2008年07月06日

●詩「虚空間C」

案内してくれたのは
ピンクの子猫
蒼いガラスの流れる部屋で
子猫は小さくあくびをした
いつのまにか
壁から床までなつかし色に染まり
ずっと遠くに見えるのは
海の音?
星の影?

子猫の瞳は
果てなく過去と未来を結び
切なさに祈る僕の背中は
素粒子の海に溶け続け

いつか
不在だけが満ちるその空間
光さす扉をそっと開く
ピンクの子猫
ちいさな
ふわふわの前足

* * *

猫を飼っています。
小さくて可愛らしいのに、時には野生の猛々しさをも見せるこの動物は、人間には見えないものが見えているようにも思えます。
どこかにあるはずの異空間を、この謎めいた小動物が案内してくれることがないとはいえません。

2008年08月15日

●詩「形象iの視点」

ある
内面の光に照らされた
遠くまで影を落とす淡い空間
俯きがちに
僕に似た人影が歩いている

細い背中
沈んだ横顔

いつか
彼の内面にも
紫の空間が侵入し
遠い空を
見知らぬ数列が流れてゆく
そんな寂寥の明日

僕はなぜ去ってゆくのか
その答えも
無機の数列に置き換えられて

倒れてゆく時系列
振り返れば
磨かれた床に
彼の輪郭だけが残っている

*久々に昔の詩などを・・・。
絵が描ければ、この詩のような「永遠に滅び続けていく無機の空間」を描いてみたいなあと思います。
若い頃、「生きていくことは何かを喪い続けていくこと」なのだと考えていました。それは明日に希望を感じられないとか生きるパワーがないといった否定的な意味合いではなく、喪い続けた結果として、ただ
清冽な輪郭線だけになった「自分そのもの」が残ればいいと考えていたのです。
もちろん、そうした「滅びへの希求」は、絶えずさまざまな欲求や本能に翻弄されている自らの鏡像に他ならなかったのですが・・・。
この詩を書いてからずいぶん時が過ぎました。
今でも煩悩の数は絶えませんが、それでも喪い続けていくことへの憧れはなくしたくないと思います。

2008年09月18日

●詩「秋の想い」

9月
月明りの枕辺に
ゆうれいが一体
僕の寝顔を見つめて立っている

遠く静かなその面差し
言葉にならない想いが
ゆうれいの体をすり抜けて流れ去る

燐光が淡くまつろい
その青さは
月明りのためばかりではないらしい

夜風がカーテンをほのかに揺らし
細くたおやかな首すじに
虫の声が溶け続け

月は白く
下弦
冴えた秋の印象で

(1985年9月5日作。詩集「僕といるかのいる海辺」より)


*両親によれば、私は「ゆうれい」や「がいこつ」や「ミイラ」といったものが大好きな子どもだったそうです。別に怪奇マニアだったわけではなく、人の形をしていながら人ではない、生命はないのだけれど想いを残している、そんな存在が好きだったような気がします。

三つ子の魂云々という言葉どおり、私の書く詩や小説のなかには、実は今でもそうした「人ではないモノ」、あるいは「かつて人だったモノ」がたくさん出てきます。
私はよく愛想がいいとか営業向きとか言われますが、実のところ生身の人間はちょっと苦手です。愛想がいいのはきっと、誰とも上手につきあっていかなければならない、誰にも厭な思いをさせたくないと、いつも気弱な気持でいるからなのだろうと思います。
おばけめいたモノに親しみを感じるのは、生身の人間が持っている「生きていくためのエネルギー」をそうしたモノが喪失しているからなのでしょう。

この詩に出てくる「ゆうれい」が誰なのか、何のために僕の枕辺に立っているのか、作者である僕自身にもわかりません。
むしろ「出てきたわけ」が明確でないからこそ、月明りに透ける「ゆうれい」の想いは、一層深く、透徹したものに純化されているような気がします。

2008年09月19日

●詩「歳月」

古い木乃伊のある床の間から
うつろい始める
雨音
寂静。

崩れかけた肩のあたり
歳月がほのかにまつろい
黒褐色に寂びた眼差し
深化してゆく時の添景

沈んだ会話が傍らを流れ
こぬか雨
畳表のかすかな香り

閉じた障子戸の内層で
何かが緻密に分解し続け

僕と木乃伊の距離感に滑りこんでくる
秋の印象
傾斜してゆく
冷えた静けさ

(1986年10月11日作)


*昨日に続いて昔の詩です。
昨日が「ゆうれい」だったので今日は「木乃伊(ミイラ)」ということで・・・。

床の間に木乃伊が置いてあるというシチュエーションからしてヘンですよね。
でも、静まり返った床の間に木乃伊が安置してあるのって妙にしっくりくると思いませんか。
ここは「骸骨」ではダメだし「ゆうれい」では軽すぎるし、やっぱり木乃伊かな、という感じです。

そう、世界中の木乃伊の中でも、日本の木乃伊が特に好きです。いわゆる即身仏といわれるものですね。最高の技術で作られたエジプト王家のミイラは素晴らしいですし、インカのそれは素朴な雰囲気がいいのですが、自ら望んで木乃伊となった日本の即身仏は、生と死が一体となっている、あるいは連続しているように思えるのです。

この詩に出てくる木乃伊も、イメージ的には日本の即身仏です。
そうそう、ウチの近くの横蔵寺というお寺には即身仏があって、よくお参りに行きますヨ。

2008年09月23日

●詩「Street117」

東を向いた街角で
この通りは
異次元へと続いているらしい

視線と並行に
くっきりと断ち切られた夜空の向こう
沈んだ輝きを投げて見知らぬ星雲が横たわり
いつか
僕の影すら異星の気配に変わっている

ただ一人
通りを横切った老人が
しおり戸をくぐるようにこの街から歩み去った後

Street117
遙か遠く
廃墟となった僕の感覚

月の冴えた街路に
静けさのみたたえて
恨むような白骨が散乱している

(詩集「僕といるかのいる海辺」より)


