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2010年12月05日

●随筆「鬱病徒然草」

10数年前、鬱病になったことがあります。田舎暮らしを始めて数年が過ぎた頃でした。
当時は現在ほど鬱病という病が世間に知られておらず、どうしてこんなに体調が悪いのだろうと思っていただけでしたが、今から振り返れば、当時の症状は完全に鬱病の典型的なものでした。
そんな鬱病の時期に、東大和天文同好会の会誌「ほしぞら」に書いた文章が出てきましたので掲載します。
面白おかしく書いてはいますが、これまでの人生で最も辛い時期でした。
鬱病になった原因はいくつかあります。
そのうち書くかもしれません。
とりあえず今回は当時のエッセイを・・・。

☆ ☆

 10月中旬から体調を崩し、以来、どうにもすっきりしないウツウツとした日々を送っている。頭が重く体がだるい。食事は摂れぬし、腹が痛く吐き気がする。最も不調だった頃には何やら目まいまでするようで、車を運転していてふっと意識が遠くなり、自分でもこれはかなり危ないな、と思ったほどである。誰であれ
人と話すのが面倒だし、人の集まる場所に出て行く気が起こらない。
 仕事には仕方なく出勤するものの、帰宅するとすぐに布団に潜ってしまう。夕食も猫ほども食べない。

 休日の私の生態は次のようなものである。
 朝、9時頃、布団から起きあがる。とはいえ、夜もほとんど眠れないので、心地よい目覚めとはとても言えぬ。
 起床すると、寝間着のまま、ふらふらとダイニングに行く。娘もカミさんもすでに食事が済んでいる。娘は保育園に行ってしまっていることもある。
 腹痛と吐き気を感じながら、パンと紅茶だけの朝食を済ます。
 午前中は新聞を読みながらボーッとして過ごす。金魚に餌をやっていないことに気づいて餌をやる。鉢植えの草木に水をかける。
 昼食は食べないことも多い。
 カミさんは家事にいそしみ、近所の奥さんとおしゃべりなどしている。元気である。もちろん、食事も私よりずっとたくさん食べる。
 午後も何をするでもなく過ごし、15時頃からは部屋を暗くして布団に入ってしまう。音楽を聴きながら、覚めているとも眠っているともつかない時間を過ごす。この時間を私は「瞑想」と呼んでいるが、傍目から見れば寝たきり老人そのものである。
 娘が夕食を告げに来る。形ばかりの夕食を摂り、のろのろと風呂に入り、また21時頃には寝てしまう。
 こう書いてみるとひどい生活だ。一日の大半を寝て過ごしているために、一日中、寝間着のままである。

 平日、つまり出勤日はもっと悲惨である。
 生来生真面目な性質なので(本当?)朝起きてどんなに体調が悪くても休みはしない。
 朝食もほとんど食べず吐き気と腹痛を堪えながら出勤する。
 役場からプラネタリウムまでは、同僚や受付のおばちゃんたちと車に相乗りして行く。ずっと吐き気がするのでできるだけ自分でハンドルを握る。カーブの多い道なので、車酔いまで加わらないようにである。
 プラネタリウムの投影が辛い。30分間、生解説を行うのであるが、吐き気と頭痛、腹痛、だるさを堪えながら、お客さんには悟られないよう、通常と変わらない軽快な解説を行う。ここはプロの意地である。体調が悪いからと言って、解説に乱れがあっては絶対にいけない。たった30分間の生解説が非常に苦痛で長く感じる。
 夜の観望会も同様だ。観望会は、望遠鏡のセッティングから始まって何かとせわしなく忙しい。孤独に喋っているプラネタリウムの解説と違って、たくさんのお客さんを相手に天体望遠鏡を覗かせ、見えている天体の解説をしなければならない。
 当時は出張観望会も頻繁であった。車に望遠鏡を積みこみ、お客さんの待つ場所まで出前をするわけだが、天文台で行う観望会に加え、車への望遠鏡の積み込み、出前先までの運転、帰ってからの望遠鏡の積みおろしという作業が加わる。消耗しきった肉体と精神は限界に達する。
 やっと帰宅すれば、夕食を食べる気力もない。そのまま布団を延べて重苦しい眠りにつく。精神的にも肉体的にもあまりに苦しく、仕事を辞めて東京へ帰ろうかと思いつめることもある。
 とはいえ、観測を休んでいるのかといえばそうではない。晴れた晩には必ず観測を行っている。それだけ天文に熱心なのだ、などと言うつもりはないが、満天の星空は、疲れ切った体と心にとって唯一の救いだからこそ、辛さを押して観測は続けている。

