2006年04月30日

●心の星空をおいかけて

ものごころついたころから、星を見ることが大好きだった。生まれも育ちも東京の私にとって、汚れた大気と強烈な街の明かりで星がよく見えない分、かえって憧れを誘われたのかもしれない。だから子供のころの「読書」といえば、天文学の解説書を読みあさることであり、その意味では学生が参考書を読むように、実用を目的に本をひもとく子供だった。
そんなある日、天文雑誌をめくっていると、一冊の本の紹介が目にとまった。「池谷・関彗星」の発見者として有名な彗星捜索家の関勉氏が、積年の夢だった新彗星を発見するまでの過程をつづった彗星発見記、「未知の星を求めて」である。
近所の書店に注文してから一ヶ月以上かかって入手したそれは、ペーパーバックの案外安っぽい本であったが、パラパラと読み進むうちに、私はぐいぐいと本の世界に引き込まれてしまった。戦前生まれの関氏の文体は、小学生が読むには難解な部分も多かったが、ドキュメンタリータッチで書かれたやや古風な文章が、超人的な努力の結果として多くの彗星を発見してきた圧倒的な事実と迫力に裏打ちされて、それまで単なる天文解説書しか読んだことのなかった私を虜にしてしまったのだった。
吐く息も凍る真冬の明け方、新しい星を求めて、やはり凍てついた望遠鏡にすがるように黎明の星空を探索する。当初は彗星発見という華やかな成果のみをひたすらに追いかけていた関氏が、10年、20年とただひとつの彗星すら発見できない無為の日々を見送るうちに、彗星発見という結果ではなく、夢を実現するために何もかもなげうち、ひたすらに憧れに向って全力投球するひたむきさこそが貴いということに気づいてゆく。そしてある秋の黎明、無欲の観測のうちに始めての発見がもたらされる。
それから時は流れ、ふとしたきっかけから私は、住み慣れた東京を離れ、ここ岐阜県の山奥にあるプラネタリウムと天文台の職員として勤務することになった。自然に囲まれた暮らしに憧れていたことももちろんだが、関氏の本を読んで以来温め続けてきた彗星発見の夢を、夜ごと満天の星空の広がるこの地で実現したかったことが、家族を連れて人口わずか450人の山村への移住を決意させた最大の理由である。
子供の頃に出会った一冊の本が、私を山紫水明の岐阜の地へと導いてくれたことに感謝を覚えつつ、今でもくじけそうになった時など、本棚からボロボロになったその本を取り出してページを繰る。そのたび、懐かしい紙とインクのにおいが、夢中で活字を追いかけたあのころのひたむきな憧れを鮮やかに呼び戻し、故郷を遠く離れたこの地で、ともすれば弱気になりがちな心を強く奮い立たせてくれる。そして、憧れ続けた星空を見続けてゆく勇気と力を、私に取り戻してくれるのだ。

(平成12年度岐阜県読書感想文コンクール優秀賞)

2006年08月30日

●随筆「幽霊・・・少年期の黄昏に」

 北杜夫の処女作、「幽霊」を初めて読んだのは、中学一年生の秋だった。いわゆる「どくとるマンボウ」シリーズには以前から親しんでいたものの、「幽霊」については、その怪談めいたタイトル、そして難解そうな文章に尻込みしてしまい、なかなか手が出なかったのである。思いきって文庫版のそれを購入し、一読してみても、その印象はあまり変わらなかった。というより、より困惑の度を深めさせられたともいえる。

 小説というものは、いわゆる「物語」であり、明確な起承転結のある読み物なのだと、中学一年生の私は思っていた。ところが、この小説に物語的なストーリーはほとんどない。起承転結の基本である時間軸すら曖昧であり、冒頭からして茫漠とした回想シーンから始まる。時間軸だけではない。場面にしても二転三転し、ソフトフォーカスの写真のように曖昧模糊とした語りが続く。戦前から戦後の混乱期、家を去っていった美しく謎めいた母への思慕をベースにして、淡い恋や自然への憧憬を絡めながら、作者の精神が成熟してゆく過程を描いた自伝的小説であることは理解できるものの、淡色の水彩画を何枚も重ねてゆくような描写手法は、小説イコール物語と考えていたその頃の私にとって、およそ小説と呼ぶには値しないものであるように思われた。

 こうして書棚に並べたまま忘れていた「幽霊」をもう一度手に取ったのは、それから一年ほども過ぎた頃だった。家庭も学校も何もかもが面白くなく、それでいて毎日を無為に過ごしている自分が嫌でたまらなかった時期である。そんな鬱々とした精神状態が、書棚に並んだたくさんの本のうちからこの怪しげなタイトルに手を伸ばさせたのかもしれなかった。自分の拠って立つ時間も空間も定まらないようなその頃の毎日に、何かしら拠り所を求めたいという気持ちで、私は一年ぶりに「幽霊」の活字を追い始めたのである。

・・・気づいてみると、辺りは夕方だった。ほの暗い部屋の中が奇妙にぼやけて見える。私は、自分が泣いていることを知った。同時に、心の内面が驚くほど澄み切っていることに気づき、はっとする。「幽霊」の小説世界は、透明な黄昏の光に照らし出された心の風景の完全な一部となっていた。私の内部でいつ知らず形づくられつつあった自然への憧憬、異性への思慕、そして、時として自分を支配する理由のない怒りや閉塞感、そうしたものがこの小説を読み進む数時間のうちに見事に整理され、秋の夕暮れに似た静謐感を漂わせながら、心の書棚に収められていたのである。

 静かに部屋を充たしてゆくうす闇のなかで、読んだばかりの小説の一節を私は呟いていた。
『僕は自然から生まれてきた人間だ。僕は決して自然を忘れてはいけない人間なのだ』
 この言葉を、私は今でも時折、呟くことがある。私にとって「幽霊」の印象は、それほどまでに深い。

(平成15年度 岐阜県読書感想文コンクール奨励賞)

2007年04月25日

●私の感銘を受けた本「百億の昼と千億の夜」

 星を見る趣味が嵩じてプラネタリウムの解説者になってしまったということもあり、宇宙を舞台にしたSFをよく読む。宇宙を舞台にしたSFも、冒険活劇ありファンタジーありとさまざまなのだが、好んで読んできたのは、科学的根拠に裏打ちされた、いわゆるハードSFだった。科学少年だったこともあって、ハードSFでなければ読む価値なしとまで、若い頃は断じていたほどである。
 そんな認識を根底から覆してくれたのが「百億の昼と千億の夜」だった。プラトンやシッダールタ太子=釈迦の幼名、阿修羅王、イエスといった歴史上の人物が主要な登場人物であることも驚きだったが、何よりも私を魅了したのは、ページを開くだけで行間からあふれる時間と空間の実在感であった。
 それまで読んできた欧米のSF作品は、科学的根拠とヒューマニズムという点において優れたものが多かったが、開闢以来、膨張し続けている宇宙がおのずと創出した時間と空間そのものを、実在の「におい」として感じさせてくれる作品に出会うことはなかったのである。
 この作品では、宇宙の始まりと終焉は、何者の意志によるものかと問う。宇宙開闢から終焉に至る永劫ともいえる時の流れの中で、人類が存在する理由と意味を考察する。56億7千万年後に人々を救済
する弥勒とは何者なのか。彼岸とは何か。神は実在するのか。
 こうした問いかけは、一神教文明である欧米では決してなされない。宇宙の膨張による熱的平衡が引き起こす破滅と崩壊。巨大な流れに抗う術を持たないまますべてを喪失し、それでも厳然として寂寥の風の中を歩んでいく人類の克己と悲しみ。輪廻転生、色即是空とも言うべき絶え間のない価値観の変転、そんな無常のほとりに立ちながら、それでも救済を待ちわびる人々の思いと願い。
 初めてこの作品を読んでから幾歳月、仕事で、あるいは趣味で、今も星空に接する機会は多い。体と心に降り注ぐ星の輝きのただ中で、宇宙の構造と同じく、世にある事物や人の想いのすべては相対的であり、絶えず変転し続けるものなのだ。ふとそんなことを思う。そう気づいたからといって何が変わるものでもないが、無用のこだわりを捨て、優しく客観的になれるような気がする。心静かに生きられるような気がする。
 何かを悟ったなどと大それたことをいうつもりはないが、ただの科学少年だった私を本書が変えたことは確かだ。変転しないものなどない。無常であるからこそあらゆる事物に価値が備わる。そんな当然のことを、この作品が放射する時間と空間は認識させてくれる。
 煩雑な日常ではあるが、時の流れは悠久だ。ささいなことに心わずらわせ、大切なことを忘れないように生きてゆきたい。

(2004年度 岐阜県読書感想文コンクール優秀賞受賞作品)

 光瀬 龍 著「百億の昼と千億の夜」の感想文です。県が主宰する同コンクールでは、これまで3回入賞しており、ひとつが紹介した関 勉さんの「未知の星を求めて」、もうひとつが、北 杜夫さんの処女作「幽霊」です。どちらもこのブログ(カテゴリー「旅と文学」)で紹介済みの、私の精神を形作ってきた大切な本なのですが、表彰式の席上で審査員さんに言われました。「私、長年、このコンクールの選者をやってますが、星や宇宙に関する本で2回も受賞されたのは松本さんが初めてですよ。」
 そりゃあ、まあ・・・珍しいでしょうね。いわゆる読書感想文と天文書って、普通は結びつかないもんねえ。
 あ、「幽霊」は立派な純文学ですよ。純文学過ぎて読んだ人の半数は理解できないみたいだけど・・・。
上述の3書、皆さんも読んでみてね。読んだ方がいれば、感想を聞かせてくださいませ。

2007年04月29日

●本ばかり読んでいます

体調不良で仕事以外はほとんど外出しないため、本ばかり読んでいます。
本屋や図書館へ行くのもしんどいので、以前に読んだ蔵書を読み返しているのですが、久しぶりに読むと、おっ、こりゃいい本だったなあ、というのがけっこうありました。
そんな中からお勧めの本を何点かご紹介。

1.SFはどこまで実現するか  ロバート.L.フォワード
ブルーバックスの一冊でちょっと古い本ですが、恒星間航行やタイムマシン、さらにはテレパシーなど、SFでおなじみのテーマを現代のテクノロジーで実現できる可能性を論じた好著。

2.雲の墓標  阿川裕之
太平洋戦争間末期、特攻隊員として散華したインテリ学生の日記。戦争文学として有名ですが、あの時代にも高潔で普遍的な精神を失わずにいた学生が多数存在したこと、前途あるそうした人材を死へと追いやった戦争の本質を考えさせられる傑作。

3.砂の女  安部公房
これも戦後日本文学の傑作。突然、不合理な拉致的状況に負いこまれた主人公がたどる肉体と精神の葛藤を通じて、日本人全体に流れる保守的・閉塞的精神の実態を暴く。

4.日本の国境  山田吉彦
北方領土、尖閣諸島など未解決の領土問題のみならず、わが国が有する国境地帯で何が起こっているのか、どのように対応したら良いのかを現実論として考察。

