2006年05月09日

●すばる

私の名前は、すばる。
さとるくんといっしょに星を見るのが好き。
ある日、さとるくんが急に遠くへ行くことになってしまい・・・。

星の名前がついた猫の、小さな冒険の物語。

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2006年06月10日

●童話「きんもくせいとすじぐも」

よく晴れた十月の午後、とんぼが、きんもくせいに聞きました。
「きんもくせいさん。どうしていつも、そんなに遠くを見ているのですか。もっと近いところにも、きれいなものはたくさんあるのに」
 透き通った風がさわさわと通り過ぎ、あたり一面に、きんもくせいの香りを運びます。
 きんもくせいは、ちらりととんぼを見ましたが、何も答えてはくれませんでした。ただ黙って、遠い空の向こうを見つめています。

 とんぼは、空を見上げました。真っ青な空のずっと高いところに、絹糸をたばねたようなすじ雲が浮かんでいます。
 とんぼは、空高く飛んでゆきました。高く上がるにつれて、空の青さはいっそう濃くなってゆくようです。やっとすじ雲のところへたどりついたとんぼは、下を見て少しこわくなりました。森も川も、作り物のように小さく見えます。遠くにきらきら光って見えるのは、お話で聞いたことのある海でしょうか。
 とんぼは、すじ雲に聞きました。
「すじ雲さん。どうしていつも、こんな高いところにいるのですか。地面の近くにも、すてきな場所はたくさんあるのに」
 静かな目でとんぼを見たすじ雲は、何も答えてはくれませんでした。ただ、空のもっと高いところを見つめています。

 とんぼは、地面へとおりてゆきました。ちょっとおなかがすいていました。秋のお日さまはもうずいぶんと傾いて、もうすぐ夕ご飯の時間だな、そうとんぼは思いました。
 夕ご飯のしたくをしている奥さんに、とんぼは、きんもくせいとすじ雲のことを話しました。
「二人とも、何も答えてくれないんだ。同じ目をして、ずっと遠くだけを見つめているんだよ。何かに憧れるように、何かを待っているように」
「そうですか。あの人たちは、秋の一日がどんなに美しいか、きっと知らないのですわ。たくさん木の実がなって、お日さまだってこんなに暖かく照らしてくれて、夜になれば虫たちがきれいな歌を聴かせてくれるというのに」
 奥さんの話を聞きながら、とんぼは夕焼けの空を見ていました。きんもくせいとすじ雲は、何に憧れているんだろう。何を待っているんだろう。

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 ふと、夕焼け雲のむこうで何かが光りました。とんぼは、目をこらして暮れてゆく空を見つめました。ずっとずっと遠くで、きらきら金色に光っているもの。
 一番星でした。とんぼが見ている間にも、星の数はどんどん増えてゆき・・・。

 夕ご飯もそこそこに、とんぼは空に舞い上がりました。燃えるような夕焼け空に、一番星がびっくりするぐらい明るく光っています。
 きんもくせいは、金色に光るまなざしで、そんな一番星を見つめていました。
(あれは金星です。ずっと昔、私はあの金星から生まれたのです)
 とんぼは、すじ雲のところへ行ってみました。
(お星さまにもっともっと近づきたくて、私はこんな高いところにいるのです。私はずっと昔、天の川の切れはしだったのですから)
 きんもくせいとすじ雲が憧れ、待ち続けていたものがなんだったのか、とんぼは、やっとわかりました。
 星の数は見る間に増えて、やがて銀の砂をまいたように空一面をおおいました。夜空を飛びながら、とんぼはふと、こんな星空をどこまでも飛び続けたい、星の世界に吸いこまれてしまいたい、そんなことを思いました。
 でも、すぐに思い直すと、星の光を羽いっぱいに受けながら、とんぼは奥さんのところへ帰ってゆきました。
とんぼにはわかっていたのです。星の世界が、やっぱり自分とは、とても遠い場所だということを。

2006年08月15日

●天文ファン2030

2030年。進行する地球温暖化と飽和状態に達した光害のため、天文趣味は壊滅に瀕していた。
そんな絶望的な状況の中でも、軌道上に打ち上げられたアマチュア衛星を使って新天体発見を夢見る俺。
必ず到来する暗黒の未来を描いた衝撃の近未来天文小説!
星屋さんは、身につまされること間違いなし! 必読です!

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2006年10月03日

●小説「ミイラのある地下室」

旧家の当主である友人に案内されて、その家の地下室に降りた私を迎えたものは、先祖代々からの無数のミイラだった。旧家を辞そうとした私を見送る陰惨な憎悪をこめた家政婦の眼差し・・・。

天文にはぜんぜん関係ありませんが、山の中で星を見ていて怖いことはないの? というコメントを受けて、怪奇小説を公開。
真夜中、部屋を暗くしてお読みください。

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2007年09月16日

●小説「粉雪の舞う星で」

一年中、青空と日ざしだけには事欠かないといわれてきた街だった。いつの頃からかはわからない。多分、海を見下ろす台地にあるこの街に、人が住みついた遥かな昔からそう言われてきたのだろう。