 ともあれ鬱病である。今も布団にくるまってこの原稿を書いている。
 日本流星研究会のH君からは今日、私の近況を気遣う手紙が届いた。N氏から痴呆老人化している私の状況を聞いたという。
 akapi氏は天文同好会のメーリングリスト上で昔語りなどしてくれ、それを見ていると多少なりとも昔日の元気が甦ってくるような気がしてくる。他のメンバーも、それぞれML上で私の近況を気遣ってくれ、ありがたいことである。
 近所の奥さんからは、私の病状を見かねたのだろう、「朝鮮人参の蜂蜜漬け」をいただいた。これもありがたいことである。
何事にも感謝の心を感じさせてくれる、思えばこの鬱病も有り難い病なのかも知れぬ。

初出:東大和天文同好会会誌「ほしぞら」144号(1998年1月発刊)に加筆・訂正

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コメント

こんにちは。\

この内容は、全く同じではありませんが、経験があります。\
私の場合は孤独感とかで自殺まで考えた程でしたから。\

今では、それを乗り越えて1人派に慣れましたから、気楽に暮らしてます。\

002-ME

002-MEさん、こんにちは。\

同じような経験がおありでしたか。\
自殺までお考えになったというのは、かなり重症だったのですね。\
私の場合は、自殺は全く考えませんでしたが、故郷に帰ろうとは真剣に考えました。\
今は乗り越えられたとのこと、何よりです。\
また機会がありましたら、コメントをお寄せ下さい。\
ありがとうございました。

こんばんは

つらい時期だったんですね。私はなったことがないのでわかりませんが、病気になって見えてくることもあるのかなと思います。\

人の優しさだったり

まっちゃんさんが乗り越えられたのは、熱中することがあったからかもしれないですね。\

ひとつでも自分が熱心になれることがあることって素晴らしいですね。

動物好きさん、こんにちは。\

そうですね、非常に辛い時期でした。\
今ならきっと医者へ行けば、抗欝薬を処方してくれるなりカウンセリングをしてくれるなりするのでしょうが、当時は「鬱病」という言葉すら一般には知られていなかった頃。\
ひたすら苦しい毎日を過ごしていました。\

おっしゃるとおり、人の優しさで治すことができたのだと思います。\
ただ、職場の同僚たちの気遣いはゼロでした。たぶん、それだけ私が苦しかったことに気づかなかっただけなのだとは思いますが。

ご無沙汰しております。\
記載の原稿をよく覚えています。\
及川さんが読んで真剣に心配していました。\
古参の会員は、そうでもなかったのが、職場の方同様いけない所ですね。\

職場の方の態度ですが・・。\

僕の印象、例えば小学校の時とか、ガリ版を削りながら、何か髪を抑えて、下を向き「う~ん」と言って苦闘している姿が頭に浮かんできます。\
その後「駄目だ!何も浮かばね~」といった笑顔もですが(笑)。\

歳とると普段仕事している時に笑顔を見せる人が少なくなりますから。周りもその変化に気がつかないのかと・・。\

やはり俺は「体調がすこぶる悪い」と周りに堂々と言うしかないのでしょうね。

じっちゃん、こんにちは。\
こちらこそご無沙汰しています。\

「ほしぞら」のあの記事、覚えていてくれましたか。\
及川さん、心配してくれてたんですね。ありがたいことです。\
まあ、古参の会員は「あのまっちゃんが鬱病になんかなる訳ねーよ」的に思っていたのかも。\

私の場合は、普段、仕事中でもけっこう笑顔でいる(と自分では思っている)のですが、あの頃は笑顔でいることなんてできませんでした。\
体調不良で辛い、と職場では訴えてはいたものの、伝わらなかったということは、もっと声高に訴えるべきだったのでしょうね。\

職場の同僚よりも、なぜか消防団の団長とかの方がわかってくれて「まっちゃん、体調が回復するまで活動には出んでもよろしい」なんて言ってくれました。\
以来、私も周囲の人の体調や精神状態には、できるだけ気を配るようにしています。

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