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  トタタ・・・。
 文庫本を閉じ、そろそろ眠ろうと思ったときだった。不意に部屋の外で乾いた断続音が響いた。
 バイク。単気筒エンジン、たぶん250ccクラスだ。
 反射的にカーテンを閉じた窓に歩み寄ろうとして、ふと気づく。
そうだ。バイクでこの家へやって来る仲間など、今は誰一人いないはずなのだ。
 苦笑しながら僕は、それでも部屋のすぐ外の路上から響く鼓動にも似た排気音に耳を傾けていた。
 いつか心の奥深いどこかを、いくつもの断片的な、それでいて輝くほど鮮やかな記憶がよぎってゆく。
 目を閉じた。古いアルバムを開くように、そんな記憶の1ページが甦る。
 まだ星が残る夜明けのワインディング。冷たい朝焼けに向かって、それぞれのリーンアングルで飛びこんでゆく仲間たちのシルエット。テールランプが灰色のアスファルトに赤く残像を描き、仲間たちに続いて僕も、タイトなコーナーに向けて車体を寝かしこんでゆく。シールドごしの傾いた視界のなかを、センターラインの白さだけがすばらしいスピードで流れ去り、クリッピングポイントからアクセルを思いきり開けながらコーナーの出口へ向けて立ち上がる・・・。
 あの夜明けの大気の冷たさ、そしてヘルメットのシールドをかすめてゆく風の音が、昨日のことのように
鮮やかだった。あの頃、僕らの傍らにはいつでもそれぞれのバイクがあったし、頭上にはいつでも共に見上げる星空があった。
 静まり返った住宅街に、単気筒の規則的なアイドリングは、僕を誘うかのように時折空吹かしを繰り返しながら、かなり長いこと響いていた。
 やがて、何かを諦めたように回転を上げてバイクの音は走り去ってゆき、しだいに遠ざかるその排気音を、若い日を懐かしむ老人のような心境で、僕はいつまでも追い続けていたのだった。

Riders03.JPG

 国立天文台で行われた研究会が終わり、夕方遅く、天文台から電車で1時間弱の実家へ戻ってきていた。
 東京への出張のときは、大抵は郊外にある実家に泊まる。
 バイクの音が遠ざかり、やがて夜更けの住宅街特有の静寂が部屋のすみずみにまで満ちる頃、ベッドサイドの時計の針は、そろそろ0時を回ろうとしていた。
 ベッドに横になり、部屋の明かりを消し目を閉じた。耳の奥で、先ほどのバイクの排気音がまだ低く響いている。
(8年か・・・)
 僕は思った。
 公開天文台の仕事につくために、生まれ育った東京を離れ、岐阜県の山村へと移り住んでから、それだけの歳月が確実に傍らを通り過ぎていた。
 たまさか東京に帰り、生まれ育ったこの部屋でこうして眠りにつく時、僕はいつも奇妙に醒めた感覚で8年間の長さと重さを実感する。忙しい日々の暮らしの中では、過ぎた歳月を振り返るゆとりなどないのかもしれないし、あるいは子供の頃からずっと過ごしてきたこの部屋の香り・・・錆びた弦が張られたままのギター、15年以上も針を落としたことのないLPレコードの束、とうにメッキの曇った10cm反射鏡筒などから漂うセピアの輪郭をもった・・・が、そんなノスタルジックな感傷を誘うのかもしれなかった。
(あの頃・・・)
 耳の奥でまだ低く響いている単気筒の排気音に、懐かしい仲間たちの顔と青い星空、そしてバイクのバイブレーションがオーバーラップしてゆく。
(すべて通り過ぎたことだ。今、僕らは皆、それぞれの場所でそれぞれの人生を生きているのだから・・・)
 ほの暗い諦めが心の底を水のように流れ、その水の冷たさはやがてゆっくりと心を浸してゆき・・・いくばくもなく、僕は眠りに落ちていった。
 単気筒の排気音が、やはり遠く、低く、どこからともなく響き続けている・・・。(つづく)