 でも。
「ねえちゃん。雪だ」
 弟のルツの声に、空を見あげる。
 いつのまにか、黄土色の雲に覆われた空から、ちらちらと白いものが舞い降りてきていた。手をつないだルツの指に、ぎゅっと力が入る。私を見上げる不安げな目。
 風が止まっていた。ついさっきまでこぼれていた日ざしはどこにもない。そのかわりに街を包みこむ、埃のように乾いた粉雪。
 知らず知らず早足になる。手をつないだ小さなルツが、小走りでついてくる。市政庁から続く大通り。三千年も前からこの街のメインストリートだった石畳の道。
いつの頃からだろう。青空をほとんど見なくなったのは。ましてや、真夏のこの季節に雪が降るようになったのは。つい何年か前までは、海で泳ぐこともできたのに。
「動物園もね、今年いっぱいで終わりなんだって」
 ルツが言う。
「寒くてみんな死んじゃったんだ。サエラがそう言ってた。サエラのお父さん、動物園の研究員だから」
 ルツの目は、通りの並木を見つめている。あれほど見事だった青双樹の並木が、一本残らず枯れていた。どれも樹齢千年以上の木だ。

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 ルツに限らず、どんな小さな子でも知っている。この十年足らずの間に急激に進んだ寒冷化で、この星・・・メサイを緑に彩っていた植物のほとんどが枯れ、大半の動物が絶滅したことを。
 しだいに密度を増してくる雪のカーテンを透かして、市政庁を振り返る。三千年間ずっとメサイの首都だったこの街を圧して聳える壮麗な市庁舎。
「私がルツぐらいの歳にはね、いつもこの通りいっぱいに人と車が溢れていたのよ。政庁には駅があってね、長いトレインが大勢の人を乗せてひっきりなしに発車していったわ」
「ねえちゃんも乗ったことあるんでしょ」
「うん。お出かけや学校の遠足で何度も」
 ルツにとっては、暗記するほど聞かされた話のはずだった。それでもこうして相槌を打ってくれる。優しい子。
 今、政庁通りに、私たち以外、人影は見えない。トレインの軌道も、今は取り払われてしまっている。人々のほとんどが、もっと暖かい街に去っていった。寒冷化が進み始めた当初には、人口の流出を躍起になって食い止めようとしていた市も、今では移住を奨励するようになっている。
「長靴、はいてきて良かったね」
 わずかな間に降り積もった雪に、私とルツの足跡だけが続いていた。舞い落ちる雪は、私とルツを包みこみ、日ざしと緑の絶えることがなかったこの街を、無機の静けさで覆っていく。
 雪。ほんの十年前まで、極地方以外、誰も見たことのなかった気象現象が、メサイを白い惑星に変えつつあった。
 いつか、ルツも私も、ただ無言で歩いている。自分たちの足音すら聞こえない。すべての音を吸い取ってしまう白い沈黙。

「決まったわ。あなたたちの順番」
 家に帰ると、お母さんが玄関で待っていた。
「青の月、十三周の晩よ」
 良かったわね。お母さんの顔は、本当に嬉しそうだ。その分、私の心は沈んでいく。
「たった今、お父さんから連絡があったの。船は、クシタイプのⅢ型ですって。最新型だから、きっとテラまで無事に着けるって」
 小高い丘の上にある私の家。窓の向こう、降りしきる雪にけぶって、長く裾野をひいたメサイ最大の火山、プサイ・クノーが見える。
私がルツぐらいの歳には、火と煙を絶えず吐いていた山頂を、今は白い雪が覆っている。
「プサイの火が消えたのが原因だって、お父さんは言ってたわ」
 お母さんの言葉に、そうかもしれないと思う。有史以来、消えたことのなかったプサイの火が消えたのと時を同じくして、あちこちの山なみを彩っていた火山群のすべてが噴火を停止し、その頃から急激な寒冷化が始まったのだ。
 太陽から遠いにもかかわらず、メサイが温暖な気候を保ってこられたのは、活発な火山活動によるのだと、だからこそ惑星最大の火山であるプサイ・クノーが、神の山として崇められてきたのだと、学校で習った。
『固まっちまったんだ。要するに。理由はわからない。でも、あらゆるデータは、この星の内部が急速に冷えつつあることを示している。どうしようもない。俺たちにできることは、できるだけ多くの人と生き物を生存可能な他の星に逃がしてやることだけだ』
 肩をすくめながら言ったお父さんの言葉を思い出す。テラ調査隊の隊長を何度も務め、今は市の航宙局長をしている、がっしりと大きな背中。
『結局、テラとは縁が切れなかったな。でもいいさ。これからはずっとメサイで暮らすことができる』
 移住計画を初めて聞かされたとき、笑いながらそう言うお父さんに私は食ってかかった。どうして私とルツだけなの。お父さんとお母さんが行かないのなら、私たちもメサイに残る、と。
 何度も繰り返したやりとりだった。移民船に乗ることができるのは、二十歳以下の市民だけ。市民全員を移住させられる船を建造する資源も時間もすでにない・・・。