*Street117って、どこにあるんでしょうか。
どこの街にもあるありふれた通りのようですが、今夜は特別な現象がこの街路をすっぽりと覆っているようです。
「ゆうれい」「ミイラ」に続いて今回は「白骨」の登場。
いかにも有機物、という感じのミイラと違って、白々と月光に照らされた白骨は、星の輝きに似て、無機の存在感をいっそう鮮やかに主張しているような気がします。

2008年09月27日

●詩「みずいろ」

お星さまを
集めている人を知っています
透明なガラス瓶の中に
青いのや
赤いのや
うずまきのや
いろいろな星が入っているのです

その人のおうちで
地球を見ました
ちっちゃなガラス瓶の中で
それは小さな水玉のようでした

いっしょに地球を見ていたその人の目が
とても優しかったのを覚えています
そして
とても哀しげだったことも覚えています


*「星を集めて展示できたらいいな」と子どもの頃から思っていました。
その天体周辺の空間ごと切り取って、ガラス瓶の中に保存しておくのです。
さまざまな天体を集めたガラス瓶が棚にずらりと並んでいる・・・不思議で荘厳な光景だと思いませんか。
そんな収集品の中には、もちろん地球も含まれています。
星を集めている「その人」は、水色に輝く地球をどのような想いで見つめているのでしょう。

2008年10月04日

●詩「収蔵庫」

螺旋階段を降りたドアを開けると
古い廊下が続いている
今は使われていない旧館へ続く廊下には
いつしかうす闇が積もり始め
かつての展示室も
周辺からうす闇に溶け始めているらしい

廊下の突き当たり
収蔵庫の一隅に
古い液浸標本が残っている
くの字に身体を折り曲げた男の死体がいつからあるのか
誰も知らない
液面から露出した男の顔はすっかり崩れてしまっている
それにしても
これほど大きな標本瓶を
どこから見つけてきたのだろう

台帳にも載っていない標本瓶の表面には
『A-3』というラベルが貼ってある
館長だけがラベルの意味を知っているらしいのだが
誰一人
訊ねようとはしないのだ

ひとしきり死体を眺め
僕は収蔵庫を後にする
リノリウムの床に僕の靴音が響き
そう
年を経る毎に
この廊下は狭くなってゆくようだ

館長と親しかった父が
失踪してから10年になる


*昔に書いたちょっとホラーな詩などを・・・。
博物館が好きです。最近はどこの博物館もきれいになり、体験型の展示など楽しみながら学べるところが増えてきていますが、私の好きなのは古めかしく静まり返った古い博物館です。薄暗い石張りの床に靴音だけがこつこつ響くような。
国立科学博物館の旧館なんていい感じですね。子供の頃は、ミイラと干し首の展示を見に行くのが楽しみでした。
なので、古い博物館の今は使われていない収蔵庫なんてすごく魅力を感じます。
打ち棄てられ静かに変質していく収蔵品が語るそれぞれのストーリー。
遺棄されたものであるからこそ、そのどれもが厳かで犯しがたい物語であるような気がするのです。

2008年10月09日

●詩「距離」

波打ち際
細い裸身をシルエットにして
一人の少女が歩いている

黄昏の風が流れ
群青に染まる空
水平線からいつか
巨大な銀河が昇り始め
肌を打つ宇宙線と
重力波のざわめきの中で
銀河の輝きは
いっそう壮麗に冴え渡り

少女の髪を靡かせるのは
素粒子の風
訊ねなければならないことがこんなにあるのに
少女にいつまでも追いつけない

少女の白い肌が
いつかうす青く染まり
やがて
輪郭だけを残して異星の星空へ溶けてゆく

それなのに
僕はまだ地球にいて
時空の冷徹さを悔やみながら

少女に何を訊ねるべきなのか
ここ何億年かの自問を
再び反芻し続けてゆくのだろう

*銀河系の外縁にある惑星に海があるとすれば、地球で天の川が東から昇ってくるように、巨大な渦を巻いた銀河系が水平線から昇ってくるようすが見られることでしょう。
どこにあるとも知れないそんな惑星の渚を、圧倒的な寂寥に身を任せて、ただ一人歩いてみたいと思います。

2008年10月17日

●詩「こびと」

みどりの家に住むこびとは
紫の瞳
くるぶしまで届くスカートに
星型のぼんぼんがついた帽子をかぶっている

ぼんぼんの星型は
いつも真っ青に輝いて
あれはきっと本物の星だよ
重力と質量を感じるもの

金色の髪はゆるいウェーブ
ちょっと上を向いた鼻が生意気そう
いつも虹もようの靴をはいて
僕の店にもときどき花を買いに来る

買っていく花は
いつもフリージア
お金のかわりに
宝石のかけらを置いていくんだ

男の子か女の子か
しげしげ見つめてもわからない
言葉も通じないから
たぶん地球の生まれではないんだろう

こびとが帰ったあと
いつもヘリウムの冷たさが残っている
人形をした冷たさの中に
時折
見知らぬ星雲が揺らめいていたりもするよ


*またまたわけのわからない詩(のようなもの)など・・・。
子供の頃からずっと詩を書いてきましたが、いわゆる学校で習うような詩と違って、心の中にふと浮かんだ絵画を文章で現したものがほとんどです。
なので、国語の授業のように「作者の心理を推察しましょう」的な詩はあまりありません。こうした詩をふくらませて書いた小説もけっこうあります。その意味ではこれまで書いてきた詩はどれもが小説のネタみたいなものかもしれません。
そういえば、ちょっと前にこのブログでも紹介した「おばけのおしり」という童話も、もともとは短い詩でした。
詩は300編ぐらい書き溜めてあるので、その気にさえなれば小説や童話も300編ぐらい書けそうです。
でも、ここ3年ぐらい、詩を書いてないなあ。