5.古代エジプトうんちく図鑑  柴崎みゆき
考古学者でもエジプト学者でもない「普通の若い女性」が、ただ古代エジプトへの尽きぬ情熱に突き動かされ、古王国時代からローマに滅ぼされるまで、歴代の王朝を活写した「素人の、でも考古学者顔負けの」エジプトうんちく学。内容の高度さに加え、全編、活字でなく著者の手書き+イラストも手書きということで、学会でも話題となった。

6.星座手帖  草下英明
日本から見える星座すべてについて、基本的な知識を学べる教養文庫の一冊。世界中の文学から、その星座が登場する一節を引用しているところが、有象無象の単なる天文学啓蒙書と決定的に異なる特徴。「星座は天文学ではなく文学なのだ」と思わせられてしまう。これ一冊あれば、巷に溢れる孫引きばかりの星座解説書など不要。

7.星とトランペット  竹下文子
現代日本を代表する童話作家の学生時代のデビュー作。みずみずしく甘やかな感性に心が洗われる。私が童話を書くようになったのは、この本を読んでから。絶版なので入手は困難。童話好きな人は「お手伝いねこ」シリーズ、「黒猫サンゴロウ」シリーズも読んでね。

8.歴代天皇のカルテ
「病気」という視点から、歴代の天皇=時代を論じた異色の本。あらゆる疾病に悩み苦しむ歴代天皇に人間味とリアルティを感じるとともに、心身症に悩んでいた天皇が多いことに驚かされる。

他にもたくさんありますが、またそのうちに。
何だって? 分野が支離滅裂だって? いいんです。濫読が楽しいのです。天文の本しか読んでいない人はちょっと怖い・・・です。

2007年05月12日

●野尻抱介さんの本

最近読んで「こりゃ、すごいなあ」と思った本、というか作家について。
少し前の「星ナビ」でも紹介されていましたが、野尻抱介さんという作家がいます。
「星ナビ」で紹介されていたのは、富士見ファンタジア文庫から出ている「ロケットガール」シリーズでした。
富士見ファンタジア文庫といえば、ちょっと40代の男性が手に取るのはためらわれるアニメ調表紙のシリーズですから、著者の他の作品を知らなければ、なかなか読む機会はなかったでしょうが、幸いというべきか、星ナビで紹介される直前に、同じ著者の「沈黙のフライバイ」というハードSF作品を読んで久々に感動してしまったので、さっそく「ロケットガール」シリーズも本屋さんに注文して入手しました。

読んでびっくり、アニメ調の表紙とは打って変って、内容は実のところ、バリバリのハードSF。女子高生が宇宙飛行士として活躍する話なのですが、科学的な裏づけももちろんながら、ワープやワームホールなど技術的には実現不可能な方法ではなく、現代のテクノロジーで、宇宙飛行をお気楽に、そして精緻に実現してゆくストーリーテリングにいたく感銘を受けてしまいました。
これは「沈黙のフライバイ」も同じです。

無理のない既存技術の集積で、しかもまことに安価かつ精密な日本的手法で宇宙を目指すストーリーを書き続けるこの作家の作品を読んでいると、日本の技術力が、実のところ、世界に冠たるものであることを再認識させられます。
昨年は世界最小・最安価な小惑星探査機「はやぶさ」の成功に世界中が沸きましたが、それと同種の感動を味わわせてくれるこの著者の作品、ぜひ読んでみて下さいね。
(ロケットガールシリーズ、本屋さんで買うのが恥ずかしいヒトは、奥さんか彼女か娘さんに頼みましょう)

2007年06月21日

●「こだま」の効用

3月以降、体調不良であまり外へも出ずにいたのですが、先日、久しぶりに東京へ行ってきました。
とはいっても、父の病気の関係で一泊のとんぼ返りでしたので、どこへも寄れなかったのですが、少しだけのんびりしたくて、豊橋まで在来線で、豊橋からは「こだま」に乗りました。
「こだま」で行くなんて暇なんだなあ、と思われる方もいるかもしれません。
でも、各駅停車の「こだま」には、「のぞみ」「ひかり」にはない魅力があるんですヨ。
以前に、ある雑誌に書いた文章が見つかったので掲載します。
皆さんも新幹線に乗る際には、たまには「こだま」に乗ると、リフレッシュできるかもしれません。

* * *
 
 仕事や所用で、東京・名古屋間の新幹線に乗ることが多い。以前は、ご多分に漏れず、往復ともに「のぞみ」や「ひかり」を利用していたが、ここ数年、時間のあるときには、もっぱら「こだま」を利用している。
 忙しい時代にあって「のぞみ」「ひかり」よりも「こだま」を利用する最大の理由は、「空いている」からだ。時間短縮を最大の売り物にしている新幹線であるから、「こだま」の利用者が少ないのは当然であるが、確実に座れるうえに、たいていの場合は隣席に座る人もいないため、誰にもわずらわされず読書や考えごとができ、しかも在来線の普通列車よりは圧倒的に速い。
「のぞみ」「ひかり」退避のための長時間(?)停車にしても、確かに嬉しいものではないが、考えようによってはかえってのんびりと駅のたたずまいを観察できると考えれば、まんざら悪いものではない。
 かつて、長大編成・ガラ空きの鈍行列車に求めた「一人になれる時間」を、「こだま」に乗ることによって得られると言えば、「こだま」は気分を害するだろうか。

2007年07月24日

●お勧めBOOK「太陽の簒奪者」

以前に、野尻抱介さんという作家について書きました。一昔前だったら、人類が到達し得ない技術や仮説に基づいて描かれるべきテーマや実現不可能そうに思えるプロジェクトを、わが国が現在保有する宇宙科学の最先端を駆使して無理なく描ききってしまう、日本ハードSFの旗手ともいうべき作家です。

前回は「沈黙のフライバイ」という短編集を紹介しました。
今回、読んだのは「太陽の簒奪者」という長編です。
西暦2006年、太陽を取り巻く謎のリングが形成されつつあることが発見され、日照量不足によって、地球の気候は大きく撹乱されてしまいます。
人類の滅亡が迫る中、リングを創造した異星人が太陽系に接近、リングの破壊に成功した日本人女性科学者は、戦闘を志向する国際世論に対して、異星人とのコンタクトによって事態の収拾をはかろうとするのですが・・・。

太陽を取り巻くリングという構想、原子力推進宇宙戦艦による破壊ミッションなど、まさにSFの世界を描いているにもかかわらず、西暦2006年という当初の年代設定でわかるとおり、すべてが、基本的には現代の宇宙技術で対応可能な内容となっています。
この作家の本領はここにあります。夢物語ではなく、現代日本が有する宇宙テクノロジーによって、すべてのストーリーが展開していくのです。

宇宙技術に関する広汎で膨大な知識がその作風を支えていることはもちろんですが、それ以上に、宇宙への強い憧れがこの作家にこうした作品群を書かせています。
「太陽の簒奪者」、天文が好きな方には、ぜひお勧めしたい一冊です。
もう少し長編にして書きこむと、J.P.ホーガンと並んで世界的な評価を受けるようになるのかな、という気もしますが、それはあくまで欲を言えば、の話。
ぜひぜひお読み下さいませ。
早川書房刊 本体640円 です。

2007年12月01日

●随筆「北海産・痺れる珍味」

いよいよ師走。寒くなってきます。
 星にはぜんぜん関係ありませんが、数年前にある本に書いた「旅の味」に関する随筆を掲載。
 冬になると北海道に行きたくなります。

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「ここまで盛り上がっちまったんだから、とっておきのあれを出しちまおうかねえ」
 厨房の奥に引っ込んだ宿の主人は、やがて小ぶりな壷を持って現れた。
 二月の北海道、中標津の安宿。泊り合わせた道路工事の男たち、そして宿の主人まで加わった酒盛りの最中だった。

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「滅多に出さないんだけどね。今夜は気分がいいから出しちゃうよ」
 壷の中身を、小皿にあける。
「ウチの秘蔵品だあ。最高の肴だけんど、いわくつきの品だけんね、気いつけて食ってく
れよ」
 真っ黒な粘液の中に、やはり真っ黒な塊が転がっている。
「イカの墨肝だあ。これにはな、フグと同じ中毒成分が入ってる。くれぐれも食いすぎねえようにな」
 主人の言葉に、豪放な工事の男たちも、すぐには手を出しかねる様子である。意を決したように親分格の男が箸をつけ、しばし、微妙な表情を浮かべたあとで言った。
「こったらうめえもんは滅多にねえ。ほれ、おめえたちも食ってみろ」
 恐る恐る、僕も口に入れてみた。生臭い塩辛さ。濃厚な北の海の匂いがいっぱいに広がる。思わず、熱燗に手が出た。つまむほどに酒が進む。酒が進むほどに気分が良くなる。
 何個かつまんで、ふと気づいた。舌が痺れて、口がうまく回らない。酔いに任せて大声で喋っている男たちも同様で、話の内容がまったく聞き取れない。宿の主人だけが泰然として黒い塊をつまんでいる。
「そろそろやべえみてえだな」
 テーブルを見回した主人が壷に蓋をする。
「珍味っしょ? 命に別状はねえけんど、口と頭が痺れてしまうのよ。しばらくすれば治るから心配はいらねえけど」
 いたずらっぽい目で笑う主人の顔がぼやけてくる。
 小用に立った。食堂のドアを閉めたとたん、呂律の回らない声で騒ぐ男たちの声が途切れ、冷たい静けさが満ちた。
 トイレの窓は、真っ白に雪がこびりついて外の様子は伺えない。耳を澄ませば、ひどく遠くから聞こえてくるような酒宴のざわめきに混じって、さらさら、さらさら、窓を打つ粉雪の音が遠く近く聞こえてくる。

小田豊四郎記念基金刊「忘れられない北のあの味」掲載
写真:オホーツク海の流氷(釧網本線北浜駅前で撮影)

2008年01月05日

●年末年始に読んだ本から

今日は、年末年始に読んだ本をご紹介。
相変わらずジャンルがバラバラですが・・・。

1.「うみのふた」 よしもとばなな
故郷の海辺でかき氷屋を始めた「私」と、ふとした縁でかき氷屋を手伝うことになった少女の交流を描く。
作者独特の、諦観の上に未来へとつながる切なさをさりげなくまとめた佳作。

2.「森を守れ」が森を殺す  田中淳夫
林学を学んだ著者が、巷間で流布されている森林保護や環境政策に関する学問的裏づけを検証し、本当の自然保護とはどうあるべきかを語る。現在はフリーのライターだが、緻密な取材に基づいた文章は浮ついた箇所がない。

3.「野仏の見方」  外山晴彦
地蔵や庚申等、道祖神といった路傍の仏の系統を明らかにし、そうした石像物にこめられた日本人の心の襞に触れる。写真主体で気軽に読める本。

4.「ママさまは不思議の人」  斎藤茂太
斎藤茂吉の妻であり、世界中を旅する「快妻オバチャマ」としても名高かった斎藤輝子氏の自由闊達かつ奇行に溢れた生涯を、茂吉・輝子の長男が、精神科医としての考察を交えながら綴っている。弟の斎藤宗吉(北 杜夫)や輝子の父の紀一も含めて、斎藤家の才気溢れる躁鬱気質ともいうべき血筋が読み取れる。