 珍しく晴れ渡った晩だった。クラスメートが乗った移民船が飛び立つのをどうしても見たいと言うルツと二人、凍てついた夜空を見上げている。
「ねえちゃん。あれがテラなの?」
 ルツが指さす方向に、アレク神殿の宝玉よりも青い星が輝いていた。
「そうよ。あれがテラ。メサイの隣りの惑星・・・」
 テラ。この太陽系で、メサイよりひとつ内側を回るあの惑星には、メサイよりずっと広く深い海が広がり、大森林が大地を埋めつくしているという。
「青の月になったら、僕たち、あそこに行くんだね」
 ルツの言葉に涙がこぼれそうになる。こんな小さなルツと、十七歳になったばかりの私二人で移民船に乗る・・・。
「船だ」
 午後いっぱい降り続いた雪がやんで、晴れ渡った夜空を切り裂くように、眩しい光のかたまりが駆け上がってゆく。
 行き先はテラだった。
「ちゃんと着けるといいね」
 ルツの小さな手を握る。
「だいじょうぶ。お父さんが指揮してるんだもの」
 移民船がテラにたどりつく確率は三割。友だちが言っていた。
「あの船にね、サエラが乗ってるんだ」
 しばらく黙りこんでいたルツが、小さく呟いた。
「そう、サエラが・・・」
 ルツの目に小さく光るものを見つけた私は、慌てて夜空に視線をそらし、ことさらに明るい調子で話しかけた。
「テラってどんなところかな。雪が降らなければいいね」
 ルツは黙っている。夜空の青さと冷たさが、いつか私とルツの間に侵入する。
 テラにも雪は降るのだろうか。テラにも、プサイ・クノーみたいな火を吐く山があるんだろうか。
 風が渡った。テラの輝きがいっそう冴える。移民船の噴射炎はもう見えない。
 東の地平線に、アイナ・クが、神代の金貨のような鈍い輝きを放っている。テラには、メサイを回る二つの衛星、アイナ・ク、アイナ・カとは桁違いに大きな衛星がひとつ、回っているという。
 テラにはどんな夜空が広がっているのだろう。メサイは何色に見えるのだろう。
 冷たい大気がびりびりと震えた。雷に似た低い音が、凍てついた砂漠を渡ってくる。
 今ほどの移民船の噴射音だった。もうすぐ、私とルツも乗る。お父さんとお母さんをメサイに残して・・・。

☆ ☆ ☆

「ねえちゃん。起きてよ。こんなところで寝てたら風邪ひいちゃうよ」
 揺り起こされて目を開けた。覗きこんでいる幼い顔。
「ルツ!」
 思わず起き上がる。
「ルツ? 誰のこと?」
 翔太・・・。
 急速に記憶が戻ってくる。そうだ。ふたご座流星群を見ようと、弟の翔太と庭で寝袋にくるまっていた。
「寝ぼけてるの? もう曇っちゃったよ。ねえちゃんが寝てるうちに」
 夜空を見上げる。先ほどまで晴れていた空は、ほとんどが黄土色の雲に覆われていた。いつのまにか眠ってしまっていたらしい。
 それにしても。
 記憶の全てがかすんでいる。
 ルツと手をつないで歩く雪の政庁通り。長い裾野をひいたプサイ・クノー。雪晴れの夜空を照らす小さな金色のアイナ・ク。眩しいほど青いテラの輝き。夜空を駆け上る移民船の噴射炎。
 何もかも夢だったの?  
 痛む頭を振ったとき、ふと、視野の端がオレンジに染まった。
「メサイ・・・」
 無意識のうちに呟く。
 そこだけ雲が切れて、ちょうど接近中の火星が、濃いオレンジ色の輝きを覗かせていた。
「火星、きれいだね」
 翔太が言う。
 黄土色の雲に、鮮やかな火星の輝きはすぐに消え、頬に冷たいものがひらりと触れた。
「ねえちゃん。雪だ」
 風の凪いだ夜空から舞い落ちる乾いた粉雪。
 見る間に密度を増してくる冷たさが、白いカーテンのように私と翔太を包んでいく・・・。

 挿絵:松本星菜

 久々に小説をUP。
 何年か前にSF関係の公募に応募しましたが通りませんでした。
 イラストは娘が描いてくれました。

2008年04月07日

●児童文学「赤い電車に乗って」その1

 駅には、今日も何人かのお年寄りが集まっていました。山に囲まれた終着駅です。
プラットホームに、赤い小さな電車が一両、冬晴れの日を浴びて、ぽつんととまっていました。お年寄りたちは、そんな電車の座席に思い思いに腰かけて、おしゃべりをしたり、窓の外を眺めたりしています。
冬の日ざしがいっぱいに差しこむ電車の中は暖かでした。こうして電車の座席に腰かけて何時間かを過ごすのが、ここ何年間か、お年寄りたちの日課になっているのでした。