2008年10月20日

●バトン

あるところからバトンが回ってきたので・・・。
たまにはこういうのもいいか、と。

小説書いてますバトン

●小説を書き始めて何年?
→小学6年生のときに恋愛小説(!)を書いたのが最初。あえて何年とは言わない・・・。

●1日どれ位小説のこと考えてる?
→書かない日でも毎日少しだけは考えます。仕事で原稿の依頼があったときには締め切りまで頭から離れないので、できるだけ早く書いてしまいます。なかなか優秀。

●夢を文章で見たことある?
→あります。というか、小説や詩の文章がそのまま浮かんできたことが・・・。

●プロットは立てる派?
→モノによるかな。100枚以上の長いものは矛盾が生じやすいので簡単なプロットを作るよ。

●何に下書きする?(携帯など)
→基本、下書きはしない。そのままPCで。

●仕上がるまで掛かる時間は?
→短編はその日のうちに仕上がることも。長編は数ヶ月。でも、書いてから推敲するので、短編であっても何ヶ月も書き直しをすることも。

●話しの長さは短い方?それとも長くなる方?
→長くなりがちなので推敲の際にできるだけ削る。

●書く上で気をつけていることは?
→当然ながら文法や語法に間違いがないように。長編は全編を通じて論理的矛盾が生じないように。予定調和にならないように。感動的な描写?の場合、甘くなりすぎないように。

●好きな作業は?逆に嫌いなのは?
→好きなのは構想を練る段階。嫌いとは言わないけど、書くのが好きなのに執筆は苦痛。

●得意な傾向(切ないなど)は?逆に苦手なのは?
→得意なのは…現実と非現実の交差あるいは同居。切ない系も意外に得意かも。
→苦手…ホラーは得意だけど、残虐系は嫌いだし書かない。基本、人や動物が死ぬのは書きたくないなあ。あとは愛憎入り混じったドロドロ系も。書けと言われれば何でも書けるけど。

●得意な視点(人称)は?逆に苦手なのは?
→一人称でも三人称でも大丈夫。

●ぶっちゃけ書くより読む方が好きだったりする?
→両方好き。書くのはしんどいけど。

●憧れの物書き(又は作家)さんを教えて下さい
→根本的な影響を受けたのは北 杜夫さん。森 絵都さん、あさのあつこさん、藤野千夜さんといったヤングアダルト系の作家も好きですね。梨木香歩さんもすごい。ハードSF系では、古くは光瀬 龍さん、
最近では野尻抱介さん。児童文学では竹下文子さん。

●では最後に上で答えた得意な視点でSSを書いて下さい。お題『愛しい人へ』(難しい人は今日の日記でもいいです)

→詩みたいなものを・・・。

雪明りの道で
ミイラが一体
凍えている

電柱に凭れ
やや右に傾いて
凍りついた長い髪
女、らしい

黒い眼窩に粉雪が降り積もり
夜更けの住宅街
誰一人
ミイラに気づく人もない

ひとしきり
風が粉雪を舞い上げて
彼女の髪が
さらに底黒く乱れ

僕は知っている
仰向いたミイラの顔が
二階の窓から見おろす僕の顔だけを
じっと見つめていることを


こんなもんでいいのかな。レンさん、幽鬼さん。
え? このSS? これも愛です。

渡す人を思いつかないのであとはフリーで・・・。

2008年10月24日

●詩「鏡」

鏡を見るたび
いつも後ろにいる人は誰かしら
女の人
べっとり濡れた髪をして
水の蒼さのその面差し
開いた口元は何かを言いたげで
私をじっと見つめているその眼が
海の底みたいに暗い

そういえば
前にはもっとぼんやり
遠くにいたような気がするけど
今では
すぐ後ろに立っている

だから
濡れた髪の一本一本まで見分けられる
それから
たしかに崩れ始めているその顔も


*毎度すいません。星に関係ない変な詩です。
ある朝、ふと鏡を見たら、あなたの後ろにこんな、見知らぬ女性が立っているかもしれません。
日を追うごとに近づいてきて変容してゆくその姿から、あなたはどうしても逃れることができないのです・・・。

2008年11月04日

●詩「星の見える記念碑」

希薄な皮膚から
冷えた内層が徐々に染み出し
横顔はいつかイオンの香り
拡散する周縁は長く背後に流れ
いぶかしむ間もなく
彼は静かに目を閉じる

その過程
遥か
悔恨に似た印象で受け止める
僕の痛覚
彼は崩壊し
恐らく数億年の後
砂浜で貝を探すように
僕は数個の粒子を拾い上げていることだろう

光射す淡い歩廊を辿り
僕はやがて
海に突き出た古い岬を歩いている

岬の突端
青空に向けて傾いた石碑が立つことを
記憶する人は誰もいない

彼の墓碑にたたずみ
その空間を切り取ると
足元に地球が見える


*1985年に作ったものですからずいぶんと古い詩です。
表現も甘いのですが、この頃の詩は自分では割と気に入っているものがたくさんあります。
時間と空間、永遠と刹那、無機と有機、そうしたものを重層的・複合的に描いてみたいと、この頃、いつも思っていました。
もちろんこうした訳のわからない(?)詩の根底にあるモチーフは宇宙です。