5.「ヴェイスの盲点」「アンクスの海賊」  野尻抱介
「ロケットガール」シリーズや「太陽の簒奪者」等、リアリティ溢れるハードSFの旗手である著者の初期SF連作「クレギオンシリーズ」の2作品。
スペースオペラ的要素もふんだんに交え楽しませながらも、作中に出てくるさまざまな技術は現在の科学の延長線上にあるところが天文ファンにはたまらない。

6.「永遠の出口」  森 絵都
児童文学の賞を片端からもぎとってきた著者が、一人の少女の小学生から高校卒業に至るさまざまな事件や人との触れ合いを、時にユーモアを交えて語りつつ、現代に生きる「ふつうの女の子」の揺れ動く心や家族との距離感を鮮やかに描き出す。

7.「永遠の緑色」  片岡義男
片岡義男と聞いて、ただおしゃれな小説を思い浮かべた方は、ちょっと認識不足。
現代の片岡義男は、辛口の環境保護論者として名高い。そんな著者が、絶滅危惧種や世界の環境破壊を危機感と絶望感を込めて論じた恐ろしく真面目な著書である。この本を読むと、かつての「おしゃれな」小説も、その根底には、自然環境への深い造詣と愛情が隠されていることがよくわかる。

8.故郷(ふるさと)の再生の道  野添憲治
急速に過疎化と高齢化、そして荒廃が進行する農山村の実態をレポートしながら、農林業の前途を憂慮し、農山村の復興の道を模索する。
人口450人の旧藤橋村に10年在住し、現在も同地に勤務する私にとって、身につまされる報告事例ばかりであり、歪んだ成長を遂げてきた日本の将来を憂慮したくなる。

この他にもたくさん読んだのですが、長くなるのでこの辺で。
読書は楽しいですよね。
でも、今夜は「のだめカンタービレ」を見ていたので、本を読む時間がありませんでした。むむ。

2008年01月18日

●20歳の詩

先週、東京へ行った連休が、ちょうど成人の日前後だったので、駅でも街でも晴れ着の若者をたくさん見かけました。
オレはハタチの頃、何を考えていたんだろうな、なんて思いながら、そうした若者たちを見ていたのですが、岐阜へ戻ってきて部屋の整理をしていたら、ちょうどその頃に書いた詩のノートが出てきました。
今でこそほとんど詩は書きませんが、若い頃はかなりたくさんの詩を書いていたのです。
青臭い詩を、懐かしい思いで読んでいくうち、タイトルもそのものずばり「20歳」という作品を見つけました。

「20歳」

青春は黄昏れて
僕の眼に
もはや時は見えない

懐かしい日々を彩ったたくさんの残像よ
僕はいつしか
君たちから遠ざかっていたらしい

甘美な追憶でなく
老人の静けさでなく
ただ無言で
僕は時に還ろうと思うのだ


こんな詩です。
老人の静けさでなく、なんて書いてますが、何だか思いきり年寄り臭いですね。
そう、当時、20歳を迎えた私は、これから人生が拓けるとは考えませんでした。
むしろ、20歳を境にすべてのものが遠ざかり失われていくように思っていたのです。
無論、それは年端のゆかぬ若者の感傷が大半だったのでしょうが、それでも当時、痛いほど感じていた、日々、失われてゆく何かの感触は、それからの私という人間を形づくる大切な要素になったような気がしています。
人とは、一日を過ごすごとに、何かを得て何かを喪失してゆく存在であるという認識は、あれから25年が過ぎた今でも変わりません。
そうした青臭いことを考えていられるうちは、自分が自分でいられるのだろうと思っています。

2008年03月09日

●随筆「秩父地学旅(前編)」

 秩父へ行ってきた。
 父の四十九日法要で東京へ出てきたのだが、そのついでに前々から行きたかったいくつかの場所を訪ねたのだ。
 春爛漫を思わせる陽気と晴天である。西武線の車内は居眠りしたくなるほど暖かい。飯能から乗り換えた秩父線の電車はボックスシートで、小旅行ではあるが旅気分が盛り上がる。
 西武秩父から連絡通路を歩いて秩父鉄道へ。
 秩父鉄道は東京近郊の鉄道にしてはローカル色の強い路線で、1時間に2本程度しか列車が来ないのだが、運良く5分程度の待ち時間で下りの三峰口行きがやってきた。
 閑散、とまではいかないもののほどよく空いた車内は、日ざしが差しこんで、先ほどの西武線と同じく駘蕩とした空気が漂う。地元のおばさんが、ロングシートに長々と寝そべっている。
 二駅目が最初の目的地である橋立鍾乳洞のある浦山口駅。山間の駅の改札を出ると、五分咲きの梅が馥郁たる香りを漂わせている。古びた駅舎の前にたたずんで日ざしを浴びていると、何だか桃源郷にいるようだ。
 橋立鍾乳洞までは山道を10分弱。このところ、以前に交通事故で痛めた右足が痛むため、たいしたことのない勾配がやや辛い。
 溶食された石灰岩の岩肌を横目になおしばらく歩くと、秩父札所のひとつであるお堂にたどり着いた。
 お堂の背後に、天を突くような威容で石灰岩の大岸壁が聳え立っている。まずお参りを済ませてから鍾乳洞を探勝するのがスジなのだろうが、私は迷わず鍾乳洞を目指す。
 鍾乳洞見物は以前からの私の趣味である。学芸員資格を取得した際の専門が地学と生物学なので、鍾乳洞や断層、地質調査は趣味、というよりは仕事に近いかもしれない。
 いずれにしても好きなことなので、全国あちこちの鍾乳洞や地形を見て歩く。東京周辺の鍾乳洞は大抵、歩いたが、ここ、橋立鍾乳洞だけは機会がなかったために、今回、思い立って訪れた次第なのである。

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 鍾乳洞内部はごく狭い。観光洞だから照明も完備され階段や手すりも整備されてはいるのだが、基本的に竪穴構造の洞内は狭い上に腰を屈めなければ歩けない天井の高さだ。頭をぶつける人も多いだろうし、これだけ狭いと体格の良い人はつっかえることはないまでも、相当に難渋するだろうと思われる。
 鍾乳石やフロースストーン、カーテンといった2次生成物はそこそこ見られるものの、水脈が変わったためか、鍾乳洞自体の成長はすでに止まってしまっている。生成途上の鍾乳洞でよく見られる水流や滝、ぽつぽつ落ちる水滴やカーテンの表面をぬらりと濡らす水などはまったく見られず、全体に打ちっぱなしのコンクリートのような乾いた粉っぽい印象だ。
 ゆっくり回っても20分ほどだったので、もう一度入洞する。竪穴構造なので、階段、というよりハシゴが数箇所に設備されている。足の痛む身としてはしんどい構造である。
 それでも満足して浦山口駅へ戻る。腹が減ったので、近くのコンビニでおにぎりとパンを購う。
 ふたたび秩父鉄道の人となり、20分ほど電車に揺られて、上長瀞駅で下車。次の目的地は、最近、リニューアルされた「埼玉県立自然の博物館」である。

(写真:橋立鍾乳洞内部。ケータイしか持っていなかったのでしょぼくてすみません・・・)

2008年03月11日

●随筆「秩父地学旅」(後編)

 駅から徒歩10分弱。茶色い博物館の外観が見えてくると、甘酸っぱい懐かしさが心に満ちた。
 この博物館こそが、私が学芸員を志すきっかけとなった場所なのである。20年前、この博物館を訪ねたことがきっかけで私は学芸員資格を取得し、現在の仕事に就くことになったのだ。
 リニューアルにともなって当時の面影が失われているのではないかと危惧しながら入館した館内は、現代風にきれいになってはいたものの基本的な展示に変化はなく、私は時間をかけて展示を見学して回った。
 子供が多く感傷に浸るにはいささか賑やかすぎたが、それでも満足した思いで私は博物館を辞し、痛む足を引きずって河原へ下りた。
 緑色の結晶片岩が作る河原の景観は、長瀞独特のものである。しばらく河原を散策し、何度も往復するカヌーや水たまりに群棲するおたまじゃくしをぼんやりと眺めて過ごす。
 鍾乳洞と博物館を訪れてしまえば、今日の目的は終了である。それでもまだ日は高い。このまま帰るにはやや物足りない心もちで電車に揺られるうち、西武秩父駅と連絡通路でつながっているお花畑駅に着。
 連絡通路を歩くうち、『秩父神社まで徒歩7分』の表示が目に留まる。
 実を言えば私は神社フリークでもある。星、鍾乳洞、神社と、おかしなものばかり好きだなあ、などと思われそうだが、そういえば夜祭で有名な秩父神社へはまだ行ったことがない。小さな旅を神社参拝で締めくくるのもオツだなあと、門前町の風情がある商店街をてくてく歩いて秩父神社へ。
 武蔵の国創建以前からあったという神社の社殿は、徳川家康が寄進したもので、日光東照宮と良く似た極彩色の彫刻が本殿の四周を覆っている。お宮参りらしく、乳児を抱いた若夫婦が本殿を背景にカメラのシャッターを押している。

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 参拝を済ませ、家康公寄進の造作をじっくりと鑑賞し、商店街をひやかしつつ駅へ戻る。秩父の市街は空襲を受けなかったのか、明治、大正のロマンを感じさせる建物がそこかしこに残っていてなかなかの風情である。
 日も傾いた。西武秩父駅は、帰宅を急ぐ人々で観光地らしい賑わいである。帰りの列車が混雑するかと危ぶんだが、観光客の大半は先発の特急に乗車し、次発の快速急行の乗客は意外なほど少ない。
 4人がけのボックスシートを一人で占領し、帰路に就く。
 窓外を流れていく景色を見ながら、何だか旅っぽい一日だったなあなどと考える。
 実家から秩父は近い。学生時代は、しょっちゅうバイクでツーリングに訪れた地だ。旅、と呼ぶにはあまりに身近な場所であるにもかかわらず、電車の窓にもたれて私は確かに「旅」を感じている。
 理由を考えていたら、前のボックスに座っている30代と思しき男性二人連れの声が聞こえてきた。
「いやあ、旅だったねえ」
「こんなに近い場所なのにね」
「どうしてかな。今まで何度も来てるのに、仕事がてらの日帰りなのにね」
 私は心の中で苦笑した。
 どうやら今日は、そういう日和だったらしい。そういえば、列車に揺られている乗客の誰もが、良い旅を楽しんだ、そんな顔つきで窓から差し込む西日を浴びている。

写真:秩父神社の彫刻

2008年03月13日

●天啓に導かれて(「秩父地学旅」追補)