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「四十年間、ずっとこの電車で岐阜まで通ったもんやったなあ」
 窓の外を眺めていたおじいさんが、呟きました。
「そうやなあ。健ちゃんは岐阜の繊維会社に勤めとったもんなあ」
 となりに座っていたおじいさんがうなずきます。
「わしも、商品の買いつけによう岐阜まで出かけたもんじゃ。帰りはリュックいっぱいの荷物で歩くのも大変やった」
「作どんもわしも、お互い、よう仕事をしたなあ」
 二人は小さく笑いました。
 ふと何かを思いついたのでしょう。作どんと呼ばれたおじいさんが、いたずらっぽい目で、通路をはさんだ座席で居眠りしているおばあさんを見つめました。
「そういえば、咲ちゃんも長いことあんたと同じ電車で通っとったな」
「そ、そうやったか」
 健ちゃん・・・健吾さんは、窓の外を見つめたままでしたが、その耳がかすかに赤く染まったのを作どんは見逃しませんでした。
「健ちゃんだけやないで安心しや。他にも咲ちゃん目当てで七時の電車に乗っとったヤツを何人も知っとるで。それにもう時効や。紀美子さんも、咲ちゃんの旦那さんも亡くなったでな」
 作どんが、からからと笑いました。紀美子さんというのは健吾さんの奥さんです。いつも元気で明るかった紀美子さんが亡くなってからもう十年が過ぎていました。
 その声で目がさめたのでしょう、咲ちゃんと呼ばれたおばあさんが、不思議そうな顔で二人を見つめます。髪はまっ白ですが、若いころはさぞ美人だったことをうかがわせる顔立ちです。
 にやにや笑って顔を覗きこむ作どんの腕を、窓の外に顔を向けたまま健吾さんは叩きました。健吾さんが、若いころからずっと咲ちゃん・・・咲江さんのことを好きだったのは、当の咲江さん以外は誰もが知っていることでした。
「昔のことじゃ。もう言うな」
 健吾さんの横顔は真っ赤です。
 もちろん作どんも、それ以上、言うつもりはありません。健吾さんも咲江さんも、今では高校生や大学生の孫がいる幸せな身の上です。
「それにしても、今でも信じられんね。もうすぐチンチンって合図が鳴って、動き出しそうな気がするもの」
 もうすっかり目がさめたらしく、さっと立ち上がってこちらの座席に移ってきた咲江さんが言いました。
 軽い身のこなしと都会的な話し方は、年をとっても少しも変わりません。忠節の会社で事務員をしていた咲江さんは、結婚してから長いこと東京で暮らしていたのです。
 作どんが、またにやにやと笑っています。咲江さんが腰をおろしたのは、健吾さんのすぐとなりだったからです。
「みんなこの電車にお世話になったんやね。もう二度と動かないなんてウソみたい」
 咲江さんの言葉に、お年寄りたちはしんとなりました。
 そうです。西国三十三霊場結願のお寺があるこの駅と岐阜駅を結んでいた赤い電車は、しばらく前に廃線になってしまったのでした。保存会の熱心な運動で、この終着駅と赤い電車は残されましたが、長い間、たくさんの人を運んだ線路を電車が走ることは二度とありません。健吾さんたちお年寄りは、畑仕事や山仕事の合間に駅に集まって、昔話をするのが楽しみになっていたのでした。
 お年寄りたちは、電車の運転席から見えるレールを見つめます。何年か前までは、電車に乗るだけでみんなを岐阜の街へ、そしてもっと遠くまで運んでくれた二本のレールは、ホームの先でぽつりと途切れていました。レールを剥ぎ取る作業が進んでいるのです。赤い電車は、咲江さんの言うとおり、もう二度とこの駅から動くことはないのでした。
 黙りこんだお年寄りたちの影を通路に映して、冬の日ざしはゆっくりと動いていきます。
 学生を、通勤の人たちを、買い物の奥さんたちを乗せて、雨の日も雪の日も休むことなく何十年も走り続けた電車。
(わしらも電車も同じかもしれんな。仕事して仕事して、今は暇にまかせてこうして日向ぼっこをしてい
る・・・)
 それでいいのかもしれない。健吾さんは思いました。これまでさんざん働いてきたのだから。
 でも。わしも作どんもまだ元気だ。電車もまだまだ働きたいんじゃないかな。美濃の里を、風を切って走り続けていたいのじゃないかな。
 ふと気づくと、咲江さんが運転席のすぐ後ろに立っていました。小柄ながら、背すじのしゃんと伸びた咲江さんの後ろ姿が日ざしに滲んで、健吾さんは目をしばたきました。乗り切れないほど満員だった毎朝の電車。窓を流れる見慣れた景色。そして、いつもいちばん前に立っていた咲江さんの後ろ姿。
 健吾さんは目を閉じました。何もかも変わってしまったような、そして何も変わっていないような不思議な気持ちで、窓越しの日ざしの暖かさを感じていました。

*平成19年度岐阜県文芸祭の入賞作品です。
 「児童文学」部門で受賞しましたが、子供は一人も出てこず、登場人物はお年寄りばかり。ヘンな童話です。
 星とは関係ありませんが、揖斐川町谷汲のお話ですので読んでやってくださいませ。しばらく連載します。

2008年04月09日

●「赤い電車に乗って」その2

 どんよりと曇って、今にも白いものが落ちてきそうな底冷えのする日でした。
 厚手のジャンパーの上にヤッケを重ねて、健吾さんは山仕事をしていました。ストーブに使う薪を作る仕事です。最近、健吾さんの家では、息子さんが離れで喫茶店をはじめました。『薪ストーブのある喫茶店』が売り物のお店です。山小屋風の建物の中に薪ストーブが燃えている息子さんのお店は、都会からやってくるお客さんでけっこう繁盛しているのでした。健吾さんは、忙しい息子さんに頼まれて、自分の山から薪を採ってくるのです。
 林道の脇には、軽トラックが置いてありました。鉄道が廃止になる何年か前、苦労して運転免許を取って買った軽トラックです。
 しばらく前に切り倒しておいた木をチェーンソーで小さく切り、さらに鉈で細かく割っていきます。ストーブにくべることができる大きさに割った木材を束ねて、軽トラックの荷台に積んでいくのです。
 昔は、山の手入れや山菜取りにも電車に乗って来たものでした。知り合いから譲り受けた健吾さんの山は、家から離れた場所にあるのです。今のように車もなく、林道もありませんでしたから、山に入るには、道具や機材を背負って細い山道を歩くしかなかったのです。
(あのころにくらべれば天国だ)
 健吾さんは思いました。背中いっぱいに荷物を背負って山道を下り、電車に乗って家まで帰ることを思えば、軽トラックのありがたみはひとしおです。
(みんなが電車に乗らなくなるわけやな)
 健吾さんは苦笑いをしました。