2008年12月05日

●詩「未来」

そんなに自由に振舞える君が
いつもとてもうらやましくて
それはきっと
生まれながらに神様からもらったものだと
ずっと思っていた

でも
あの雪の夜
小さく震えていた白い横顔
あのとき
ようやくわかったんだ
ひそかな決意を
一瞬一瞬
心に刻み続けながら
君も僕も生きているということを

いまさらだけどね
笑わないで

ビルの谷間から
冬の青空を見上げる
君のまなざし
凛冽として拡がってゆく
一秒先の未来


*久々に詩です。
星には関係ありませんが、おお、珍しく爽やか系の詩ではありませんか。
私の書く詩には、ミイラや幽霊が出てきたり、わけのわからない超現実的な風景が描写されたりと、あまりすかっとしたものはないのですが、自分自身の人間性としては案外(?)爽やか系なのではないかと思っていたりします(自分だけ?)。
あ、「君」が誰かとか「あの雪の夜」って思わせぶりだな、なんて詮索はしないよーに。
冬の青空のように凛として清冽な未来を生きてゆきたいですね。


2008年12月22日

●詩「てのひらの中の宇宙」

「私ね、宇宙を持ってるの」
彼女の笑顔は陽だまりのあたたかさ

「ほら、ね?」
ひろげたてのひらに
遠く
紫の宇宙
幾千の星のまたたきのなか
遥か
僕の知らない星雲が光っている

「もう、おしまい」
彼女はてのひらを閉じて
「今のはね、アンドロメダ星雲から見た銀河系」
僕を見つめてにっこり笑うと
「ね、私、アイスクリームが食べたい」

公園のベンチでアイスクリームを食べながら
僕らは
宇宙開発について話した
ロケット工学に
彼女はとてもくわしい


☆手に触れることができないはずの宇宙が、ふと開いた手のひらの上にあったなら、とても素敵だと思います。あくまで涼しげな女性の手のひらにあってこそいいのであって、むくつけき中年男では願い下げであることはもちろんです。

2009年01月04日

●詩「energy」

星の光が
ひときわ冴えるこんな晩
君の声は9月の匂いがする

「目を閉じて。
そうすれば心の中にまで星の光が届くでしょう」

白い頬に降り注ぐ遥かな時空のささやき
果て遠い記憶が
いつか君の周囲に描き出す
精緻な深宇宙のphotograph

「本当に大切なものなんてほんの少ししかないの。
たとえばこうして星の光を受けとめていられる
こんなひととき」

指を組んだ君の姿は祈りにも似て
白いTシャツの肩先
名も知れぬ銀河の輝きが亜高速で遠ざかり・・・

ふと風が流れ
その刹那
あえかな残像だけを残して君の空間は揺らめき消えて

大気中に拡散し続ける可能性のenergy
ひととき
街路樹の枝に
うす青い電離水素をまつろわせて

☆星は目で見るものですが、時には満天の星空を、体ごと受けとめてみたくなります。星光浴、という言葉があるかどうか知りませんが、そんな時は、やはり目を閉じて、星空のenergyを心いっぱいに吸収したいですよね。

初出:詩集「てのひらの中の宇宙」

2009年01月18日

●詩「星影」

とても静かな人でした
冬の夜
星のように清冽な記憶の影を曳いて
どこまでも凍りついた道を
オリオンの方角へと歩いていったのです

そのうなじは月の白さで
そのひとみはヘリウムの青さで

僕はただ切ないほどに悲しくて
春の星座が昇ってくるまで
じっとそちらの空を見ていました

涙が凍らないことを
そのとき初めて知りました


*このところ岐阜県知事選挙他の用件で非常に忙しくて記事を書いている時間がとれず、詩のようなものをとりあえずUP。
今日は藤橋振興事務所で日直、昨日は選挙の当番、今週土曜日も選挙当番、日曜日は朝から夜遅くまで選挙と、休みはまったくなし。先週は法事で東京へ行っていたし。
どうしてこんなに忙しいのか・・・。
この詩のように静かな時間を過ごしたい・・・。

2009年02月05日

●詩「劇場」

水晶で作られたその舞台で
踊りつづけているのは誰でしょう

背景には数知れぬ銀河が
光の速度で遠ざかり
フットライトは淡い彗星の輝きです
天井からは切り抜かれた月が吊り下げられ
超新星のスポットライトが
そのひとを照らしつづけているのですが
あまりに強く照らしすぎたのでしょう
そのひとの顔は紫に灼け焦げて
どんな表情も
私にはもう読み取れなくなっているのです
それでも
そのひとの踊りは美しくあでやかで
だからこそこの劇場は
重力のバランスを保ちつづけていられるのかもしれません

しわぶきの音すらしない観客席
満員の観客は誰も真っ黒な表情で
良く見ると
それぞれの顔のずっと奥
やはり燐光を放つ銀河が無数に浮かんでおり
それはそれで
危うげな平衡を保ちつづけて

そんな息づまる静寂のなか
この私にしても
やはり常に重心計算を続けながら
それでも息を殺して
じっと舞台に見入っているようなのです


*星の詩、といえばそうだし、星とはあんまり関係ないといえばそんな気がするし・・・、という作品。
ちょっと重苦しく暗い雰囲気を出したかったんですよね。
人は誰でも危うげな平衡を保ちながら、それぞれの舞台で孤独な舞踏を続けているのかもしれません。