 もう20年も前のことだ。大学を卒業した私は、東京の民間企業に就職し、ごくありきたりのサラリーマン生活を送っていた。仕事は楽しかったし充実感もあったのだが、その一方で、本当の自分はここにはいない、もっと他にやるべきことがあるはずなのではあるまいか、そんな空虚感と焦りを常に感じる日々でもあった。
 そんなある日、私はたまさかに長瀞の地を訪れた。長瀞といえばライン下りが有名だが、関東地方最大の変成帯(大きな地質変動があった所)であり、地学の研究者にとっては何回訪れても興味の尽きない場所である。加えて東京周辺ではとびきりの自然景観に恵まれていたから、子供の頃から地学や生物学が好きだった私には魅力に溢れた場所であった。
 その日も、地学的興味に加え、仕事に疲れた体と心を自然の中で慰めようという思いから、ふらりと長瀞を訪れたのであった。
 結晶片岩の露頭がある河原でしばらく過ごした私は、埼玉県立自然史博物館へと足を向けた。それまで何度も長瀞を訪れてはいたのだが、博物館など入らなくとも書物で得た知識とフィールド調査の経験から、長瀞の自然については熟知しているという自負があったせいか、一度も入館したことがなかったのだった。
 夏休み前だったためか、日曜日にもかかわらず私以外の入館者はいないようであった。
 館内は、地学展示室と生物展示室に分かれている。
地学展示室には長瀞の地形・地質の特徴や変遷が鉱物の標本とあわせて展示され、生物展示室には、見学通路の周囲に森のジオラマがしつらえてあり、さまざまな植物や動物の生態が展示されていた。

jiorama2.jpg

 冷房の効いた館内は静かで清潔だった。相変わらず誰もいない館内を、奇妙に充足した気持ちで歩くうち、私の心はいつか、館内と同じようにしんと静まりはじめていた。それは、たとえばステンドグラスからひとすじ、午後の陽が差しこむ礼拝堂で感じるような法悦に似た心持だった。
 立ち去りがたい思いで生物展示室のジオラマ内を歩む私の心に、突然、何かが囁きかけた。
 いや、囁き、というよりもそれは、やはり何かの啓示だったのだろうと今でも私は思う。暗い山中を歩いていて、不意に眼前が開き、連なる山々と遥かな空の織り成す壮大な景色が眼前に拡がったときのように、あるいは降り続いた雨がようやくやんで、厚い雲の切れ間からひとすじ、差し込む陽光を見たときのように、霊的な何かに打たれて私は展示室の床に立ち尽くした。
(僕のいるべき場所はここなのだ。この静寂で清潔な展示室で僕はこれから仕事をしなければならないのだ)
 天啓、といえば大げさかもしれない。それでもそのとき、私は学芸員の資格を取らなければならないと、どこまでも透徹した思いでそう思ったのだ。
 帰宅した私は、すぐに試験勉強を開始した。社会人が学芸員資格を取得するには、文部省(当時)が年に一回、実施していた国家試験を受験するか、大学の通信課程を履修するしかないのだが、数週間のスクーリングが必要な通信過程は、当時、営業職で多忙だった私にはとても履修できなかったから、合格率の低い国家試験しか資格取得の道は残されていなかった。
 通勤の電車内と会社の昼休みを利用しての勉強が始まった。仕事と勉強を両立させるのは楽ではなかったが楽しかった。静寂の博物館で私に囁きかけたあの声は、試験が終わるまでずっと私の心に響いていた。
 埼玉県立自然史博物館。決して大きな施設ではないし、派手な展示があるわけでもない。そのような博物館がなぜ、私に天啓(あえてそう言おう)をもたらしてくれたのかはわからないが、とにかく私は、その声を頼りに学芸員資格を取り、プラネタリウムと天文台の仕事に就くことになった。
 埼玉県立自然史博物館は、私にとって特別な位置を占めている。あの日、長瀞の地を訪れなかったら、そして博物館に入館しなかったら、その後の私の人生はずいぶんと変わったものになっていただろうと思う。

写真:生物展示室のジオラマ

2008年03月19日

●国立天文台見学記(前編)

「東京天文台」といえば、ちょっと前までわが国の天文学を象徴する存在であり、一般人やアマチュア天文ファンにとっては「象牙の塔」であった。
 実際、一昔前は、鬱蒼と武蔵野の木々が生い茂った正門にはいかめしげな守衛が立ち、職員や研究者以外の入台は厳しく制限されていた。
 ところが時代は変わるものである。情報公開を迫られるようになった公官庁は、予算獲得のためにも、競ってさまざまな媒体によるPRや施設内見学を行なうようになった。
「国立天文台」と名称を変更した東京天文台は特にその変容が著しく、広報普及責任者の熱意と努力もあって、わずかな間に公官庁の中でも随一の公開施設として生まれ変わった。アマチュア天文ファンとの連携を重視するようになり、子供の頃にはあれほどいかめしく敷居の高く見えたその正門を、この私までもが年に何度かくぐることになった。
 アマチュア天文ファンだけではない。平日はほぼ毎日、誰でも構内を見学することができるようになった。隔世の感がある。素晴らしいことだと思う。同じ官庁でも、特定財源を使って親睦旅行をしたり福利厚生備品を購入しているどこやらとは雲泥の差である。

 そんな国立天文台に、先日、ふらりと出かけた。
 ふらりと、と言うからには、さしたる用事があったわけではない。東京滞在中の半日を、天文台施設の見学に費やそうと訪れたのである。これまで何度となく訪れているものの、いつも予定がぎっしりで一度も構内見学をしたことがなかったのだ。

dai1sekidougi.JPG

 春本番を思わせる好日であった。古びた正門をくぐり、すぐ横の受付で見学の申込みをする。考えてみれば受付に寄ったのは初めてである。
 受付で貰ったパンフレットを手に、まずは国登録有形文化財である第一赤道儀室へ。ツアイス製の口径20cm屈折望遠鏡が古びたドーム内に設置されている。構内に現存する最古の建物である。望遠鏡には太陽写真儀が同架されており、1939年から60年間、太陽面のスケッチと撮影が行なわれていた。ツアイス製であるからにはもちろんのドイツ式赤道儀は、重錘式の追尾装置が備えられている。地球の重力を上手につかい、電気を使わずに追尾ができる優れものだ。
 奥へ進むと、左手にひときわ高い建物が見えてくる。1930年建設のアインシュタイン塔だ。地上5階、地下1階の建物内はシーロスタットになっていて、屋上のドームから入った太陽光は半地下の暗室へ導かれ、分光観測ができるようになっている。アインシュタインの相対性理論を検証する目的で建造された建物であることからこの名がつけられた。茶色のタイルが張られた外壁は、モダンかつ重厚な印象だ。
(後編へ続く)

写真:第一赤道儀室

2008年03月22日

●国立天文台見学記(後編)

 さらに奥へ進む。木々の間から巨大なドームが覗いている。高さ19.5m、ドーム径15m、1926年建設のこの建物こそ、天文台のシンボルともいうべき65cm屈折望遠鏡を納める大ドームだ。

65dome1.JPG

 ドーム内に入れば、頭上を圧して65cm屈折望遠鏡がそびえている。わが国最大の屈折望遠鏡であり、1998年まで位置観測を主に行ってきた。焦点距離1021cm(1000mmではない)、ドイツ式赤道儀に支えられたその姿は重厚な機能美にあふれ、屈折望遠鏡とはこうでなくてはいけないと思わせられる威容である。
 後ろ髪を引かれる思いで、パンフレットに従い、次の見学地の「展示室」へ。
 さほど広くはない部屋に、すばる望遠鏡をはじめ国立天文台が取りくんでいるプロジェクトの数々が体験型の模型で紹介されている。これまでたどってきた重厚な天文台の歴史とは一転した最先端の観測や研究装置の数々に、目を見張らされる思いがする。
 1930年建設の旧図書館の横を通り過ぎ、明るい芝生の道をたどれば、外観のみ見学できるレプソルド子午儀室。1925年建設のこの子午儀を使って惑星や小惑星の位置観測が行われてきた。
 芝生を踏んで1924年建設のゴーチェ子午環へ。眼視による位置観測を引き継いで、CCDカメラによる精密な観測が行われてきた施設である。
 その先には、1982年建設の自動光電子午環が銀色の近代的な外観で鎮座している。建物の左右にはすりばち状の窪地が対称に掘られており、窪地の中心の建物に納められた光源から光を発して、望遠鏡の光軸位置とたわみを精密に検出することができたそうだ。
 芝生エリアには新旧3基の子午儀が並んでいるわけで、わが国の天体観測の主要な目的が、天体の精測位置観測であったことがうかがわれる。現在のような物理観測が主流になったのは、実はごく最近のことなのである。

 一般見学者が入場可能なエリアはここまで。毎月2回の公開観望会が行なわれる50cm望遠鏡もふだんは公開されていない。いずれ、夜の観望会も一般市民として参加してみたいと思う。
 とはいえ、これだけでも十二分に天文台の、というより日本天文学の歴史と栄光を堪能できる。
 ことさらに「見学」などと力むこともない。武蔵野の緑と静寂の中に身を置くだけでも心が安らぐはずである。天文ファンならずとも一度は見学されることを強くお勧めする。

写真:65cm屈折望遠鏡のドーム
 

2008年04月27日

●随筆「樽見鉄道賛歌」

 先般、連載した児童文学「赤い電車に乗って」を読まれた方何人かから「星も好きだけど鉄道も好き」というメッセージを頂戴しました。
そこで今日は、2002年に鉄道雑誌に書いた短いエッセイを再掲。
残念ながら、一昨年からこの列車は走らなくなってしまいましたが、懐旧と惜別の念をこめて掲載です。
以下、本文です。

「樽見鉄道賛歌」

 今年も、樽見鉄道の客車列車に乗ってきた。
 樽見鉄道では、終着の樽見駅からほど近い「薄墨桜」の開花にあわせ、花見客輸送のための客車列車を運行している。今年は桜の開花が早く、私が乗車した4月中旬には、すでに散ってしまった後だったが、それだけに車内は空いており、快適な旅を満喫できた。

tarumirail1.JPG

 根尾川の渓谷と絡み合い、目の中まで染まりそうな新緑の中を列車は走る。終着間近に響く懐かしいオルゴール、黒い肩掛けカバンを提げた車掌の姿、何よりもどっしりとした客車独特の揺れ具合。青いモケットにもたれて目を閉じれば、のびやかで心豊かな昔ながらの鉄道の旅へ心は確実に還ってゆく。
 JRの幹線ですら希少価値となった客車列車が、ましてや単線の盲腸線を堂々と走行するシーンなど、樽見鉄道以外ではもはや見られないのではあるまいか。たまたま近くに住んでいるために、こうして気軽に乗りに来ることができるけれど、実のところ、僕はとんでもなく幸せな人間なのではないだろうか。車窓を過ぎてゆく水と緑の景色を眺めながらそんなことを思う。
 今年はもう運行を終えてしまったが、客車の旅を楽しみたい方は、ぜひ来年、桜ダイヤの樽見鉄道を訪れてほしい。レールのジョイントを数えるにつれ、心が柔らかくなること請け合いである。

写真:雨の樽見駅に停車中の客車列車

2008年05月13日

●ふしぎな作家ふたり

いわゆるヤングアダルト系の作家で、あさのあつこさんと藤野千夜さんをご存知でしょうか。
あさのあつこさんは「バッテリー」がベストセラーになり、藤野千夜さんは「ルート225」が映画化されるなど、どちらも現在、最も支持されている作家です。

実は私、このお二人のことが非常に不思議なのです。
お二人とも多くの作品を書いていますが、女子中学生や女子高生を主人公にしたものがいくつかあります。
私が不思議、というか、脅威に思っているのは、そこに書かれている10代の女の子の心理、日常の習俗、言葉づかいなどに少しも無理がなく、まるでお二人とも現役高校生なのではあるまいかと思わせられることなのです。

