2006年05月27日

●第1訓「ディレクターも編集者もみんな素人さ!」

「せわしない都会を離れて田舎でのんびり暮らしたいよ」
「都会の人は冷たいけど、田舎には人情が残っている」
「自然に囲まれた暮らしに憧れるなあ」
満員電車に揉まれながら、あるいは残業に追いまくられながら、こんなことを考えている人は多いのではないでしょうか。

いったんそう思い始めると、あちこちで田舎暮らしに関する情報が流れていることに気がつきます。
テレビを見れば、月10万円以下で暮らせる田舎が紹介され、アウトドア雑誌では、髭を生やした脱サラのペンションオーナーが自然の素晴らしさについて得々と話しています。
おお、やはり田舎暮らしは最高だ。コンクリートジャングルの都会なんかじゃなく、青空と緑に囲まれた山村こそが俺の居場なんだあ!

そんな昂ぶる思いを抑えきれずにいるアナタのために、テレビや雑誌が教えてくれない田舎暮らしのノウハウをお教えしたいと思います。

で、いきなり夢を壊すようで恐縮ですが、表題の第1訓です。
「テレビや雑誌が伝える田舎暮らしの半分以上は真実ではない」
このことをまず肝に銘じておいて下さい。
もちろん、メディアの報道が嘘というわけではありません。ただ、視聴率を稼ぎたいし本は売りたいしで、どうしてもメディアは、田舎暮らしの良い面だけを取り上げがちです。

たとえば「一ヶ月10万円以下で豊かな暮らしができる」云々の番組ですが、田舎でなくとも、月10万円以下で生活することはできます。逆に、東京の方がそうした暮らしはしやすいかもしれません。
田舎では、持ち家以外の住居を探すのは非常に困難です。しかし、条件さえ問わなければ、月2万円台の家賃で住めるアパートは東京都内にいくらでもあります。
食料品や服は、田舎でも東京でもほぼ同じ価格ですし(東京の方が競争相手が多いだけ安いかもしれません)、東京では車がなくても暮らせますが、田舎では車は必需品です。それも、普通の暮らしをしようと思えば、一人一台は常識です。ガソリン代や車検、税金だけで、東京暮らしよりよほどかかってしまいます。
自分で畑や田んぼを作っていようが鳥や牛を飼っていようが、そこから得られる食料だけで生きていけるわけではありません。服だって、人並みなものを着ていなければ、それこそ「アブナイ人」と勘ちがいされてしまいます。
「田舎だから10万円以下で暮らせる」わけではなく、人並み以下に生活レベルを抑えれば、場所を問わず「生きていくことはできる」のです。

「でも、テレビを見てると、近所の人から野菜を貰ったりして貧乏でも豊かに暮らしてるよ」と言われるかもしれません。
しかし、近所の人に野菜を貰えるようになるには、目に見えない相応の対価を払っています。いわゆる「ご近所付き合い」というヤツですね。
都会のご近所付き合いは、たまに顔をあわせたときに世間話でもしていれば済みますが、田舎ではそうはいきません。
班の仕事や各種世話役をこなし、さらには消防団への入団や一斉清掃への参加など、地域の団体や行事にそれなりの参加・貢献をしなければ、まともな近所付き合いはできないのです。

どこまでも都会の生活習慣を捨てきれないペンションのオーナーが、やがて地域から排斥されて廃業せざるを得なくなったという、笑えない話もあります。

yokoyama.jpg

テレビや雑誌から情報を収集することが悪いとはいいませんが、そうした企画を考えるディレクターや編集者のほとんどは、視聴者や読者と同じ、田舎に憧れる都会生活者としての視点のみで田舎の実態を捉えているという事実を知っておく必要はあるのではないかと思います。

(写真は、揖斐川町藤橋の集落遠望)


2006年06月11日

●第2訓「過疎だから誰でも大歓迎! のはずないでしょ!」

田舎はどこも過疎、だから都会からの移住者は歓迎される。問題は、仕事と家が見つからないことだ・・・。
田舎移住を希望されていて、あれこれ情報を集めている方でも、このような認識の方がときおりあります。
たしかに田舎のほとんどは過疎地域です。しかし、だからといってどんな人でも大歓迎というわけではありません。むしろ、過疎だからこそ「こんな人には来てほしい。こんな人には来てほしくない」という、はっきりした要望があるのです。

まず「ぜひ田舎に来てほしい人」の代表的パターンを列挙します。
1.小さな子供がいる若い夫婦
2.手に職のある人
3.元気で健康な人
4.面倒見がよく協調性がある人
5.地域に溶けこめる人

おおむね以上です。
どれもなるほどと思いますよね。
子供は地域の財産です。最近は、少子高齢化のために学校の存続が危うくなっている地域も多く、児童数の増加に直結する子供づれの夫婦は基本的に歓迎されます。地域で二人目、三人目の子供を産んでくれれば願ったり叶ったりです。
田舎では、自然相手のさまざまな作業が多く、健康で技術を持っている人も歓迎されます。
協調性や地域に溶けこむことは、田舎に限らず当たり前のことですね。

次に「来てほしくない人」の代表的パターンです。以下はあくまでもおおむねの傾向ですので、仮に当てはまるからといって極端に気を落としたりキレたりしないで下さいね。
1.単に「田舎でのんびりしたい」高齢者
2.これといった技能のない人
3.病気がちの人
4.自分の殻に閉じこもる人
5.お洒落な田舎暮らしがしたい人