2009年04月06日

●詩「COSMOS」

星の絵を描いている
絵描きさんに会いました
その人のアトリエからは
とてもきれいに銀河系が見渡せます

ミルクティーを飲みながら
星のお話をうかがいました
とても静かなひとでした
キラキラと
透き通った身体をしていました


*久しぶりに星の詩などを・・・。
時々、銀河系外縁部、あるいは銀河系近傍の惑星から夜空を見上げることを夢想します。
天球の半分以上を銀河系の渦巻きが覆う夜空は、想像を絶する壮麗なものでしょう。
この詩に出てくる絵描きさんのアトリエがあるのも、そうした銀河系近傍のどこかのようです。
でも、その場所は惑星上ではありません。
だって「銀河系を見上げる」のではなく「見渡せる」場所なのですから。
星の光が満ちた彼のアトリエで、私も心静かな時間を過ごしたいなあと思います。

2009年04月30日

●詩「星空列車」

その夜
深い藍色に染まった星空の下を
その人を乗せた列車が走っていました
長い長い列車の窓からは
オレンジ色の灯りが柔らかに漏れて
そんなたくさんの窓のひとつに
その人の姿がありました

窓枠にもたれ
遠くを見ているその人の目は
やはり深い藍色の光を湛え
列車が行きすぎるほんの一瞬のうちに
私はその人が
どこか遠い星から還ってきたばかりなのだということを
心のずっと深いところで
かすかな悼みとともに知ったのでした


☆若い頃は、よく夜汽車で旅をしたものでした。
眠れぬままに、窓に顔を押しつけて流れ去る街の明かりに目を凝らしたり、晴れた晩は夜空に星座の配列を探したりして一夜を過ごしたものです。
夜を徹して走る列車はずいぶんと少なくなってしまいましたが、列車と星空はよく似合うと、旅をする時間がなかなか取れなくなってしまった今、あらためて思います。

2009年05月12日

●詩「湿原」

そのせせらぎを手のひらにすくい
僕を見上げたあなたは
ふと
染みとおる微笑を浮かべる
白いスカート
無造作に束ねた髪に揺れる
うす緑の木漏れ日

すくった水を一口含んで
あなたの姿は
一叢の柳に変わっている
古い木道を辿り
足元を流れる水の音を聴きながら
この渓流までずっといっしょに歩いてきたのに

そういえば
あなたのうなじはひどく儚げで
柔らかな前髪からは
いつも水の匂いがしていたっけ
だから
あなたが柳に変わっても
何も驚くことなんてなかったよ
ただ
柳の葉をほんの一枚ポケットに入れただけで
バス停まで木道を歩き
誰も客がいない最終のバスに乗ったんだ

バスの窓から振り返る湿原は
どこまでも透き通る6月の夕映えで
永遠に暮れることなどないかのように遠くまで見通せる

「姿や声なんて時間や空間と同じぐらい意味がないんだよ。
わかってると思うけどさ」
身じろぎもせずハンドルを握る運転手の言葉に僕はうなずき
いつか
そんな運転手の後ろ姿さえも
終わらない黄昏に溶けてゆくのを見つめながら
それでも
あえかな愛惜を噛み締めたくて
バスの揺れに目を閉じる


☆「またヘンテコな詩だよ」と思われた方もいるかもしれません。
しかも星にはぜんぜん関係ないし・・・。

初夏になると湿原に行きたくなります。どこを見てもきれいな水が流れ、草木がみずみずしい若葉を広げているのを見ると、心が浄化されるような気がします。
この詩を作ったのは福井県敦賀市にある湿原でした。誰もいない湿原に佇み、ただぼんやりと日が暮れていくのを見ていました。
初夏の夕暮れはいつまでも明るく、永遠に夜が来ないような錯覚にとらわれながら、手帳にこの詩を綴っていました。

ときどき載せている詩、明確な解釈は書いている本人もわかりませんので深く考えないで下さいね。
心象風景を言葉にしているのですが、私が思い描く心象風景は大抵、このような曖昧模糊としたものです。国語の教科書にあるような立派な詩は・・・どうも書く才能がないようです・・・。

2009年06月23日

●詩「蛍の川」

星と蛍の間で
ぬばたまの夜が揺れました

川べりの草の陰から
そおっと出てきたその動物は
星と蛍のあかりに照らされているので
かすかに姿がわかるのですが
昼間ならきっと空気より透き通って
たとえわずかな月明かりの晩でも
きっと輪郭しか見えないことでしょう

しんなりと細い背中のその動物は
とても静かに星空を見上げ
やがてのそのそと
また草の陰に入ってゆきました

あとには
6月の濡れた星空と群れ飛ぶ蛍のあかりだけが
ひときわ鮮やかに冴えて

そんな夜の中
風とせせらぎの音を聴きながら
私はいつまでもこの川辺に座っています


☆毎年6月になると、近くの川に蛍を見に行きます。
街灯りが多い場所では消え入りそうな光なのに、灯りのない場所で見る蛍の光は、闇に残像が残るほど明るくてびっくりします。
蛍の飛ぶ季節、東の空には「こと座」の1等星ベガが昇っています。
ベガの青い輝きは蛍の光とすごく似ていて、街灯りのない場所に一人座って見ていると、蛍が空に昇って星になったような、あるいは星が地上に降りてきて蛍になったような、とても不思議な気持ちにさせてくれます。

2009年07月06日

●詩「徳山」

風はうすみどり
揖斐のせせらぎに幸多き山影を揺らし
里の道は古き伝えを語り継ぐ


一人の河原で
空へ続く時を見送るひととき
栃の葉陰
木橋の袂
そこここにたたずむ気配は
あえかな初夏の輪郭で
誰もが染み透る微笑を浮かべては
碧玉の空へと還ってゆく