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 どれぐらい前からでしょうか。健吾さんの近所でも、だんだんと自動車を買う人が増えて、それと同時に道もきれいになり、好きなときに好きなところへ誰もが行けるようになったのです。いつも満員だった電車は、がら空きになり、本数もだんだんと減らされて、とうとう廃線が決まってしまったのでした。
 黙々と仕事をしながら、健吾さんは今日のみんなの話を思い出していました。午前中は、まだ薄日が差していましたから、いつものようにお年寄りが駅に集まっていたのです。
『廃線の何年か前から、ウチでも電車にはほとんど乗らなくなったなあ』
『そりゃ、あんたのところは息子さんがいい車を持ってみえるで。ウチみたいに車に乗れない年寄り夫婦にとっちゃあ、電車がなくなってどえらい不便になったもんやよ』
『子供んたがかわいそうやなあ。電車があれば岐阜の高校にだって通えるのに、わしの孫は下宿しとるよ』
『そうや。電車がなくなっていちばん困っとるのは、わしら年寄りや子供んたやでなあ』
『バスと違って、大雪の日でも電車はとまらんかったでなあ』
 駅に集まっているためか、どうしても話題は電車のことになります。何十年も昔から、通学に通勤に電車を使ってきた健吾さんたちにしてみれば、赤い小さな電車と小さな駅は、若いころの思い出がいっぱいにつまった宝箱みたいなものなのです。楽しかったこと、苦しかったこと、毎日さまざまな思いを胸に抱いて乗り降りした電車と駅からは、はるか遠くにかすんでしまった青春の匂いがただよってくるような気がするのでした。
(だからこそ、わしらは毎日のように駅に集まっとるんやな)
 ふと、健吾さんの胸を、咲江さんの面影がかすめました。
(作どんの言うとおり、初恋、やったかもな)
 誰も見ていないのをいいことに、一人でふふふ、と笑いました。
 さあ、もうひと仕事、と思ったときでした。軍手をはめた手に、ひらりと白いものが舞い落ちました。
「ありゃあ、とうとう落ちてきたのう」
 このあたりでは、ひと冬に何度か、けっこうな雪が降ります。揖斐谷の奥の方にくらべれば少ないのですが、一晩で五十センチ以上積もることも珍しくありません。そういえば、今夜から雪の予報が出ていました。
「まあ、今日のところは帰るかの」
 健吾さんも雪のこわさは良く知っていましたから、早めに仕事を切り上げて帰ることにしました。
 ちらほら舞い始めた雪は、すぐに本降りになりました。びっくりするぐらいの勢いで、景色を白く染めていきます。
 風も出てきました。すぐ目の前もみえないぐらいの吹雪です。
 道具を片づけ終えたときには、軽トラックも健吾さんも雪だるまのようにまっ白になっていました。
「いやあ、これは積もるぞ」
 ひとり言をつぶやきながらハンドルを握って走り出します。
 本当にひどい降りです。ワイパーが雪をぬぐうよりも早くフロントグラスに雪がこびりついて道路がぜんぜん見えません。
 こういうときこそ慎重に。心に言い聞かせながらハンドルを操作します。
 いくつものカーブを過ぎて、だいぶ山を下ってきたとき。
 突然、山全体を震わせるような、ゴーッという音が響きました。猛烈な風が軽トラックを包みこみ、舞い上がった粉雪で何も見えなくなりました。
 あっと思ったときには、健吾さんの軽トラックは路肩を踏み外していました。
 ふわっと車体が傾いて・・・。
 軽トラックは、そのまま雪の斜面をずりおちていったのです。

2008年04月11日

●「赤い電車に乗って」その3

 健吾さんが気づいたのは、あまりの寒さのためでした。
 ぼうっとしていた頭が、急にはっきりします。
 あたりを見回しました。どこもかしこもまっ白です。体がおかしなふうに傾いています。手足がぜんぜん動きません。
 一瞬、自分は死んでしまったのかと思いました。だって、こんなに何もかもまっ白なはずがありません。
 でも、死んでいるとしたら寒さも感じるはずないよなあ。妙にはっきりとそんなことを考えて。
 健吾さんは自分がどこにいるのかを知りました。軽トラックが、十メートルも離れたところに雪に埋もれて転がっています。健吾さんは、首まで雪に埋まって、山の斜面に投げ出されていたのでした。道理で手も足も動かないはずです。
 何とか吹きだまりから這い出した健吾さんは、もう一度、あたりを見回しました。
 あいかわらず雪は激しく降り続いています。それでも、白いカーテンのすき間から、林道のガードレールが見えました。健吾さんは、ちょうどガードレールの切れ間から、車ごと落ちてしまったらしいのです。
 どこにもけがのないことを確かめた健吾さんは、膝まで埋まる雪をかき分けて林道まで上りました。軽トラックはもう動きません。携帯電話も持っていませんから、助けを呼ぶこともできません。健吾さんは、自分の足で人里まで戻るしかないことをわかっていました。 
 まっ白に雪の積もった林道を下っていきます。ときには腰まで埋まる雪をかきわけて歩くのは、ひどく骨の折れることでした。でも仕方ありません。あたりはそろそろ薄暗くなり始めていました。夜になる前に山を下りなければ、凍え死んでしまいます。
 通いなれた林道が、まったく知らない道に思えました。雪がこれほどまでに景色を変えてしまうのかと思いながら、一歩ずつ進んでいきます。
 はじめのうちは暑くてたまりませんでした。雪をかき分けて歩いているのだから暑いのもしかたありません。汗をぬぐいながら歩くうち、今度は寒くなってきました。震えが止まらなくなってきて、吐き気までしてきました。ふらふらして足が前に出ません。風邪をひいたときのようです。
 健吾さんは、動かない足を必死で前に進めました。かなり林道を下ってきたことは、見覚えのある木や沢のようすでわかります。あたりはだんだんと暗くなり、雪が青く光っている以外、景色はほとんど見えません。
 ふもとまでもう一息、というところで、健吾さんは雪の中に倒れてしまいました。
 不思議なことに、雪の中に倒れているのに少しも冷たくありません。
 これはいよいよまずいな。そう思ったとき、わずかに雲が薄くなったのでしょう、あたりが一瞬、さあっと明るくなりました。