以上です。
基本的にリタイヤ後の高齢者はあまり歓迎されません。もちろん、高齢者であっても健康で人柄がよく、技術を持ち、リタイヤ後の人生を地域とともに生きていこうという意欲のある人であれば歓迎されます。
もっとも嫌がられるのは、ようやくリタイヤできたから田舎にでも住んでゆっくりしようか、みたいな人です。ずっと事務職をやってきて特技もない、力仕事もできない、地域の役を引き受けるつもりもない、こんな人はかなり適性に欠けると言わざるを得ません。
最後に書いた「お洒落な田舎暮らしがしたい人」ですが、実際、こういうタイプの人は僅かですがいます。ログハウスに住んでデッキチェア-でパイプをふかし、バーベキューを楽しむ・・・。
以前も書きましたが、こういう人は別荘地に別荘を買っていただいた方が、本人にとっても地域にとっても無難と思います。

そう、別荘族。これも問題あるんですよね。。
長くなりましたので、いわゆる「週末田舎暮らし」については、次回に書きます。

自分の世界だけで過ごすことができる都会と違って、人口の少ない田舎ではそれ相応の役割分担を果たすことが期待されるということですね。

2006年06月14日

●第3訓「週末田舎暮らし・・・ちょっとムシが良すぎませんか?」

しばらく前から「週末田舎暮らし」という言葉を聞くようになりました。
ウィークデイは都会で仕事をし、土日になると特急列車や高速道路で田舎の自宅に帰り、畑仕事や森林浴にいそしむというものです。

ちょっと考えると、これは非常に具合が良さそうです。都会の暮らしも田舎の暮らしも満喫でき、交通費は多少かかるものの、都会では持てない大きな家を、土地代の安い田舎に建てることもできます。
実際、そうした暮らしを選択する人も増えつつあり、そのテの本もけっこう出版されていたりします。

でも。本当にいいことづくめでしょうか。
本人にとっては悪くないかもしれません。しかし、第2訓でも書いたように、田舎は住む人すべてが一種の運命共同体です。その土地にともに住み、自然や過疎の脅威にさらされながら、明日を切り開いていく場所なのです。
そうした土地に「俺は週末しかいないよーん。地域の役や共同作業は忙しいからできないよーん」的な人が紛れ込んだとしたらどうでしょう。
たしかに見かけ上の人口と税収は増えるでしょう。しかし、地域の役には立ちません。
別荘族であれば、はじめから地元とは無関係ですが、週末田舎人となれば話は違ってきます。住民票があるのですから、少しは地域の仕事もしてもらいたいと思うのが人情ですよね。

そうした人が、いかに畑を作ろうが林の中を彷徨しようが、地元の人にとっては都合の良い所だけを楽しんで、ゴミをポイ捨てする観光客と同じです。それはひどいと思われるかもしれませんが、土日だけでも田舎で暮らせば、そのゴミの始末は地元で引き受けなければならないのです。
本人だけが「田舎暮らしはすばらしい。森に囲まれた自宅のテラスで飲むコーヒーは格別だなあ」なんて思っていても、実のところ迷惑以外の何ものでもありません。

tubaino.jpg

いささか厳しいことを書きました。
でも、よく考えれば、ここに書いたことは都会でも同じです。地域と無関係に自分の価値観だけで暮らす。そんな人が増えているからこそ、この国の抱える病は重くなっているのではないでしょうか。

写真:旧藤橋村の入口 椿井野遠景

2006年07月19日

●第4訓「田舎はいつだって忙しい!」

今、猛烈な眠気を堪えながらこの文章を書いています。
昨日午後から、東海地方~西日本は梅雨前線の活発化にともない、猛烈な雨となりました。
揖斐川町役場では、台風や大雨など災害が予測される天候の際には、各部署で警戒班体制が組まれ、警報が出されている間はずっと職場待機となります。
昨日は、ちょうど私が警戒班に当っていました。昨夕方から今朝、他の職員が出勤してくるまで、私を含め5名の職員は、徹夜で職場に詰めて、各地からの情報を収集したり、地域の巡回に出たりしながら、長い一夜を過ごしたのです。

田舎暮らしに憧れる方は一様に「田舎はのんびりしていていいですね」と言います。
満員の乗客を乗せてひっきりなしに走る電車、建ちならぶオフィスビル、早足で歩く人波。
そうした都会の情景に比べれば、緑に囲まれ行き交う人の姿も稀な田舎は、のんびりしているように思えるのでしょう。

私も、田舎へ移住するまではそう思っていました。
ところが実際に移住してみるととんでもありません。
公務員という職業柄もありますが、上述したような悪天候時の出勤は頻繁ですし、消防団の出動も時にはあります。人口が少ないために、さまざまな役も回ってきます。
都会暮らしであれば、どんなに忙しい職場であっても、いったん電車に乗り、自宅へ帰ってきてしまえば、とんぼ返りで会社へ呼び戻されることはほとんどありません。
ところが、田舎の場合は、夜中でも休みでも、呼び出しはしょっちゅうです。台風の猛烈な風雨が吹きすさぶ中、決死の思いで車を走らせることもあります。
そしてたいていの場合、そうした呼び出しや地域の役は無報酬です。人口の少ない農山村部に住む人は、当たり前のこととしてそうした忙しさを受け入れています。

yuukeinisiyokoyama1.jpg

マスコミの取材の際など、田舎暮らしは実のところ非常に多忙であることを繰り返しお話してはいるのですが、田舎イコール人情に溢れのんびりした場所、という固定観念は拭い難いものがあります。
田舎暮らしに憧れている方は、今以上に忙しい日々が待っていることを覚悟しておかれた方が間違いないでしょう。