諦めすら
その浄化されたまなざしに包みこんで
それは
紡ぎ続けてきた生命の記憶
森と生きてきた人々の想い

僕も微笑みを返そう
冷たく黒い水がすべてを覆う前に
この豊穣な山と川に生きてきた
あらゆる生命のきらめきに


☆旧徳山村が、ダムに沈む前に作った詩です。
ダムの有用性や社会的な効果についてはあえて言及しませんが、少なくともダムの湛水によって、小はダニや線虫の類から、大は動くことのできない樹木にいたるまで、無数の生き物が物言わぬままに冷たい水に沈んでいったことは確かなことです。
この詩を作ったのは秋でした。
周囲をたくさんの蝶や羽虫が舞い、鳥の声が遠く近く聞こえる静けさの中で、近い将来、そうした風景と生命のすべてを冷たい水が覆い尽くす日が訪れるのを、私は暗澹とした気持ちで考えていました。
罪のない小さな生命を、人間の都合や欲得で奪っていいはずがありません。
ダムの広大な水面を見て無邪気に歓声をあげる観光客や、利水・治水の視点でしかダムを考えない人たちに、私たちが奪った無数の生命について、少しでいいから思いを巡らしてもらいたいと思います。

2009年09月04日

●詩「火星暦97年」

こんなうす青い夕暮れに
よく二人いっしょに地球を眺めたね
あなたの小さな望遠鏡で
海の青
雲のうずまき
それから
眩いほど白い両極の輝き
地球を見ていると
少しだけ哀しくて
少しだけ懐かしくて
なぜかしら
地球に行ったことなんて一度もないのに

でも
二人でいられれば
それだけで楽しくて
あなたの声
あなたの笑顔
だから
あなたが不意に死んでしまうなんて
今でも信じられなくて・・・


一年分の遥かな時差
いつかいっしょに地球へ行こうねって
たしかに約束したはずなのに

ずるいよ
一人だけ先に行っちゃうなんて。


地球がとってもきれい
火星の夕暮れよりも
もっと青くて


*近くて遠い星、火星。
生命にとってはあまりに過酷な環境でありながら、人類が移住するとすればその可能性が最も高い星でもあります。
そんな火星には、子供の頃から特別の思いを抱いてきました。
いつか人類は火星に移住するだろう。やがて火星で育ち、地球を知らない人類も多くなるに違いない。
そんな火星生まれの恋人たちにとって、地球はどんな天体だろうか。
そんなことを思いながらこの詩を書いたのは、もう20年ほども前のことです。

青い夕暮れ、と詩に書きましたが、大気圧の低い火星では太陽光の散乱が少なく、夕暮れには青い光が満ちるそうです。

mars012.jpg

画像は、火星探査機が撮影した火星の日没です。
生命の全くない(少なくとも地上には)世界を包み込む、どこまでも静寂な青い夕暮れ。
これほど不思議な写真な光景を、探査機が送ってきた画像とはいえ見ることができるなんて、科学の進歩に感謝してしまいます。
同時に、科学の進歩によって人類のインスピレーションが確実に拡がっていくのを感じます。
科学と芸術は相反した存在ではないと思わせてくれた画像でした。

2009年09月14日

●詩「約束」

地球時間の22時
かならず空を見上げてね
そして
地球の輝きだけをじっと見つめて。

同じ時刻
私もかならず
あなたのいる火星を見つめるわ

そうすれば
ね?
こんなに離れていても
いつでも見つめあえるでしょ?

☆前回に続いて火星シリーズ第2弾。
まあ、火星じゃなくて月でも海王星でも金星でもいいんですが、大気のない月だとあんまり気楽に人類が暮らせそうではないし、海王星では遠すぎるしガス惑星だし何より暗いし、金星では表面温度450度だし分厚い大気に覆われていて星が見えないしイメージ的に爽やかでないし、ということで、やっぱり火星の設定にしました。
これも火星と地球に離れて住んでいる恋人同士のお話ですね。
「こんなアマアマの詩、書くなよ」と言われそうです。
書いたのが1989年ですから、まだ私も甘ちゃんの頃ということでお許しを。
前回の詩同様、あえて女性からの視点です。男性の視点でも別にいいのですが、やはりちょっと暑苦しくなるので・・・。
気障な言い方ですが、人の想いは、惑星間の遥かな距離をも越える力を持っている・・・そんなことを思いながら書きました。
けっこう支持してくれる人が多い詩です。

2009年09月21日

●詩「決意」

9月
星あかりの歩廊で
その人と出会う
必然の黎明

静けさの満ちる大気に
長く運命の影をひいて
僕はその人の手をとる

ともに歩む未来は
はるか星の色に染まって見通せないけれど
誰も裏切ることなく
見つめあうすべての人を護りながら
信じ続け歩み続ける
そんな
ひたむきな決意を心に秘めて
小さな手のぬくもりを確かめる


☆人生の分岐点において、誰もが心の奥底に刻み込む、ひたむきでささやかな決意。
私もこれまで、幾度かそうした決意を心に秘めたことがあります。とてつもなく困難だけれど実現させなければならないことがらに立ち向かう決意。
私が星を見るのは、ただ科学的データを求めるためでもなく、美しい天体を楽しみたいからでもありません。
ともすれば雑事に埋もれそうになりがちな決意を再確認し、ふたたび磨き上げるために星を見るのだ・・・と書いたら、理解してくれる人はいるでしょうか。