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 力を振り絞って起き上がった健吾さんの目に映ったのは、夕映えに鈍く光る二本のレールでした。もうだいぶふもと近くまで降りてきたようでした。
 もうすぐだ。駅まではもうすぐだ。それだけを考えて健吾さんは立ち上がりました。
 そう、林道の入り口には、健吾さんがいつも使っていた小さな駅があるのです。
 駅まで行けば。駅まで。
 もう一度歩き始めた健吾さんの頭にあるのは、そのことだけでした。
 健吾さんは腕時計を確かめました。そうだ。四時四十分の電車があるはずだ。あと十五分。電車に乗れれば家に帰れる。薪を持って帰れなかったことは息子に詫びなければならないが、まだ軒下にも積んであったはず。何日かはしのげるに違いない。ぼうっとした頭で、健吾さんは考えました。
 わずかな晴れ間が消えたのでしょう。あたりはふたたび、青い闇に閉ざされました。
 腕時計に目をやりながら、健吾さんは歩き続けました。
 そうだ。あのころも毎朝、腕時計とにらめっこをしながら駅へ歩いた。七時の電車に乗るために。咲ちゃんと同じ電車に乗るために。

2008年04月13日

●「赤い電車に乗って」その4

 積もった雪の青い光も消えて、闇の中を歩いていた健吾さんは、いきなりつまずいて雪の中に倒れてしまいました。
「いてて」
 腕をさすりながら起き上がった健吾さんは、足元に固いものを感じて雪を掘り返しました。
 レール。
 健吾さんをつまずかせたのは、鉄道のレールだったのです。
 はっと気づいて腕時計を見た健吾さんは、
「間に合ったあ」
 大声でつぶやきました。
 腕時計は、四時三十八分を指していました。
 踏み切りを渡って小さなホームに上がります。
 ホームも雪でまっ白でした。もともと改札口も屋根もない無人駅です。レールでつまずかなければ、雪に埋もれた駅を見つけることなどできなかったことでしょう。
 健吾さんは、もう一度、時計を見ました。
 あと一分。
 そう思った瞬間、全身から力が抜けました。
 その場に座りこみながら、健吾さんは気がついたのです。いくら待っても電車が来るはずないということに。鉄道は、もう何年も前に廃線になっているということに。
ホームに座りこんだ健吾さんの体に、吹雪が激しく吹きつけます。疲れきった体が芯まで冷えていくのがわかりました。
 座りこんだ健吾さんの体がゆっくりと倒れました。頬に触れる雪の冷たさを感じながら、あと一分、あと一分待てば。
 それでも健吾さんは、心のどこかでそう思い続けていたのでした。

 雪に埋もれた健吾さんの体を、オレンジ色の光が、さあっと照らし出しました。
 ゴトン、ゴトン。プシューッ。
 重く懐かしい音が近づいてきて、健吾さんのすぐ横で止まりました。
 信じられない思いで、健吾さんは見つめます。
 暖かそうな光を窓いっぱいにたたえ、おおぜいの人が乗っている赤い電車。
『谷汲ゆきです。まもなく発車します』
 車掌さんの放送に、健吾さんはあわてて起き上がりました。体の雪を払いながら、出入り口のステップを上ります。
 ピーッ。車掌さんが笛を鳴らしました。
 プシューッ。ドアが閉まり、電車はゆっくりと動き出します。
「山仕事かい」
 声をかけてきた人を振り返った健吾さんは、一瞬、返事ができませんでした。
「作どん・・・」
 そう、その人は作どんでした。大きな風呂敷包みを背負い、暖かそうなオーバーを着た・・・。
「岐阜まで買いつけに行ってきたんや。今日はええもんがようけ買えたで」
 にこにこ笑うその顔は、まだ二十代の若者でした。
「この雪じゃ、山もたいへんやな」
 もう一人、声をかけてきた人を見て、健吾さんはもっと驚きました。
「浜ちゃん」
 もう二十年も前に亡くなったはずの、魚屋の浜ちゃんではありませんか。
 気を落ち着かせて車内を見回してみると、乗客の半分以上が知り合いでした。そして、誰もが若いころのままなのです。
 気さくに声をかけてくる若い知り合いたちに返事をしながら、健吾さんは恥ずかしくてたまりませんでした。みんなが若いころのままなのに、自分だけが八十才近いおじいさんなのです。
 みじめな気分で窓の外を見つめた健吾さんは、あれ、と思いました。どこかで見たことのある人が映っていたからです。
 すぐに気がつきました。真っ黒な髪をポマードでぴっちり固めて、茶色のハンチング帽を斜めにかぶったその顔。
 健吾さんでした。どういうわけだかわかりませんが、みんなと同じように健吾さんも若いころのままの姿で、電車に揺られているのでした。
「健ちゃん。いちばん前」
 寄り添ってきた作どんが耳元で囁きました。
 運転席のすぐ後ろに立っているその人。長い髪を結い、白いうなじを見せた・・・。
 咲ちゃん。
 心の中でつぶやきました。
「珍しいね。こんな早い電車で帰ってくるなんて」
 作どんに背中を押され、健吾さんは何歩か前に出ました。それにあわせるようにブレーキがかかり、たたらを踏んだ健吾さんは、その人のすぐ後ろでようやく踏みとどまりました。
 驚いた顔で振り向くその人。
 健吾さんには、電車の音も聞こえなくなり、まわりの人も見えなくなっていました。
「あ、あの」
 とまった時間のなかで、健吾さんに言えたのはそれだけでした。
 でも、そのとき、その人がもう一言を待っていたような気がしたのは、やはり健吾さんの思いこみにすぎなかったのでしょうか。
『まもなく終点、谷汲です』
 車掌さんの声が、健吾さんのそんな思いもかき消して、電車はゆっくりと終着のホームへ滑りこんだのでした。(つづく)