写真:揖斐川町西横山(旧藤橋村西横山)6月夕景

2007年03月09日

●団塊世代の田舎移住を考える

マスコミ等によれば、退職後に田舎移住をしたいという団塊世代の方がたくさんいるようです。
そうした動向に合わせ、人口減少に悩む地方も、さまざまな優遇策を用意したりとPRに躍起になっているようですが、団塊世代の田舎移住は、移住者側、受入側双方にとって、実のところどれほどメリットがあるのでしょうか。

私は、14年前に東京から岐阜県の山村へ移住しました。
親、きょうだい、友人と離れて、それまでまったく縁のなかった地域への移住には不安もありましたが、ずっと憧れていた田舎暮らしが実現できること、しかも公開天文台の職員という長年の趣味を活かした仕事に従事できるという希望の方が勝った田舎移住でした。
地域の方の暖かさに助けられて、とりあえずは大過なく今日まで過ごすことができましたが、それでは何もかもが順調だったかといえばそんなことはありません。

まず、生活習慣やお付き合いの仕方の違いに驚かされました。
東京などの大都市では、良いか悪いかは別として、個人の権利やプライバシーが最優先されます。コミュニティにおけるお付き合いも、特に新興住宅街の場合はほとんどありません。
ところが、田舎では、自治会やPTAの役員から消防団や婦人会など、あらゆる役割が回ってきます。「のんびりした田舎暮らし」などは夢のまた夢で、休みの日も地域のさまざまな用事で動き回る日々です。
若年人口の減少のため、地域の役割を担わねばならない中高年層の負担は増加しています。

鉄道やバスといった公共交通が赤字で撤退していく中、自家用車なしでは生活が成り立たないのも田舎の現状です。
道路特定財源に関する議論も盛んですが、どこへ行くにも自家用車という生活習慣が定着している田舎では、たとえば一日に数台しかクルマが通らなくても、その地域に住民がいる限りは道路を作らなければならないという、税金の使途としては非常に不効率な現実がまかり通っているのが実態です。

団塊世代の方が本気で田舎へ移住されるのであれば、まずは地域のさまざまな役割を積極的に引き受けていただかなくてはなりません。
また、公共交通に期待できない現状では、高齢になってクルマの運転ができなくなった場合のことも考えておく必要があります。

こうした田舎の現状を考えると、それまで長い間、都会での生活に慣れてきた団塊世代の方々が、退職後の長い人生を、移住先で楽しく暮らせるとは思えません。
よほどの覚悟があれば別ですが、少なくとも「田舎はのんびりしていて心が安らぐ」だとか、「自然に囲まれて自分らしい暮らしができる」などという考えで田舎へ移住された方は、田舎暮らしの現実に困惑し後悔されることでしょう。
受入側にしても、そうしたお客さん気分で移住されることは期待していません。衰退していく地域の明日を本気で考え、自ら知恵と汗を提供して動いてくれる移住者を求めています。
厳しい言い方ですが、受入側が本当に望んでいるのはこれから子どもを産んでくれて地域のコミュニティを担ってくれる若者なのであり、団塊世代を歓迎する姿勢を見せているのは、あくまで次善の策なのです。

移住を検討されている団塊世代の方は、都合の良い夢ばかりを見るのではなく、田舎の現状を冷静に、そして徹底的に分析すべきです。
そうでなければ、移住者の方も、受入側の住民も、お互いに不満を募らせるだけの結果になってしまうでしょう。

2007年03月31日

●団塊世代の田舎移住を考える(2)

朝日新聞の「声」欄(東京版は29日朝刊)に掲載された「団塊世代の田舎暮らしブーム」について、多方面から感想やご意見をいただき、ありがとうございました。
基本的な内容は、このブログで3月9日に「団塊世代の田舎移住を考える」と題して書いたことと同じです。読んでいない方は、ちょっと遡ってお読みいただければと思います。

「退職後は窮屈な都会を離れて田舎でのんびり」と夢見ている団塊世代の方には酷な内容ですが、平成4年以来、田舎独特の風習、慣習、お付き合い、考え方、無責任(というか無意味な連帯責任)と日々、闘い続けてきた私が、身をもって感じたことをアドバイスさせていただきました。
「のんびり」するには都会の方がずっと適しています。誰からも干渉されず、自由に価値観を表明できる都会の方が。
本当に田舎に住んでいただきたいのは「自然の中でのんびり暮らしたい」などという退嬰的な考えでなく、自由で豊かな価値観を持ちながら地域の人たちと連携し、闊達な議論の中で田舎から日本という国を変革してゆく気概を持った、高い意識と行動力を持った人です。
従軍慰安婦問題や靖国問題に象徴される国家主義的な発言を繰り返していたずらに国益を損ない続けている総理大臣や閣僚、夕張市の破綻として現実化した民主主義の未成熟といった未だ先進国とは言い難いこの国のレベル、その根幹が田舎に存在しています。
世界から糾弾される発言や行動を繰り返す議員や首相を支持し選出している地方人の意識を変えないことには、この国の精神構造は変わりません。

meitetu2.jpg

団塊世代の方は、戦後、この国の形を作ってきた気概と責任があると思っています。
表面的な繁栄の一方で、大切なものを失い続けてきた日本という国。
たかが会社を辞めたからといって、「のんびりと」田舎へ引っこんでいいものでしょうか。
団塊世代のパワーと知恵に期待するからこそ、会社から解放された今、今度は地方からこの国の根幹を
変えてゆくような高い意識を持って、田舎移住をしてほしいと心から思います。