2009年11月06日

●詩「Lyra」

君の家から帰る雨上がりの道
こんなに雲の流れが速いのに
フロントグラス越し
こと座のベガだけが
いつまでも輝きを失わない

青い0等星に向けて
長い道を走り続ける
November

ただ
心を重ねて
星空の下
出会えた奇跡をともに生きる


☆この季節、夜の揖斐川堤防を北西に向かって車を走らせていると、正面にこと座のベガがずっと見えています。
先日もそうでした。
雲の切れ間にひとつだけ隠されることのないベガを見ながら、その輝きに導かれるように、とても静かな気持ちで夜中の堤防を走っていました。
 

2009年12月26日

●詩「青い先史」

火星の小さな湖のほとりで
あなたに出会ったときのこと
今でもよく覚えています
あなたは白い服を着て
だまってさざなみを見ていましたね

ふりむいたまなざしがとてもきれいで
透明な水と
渚の砂の白さ
なんだかすべてがとても似合っていて

何を話したのか
覚えていません
でも
あなたが立ち去ったあとの
星が見えるほど深い火星の空の青さだけは
今でも痛いくらいに
よく覚えているのです

☆地球のお隣の惑星、火星。
直径が地球の半分ほどと小さなこの星は、現在は大気が薄く液体の水もなく、寒く乾燥しきっていますが、昔は今よりも温暖湿潤で浅い海や湖もあったといわれています。
おそらくその頃の火星の海や湖は、有機物をあまり含まず、太陽から遠く大きな衛星もないことから潮汐の影響もさほど受けることなく、とても透明で穏やかだったことでしょう。
そんな静寂の湖畔で出会ったその人の面差しは淡いながらも鮮鋭で、それだけにその人が立ち去った後の空の青さが記憶に深く沁みこんでいます。
今から何億年か以前のできごとです。

2010年01月25日

●詩「Blue Stars」

オリオン舞う凛冽の星空
一人見上げる
冷たく青い大気の中で
君の強さと脆さと優しさを思う

同じ星空を
遠い街で君も見上げることができるなら
ただひとつの想いを伝えたい

どれほど離れていても
いつも隣にいると
星と同じ輝きを放つ無垢な心に
どんなときも寄り添っていると

君を乗せた翼が帰る日まで
一秒たりとも忘れない
真摯でささやかな祈り
君に届け
遥かな距離を越えて

☆夜毎広がる星空は、地球上のどこで見ても同じです。(北半球と南半球では違うとか、お天気が悪いと見られないといったヤボな話はしないよーに!)
たとえば遠く離れた街にいる大切な人への想いを、星空に託してみたら・・・。
冬空に凛として輝くオリオンを見上げながら、ふとそう思いました。
遥かな距離を越えて想いは届くでしょうか。
届いてほしいと思います。

2010年06月02日

●詩「永劫の明日」

紫の薄明が満ちるこの場所に
僕はいつから立っていたのか
見はるかす砂の海を吹き抜ける風のなかに
僕はいつまで立っているのか

歩み続けてきた足跡は砂に埋もれ
遙かな地平線を見つめてみても
同じ形の陽炎の群れが揺れるばかりで
いまは明け方なのか夕方なのか
それすら判然としない

歩む標も示されず
砂の海に沈むことも許されず
ただ異星の砂丘に立ちつくす
こんな寂寥の薄闇

せめて
この薄明が終わり
夜か朝が訪れるならば
歩み続ける決意もできるのだが

どれほど目をこらしても
見上げる空には雲も星も見えず
動くものといえば
足もとの砂に刻まれた風紋だけが
わずかにその形を変化させてゆくだけなのだ

☆ごく稀ですが、生きてゆく標を見失うことがあります。
心の奥底を吹き抜ける寂寥感のなかで思い出されるのは、喪ったものばかり。
そんな気持ちになったとき、いつもこの詩に書いたような永遠の薄明に包まれた砂漠の惑星が心に浮かびます。
てのひらからこぼれ落ちる砂のように、過去も未来も喪われ続け、見上げる空には星も雲も映さない虚無感のみが満ちる寂静の星・・・。
とはいえ、いつまでもそのような虚無の惑星上にたたずんでいるわけではありません。
自らの内部にある負の風景を再確認し、再び歩き始めるためにこうした詩を編むのだと思っています。


2010年07月22日

●詩「記念日」

正直言ってさ
恥ずかしかったんだよ
暗順応が遅いのは昔からだけど
漆黒の闇と吹きつのる風のなかで
「こっち」
当たり前のようにつないでくれた小さな手
「見て。さそり座があんなに高い」
やっと目が慣れてきて
はじめに見えたのは君の白い頬
それから凄絶な赤さで輝くアンタレス
水平線から立ち昇る銀河の輝きが
君の頬と同じ白さで
7月とは思えない冷たい風に
つないだてのひらだけが暖かくて

あんなにきれいな星空を見たことがなかったから
あんなに神様を身近に感じたことがなかったから

だから
記念日

ささやかだけど
海風が紡いだ
何よりも大切な

2010年08月29日

●詩「星あかり、光の音」

星あかりの野原で
長い耳をぴんと立てて
小うさぎが一羽
何を聴いているの?

森の音
風の音
それとも
遥かな空間を渡ってきた光の音?