お二人の年齢は、藤野千夜さんが私と同じで、あさのあつこさんはもう少し年上です。
ということは、現役女子高生どころか、女子高生の娘がいる母親という年齢なのです。

いかに若者風俗を研究してみても、大人が10代の若者を書いたとき、そこにはどうしても無理と媚が生じます。
当然ですね。大人にとっては、すでにはるか光陰の彼方へ去って久しい年齢なのですから。
女子高生を主人公にした純文学作品はたくさんありますが、「今どきの女子高生がこんなこと考えてるはずないよ」とか「こんな言葉づかいするはずない」と興ざめしてしまう部分が随所に目についてしまいます。

ところが、お二人の作品にはそれがない。
10代の女の子が持つ清冽な輝きとあくまで底抜けの意地悪さを、まったく破綻なく書いていることに、小説めいたものをときおり書いている同年代の大人として、ただ感心するレベルにとどまらず、まさに脅威を感じてしまうというわけです。

もちろん、そこがお二人のすごいところであり、だからこそ売れっ子になれるのですが、それにしても、いったいどのような魔術を駆使して10代の女の子になりきれるのか(そう、小説を書くためには作中人物になりきらなくては書けない部分があります。あまりなりきってもいけないのですが)、何とも不思議でなりません。

読んだことがない方にあれこれ書いてもわかりづらいでしょうから、ぜひお二人の作品を読んでみて下さい。
どの作品もテンポが軽快なので、構えず気軽に読めるものと思います。

2008年05月15日

●好きな作家もう二人

今回も、私の好きな作家について。

今年、その作品が映画化されて注目を集めている作家といえば・・・。
そう、「ダイブ」の森 絵都さんです。
森さんは1968年生まれ。
「リズム」でデビューし、それからは発表した作品のほとんどがさまざまな賞を受賞しています。

当初は、中学生から高校生を対象とした作品を書いていましたが、次第に大人の読者が増え、現在では年齢を問わず幅広いファンを獲得しています。

私よりは年下ではありますが、それでも年齢的には立派な?大人。
なのに、その感性は少しも鈍っていません。
あさのあつこさんや藤野千夜さんとはまた違った視点で、10代の心を鮮やかに描いています。
たおやかなルックスと文体ながら、世界の辺境を旅して歩いた強靱な肉体と精神を持った方です。

もう一人、もはや実力派中堅作家と位置づけられそうなのが梨木香歩さんです。
この人の感性は非常に日本的です。
日本的、という定義は何かと問われれば返答に窮しますが、「りかさん」や「家守奇譚」などの作品を読むと、日本人ならではの自然観やものごとの見方を感じ取れる気がします。
外国暮らしが長かったことが、こうした感性を養ったのかもしれません。
八百万の神ではありませんが、生物・非生物を問わず、すべての存在に生命があるという視点は、私の大いに共感するところです。

オススメは「西の魔女が死んだ」と「りかさん」です。
どの作品もすばらしいのですが、この2著を読むと、この作家の輪郭を把握できると思います。

2008年06月03日

●山間の小駅で

先日、カミさんと二人で旧根尾村に出かけました。
その際に立ち寄ったのが樽見鉄道の日当駅。

hinataeki1.JPG

トンネルにはさまれ、列車が駅を出ればすぐ根尾川の高い鉄橋を渡るこの駅が私は好きで、ときどき用事もないのに訪れます。
1時間に一本程度、一両きりのレースバスが停車する以外、何の音も聴こえません。
春は桜のトンネルとなる単線のホームを訪れるのは、蝶やトンボ、蜂といった昆虫、あるいは草を小さく揺らして姿を隠すトカゲなどの小動物ばかりです。
駅名のとおり、山間にしては日照時間が長く、明るい水彩画のような雰囲気をいつも漂わせています。
列車も来ず、訪ねる人もない駅のホームで、しばらくボケッとして過ごしました。
このブログの読者さんには、鉄分の多い人がけっこういるようです。
樽見鉄道に揺られて、静けさのほかには何もない日当駅を訪ねてみるのはいかがでしょう。

2008年06月17日

●江の島で洞窟探検

先週末、東京へ行った折、小説の取材で江の島へ行きました。
その際、前から気になっていた「岩屋」という洞窟を見学してきました。
地学系の学芸員資格を持つ私は、あちこちの鍾乳洞を見物するのが趣味の一つなのですが、この洞窟は波の侵食で作られた海食洞、地学的興味の対象としてはあまり面白いものではありません。
それでも入った最大の理由は・・・「涼みたかったから!」。
この日の江の島は真夏を思わせる暑さで、おまけに渋谷の駅前のような人出。
とにかくあまり人のいない涼しい場所へ避難しようと500円也を払って入洞したのですが・・・。

iwaya1.JPG

実はこれが予想外のヒットでした。
洞窟は2本あり、両方とも入ることができます。
ちょうど二人並んで歩ける程度の広さの洞窟は意外なほど長く、石灰洞ではないので鍾乳石などの二次生成物は見られないものの、観光洞にしては照明が暗く、いい雰囲気。

不思議なのは、波の侵食によってこのような細長い洞窟が作られたプロセスです。
岩体に断層や割れ目があるとそこから侵食が進むことは理解できますが、それにしてもふたつの岩屋はそれぞれ152mと112mもの長さがあります。
それほど深くまで波が押し寄せ岩を削ったということも信じられませんが、ふつうに考えれば開口部に近い部分ほど大きく侵食されそうなのに、ふたつの岩屋は入り口から最奥部までほぼ同じ口径なのです。

当初は単に涼を求めて入ったのですが、これからは鍾乳洞以外の洞窟にも足を踏み入れてみなければなあと思わせられた江の島岩屋でした。


2008年07月18日

●熱帯の国より暑いこの頃

毎日、暑いですね。
温暖化の影響なのでしょうか、毎年、確実に暑さが増している気がします。
毎晩が熱帯夜で、エアコンのない我が家は寝苦しいことこの上なしです。

熱帯、といえば、数年前に仕事でタイへ行きました。
タイの北部にあるタカ村という田舎の集落でホームステイし、持参した望遠鏡で観望会を行うという異色の旅でした。
写真は、観望会を行ったタカ村の小学校。
南天の天体にやや戸惑いつつも、集まった100名近い人たちに生まれて始めての観望会を楽しんでいただきました。

thaischool.JPG

観望会終了後、泊まったのは、板の隙間から星空が見える民家。
すぐ隣が広い田んぼで、カエルやらわけのわからない虫の声に混じって、放し飼いにされている牛の低い声がときおり聴こえ、板の隙間からは白いイモリが入り込んでくる異色の褥でした。
それでも、昼間は暑かったものの夜は風が通って涼しく、壁を這うイモリ(変な声で鳴きます)を眺めつつ、けっこう熟睡したことを覚えています。

そう、この頃の日本国は、タイよりも確実に暑くなっています。
タイでは湿度がさほど高くないので、気温は高いながらしのぎやすいのです。
日本にステイしていたタイの人に聞いたところ「日本は文化的でいいところだけど、暑くて寒いのにはとにかく参った。特に夏の暑さは耐え切れなかったよ」と言っていました。
高温多湿の日本国の夏は、熱帯の住人にとっても耐え難いようです。

あのとき持参した2台の屈折望遠鏡は、そのままタカ村に寄贈してきました。
今でも時々は使われているかな、またそのうち現地を訪れて、村の人たちといっしょに南天の星空を眺めたいな、そんなことを思います。

2008年12月20日

●九州寝台特急が廃止

 3月末で、とうとう東京~九州間の寝台特急が廃止されることになりました。
 私は、ここ10年ほどは仕事や家庭が忙しく、なかなか旅行にも行けないものの、若い頃?は全国各地へ寝台特急を利用して旅していましたから、今回の廃止決定には感慨深いものがあります。
 しばらく前からいずれは廃止されるだろうなとは思っていましたが、とうとうそのときが来た、という感じです。
 以下の文章は、数年前にある鉄道雑誌に書いたものです。結局、なんら改善はなされないまま廃止になってしまいました。
 寝台特急の利便と旅情を愛する私としては、寂しさを禁じえません。
 以下、雑誌に書いた文章です。

      ☆ ☆ ☆ 

 10数年ぶりに九州方面ブルートレインに乗った。「はやぶさ・富士」のB寝台である。
 岐阜から乗車したのだが、まずは意外な乗車率に驚いた。私が乗った車両は、上下段ともほとんどの寝台が埋まっていた。「さくら・はやぶさ」が廃止されたために乗客が集約されたのかもしれないと思いながら洗面に行く。

fujisyanai1.jpg

 とたん、懐かしさと切なさがないまぜになった感慨にとらわれる。昔ながらの白い陶器製の洗面台。押し続けていないと水が出ないシンク。
 寝台に横になる。こんなに揺れが激しかっただろうか。こんなに走行音がうるさかっただろうか。車両の端の寝台だからか。それとも車両の経年劣化のためだろうか。以前「さくら」に乗車した際には、滑るような乗り心地に感心したものだったが・・・。
 狭い寝台で不眠と懐旧を噛みしめながら、ふと気づいた。現代の洗練されたサービス水準にいつのまにか慣れた体にとって、寝台列車のサービスは許容レベルを遥かに下回っているのだと。
 汽車旅派を自認している私ですらそうなのだ。個室はともかく、開放型のB寝台は選択の対象にすらなりえないに違いない。
 もはやタイムリミットである。遮音と震動対策に優れた個室主体の車両を新造するか、現在の開放型寝台すべての料金を大幅に値下げするか、どちらかの選択しかない。
 睡眠中に移動できるというメリットは大きく、需要はかならずある。JR各社の英断を望みたい。

写真:寝台特急「富士」のB寝台車

2009年01月28日

●冬の古社を訪ねる

神社巡りが好きです。
誰もが知っている大きな神社から、人知れず祀られている小さなお社まで、旅と散歩がてら見て歩きます。
神道を信仰しているとかそういうわけではなく、神社の森閑とした、それこそ神寂びた雰囲気が好きなのです。

hananagasimo.JPG

先日はカミさんと二人で、揖斐川町谷汲名礼にある古社「花長下神社」を訪ねました。
「出雲風土記」に記述が見えるこの神社は、近くにある花長上神社と一対になって信仰されています。
花長上神社が女神、花長下神社が男神で、夫婦の神様のようです。

この日は花長上神社も訪ねましたが、底冷えのする曇り空の下、どちらの神社も本当にひっそりと静まり返っていました。
それでも、私たちが参拝している僅かな時間の間に、花長上神社には男性が一人、花長下神社には犬の散歩を兼ねた地元の人二人が訪れていましたから、どちらも大切にされている神社という印象を受けました。

花長下神社の周囲は山と田んぼばかり。
溶け残った雪がそこここに積もっていましたが、初夏にはカエルの合唱がうるさいほどだと思います。
そんな季節にもう一度訪ねてみようと思わせられた神社でした。

2009年02月15日

●お勧めbook「2005年のロケットボーイズ」

一昔前まで、宇宙について書かれた本というものは科学解説モノかSFがほとんどでした。
ところが最近、宇宙をテーマにした「青春小説」が現れ始めています。
1ヶ月ほど前に読んだ「2005年のロケットボーイズ」(五十嵐貴久著)もそのひとつ。

文系のくせにひょんなことから工業高校に入学してしまった主人公が、やはりひょんなことから超小型人工衛星「キューブサット」を製作する羽目になり、さまざまなつてを頼りに集めた仲間とともに悪戦苦闘しながら何とか完成させるものの、肝心のコンテストで大失敗。
とことん落ち込んでいるところへ、何とロシアの宇宙船でキューブサットを打ち上げる話が舞い込み・・・。

というストーリーです。
もちろん青春小説ですから、主人公はじめ登場人物のさまざまな絡みのなかで、友情や恋愛が育まれて行くという展開が用意されていますが、そうした「文系的お約束の展開」に終わることなく、人工衛星を宇宙に送り出すための基本的な宇宙工学の知識がふんだんに盛り込まれ、きちんと天文学している人が読んでも十分に納得できる理論的背景を備えています。
だからこそ、自分たちの作った衛星が宇宙空間を飛翔する最終章では、読者もいっしょに衛星製作に参画してきたと錯覚させられてしまう達成感を共有できる成功した小説となっています。

文体は、現代若者口調を随所に取り入れたヤングアダルト的な親しみやすいもの。
著者の科学的知識が中途半端なままで宇宙や天文について書かれた小説を読み、がっかりさせられた
経験を持つ天文屋さんは(私を含めて)多いと思いますが、この小説ならば読んで損はしないはずです。

どこの本屋さんでも売っていますし文庫本で安価ですので、ぜひ皆さんも読んでみて下さい。
これを読んで、私も天文をテーマにした青春小説を書きたくなりました!