写真:廃止された名鉄揖斐線。政財官にうまみのある道路が道路特定財源によって次々に建設される一方で、交通弱者に必須の鉄道が廃止されています。田舎移住を果たした団塊世代の方が、やがて高齢となってハンドルを握れなくなったとき、移動の手段をどのように確保したら良いのでしょうか。

2007年05月30日

●都市と農山村の相互理解を

 東京から岐阜県の山村に移り住んで10年になる。村の人はみな暖かく、趣味を活かした仕事に関わることもでき、実り多い毎日だったが、農山村部住民と都市部住民の意識の差を痛感した10年でもあった。
 田舎はのんびりしていてうらやましいと都市に住む人は言う。ところが田舎暮らしは少しものんびりしていない。人口が少ない分、一人当たりに回ってくる地域の「役」が実に多い。私は現在、PTAやら消防団やら多くの役を兼務しているが、仕事以外には拘束されることのなかった東京時代の方が、時間的にも精神的にもはるかに余裕が持てた。

ibigawa3.jpg

「自然が豊かでいいですね」と言われることも多いが、都市近郊のハイキングコースと違い、峻険な自然は容易に人を寄せつけず、時に激しい災害をもたらす。多くの農山村住民にとって、自然や野生動物は生活をおびやかす敵でこそあれ決して友ではない。
 公共事業や選挙制度の改革が問われる中で、都市部と農山村部の対立が取り上げられることも多いが、もっと互いの実情を知り、相互理解を深めることが必要なのではないか。10年間田舎暮らしを続けてきてそう思う。

2001年 朝日新聞掲載
写真:秋の揖斐川上流(旧藤橋村役場前より)

2007年11月07日

●田舎暮らしは高くつく?

「田舎暮らし」は、相変わらずのブームのようです。
テレビ、新聞、雑誌、さまざまなメディアで取り上げられもてはやされています。
曰く「田舎には都会で失われた温かさがある」「自然に囲まれた生活ができる」「生活費が安い」・・・。
このブログでは、都会の人が抱いているそんな田舎暮らしのイメージを、東京から岐阜県の山奥の村へ移住した私の視点からさまざまに検証してきました。
で、今回取り上げるのは「田舎暮らしは生活費が安く済む」というトピックです。

yokoyamasnow1.jpg

なぜそのようなことが巷間に流布され始めたのかわかりませんが、結論から書きましょう。

「田舎暮らしは高くつく」

そんなはずないじゃん。都会のマンションに較べたら、あるいは東京で一戸建てを買うことを考えたら住居費は安いし、野菜は自家菜園で栽培できるし(それに近所から貰えるらしいし)、交際費もかからないだろうし、なんて反論がきそうです。

1.住居費について
田舎には、いわゆる賃貸物件がほとんどありません。あったとしても、ニーズが少ないので、東京近郊と変わらない家賃であることが多いのです。
一戸建て住宅も同様です。田舎の人は、先祖代々の土地や家を売りたがりません。
物件を探すのが非常に困難です。たとえ土地が見つかっても、上物を建てるには都会と同じ金額がかかります。
いちばん安いのは、山間部の過疎の町村が提供する公営住宅でしょう。これならば、庭付き一戸建てが2万円以内で借りられます。ただ、物件数としては少ないですよ。

2.食料費
田舎でも、食糧はスーパーで購入するのが当たり前の時代です。スーパーで売っている品物の値段は、田舎も都会も変わりません。かえって競争が激しい分、都会の方が安いこともあります。
「畑で栽培すれば」と思われる方。食べられる野菜を栽培するのにどれほどの肥料代、農薬代、手間がかかると思いますか。スーパーで買った方がよほど安く済みます。
「近所で貰えるんじゃないの」という方。たしかに仲良くなれば貰えます。でも、ご近所も豊作で自分で食べきれないから人に配るわけで、あちこちから同じ種類の野菜ばかり頂戴して閉口することになります。そうした野菜は市場でも流通量が多いですから、スーパーでもごく安価に購入できます。
「鳥でも飼えば卵ぐらい自給できるのでは」という方。野菜栽培以上に生き物を飼うにはコストと手間がかかります。

3.交際費
「都会では毎晩お付き合いで飲食費がかかって仕方ない」という方は、結局、外で食べるのが好きなわけで、そうした方はたとえ田舎へ移住しても、飲み代・外食代がかさみます。田舎でもお付き合いのためには当然、交際費が必要なので、職種や付き合いの深さ次第では都会と同等の交際費が必要でしょう。
飲食店などひとつもないような過疎地の場合、かえって一人で毎晩、晩酌することになり、やはり飲食費はかさんでしまいます。