2008年04月15日

●「赤い電車に乗って」5

 そのころ。
 健吾さんの家では大騒ぎになっていました。暗くなっても健吾さんが帰ってこないのです。
「おやじ。警察は何て言ってるんだ」
 苛ついた声で大学生になった孫が怒鳴ります。
「この吹雪じゃ、捜索にも行けないってよ。さっきから何度も電話しとるんやけど」
 健吾さんの息子さんが、同じように大声で怒鳴り返します。
「やっぱり自分たちで捜しに行くしかねえよ」
 お孫さんが立ち上がりました。
「警察も消防もあてにならねえ。じいちゃんが山に行ったことはわかっとるんやで」
 息子さんも立ち上がりました。
「仕方ねえな」
 防寒具を身に着け、長靴をはき、かんじきを用意した二人が、玄関を出ようとしたとき。
 ガラガラ。いきなり玄関の戸が開きました。
「おやじ!」
「じいちゃん!」
 お孫さんと息子さんは同時に叫びました。そこには、雪でまっ白になった健吾さんが立っていたからです。
「悪いな。車、つぶしちまった」
 照れ臭そうに健吾さんは言いました。それでも、その顔はほかほかと元気そうです。
「どこに行っとったんや。車、潰したってどういうことや」
「道を踏み外してな、林道からがんがらがん、ってな」
「落ちたんか」
「そうや」
 林道から転落したとすればたいへんなことです。
「で、そっから歩いて帰ってきたんか」
「途中までな」
「途中までって」
「あとは電車に乗ってな」
 集まってきた家族は顔を見合わせました。寒さと疲れで頭がおかしくなったんじゃないか。みんな、同じことを考えました。
 にこにこ笑っている健吾さんを薄気味悪そうに見つめた息子さんが、何かを言いかけたときでした。
「健吾さん!」
 開け放したままの玄関の外から聞こえた声に、みんなはもう一度、どきっとしました。
 健吾さんと同じく、体中雪まみれで立っているのは・・・。
 咲江さんでした。
「おお、咲ちゃんやないか」
 ゆったりとそう言った健吾さんに、咲江さんは駆け寄りました。
「良かった。やっぱりあの電車で帰ってきたんやね」
 今にも健吾さんに抱きつきそうな咲江さんの目から、涙があふれました。
「ごはん、作っとったらね、突然、まわりの景色が変わってまったんや。私は電車に乗っていて、いろんな人が若いころのままたくさん乗っていて、そしたら、あんたが、健吾さんが飛んできて、私・・・」
 健吾さんが、咲江さんの手を取りました。
「ありがとう。咲ちゃん」
 もう一言。もう一言、言わなければ。そう思ったとき。
「おい、健ちゃん! 大丈夫やったか!」
 わめきながら、雪の中を転がるように走ってくるのは作どんでした。そのあとから何人ものお年寄りがこけつまろびつ走ってきます。
「夢を見たんや。健ちゃんといっしょに電車に乗ってる夢。なんかいやな予感がして警察に聞いたら、健ちゃん、行方不明っていうやろ」
 作どんを押しのけるように、別のお年寄りが言いました。
「わしな、見たんや。駅にな、電車が着いてな、おおぜいの人が降りてくるのを。みんな影みたいやったが、健ちゃんだけははっきりしとった」
「わしも見た。雪をけたてて線路を電車が走っていくのを。そこに健ちゃんが乗っとったんや。若いころのままの健ちゃんが」
 興奮してはいますが、みんなが言うことは同じでした。
「そんな・・・。電車は廃線になったはずなのに」
 息子さんが、呆然とつぶやきます。
「そうや。これ」
 健吾さん手をそっと放した咲江さんが、着物のたもとを探りました。
「わすれもの。電車の中で落としたやろ」
 咲江さんが差し出したものは。
「おお、これか。道理で頭が寒いと思っとった」
 しばらく差し出されたものを見つめていた健吾さんは、それを頭に乗せました。
 茶色のハンチング帽。
「健ちゃん、どえらい似あうやないか」
「そういやあ、昔は健ちゃんのトレードマークやったなあ」
 お年寄りたちが、どっとわきました。
「みなさん、とにかく中へお入りください。雪の中で立ち話もなんですから」
 息子さんのお嫁さんが、なんだかわからないけれど、という顔でそう言い、健吾さんと咲江さんを囲むように、みんなは暖かい家の中へあがったのでした。