「2005年のロケットボーイズ」 五十嵐貴久著
(株)双葉社刊(双葉文庫) 本体714円+税

2009年03月09日

●岐阜県文芸祭大賞を受賞

先週の土曜日、岐阜県民ふれあい会館で行われた「岐阜県文芸祭」の表彰式に出席してきました。
というのは、児童文学部門で文芸大賞を、今年から新設された「飛騨・美濃じまん」部門で奨励賞をいただくことになったからです。

岐阜県文芸祭は今年で17回目を迎えます。
今年は児童文学作品での受賞でしたが、数年前には純文学作品で大賞を受賞しましたので、二度目の大賞受賞ということになります。

表彰式では岐阜県の副知事さんから表彰状をいただきました。
表彰式後の作品講評会でも高い評価をいただき、ずいぶんと面はゆい思いでした。

今回、受賞したのは「星色の風に吹かれて」という30枚の作品で、題名の通り星をモチーフにしています。
作品集に納められていますので、手に取る機会がある方はご一読いただけると嬉しいです。
近日中に県内の図書館等に配布されると思います。

もうひとつ受賞した「飛騨・美濃じまん」部門の作品は、やはり星をテーマにした随筆です。
東京から移住後、長らく住んだ旧藤橋村の星空を「自慢」するという形で書いています。
こちらは4枚と短いですから、近いうちにこのブログにも掲載しますね。

若い頃から星をテーマにした文学作品を書いてきましたので、今回の受賞は嬉しいものでした。
このところ忙しくてなかなか執筆をする時間が取れずにいますが、今回の受賞を機会にまたがんばろうと思っています。

●岐阜県文芸祭大賞を受賞

先週の土曜日、岐阜県民ふれあい会館で行われた「岐阜県文芸祭」の表彰式に出席してきました。
というのは、児童文学部門で文芸大賞を、今年から新設された「飛騨・美濃じまん」部門で奨励賞をいただくことになったからです。

岐阜県文芸祭は今年で17回目を迎えます。
今年は児童文学作品での受賞でしたが、数年前には純文学作品で大賞を受賞しましたので、二度目の大賞受賞ということになります。

表彰式では岐阜県の副知事さんから表彰状をいただきました。
表彰式後の作品講評会でも高い評価をいただき、ずいぶんと面はゆい思いでした。

今回、受賞したのは「星色の風に吹かれて」という30枚の作品で、題名の通り星をモチーフにしています。
作品集に納められていますので、手に取る機会がある方はご一読いただけると嬉しいです。
近日中に県内の図書館等に配布されると思います。

もうひとつ受賞した「飛騨・美濃じまん」部門の作品は、やはり星をテーマにした随筆です。
東京から移住後、長らく住んだ旧藤橋村の星空を「自慢」するという形で書いています。
こちらは4枚と短いですから、近いうちにこのブログにも掲載しますね。

若い頃から星をテーマにした文学作品を書いてきましたので、今回の受賞は嬉しいものでした。
このところ忙しくてなかなか執筆をする時間が取れずにいますが、今回の受賞を機会にまたがんばろうと思っています。

2009年03月16日

●思い出の夜行列車あれこれ

九州行きブルートレインが全廃となりました。
テレビや新聞でも大きく取り上げられていましたが、どの報道も「なくなって寂しい」といった単なる感傷に終わってしまっており、なぜ廃止に至ったのか、存続させる術はなかったのかといった報道が皆無だったことが残念でした。
これまで私は、何度となく寝台・座席を問わず夜行列車を利用してきました。
眠っている間に移動でき、翌日をフルに使える夜行列車は、私にとって非常に有益な交通手段だったのです。

長崎への旅では、往路に「あかつき」、復路に「さくら」と、往復ともに寝台特急を利用しました。
四国への旅でも、往復とも「瀬戸」を利用。
山陰からの帰路、米子から乗車した「出雲」では、おばさん3人組と乗り合わせてしまい、朝まで際限なく続くお喋りに辟易した記憶があります。
山陰への旅では、寝台急行「だいせん」にも乗りました。保線が悪かったのか、走行音がうるさくて眠れなかったものでした。
東京~大垣間の「ムーンライトながら」も「大垣夜行」と呼ばれていた当時からかなり乗りました。

何度も行った北海道旅行では、往路はいつも急行「八甲田」の自由席でした。上野駅のホームで何時間も前から並んで席を取るのです。
東北方面では、やはり座席夜行の「十和田」も利用しました。
「はくつる」や「ゆうづる」といった寝台特急では、揺れる車窓から飽かず満天の星空を見上げたものです。
新婚旅行の帰りは「北斗星」の二人個室を奮発したものの、食堂車の予約が取れなかった上に駅弁も買い損ね、カミさんと二人、個室寝台でお菓子と牛乳を食べて空腹を満たした情けない思い出もあります。
プラネタリウムの研修会で秋田県へ行った際には「あけぼの」の個室を利用。狭いながらも快適な空間を満喫しました。
冬の北海道旅行では、札幌から釧路まで寝台急行「まりも」に乗車。「この列車は、これから極寒の地へと進んで参ります」という発車時のアナウンスどおり、翌朝の釧路駅の気温は零下20度、「これが冬の北海道なんだ」と感動したものでした。

suiseisabo.JPG

つい一昨年にも、山口県へ家族で出かけた際に、岐阜駅から「富士」を利用しましたし、「彗星」を利用して大分の鍾乳洞めぐりにも行きました。

このように夜行列車を便利に使わせてもらってきた私にとって、列車の廃止はただ哀しいとか寂しいというレベルではなく、実際に旅の手段がなくなる困った問題です。
とはいえ、さまざまな理由から、夜行列車の復活は望み得ないことは事実。
これまで多くの夜行列車に乗ることができたことを嘉とするべきなのかもしれません。

2009年04月13日

●理系時代小説が新しい!

仕事が一段落し、少しですが読書に時間が割けるようになりました。
少し前にこのブログで、五十嵐貴久さんの「2005年のロケットボーイズ」がお勧めだということを書いた折、この作者の時代小説もなかなかええですぜ、とakapiさんよりコメントがあったのを思い出し、読んでみたところ実に堪能しましたので、皆様にお勧めがてら紹介させていただきます。

akapiさんのお勧めは「安政五年の大脱走」でした。
井伊直弼の身勝手な欲望から脱出不可能な岩峰の頂上に幽閉された姫と家臣たちが、あらゆる策を講じて脱出を図る物語です。
追いつめられた人間の知略と危機管理、幕府側との間に交わされる人情の機微、苦労人であるにもかかわらず自らの権力と欲望を制御できなくなってゆく井伊直弼の弱さ、それらが知恵と美貌を兼ね備えた姫のひたむきさを軸にして絡み合い、最後はこの作者らしく爽やかで科学的な論理性の上に昇華してゆきます。
akapiさんのお勧めどおりの作品で、久々にワクワクしながら時代小説に読み耽ってしまいました。

この作品に喚起されて、もう一冊、2008年1月に刊行された「相棒」を読みました。
幕末、15代将軍徳川慶喜を狙撃した犯人を探るため、なんと坂本龍馬と土方歳三が手を組んで捜査を進めるストーリーです。
海援隊の坂本龍馬、そして新撰組の土方歳三といえば、一方は革新的な視点で日本の未来を見据え、一方は「最後の武士」として新撰組という武力集団を束ねた、どちらも時代が産んだ天才として人気を二分する人物です。
どう考えても相容れないこの二人が相棒となったらどうなるのか。
あとは読んでからのお楽しみですが、この種の小説にありがちなうわついた調子や歴史考証の曖昧さがなく、荒唐無稽な設定でありながら緻密なプロットとなっています。
爽やかな読後感を与えてくれるのも他の作品同様。

五十嵐貴久さんは「自分は全くの文系である」と書いていますが、これまで読んだ三作品に共通するのは精細な科学性と論理性です。
今回紹介したのはどちらも時代小説ですが、理系趣味である天文屋さんにも堪能できる「隠れ理系作品」ですから、ぜひぜひご一読いただけると嬉しいなと思います。

2009年04月19日

●手紙

久しぶりに手紙を書きました。
以前は頻繁に書いたものですが、最近は世間の趨勢に漏れず、メールや電話で済ませてしまうことが多くなり、言葉を選んで便箋に向うという行為から遠ざかっていたのです。

少し前、私の所属する東大和天文同好会の古い会員の方に、これまで私が書いた小説や児童文学作品のうち何篇かを読んでいただく機会を得ました。拙い作品ばかりでしたが、その方から大変に丁寧な感想を封書で頂戴し、その返信として手紙を書いたというわけです。

「返事なんてメールでいいじゃん」
今どきの若者であればそう言うかもしれません。
しかし、私は自筆で何枚もの便箋に認められたその方からの手紙を見て、返信は必ず手紙で書かなければと思いました。
手紙を書かなくなった最近でも、お礼状や大切な方への私信は、できるだけ手紙を書くように心がけています。メールでは心が伝わりづらい・・・と考えるのは、私が古い人間だからかもしれませんが、封書や葉書といった「形ある」媒体は、たとえ同じ用件であってもメールとはまったく異なった意味合いを持つように
思えるからです。
特に今回、いただいたお手紙は白い便箋何枚もに丁寧な自筆で認められており、ことさらに嬉しかったことも手伝いました。

久々に手紙を書くと、メールとは文章作法、言葉の選び方、全てが違うことに改めて気がつきます。要は、まっとうで綺麗な日本語を書かないとみっともないのです。
その方からのお手紙が、大変に作法に則って美しい日本語で書かれていた分、自分の書いた返事はいかにも無作法・不調法なものでしたが、何とか昨日、投簡することができ、ほっとしました。
というのは、忙しさに紛れて返事を書くのがかなり遅くなってしまっていたからです。