4.交通費
公共交通が発達した都会と違って、田舎では車が主要な移動手段となります。
一人に一台の時代ですから、たとえば4人家族では4台の車を購入・維持しなければなりません。購入費、車検代、保険料等に加えて、昨今のガソリン代高騰は家計を直撃しています。
さらに、積雪地では、4駆の車とスタッドレスタイヤが必需品ですので、車1台についてノーマル、スタッドレスと、タイヤを常に2種類、準備しておくことになります。
タイヤ代も馬鹿にならない出費です。

5.燃料費・電気代
暖かい地方では問題ありませんが、寒冷地では灯油やエアコンのための電気代がかさみます。石油製品高騰で、こうした支出もじわじわと家計に影響してきます。

というわけで、どのような根拠で「田舎は生活費が安い」などというウソが流布されているのか、田舎移住者としてはまったく理解できません。
マスコミや田舎暮らしをしたことのないジャーナリストが喧伝する偽りの情報に、どうかくれぐれも騙されないようにご注意下さい。

写真:雪は生活の大敵!(揖斐川町東横山)

2007年11月23日

●田舎でも星が見えない?

「子どもの頃はそれこそ降るような星空が見えたんやけどねえ」
「このごろは晴れた晩でも星が見えんねえ。空気が汚れたせいかねえ」
私の勤務する揖斐川町在住のお年寄りの言葉です。
町の中心部だけでなく、藤橋や坂内といった山間部でも同様の言葉を聞きます。
「ああ、岐阜の山奥も光害で壊滅か。もう日本全国、星が見える場所はないのかなあ」などと思ってしまいそうですね。
でも、そんな藤橋で私は天体観測を行なっています。いえ、自宅のある大野町(揖斐川町よりもさらに岐阜市寄りです)でも立派に?観測ができています。
もちろん、標高2,000メートル級の高山で見る星空とは比ぶべくもありませんが、それでも藤橋では、天の川は地平線をつないでいますし6等星までは確実に見えます。岐阜の山間部では、まだきれいな星空が見えるのです。
それではどうして、お年寄りたちが異口同音に「星が見えなくなった」と嘆くのでしょう。

castle Cas1.jpg

その原因は、街灯の急激な増加です。
「やっぱり光害か」と思われた方、少し違うのです。
光害には違いないのですが、都市部と違って、山間部では明るい街灯を手で遮るなどすれば、立派に美しい星空が見えています。
街灯が直接、目に入ってくるために、目が幻惑されて、あるいは暗順応ができずに、星の数が極端に減ってしまっているのです。
都市部では、膨大な人工照明によって空全体が明るくなってしまっていますが、山間部では目の前の街灯さえなくなれば、あるいは街灯の形状を工夫してグレア(不必要なまぶしさ)を抑えれば、まだまだ美しい星空が残っているのです。

わずかな数の、しかもグレアが多く照明効率が悪い街灯のために、空が暗いはずの山間部で星が見えないのは悲劇です。
暗い空を記憶しているお年寄りはまだしも、満天の星空を見て地球が宇宙に浮かんだ小さな星であるという科学的な世界観を養ってほしい子どもたちが、劣悪なデザインの街灯のために星空に関心をなくしてしまうのは人類にとって損失であるといっても過言ではありません。

山間部のみならず、中都市の郊外ならば、天頂付近の天の川程度ならば見える場所がたくさんあります。
照明器具メーカーは、街灯の照明効率やデザインを科学的に検討して「地上は明るく夜空は暗く」を実現
した街灯の開発に邁進してほしいと思いますし、地方自治体や企業は、夜の環境(星空・植物・動物・農業など)に悪影響を与えない街灯を積極的に採用するポリシーと見識を持ってほしいと思います。

写真:西美濃プラネタリウム(藤橋城)と昇るカシオペヤ座

2007年11月28日

●原油高騰と田舎暮らし

原油価格の高騰が続いています。
中国やインドといった成長著しい国の需要が急増していることに加え、投機資金が原油市場を席巻しているためですが、中長期的に見れば原油生産量(埋蔵量)そのものが今後漸減してゆくものと思われますので、今後とも価格が大幅に下がることはないと考えられます。

「おい、ここは経済ブログかよ」と言われそうですが、実は、原油価格の高騰は、田舎暮らしにとって非常に大きな影響があるのです。
公共交通のない田舎では、自家用車が必需品です。一家に一台どころか、一人一台が当たり前となっています。
車は石油で動くもの。これ以上、燃料価格が高騰すれば、田舎の住民は移動の手段を奪われかねませんし、家計にも大きな負担となってきます。

071201situgen1.jpg

また、山間部では雪の多い地域も多く、都会に比べると暖房費がかかります。
さらに農家の場合は、農業機械に使用する燃料費もばかになりません。

都市住民であれば「これ以上、ガソリンが高くなったら車を手放して電車通勤にしよう」と考えますが、公共交通のない田舎では、いくらガソリン価格が上がっても車を手放すわけにはいきませんし、豪雪の中、暖房なしではいられません。
若者がみんな都会に出て行ってしまっている現状では、昔のようにすべて手作業で田んぼや畑の作業を行う労働力もありません。

