●随筆「草食系天文家、不徳の一夜」
自分で言うのもおかしいが、これまで発表した小説や随筆に性愛の要素はごく少ない。というより、ほぼそうしたシーンは出てこないと言って良い。
清純なのである。現代風には草食系と言うべきか。
その類の書籍や雑誌は読まぬし、動画系も見ない。まあ、性愛に関しては淡泊と言って良いと自分では思っている。
そんな私だが、一度だけ、つまらぬ好奇心から旅先でその手のビデオを見たことがある。
いや、正確には聴いたことがある、と言った方が良いかも知れない。
あれはかれこれ20年以上前、四国は松山のビジネスホテルでのことであった。
ホテルの夜は退屈である。酒でも呑むのなら夜の街に繰り出すところだが、あいにくと酒も飲まぬ。テレビも好きではない。自宅でもテレビを見るのは、朝のニュースぐらいである。
ふと、テレビに備えてある番組表に目がとまった。パラパラとめくってみると、やはりその類のビデオプログラムがたくさん掲載されている。
先述したとおり、私はその類の動画は見ない。まったく興味がないかといえば嘘になるが、そのためにカネと時間を費やそうという気は起こらない。
しかるに、今は退屈だ。旅先で多少の開放感もある。
番組表には、その類の番組を見るにはテレビに300円なりを投入せよと書かれている。
今なら無料で見られることも多いのだが、昔の話だ。
何事も経験であると考えた。退屈しのぎにはちょうど良いかも知れぬ。もちろん、いくばくかの興味もある。
私は財布から300円を取り出し、テレビに投入した。
平静を装いつつもドキドキワクワクしながらテレビの画面を見つめる。
まず音声が聞こえてきた。あー、とか、うー、とか、いかにもそれらしき気配の声である。
私は画面を注視した。番組のタイトルは、とてもここには書けない○○××のものである。
今にものすごい映像が出るに違いない。全神経を画面に集中して映像が現れるのを待った。
1分、2分・・・。
・・・おかしい。いつまで経っても映像が出てこない。
どうやらこのテレビ、故障しているらしいのだ。
叩いてみた。一瞬、画面が映るものの、すぐに消えてしまう。
揺すってみた。やはり画面が映るのは一瞬だ。
しばらくテレビを叩いたり揺すったりしていた私は、やがてテレビの裏に回り、憤然と配線の点検に取りかかった。きっと、どこかの接触が悪いのに違いない。大枚300円も投入しているのである。見られないまま諦める手はない。
私は、あちこちの配線をいじくり回し、線を切ったり繋いだり、様々な試行錯誤を繰り返した。
ときおり接触がうまくゆくと画面が映る。
うむ、すごい映像が映っている。いいぞ、と思う間もなく画面は乱れ、何もわからなくなる。
私は悪戦苦闘した。音声は流れ続け、それらしき気配は、いよいよ佳境を迎えているようである。が、依然として画面は乱れたままで何もわからぬ。
お菓子を目の前に出されておあずけをされている子どもの如き心境で、私は汗まみれになってテレビの修理に没頭した。
数回、感電し、数回、火花が散った。が、私は諦めず、なおも事態の打開を試みた。
1時間ほどが過ぎた。
突然、部屋に静寂が満ちた。
時間切れであった。
全身、汗にまみれ、あまつさえ指には感電による火傷を負った私は、呆然とその場に立ち尽くしていた。
時計を見る。
すでに夜中の0時を回っていた。
精も根も尽き果てた私は、よろよろとベッドに横たわり、深い虚脱感を抱いて眠りに就いたのであった。
それ以来、私は旅先でその類のビデオは一切、見ないことにしている。
どうもあの夜は魔が差したとしか思われぬ。
やはり私は草食系の清純天文家が相応しいようである。
☆東大和天文同好会の会誌「ほしぞら」1988年12月号に掲載したエッセイを、若干、加筆訂正したものです。
最近、星を見ていないので、とりあえず駄文ですが掲載してみようかと・・・。
誰ですか、「清純で草食系?ほんとかな?」なんて思っているヒトは・・・。