返信が遅くなり、その方にはご迷惑をおかけしたと反省しつつ、言葉を選んで手紙を書くことの大切さを実感できました。

皆さんも、時には手紙を書いてみて下さい。
日本語の美しさと難しさ、そして人と人とのつながりを思い出させてくれると思います。

2009年04月23日

●休止鉄道線を歩く

枯れ草に埋もれた線路・・・。
先日訪れた、大垣市赤坂にある西濃鉄道市橋線です。
といっても「そんな鉄道、知らん」という方が大半でしょう。
金生山の麓を通っていて、化石館や虚空蔵さんに行く際に踏み切りを通る線、といえば、「ああ、あの線路ね」と思う方もいるかもしれません。
石灰岩の山である金生山から鉱石を搬出するために貨物列車が一日3本ほど走るだけの鉄道で、それも路線の半分は休止、実情は廃線状態というマイナーな路線です。

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写真は、休止状態にある部分。
実は私、こうした「廃の情景」が好きで、時折、あちこちの廃線跡や廃鉱山をふらりと訪れたりしています。
今でこそ思い出したように貨物列車が走るわびしい線ではありますが、以前は旅客営業も行っていたそうです。
写真の箇所が「市橋駅」のあったあたりですが、今は石灰岩の積み出し装置とプレハブの小屋が残っているばかりで、線路には何本もの木が生えていました。

廃墟や廃道がブームの昨今ですが、鉄道の廃線跡には、廃墟や廃道にありがちな陰惨な雰囲気がなく、哀愁や寂寥といった侘び寂びムードが漂っているのが好きです。
西濃鉄道の休止箇所には、使われなくなった石灰岩の積み出し設備がたくさん残されていて、興味深い産業遺産ともなっています。

2009年06月28日

●柏原宿を歩く

柏原宿を歩いてきました。
柏原宿は中山道67宿のひとつで、江戸からは60番目の宿場です。
家数344軒、人口約1500人、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋22軒を数え、往時には賑わった街道筋でした。

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雨になるとの予報が嘘のような快晴の空の下、まずは国有形重要文化財にもなっている「柏原宿歴史館」へ。
本屋と蔵が展示室となっており、2階建ての本屋は「古き良き日本の建物」の典型という感じで、端正かつ清楚です。
ガラス戸の向こうに庭が見渡せる廊下の造りは「千と千尋の神隠し」の「油屋」を髣髴とさせ(千尋がカオナシを引き入れた廊下です)、いつか見たことがあるような懐かしいたたずまいでした。
蔵の一階では、福田和弘さんという方が木版画の個展を開かれており、ご本人の丁寧な説明を聞きながら作品を拝見させていただくことができました。

本陣跡などを見ながら町中をぶらぶら歩き、山手にあるお寺「成菩提院」へ向かいます。
夏の日差しが注ぐ道沿いの田園風景は、これまた懐かしい日本の夏景色そのもの。
林間にひっそりとたたずむ「成菩提院」は、伝教大師ゆかりの天台宗の古刹。
戦国期には、織田信長や豊臣秀吉といった武将が投宿しており、江戸時代初期に徳川家康の参謀として活躍(暗躍?)した天海和上が修行しました。
西美濃33霊場結願寺である谷汲山華厳寺は、この成菩提院の末寺なのだそうで、歴史と格式を兼ね備えたお寺です。
とはいえ、私たちが滞在している間は訪れる人は誰も居らず、緑の匂いと静寂をたっぷりと味わうことができました。

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日曜日にもかかわらず町を歩く人の姿はごく少なく、お店はどこも閉まっていて、静かでいいような、ちょっと寂しいような宿場歩きでしたが、長い歴史を担ってきた旧街道の息吹に触れることができた楽しい一日でした。

最近になって、古い町並みや宿場町が見直され、町並み保存など日本の良き伝統を復活させようという動きが全国で見られるようになっています。
猫も杓子もアメリカナイズされてしまい、国の形はもちろん個人の拠って立つ精神基盤すら見失ってしまった日本人ですが、少しずつ旧き良きものを取り戻す努力をしなければいけないと改めて思わせられた今日の宿場歩きでした。

写真:柏原宿歴史館の廊下・あじさいの咲く歴史館の庭

2010年01月04日

●新春開運?フリーきっぷで名鉄散策

「名鉄1DAYフリーきっぷ」という切符がある。正月の1日、名鉄の全線に2500円で乗り放題という切符である。これを使って小さな旅をしてきた。まだお屠蘇気分が残る正月3日のことである。

 名鉄一宮駅から、まずは中部空港行き特急の人となる。いそいそと特別車に乗りこむ。名鉄特急には、座席指定の特別車と普通乗車券のみで乗れる普通車が連結されているが、「名鉄1DAYフリーきっぷ」を使うと、10時から16時までは特別車にも指定券なしで乗ることができるのである。とはいえ、その座席の指定券を持っている乗客が乗ってきた場合には、即刻、座席を明け渡さなければならないことはもちろんだ。
 同行するのは、このブログでおなじみのogawa嬢。通常、名鉄に乗る機会がほとんどなく地理不案内な私のガイド役である。
 晴れるという予報に反して鉛色の雲が立ちこめてはいるものの、空港特急は快調に走る。私たちの席の指定券を持った乗客も現れず、まずは上々の滑り出しだ。
 快適な乗り心地を楽しむうち、中部空港駅に到着。チケットホルダーに差しこんでおいた切符を忘れて降りかけるというおバカなハプニングにやや慌てる。
 飛行機に乗ることが多いogawa嬢にとっては慣れた場所だが、私は恥ずかしながら中部空港へ来たのは初めてである。開業当初に比べれば人出は減ったとのことだが、それでも観光客・見学客でなかなかの賑わいだ。
 コンパクトで機能的な空港内を案内してもらい、飛行機が離着陸するようすを眺めてから軽く食事を摂る。傍らでは、ウルトラマンのショーが行なわれている。

 ふたたび特急特別車の人となる。帰国ラッシュで特別車の座席確保は難しいかもしれぬと思っていたが、あっさり座れ、しかもその席の指定券を持った客は現れない。
「こりゃラッキーだね」と話していたらアナウンス。
『さきほど発生した人身事故のため、名鉄本線のダイヤは大幅に乱れています。JRへの振替輸送をご利用ください』
・・・なんだとぉ?
 いやはやどうにもである。次の目的地は豊川稲荷だ。名鉄本線が不通ではJRを利用するしか方法はない。
 仕方なく金山でJR東海道本線へ。見なれた車内と車窓。しかも名鉄の客がプラスになったためか混んでいる。本線の名鉄特急特別車を楽しみにしていたのに、何が悲しくていつも乗っているJRに乗らなければいけないのか。
 豊橋でJR飯田線へ。当初は人身事故の当事者を呪いたい気分だった私たちだが、2両編成の飯田線列車を見たとたんに嬉しくなり、プラス思考にチェンジする。
「まぁ、人身事故がなければ飯田線に乗ることもなかったわけだから、かえって良かったのかもね」
 お気楽の極みである。ま、めでたい正月、めくじらを立てるより楽しくいこうというわけで、豊川駅で下車。

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 豊川稲荷までの参道は人と屋台で溢れかえっている。店をひやかしながらたどり着いた豊川稲荷は、もう正月3日にもかかわらず参拝客で長蛇の列だ。
 列を見たとたんに並ぶ気が失せた私たち、とりあえず列の最後尾から軽く拝んで初詣を済ませる。信仰心の薄さを物語る所業である。

 JR豊川駅に隣接した名鉄豊川稲荷駅から、国府ゆきの普通列車に乗車。ダイヤの乱れは未だ続いているらしい。
 とりあえず目的は達し、あとは帰るだけだが、混雑した列車に立ちんぼはできれば避けたい。国府駅では、すぐに名古屋方面ゆきの特急が接続しており、ほぼ全員が乗り換えるが、私たちだけが豊橋方面ゆきのホームへゆるゆると降りる。せっかくだから、ちゃんと座席を確保して帰りたい。そのためには、始発の豊橋まで戻った方が得策であるという考えだ。

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 目論見は当った。ほどなくやって来た特急は2階建てのパノラマスーパー、しかも先頭の特別車にはしっかり二人分の空席があるではないか。
 名鉄に乗る機会のない私は、パノラマスーパーの先頭車に乗るのは初めてである。走り始めると、さすがにワイドな前面展望はすばらしい。パノラマスーパーの運用を今後どれほど続けていくのかわからないが、やはり名鉄の顔であり、並行するJRや他の私鉄との差別化を図ることができる唯一の車両と思われる。製造や維持にコストがかかり運用が限られるのだろうが、末永く運用してほしいし、同じコンセプトの車両を今後も作り続けて欲しいと思う。

 豊橋に到着。乗ってきた特急は、すぐに名古屋方面ゆきとして折り返す。
「名鉄1DAYフリーきっぷ」で特別車に乗ることができるのは16時までである。まことに惜しいが、そろそろ16時を回る刻限だ。できれば、このまま特別車に乗っていたいが、後ろ髪を引かれる思いで特別車から普通車へ乗り換える。普通車はやや混みあっていたが、そこは旅慣れた者同士の連係プレーで難なく座席を確保、帰路につく。
 新型車両にはない速度表示に子供のように喜びながら、せっかくフリーきっぷなのだからというセコイ根性で終点の岐阜まで乗車する。岐阜駅を見学後、名古屋へ折り返し軽食。
「じゃあ、帰ろうか」ということでホームに並んでいるとアナウンスが。
『沿線火災によりダイヤが乱れています。お急ぎのところまことに申し訳ございませんが・・・』
 はあ?という感じである。正月早々から1日に2回のダイヤ混乱?
 ちょっと勘弁してよ、と思いながら、さして遅れずに到着した列車に乗りこむ。途中、停車することもなく、無事に一宮駅着。
 考えてみれば、1日に2回のダイヤ混乱に遭遇したものの、私たちの旅程が遅れたわけでもない。立っていた区間は僅かで基本的には着席できている。特別車では指定券を持った客が乗ってくることもなく、振替輸送のおかげで飯田線に乗ることもできた。
 結局、いつもの観測行と同じく、運と勢いですべてをプラスに変えてしまったフリーきっぷの一日だったようである。

2010年07月28日

●慣れているはずの新幹線なんだけど・・・

何年か前、「ほしぞらの街・あおぞらの街」で全国協議会長賞を受賞することになり、岩手県二戸市まで出張しました。
空路も不便な場所なので、名古屋市から東海道新幹線、東京から東北新幹線を乗り継いで行き、ふたつの新幹線の乗り心地や速さの違いを実感することができました。

東海道新幹線は、東京出身の私にとって通勤電車と同じぐらい乗り慣れている路線です。
車窓の景色も速度感も我が家のように慣れている東海道新幹線に対して、東北新幹線の方は、東京在住中こそ割合頻繁に乗ったものの、岐阜に転居してからはほとんど乗る機会がありませんでした。
ましてや、当時とは違って東北新幹線は最高時速275km運転です。
東海道も270km運転をしてはいますが、カーブが多いために最高速度を出せる区間はほんの僅かで、多くの区間では比較的ゆったりと運転しています。
それに対して東北新幹線は、設計が新しく直線区間が多いため、最高速度が出せる区間が長く、久しぶりに乗ることから、スピード感が堪能できるだろうと楽しみにしていました。