このまま原油価格高騰が続いた場合、田舎を引き払って都会へ移り住まなければならなくなる可能性もあります。
田舎といえば、経済原則から隔絶された天国のような場所だと思われがちですが、実は都会同様、いえ、都会以上に経済の影響を受けているのです。

写真:自宅近くにある湿原。政治や経済とは無縁のような風景ですが・・・。

2007年12月26日

●過疎化と消防団

昨夜は、消防団の定例会に出席しました。
都会に住んでいる方にはなじみが薄いでしょうが、地方では消防団という組織が厳然として存在し、適齢期の男子が召集されます。
もちろん、都市部にも消防団はあり、地域の防災に活躍しているのですが、サラリーマン世帯がほとんどの都市では、団員となっているのは役所職員、商工業者などであるため、一般にはなじみが薄いのです。

通常、消防団に召集されるのは20代から30代前半の若者です。
火事場や行方不明者捜索にかり出されるため、足腰の丈夫な若い衆でないとつとまらないためです。
ところが、揖斐川町藤橋消防団では、定年が50歳となっています。
これは若年人口が少なく、消防団員のなり手がいないことによるのですが、実際の現場では、40歳過ぎの高齢者?がどれほど役に立つかは疑問です。
それでも団員として登録しなければならないところに少子高齢化と過疎に悩む田舎の実態が現れているといえるでしょう。

私は、藤橋へ移住してすぐに召集がかかりました。
東京在住中はなじみのなかった組織ですから、正直言って当初は戸惑いました。
仕事がら、土日や夜間に勤務することが多く、活動に出られないことも多いのですが、参加できるときには出るようにしています。

最近は、田舎暮らしブームで、マスコミ等では田舎のすばらしさばかりが喧伝されます。
でも、実際に住んでみれば、消防団始め地域のさまざまな役割を担わねばならず「のんびりした田舎暮らし」とはほど遠いのが実情です。
田舎暮らしを取り上げるテレビ番組や雑誌・新聞等は、お決まりの「自然農法」や「ログハウス」ではなく、もっと生活に密着した話題を扱ってほしいといつも思います。

2008年01月31日

●田舎暮らしは体に悪い?

このところ、家庭の事情で東京と岐阜の二重生活が続いています。

東京の家には車がないため、移動手段は徒歩と自転車、そして電車・バスといった公共交通機関に限られます。
「それはさぞかし不便でしょう」と思われるかもしれませんが、東京では、車よりも公共交通機関や自転車、徒歩で移動した方が早く時間が正確ですし、私が子供の頃は、車を持っている家庭はさほど多くありませんでした。
誰もが公共交通機関と徒歩、自転車で動いていた環境で育ちましたので、歩いたり自転車を飛ばしたり、電車を乗り継いだりすることはさほど苦にはならないのです。

都内をあちこち回ると、少ない日で1万歩、多い日には2万歩近く歩きます。
運動になることに加え、車での移動では気づかない街のたたずまいに興味をそそられますし、歩くことで心が活性化するような気がします。

そうした東京での生活に対して、ひとたび岐阜へ戻ると、基本的に車主体の生活となります。
できるだけ歩いたり自転車に乗るように気をつけてはいますが、毎日50kmの通勤には、車を利用せざるを得ません。

田舎暮らしに憧れる人の多くが
「田舎ではおいしい空気に恵まれた健康な生活ができる」
と考えているようですが、
「どこへ行くにも狭い車に納まって、道路に満ちる排ガスの匂いを嗅ぎながら運動不足によるメタボ体型へ突進」
というのが、現代の田舎暮らしの実態です。
現在のような車主体の生活を続けていくと、あと10年もしないうちに地方在住者の多くが運動不足による健康被害を抱えることになるのではないかと思います。

便利だと思ってきた車主体の生活ですが、地球温暖化の進行も含め、近い将来、私たちは大きなしっぺ返しを受けそうです。

2008年03月30日

●田舎の学校が抱える問題点

都会人のための田舎暮らし実践講座、久々に書きます。
今回は子供の教育について・・・。

改めて言うまでもなく、子供がいる家庭において、教育は最大の関心事です。
最近はどこも少子化が進み、過疎地の学校では全校生徒が十数人ということも珍しくなくなりました。
児童生徒が少ないということは、少人数教育の良さが活かせるような気がしますが、幼なじみ集団のまま過ごすために競争が行なわれず、結果として学力が向上しない弊害の方が目立つような気がします。
メンバーの入れ替わりがないために、いったんいじめが発生すると、卒業まで続くといった事例もよく聞きます。
田舎の学校はのんびりしていて、いじめなどないだろうなどと思うのは大きな間違いです。
いじめというものは小さく閉鎖的な集団であればあるだけ発生しやすいものなのです。
もちろん、田舎の学校には助け合いや幼なじみ同士で思いやる心も育っていますが、
「田舎の子供はみんな素直で純朴」
というのは、かなりの部分、都会人の思い込みに過ぎません。

義務教育が終わり、高校進学の段になると、さらに大きな問題が発生してきます。
都会では通える範囲にさまざまな学力レベルの高校がたくさんありますが、田舎ではまず高校の数自体が限られています。
加えて、鉄道やバスといった公共交通は次々に廃止に追い込まれ、通学する手段がほとんどありません。
田舎では、親が毎日、車で子供を高校まで送迎するというパターンが増えています。
毎日のことですから、親の負担は半端なものではありません。
そうまでしても、希望の学力、希望の学科を選ぶことは困難というのが田舎の現実です。