そんな小うさぎに
僕は星の名前をつけたよ
冬の夜空に光る小さな星の名前を。
小うさぎの瞳が
その星の輝きにそっくりだったから

時が過ぎて
いま
冬の星が西へ沈む季節
この野原に
小うさぎはもういない
ただ初夏の星座が空いっぱいにきらめいて

忘れないよ
その静かで無垢な瞳の輝き
僕はこれからもずっと
この野原で君と同じ音を聴いているから

☆9年間飼っていた、うさぎのアルネ君が死にました。
といっても、もうかなり前、5月23日のことです。
皆さんの中で、もしかしたら上の詩を読まれた方もいるかもしれません。
東京から藤橋に移住して以来9年間、家族同様に苦楽をともにしてきたアルネ君の死があまりに悲しくて、それでもとにかくわかる人にだけお知らせしたいと、ブログに一度、この詩を掲載したのですが、やはり悲しくて掲載直後に削除してしまいました。
ですから、読まれた方はほんの少数だったと思います。

気持ちの整理もついたので、たびたびこのブログに登場してきたアルネ君の死を、あらためて追悼の詩とともに報告することにしました。

arune22may.JPG

アルネ君は、藤橋小中学校の生まれです。
学校のうさぎが増えすぎて貰って欲しいという先生方の要望に応えて、子うさぎの頃に貰い受けました。
とても頭の良いうさぎで、名前を呼ぶと飛んできて嬉しそうに喉を鳴らし、鼻先を撫でてあげると小さな歯ぎしりをして喜んでいました(うさぎは嬉しいと歯ぎしりをするのです・・・)。

藤橋では昼間は庭に作ったサークル内に放し、自由に草を食べていました。
大野町に転居してからは、室内と室外双方に2m四方ほどの大きなケージを作り、昼間は外のケージで、夜は室内のケージで過ごすのが日課となりました。
広いケージで運動ができ、餌もハードタイプのラビットフードをメインに、干し草、新鮮な野菜、果物などバランスよく与えていたせいか、病気もせず元気にずっと過ごしてきました。
でも、昨年あたりから急に老化が目立つようになり、足腰が次第に立たなくなりました。
目も白内障でまったく見えなくなり、私たちもいつかはと覚悟するようになりました。

亡くなった当日は、じっとうずくまっていたのが、急にキキキーッ!と大声で鳴き、痙攣を始めました。
うさぎは通常、鳴くことはありません。
家族全員と、やはり藤橋時代からずっと一緒だった猫のビビさんがケージに駆け寄りました。
そして全員が見ている前で、少しずつ痙攣が弱くなり・・・やがて動かなくなりました。
ビビさんは、動かなくなったアルネ君をいつまでも見つめていました。
ずっと一緒に過ごしてきたアルネ君が星の世界に帰っていったことを、ビビさんは即座に理解したのに違いありません。

アルネ君の遺体は、雨の降る中、私が庭に穴を掘って埋葬しました。
しばらく前に死んだ猫のマーブルと猫夜叉くんが眠っているすぐ隣です。

ビビさんは、その翌日、雨が降っているにもかかわらず一晩帰ってきませんでした。
ビビさんがどんな思いで雨の中、一晩を過ごしたのか・・・。

アルネ君の死は、これまでごく親しい人にしか語れなかったほどの悲しいできごとでしたが、この件はこれだけで終わりませんでした。
悲しみは、まだ続きます。
その話は後日・・・。

写真:亡くなる数日前のアルネ君

2010年09月14日

●詩「秋の旅」

光と影ばかり
ただ水のようにさざめいて
どこか遠くから僕を見つめている
涼やかな誰かのまなざし

薫る風がふと
時の輪郭を澄んだ細線で描き出し
精緻な静けさの中で
遥かに遠くが見渡せる

木漏れ日の径で
いつか僕に寄り添うその人の気配
たしかに白く
はかなげな
懐かしいその面差し

☆秋になると一人の旅に出たくなります。
行方を定めず、風に任せ、涼やかな風の中をどこまでも歩きたくなります。
そんな旅を続けていると、光と静けさのなかで、ふと誰かの眼差しを感じることがあります。
心に降り積もった澱が流れ去り、自らの内面を見つめることができたとき感じるその眼差しは、秋の日ざしと同じく透明な静けさに満ち、一人の旅だけに、いっそうその人への想いが募るのを感じながら、秋風のなかを歩き続けたくなるのです。

2010年12月11日

●詩「ピアノソナタ追想」

もはや住む人のない崩れかけたその洋館
誰が手入れをしているのか四季の花が絶えることがない

少年の僕は
花に惹かれるようにその門をくぐったことがある

5月の日ざしが
擦り減った石畳に白く映えて
花に囲まれた小径は低いテラスへと続く

ピアノの音に気づいたのは門をくぐって間もなく
明晰なその音は
天井の落ちたリビングルームから聴こえるらしかった

やがてたどり着いた
午後の日ざしがいっぱいに降り注ぐ部屋の中央
磨き上げられたグランドピアノが置いてあり
ピアノに向う黒いドレスの後ろ姿
豊かに流れるブロンドの髪
無心に鍵盤を叩くその指先はしかし
洗われたような白い骨ばかりとなっていて
長い髪を透かして見る横顔も完全に白骨化しており
それでも彼女は
僕に気づくことなく古いソナタを弾き続け
ピアノと彼女の周囲
色とりどりに大輪のバラが咲き乱れ・・・

今もときどき
彼女を思い出すことがある
初夏の大気に溶けるピアノソナタの音色
彼女を飾っていたバラの花弁のあでやかさ

☆久々に訳のわからない詩などを・・・。
作ったのはもうずいぶん以前のことです。
もちろん、実際にこんな体験をしたわけではありません。
でも、白骨化した(元はかなり美人だったであろう)女性が、恐らく自らが既に死んでしまっていることすら知らぬままに、バラの花に彩られる崩落した洋館で、無心にピアノを弾いている・・・
そんな情景がとても美しいものに思えて、この作品を書いたわけです。
実際に、こんな場面に遭遇したら僕はどうするでしょうか。
きっと時の経過も忘れて、彼女の弾くピアノの音に、何時間も、いえ、何日も何年間も、聞きほれてしまうかもしれません。