ところがところがです。
東京在住中はそれなりに乗り慣れていた東北新幹線は、当時よりもさらにスピードアップし、車両も最新鋭のものに変わっていました。
東海道新幹線に乗り慣れているので、車窓のスピード感にも慣れているつもりでいましたが、さすがに275km運転でぶっとばす東北新幹線、窓外を見ていると次々に後ろに飛び去っていく景色を見ているうち、頭がくらくらしてきました。
ビルや建物に囲まれた東海道新幹線よりも車窓が雄大で景色が広いにもかかわらず、あまりの速度感のために目と頭がついていかないのです。
車体の端近くの席ということもありましたが、揺れも東海道よりも大きく、二戸までの道のりは、列車に乗り慣れている私にとってもかなり疲れるものでした。

で、東北新幹線は、青森開業を機に300km以上の運転を行うそうです。
275km運転でも目が回るのですから、300km以上になったらどうなっちゃうんでしょう。
ましてや500km/h運転のリニアモーターカーなんて考えるだに恐ろしい・・・。

2010年09月10日

●明知鉄道に乗りました

先日、青春18きっぷを使って、岐阜県内に3線ある第3セクター鉄道のひとつ、明知鉄道に乗ってきました。
他の線は(廃止された神岡鉄道も含めて)すべて乗ったことがあるのですが、この線だけがなぜか未乗だったのです。

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中央線の恵那駅に降りると、あれ、明知鉄道の乗り場が見つかりません。
いったん、駅の外に出ると別の入口がありました。構内からも行けるのですが、切符を持っていないと通過できません。
列車は2両。地元の人10名ほどを乗せて割と加速良く発車。
すぐに市街地から離れ、山間地へと入ります。
細い線路の両側に木々が迫り、ぐんぐん高度を稼いでいくさまは、古き良きローカル鉄道そのもの。
山間の盆地となっている終点の明智駅を目指して行くため、途中、小さな峠を越えます。
こうした峠越えの風情があるローカル線も、最近は少なくなりました。

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私が学生の頃は旧国鉄時代で、第1次廃止予定線、第2次廃止予定線といった超ローカル線がたっぷり残っており、草むした線路を一日数本しか列車が走らない、そして人跡未踏の原野や山間を走る線を堪能できたものですが、今ではそうした線もほとんど廃止になってしまいました。
その意味では、明知鉄道は設備こそ近代化されているとはいえ、かつてのそうした地域に密着したローカル鉄道の姿をよく残しているといえます。

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途中、女城主の城で有名な岩村駅などを通過し、1時間足らずで終点の明智駅へ。
日本大正村の玄関駅ですが、月曜日と言うこともあって大正村見物らしいお客さんは一人だけでした。

ガラガラだった往路と異なり、帰路は高校生でいっぱい。
ローカル線のメインのお客さんは高校生なのだなあと改めて認識しました。

岩村や大正村など観光地もありますから、近くの方はぜひ一度、訪ねてみることをお勧めします。

写真:車内のようす・岩村駅を発車・明智駅の出札口

2010年09月12日

●取り憑かれた話

物の怪、というものがこの世に存在するのかどうかわかりません。
昔の人は、病気になると「悪いモノに取り憑かれた」といってお祓いをしました。
科学の進んだ今、物の怪なんているはずないよ・・・と言いたいところですが、これまで私は何度か、そんな経験をしたことがあります。

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あれは20年以上前、星と鉄道が好きだったO氏に誘われて、廃線間近だった静岡県の清水港線に乗りに行ったときのこと。
清水港線は、東海道本線の清水駅と美保の松原がある砂嘴までをたどる線ですが、一日一往復しか旅客列車のないことで有名でした。
しかも貨物列車と並結のいわゆる混合列車です。
春の好日、青春18きっぷを使って首尾良く一日一往復の列車に乗車することができ、美保の松原で遊んで帰路につきました。
と、帰りの清水港線に乗った頃から二人とも急に重い石を載せられたように背中が重たくなり、気分が悪くなってきました。
O氏は「ダメだ。オレ、新幹線で帰るよ」と途中で乗り換えてゆき、私も家に帰ることはできそうになくなり、熱海から伊東線に乗り換えて何とか、当時、伊豆の宇佐見にあった親戚の別荘に転がりこみました。
別荘には祖父と祖母が住んでいたのですが、祖母はよろよろと入ってきた私を見るなり「背中に女が貼りついてるよ」と言いました。
それから三日間、猛烈な吐き気と腹痛にのたうちまわり、ようやく帰宅したのですが、何か悪いモノを食べたわけでもなく、原因はまったく不明です。
O氏も三日間、寝たきりだったそうです。

もうひとつは、数年前、自宅近くの山を探検していたときのこと。
私は暇なときには山野を彷徨する性癖があるのですが、そのときは巨大な岩をご神体にしている神社の裏に、山奥へ伸びる細い道を見つけ、いかにも妖しげな「匂い」を感じましたので、早速、その道をたどってみることにしました。
しばらく行くと、倒れかかった朽ち木がX字状に交差して道を塞いでいました。
その奥は、急に山深くなり、昼なお暗い細道が続いています。
交差した朽ち木からは、侵入を拒んでいるような気配を感じましたが、かまわずくぐって進みました。
草むした山道をしばらく歩くと、広い場所に出ました。
崩れかかったお堂、廃墟じみたコンクリート製の待合所、そして煉瓦づくりの、これも半ば崩れかかり焼けこげた内部が覗きこめる・・・火葬炉が2基。
周囲の山を見回すと、見渡す限り、所狭しと木や石の墓標が囲んでいます。
そこは、使われなくなった火葬場なのでした。
せっかく来たのだからとひととおり写真を撮り、帰路についたのですが、翌日から気分が悪くなり、肺炎になってしまいました。
入院こそしませんでしたが、それから2ヶ月あまり絶不調で、出勤して椅子に座っているのがようやくといったありさま。
X字状の朽ち木は結界だったんだよ。
娘が言いました。言われてみればそうかもしれません。

お化けや超自然的な力をいたずらに信奉するものではありませんが、まだ蒸し暑い夜が続く今日この頃、ちょっと不思議な話を書いてみました。

写真:清水港線終着美保駅にて。大きい人がO氏。

2010年10月25日

●なぜ海が見たいのだろう

海が好きです。
『なぜ海が見たいのだろう。もう若くもないのに』とは、正やん(伊勢正三)の歌詞の一節ですが、若い頃は若い頃なりに、年を取れば年を取ったなりに海への想いは変わらないような気がします。

先日は、東京へ行った折に、埋め立て地に造成された、とある人工の渚に行ってきました。
あんまり時間がなかったので、とにかく東京駅から近い海、ということで訪れたのですが、平日にもかかわらずたくさんの人が来ていました。
家族連れ、恋人同士、友達同士、ひとりでぽつねんと、と、年齢層も間柄もさまざまな人たちでしたが、たとえこんな人工の渚でも、誰もが波の音を聴いて何かを思い出したり心を洗ったりしにくるのだろうな、などととりとめもないことを考えていました。

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やや遠景を見れば、高層ビル群が海の上に蜃気楼のように浮かび、一人、砂浜に座る私の背後を、小さな子供が笑いさざめきながら駆けてゆきます。
潮の香りは10月の日ざしに見合うように淡く、はかなげな潮騒を聴きながら、私は1時間ほどもただ波打ち際に座っていました。
そうして打ち寄せる波を見つめていると、心の奥底に形にならない漠とした想いが浮かんでは消えます。
私の人生を彩る小さな夢や希望、そして諦め。
そうしたさまざまな想いが、波の音と秋の光の中で混ざり合い、少しずつ昇華して。
もちろん、夢をかなえる具体的な方策が見つかったり、いつも心の奥底を満たしている均質な諦め(基本的な絶望感という方が正しいでしょうか)がなくなるわけではありません。
とはいえ、海を見て、波の音を聴いて、小さな安らぎを感じるのが単なるマスターベーションなのかといえばそんなことはなく、そうした時間の中で、私はいつも、漠としており具体的ではまったくないものの、何かを得てきたように思います。
きっと私だけではなく、ここにいる全ての人が、小さな夢や諦めを抱きしめるためにこの人工の渚を訪れているのだろうな、などと思いながら、私は海を見つめていました。

『なぜ海が見たいのだろう。もう若くもないのに』
若くないからこそ、海が見たくなるのかもしれない。
そんなことを思いながら、私は砂を払って立ち上がりました。


2010年11月14日

●日本で2番目に短い私鉄

「中小私鉄」と総称される鉄道会社があります。
近鉄や名鉄、関東の大手私鉄等の大資本路線と比べて、地方にあっておおむね資本金も少なく、ローカル輸送に徹している小規模な私鉄線をこのように呼んでいます。
こうした中小私鉄=ローカル私鉄は、大抵が路線も短く、列車も1両とか2両といった短編成がほとんどですが、そうしたローカル私鉄の中でも全国で2番目に短い超ローカル私鉄に昨年、乗りました。

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和歌山県にある「紀州鉄道」といいます。
紀勢本線の御坊駅と終点の西御坊駅の距離は僅か2.7km、1両編成の列車が田園風景の中をのんびり走ります。
以前は、さらに日高川駅まで0.7kmの区間が延びていましたが、1989年4月に廃止となってしまいました。
ちなみに全国で一番短い私鉄は千葉県の芝山鉄道ですが、こちらは延伸計画が進んでおり、実質的には紀州鉄道が全国で一番短いという栄冠?を担っています。

御坊駅では、長いJRホームの片隅から発車します。
走り出すと畑とも原野ともつかない草原です。
ごくのんびりと、そして左右にゆらゆら揺れながら走るのは、線路の状態があまり良くないからかもしれませんが、ディーゼルカーということもあって、列車というより船に乗っているような、他では体験できない乗り心地です。

時に家の軒先をかすめ、時に草原を走り、列車は揺れながら進みます。
もちろんお客さんは少なく、数人しか乗っていません。

こんな超ローカル鉄道が廃線にならずに存続しているのは、紀州鉄道という会社のメイン業種が不動産業であり、鉄道業は不動産業に信用と箔をつけるために赤字を前提に営業を続けているという噂があります。
紀州鉄道に訊いたわけではありませんので本当のところはわかりませんが、乗っていてもなんとなくうなずける話ではあります。

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終点の西御坊駅からは、廃止された日高川駅へ向かう線路が、ヒョロヒョロという感じで伸びています。
細く頼りないレールですが、見える範囲ではレールは剥がされておらず、そのまま直進できそうな感じでした。

西御坊駅は木造で、かなり年季の入った駅舎。
すぐに折り返すので駅舎を外から見ることはできませんでしたが、日本で2番目に短いという点を除いても、船のような乗り心地といい、周囲の景色といい、なかなかに魅力のある路線でした。

写真:西御坊駅に停車中の列車・廃止された日高川駅への線路