「田舎はのんびりして過ごしやすいところ」という都合の良いイメージだけを持っている人は、たとえば田舎へ移住すれば子供のアトピーが治るだろうとか、不登校でなくなるだろうなどと、子供がかかえるトラブルについても都合の良いことを考えがちですが、これまで述べてきたように、田舎の学校にも大きな悩みと問題があります。
田舎暮らしを始めたがために、かえって子供さんのストレスを増やしてしまうことにもなりかねません。
田舎へ移住する際には、自分たちのことだけではなく、子供の将来のことまで考えて決断する必要があるのですね。

2008年04月18日

●田舎で仕事を探す・・・農林業編

田舎暮らしを希望する都会人が、まず直面する問題が、仕事をどのように探すかということです。
停年退職後、暮らしていけるだけの年金を貰っている方なら何とか食っていけるでしょうが、若い人の場合は、まずは収入の道を探さなくてはなりません。
田舎暮らしを志す人から尋ねられることも多いので、二回か三回に分けて、田舎での仕事探しを少しだけアドバイス・・・。

田舎暮らしに憧れる人がまず考える仕事が「農業」です。
都会のオフィスでの仕事はもうこりごりだ。田舎へ引っ込んで土を耕す仕事ができたら健康的だし生産的だ。だから自然と人に優しい有機農業・・・。
お約束の思考パターンではありますが、農業で食っていくのは大変に難しいのが実情です。プロの農家ですら赤字経営に喘ぎ、見切りをつける人が多いのに、何も知らずに都会から移住した人が農業で食っていくことは、ほぼ不可能といっても良いでしょう。
まして有機農法など、除草ひとつをとっても恐ろしい労働量です。農薬や農業機械なしで「安全な」作物を作ろうと思えば、相当の覚悟をしなければなりません。
わが国の農業は、種や苗の入手から施肥・農薬散布などの生産管理、さらには出荷に至るまで農協が組織的な介在をしています。逆に言えば、農協を通さなければ農家経営は難しい仕組みになっているのですが、有機農法の場合、農協が提供するそうしたシステムに馴染まないことが多く、せっかく収穫した作物を出荷するルートも自ら開拓する必要があります。
まずは農家と懇意になり、手伝いをしながら少しずつ勉強をしてゆくのが早道でしょう。
農業系の学校に入学して系統的な知識を得ることも大切です。

では「林業」はどうでしょうか。
構造的不振産業の最たるものとして知られる林業ですが、実は仕事の募集は意外なほど多いのです。
地球環境保全にからみ、外国からの木材輸入が次第に困難になりつつあること、地球温暖化対策の一環として森林の価値が見直されてきたことなどから、全国的に林業の担い手が不足しているからです。
具体的には、地域の「森林組合」へ照会すれば、募集要項を入手することができます。
まさに自然の中での仕事でやりがいも大きいのですが、危険も少なくなく、肝心の給料も高いとはいえません。
体力に自信があって山が好きな人であれば、考えてみるのもいいと思います。

次に「畜産業」です。
一時、北海道などでアメリカを真似た大規模な畜産経営がブームとなりましたが、今ではほとんどの畜産農家が巨額の赤字に喘いでいるのが実態です。
広大な土地や大きな設備が必要な畜産業では、初期投資がどうしても大きくなるため、それを回収するだけの収益を上げなければなりませんが、外国産の安価な肉や乳加工製品が大量に出回る中で収益を得るのは非常に困難です。
わずかに成功している人は、自らの生産品に何らかの付加価値をつけたり販売方法に工夫を凝らしています。
「北海道へ渡って牧場をのんびり経営するぞ」的な感覚ではとても無理で、専門の学校へ通って知識を身につけた上、懇意になった牧場で手伝いをしながら経営感覚を身につけていくことが必要だと思います。

2008年07月09日

●JR東海に表彰されたい!

タイトルを見て「何のこっちゃ?」と思われた方も多いでしょう。
でもこれ、田舎へ移住してからずっと思っていることなのです。

私が岐阜へ移住したのは15年前のことです。
以来、それなりに田舎暮らしにも馴染んできているとはいえ、親も親戚も友達も東京に住んでいます。
法事や結婚式、その他もろもろの行事や用事で東京へ帰る機会は多く、平均すれば1ヶ月に2回以上になるでしょうか。

往復には基本的に新幹線を使います。自由席でも往復すれば一人あたり25,000円ほど、家族3人なら75,000円もかかってしまいます。
昼間の普通列車や夜行列車、高速バス、車でも高速道路を使わないなどいろいろと試しましたが、いずれの方法も時間と体力を要する割には効率が悪く、結局は新幹線利用に落ち着いてしまいました。
15年間、東京と岐阜の往復に費やした新幹線の乗車券代と特急券代をトータルすれば、かなりの金額になるはずです。
これだけJR東海を儲けさせてきたのだから、せめて表彰状ぐらいくれてもいいんじゃないの、と言いたいわけであります。
考えてみれば、新幹線ってマイレージもないし、かなりあくどいノリモノですよね。
会社の業績が良いのも当たり前という気がします。

こんな私がJRに要望したいのが、大垣~豊橋間に運転されている新快速を東京まで延長してほしいということです。
時速120キロ運転の新快速なら、大垣~東京間を4時間台で結べるのではないでしょうか。
ただ、そんな列車を設定したら新幹線利用者が激減するでしょうから、ぜったいに実現はしないでしょうが。

田舎暮らしに金がかかることは以前にも書きましたが、出身地との交通費、これも田舎暮らしを志すヒトは忘れてはならないポイントです。

2008年11月01日

●田舎移住は甘くない

 退職後に地方への移住を考えている団塊世代の方がたくさんいるそうです。
 私は十四年前に東京から岐阜県の山村へ移住しました。地域の方々に助けられて今日まで過ごすことができましたが、何もかも順調だったかといえばそんなことはありません。   
 まず、生活習慣やお付き合いの違いに驚かされました。地方では、地域の役員、消防団、婦人会など、あらゆる役割が回ってきます。「のんびりした田舎暮らし」など夢のまた夢で、休日も地域の用事で動き回る日々です。
 特に最近は、若年層の減少で、地域の役割を担わなければならない中高年層の負担は増加する一方です。
 また、公共交通の撤退のため、クルマなしでは生活が成り立たないことも知っておいた方が良いでしょう。高齢になって運転ができなくなったときのことを考えておかなくてはなりません。
 地方の実態は「自然に囲まれてのんびり暮らせる」などといった甘いものではありません。現地の実情を冷静に、そして徹底的に分析してから移住しなければ、移住者側も受け入れ側も不満を募らせるだけの結果になるのではと思います。

初出:2007年 朝日新聞

2009年06月06日

●基本は「住めば都」

所用があって東京へ帰省しました。
3日間、都内をあちこち動き回っていたのですが、いつものことながら東京駅に降り立ったとたん、「東京モード」に心も体も切り替わってしまいます。
早足でビルの谷間を移動し、さまざまな電車を乗りついで分刻みのスケジュールをこなし、街や駅の雑踏を慣れた足取りですり抜け、身動きならない満員電車さえ毎日乗っているかのようにすんなりと乗降し・・・。

不思議なもので、岐阜県へ移住して16年にもなるのに、都内の雑踏やせわしなさが少しも苦になりません。
生まれてから30余年を過ごした故郷での生活習慣の重さというのは、容易に拭いさることはできないようです。

でも。
何とも都合の良いことに、東京から岐阜へ戻ってくると「岐阜はいいなあ」なんて思ってしまうんですね。
東京と岐阜、ふるさとがふたつあるようなもので、結局、どちらでも楽しんで暮らせるようなのです。

「住めば都」。
何とも節操がないようですが、地方移住の極意というか要諦はこの言葉に凝縮されている気がします。

2010年01月23日

●田舎暮らし・・・動物とのかかわりあれこれ

田舎に住んでいると、さまざまな動物に出会います。
近所の畑に色鮮やかなキジが歩いていたり、タヌキが道を横切ったり。
現在住んでいるウチの辺りはその程度でかわいいものですが、以前に住んでいた旧藤橋村では、都会では考えられない経験を何度もしました。

今はダムに沈んでしまった旧徳山村を調べていたときのこと。
川べりを歩いていたら、いきなり小猿に抱きつかれました。
食べ物を持っているとそれを奪おうとして飛びつかれることはありますが、そのときは何も持っておらず、かなり親愛感を持った抱きつき方でした。
同類と勘違いされたのかもそれません。
猿の群れは、冬から春先にたくさん見られます。
畑の作物を食べてしまうので嫌われています。

yokoyama02.jpg

プラネタリウムへの出勤途中でカモシカを轢きそうになったことが数回あります。
突然、崖を駆け下りてきて車の前を横切るのですが、もしぶつかったら相手は天然記念物、また車の損傷も軽くは済みません。
知り合いでイノシシにぶつかった人がいましたが、車は全損になってしまったそうです。
イノシシはそのまま逃げ去ったとのことでした。イノシシ、強し!
子連れのイノシシは、当時の家の近くに頻繁に出没しました。
うり坊、と呼ばれる子イノシシが母親の後を従いて歩くようすはとてもかわいいものでした。

仕事の帰り、深夜のトンネル内で何やら巨大な物体が動いているのを見て思わずブレーキを踏みました。
トンネル内の黄色い灯りに黒々と浮き上がったそれは、立派な角を生やした大きなオスのシカだったのです。
どうした理由からか、長いトンネルの真ん中辺りに入りこんでしまったシカは、どうしていいのかわからず右往左往していました。
他の車への警告のため、ハザードを点灯させてゆっくり走りました。翌日、トンネル内にシカの死体はなかったので、どうやら無事に脱出できたようでした。

集落内にクマが現れて、登下校する子どもたちを10日ほど車で送迎したこともありました。
周辺の町村では、クマが現れると待ってましたとばかりに撃ってしまいましたが、当時の藤橋ではそうしたことはせず、人間の方が遠慮してクマが地域から立ち去るのを待っていました。
良いことだと思います。
人間も自然の一角に間借りしている存在にすぎないのですから。

マムシに追いかけられて肝を冷やしたこともあります。
ちっちゃいヤツだと気を許したのがいけなかった・・・。

山での暮らしは大変でしたが、自然との関わりは今よりずっと濃厚でした。
楽しい10年間を過ごしたなあと思っています。

写真:旧藤橋村遠望