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 次の日。
 積もった雪を、降り注ぐ日ざしがまぶしく照らしています。
 健吾さんは一人で、電車の座席に座っていました。
 ホームには屋根がついているのに、電車は雪でまっ白です。そして、どこもかしこも雪で埋まっている景色の中で、ホームから見える線路だけが、冬の日ざしにキラキラと光っていました。
「レール、昨日までは錆びていたのにね」
 うしろから声をかけられて、健吾さんはゆっくりと振り向きました。
 窓越しの日ざしをいっぱいに浴びて、咲江さんがほほえんでいました。
「そうや。錆びとったな、昨日までは。でも今日は、あんなに光っとる」
 健吾さんの顔を、咲江さんがじっと見つめます。
「かぶっとるんやね」
 健吾さんは、頭にそっと手をやりました。
 茶色のハンチング帽。
 気づくと、二人は運転席の後ろに並んで立っていました。
「電車、走ったんやなあ」
「そうやね」
 揺れる日ざしがレールに反射して、咲江さんの顔を明るく照らしました。
 その顔は、昨日、電車に乗っていた若いころのままのように、健吾さんには思えました。(おわり)

2008年04月25日

●小説「Last Planetarium」1

この4月で天文担当から役場の本庁へ異動になった私ですが、町村合併前、藤橋村当時にも、天文担当から離れた時期が数年間ありました。
これからしばらく連載するのは、その頃に書いた小説です。
当時と今では行政の体制も異なり、異動を命じられたときの思いも異なりますが、共通しているのは「自分には天文の専門家としてのスキルと使命感があり、行政内でのポストや施設に頼らなくても独力で夜空への想いを語り成果をあげることができる」という自負です。
自らへの励ましもこめて、10年近く前に書いた小説を何度かに分けて掲載します。
自伝的小説ではありますが、登場人物等、フィクションも含まれていますのでご了解ください。以下、本文です。


 まだお客さんの入場していないドームの中は、ひんやりと静かだった。
 コンソールの椅子に腰をおろした僕は、知らず知らずのうちに皮膚になじんでいるドーム内の空気を軽く目を閉じて吸いこんだ。
 空気に、独特の匂いがある。コンソールと投影機に塗られた塗料の匂い、白熱する恒星球の匂い、ボ
リュームダイヤルを回すたびに発熱して灼ける抵抗の匂い。
 それは、丁寧に使いこまれ、日々努めを果たしている、生きた機械の匂いだった。 
 目を閉じているほんの数秒間の間に、心の底を形にならないさまざまな記憶が流れて消える。
 夢中で過ごしてきた歳月の長さと短さを、甘く、そして苦い想いのうちにひととき反芻した僕は、目を開き、体が覚えてしまっている手早さで、投影準備を始めていた。
 昼光とブルーライトをミックスさせ、暗すぎず、明るすぎない柔らかな光でドーム内を満たす。プロジェクターのスイッチを入れ、投影中の注意事項や天体観望会のお知らせを織り混ぜたテロップをスクリーンに映す。傍らのミキサーを操作して、投影開始までの待ち時間用のBGMを流す。
「時間です。入場を開始してもいいですか」
 ドームの扉が開き、場内係のIちゃんの顔が覗いた。
 僕は、コンソールから、指で「OK」のサインを出す。
「お待たせしました。どうぞご入場ください」
 Iちゃんが手際よくお客さんを誘導するようすを見ながら、コンソール近くの席に座ったお客さんに、僕も「いらっしゃいませ」、頭を下げている。
 いつもの入場風景だった。過去8年間、季節や天候によってお客さんの多い少ないはあったものの、毎日繰り返してきた投影開始前の入場風景。
 僕はコンソールの時計を見た。4時の投影開始まで、あと7分。

*

「教育委員会の事務局へ戻ってきてほしい」
 教育長からの突然の呼び出しの用件は、予想していたものだった。
「他に適任者がいないんだ。天文の仕事で村に来てもらったことは重々承知しているが、現場を離れて、社会教育の業務の中で天文普及をすることもまた、新しいアプローチだと思うんだが」
 これまで教育委員会事務局の仕事を担当していた県からの派遣職員が、新年度から県に戻ることは僕も知っていた。そして、やはり教育委員会の職員である、僕を含めたプラネタリウムと天文台担当者の誰かが、事務局の業務を引き継がなければいけないことも。
 僕の頭の中を、この村に移住してから今日までの日々がアルバムをめくるように去来した。断片的な、しかし驚くほど鮮鋭ないくつものシーンが心の底を流れ去る。
一瞬の後、僕は答えていた。
「わかりました。新年度からは、村の子供たちやお年寄りと身近に接してゆきながら、天文の仕事をさせていただきます」
 
 プラネタリウムと天文台は、村の中心から10km離れた場所に立地している。人口の極端に少ないこの村では、プラネタリウムと天文台のある地区までの間は道路だけが続いている山間地であり、住民は一人も住んでいない。
 そんな奥まった場所でありながら、手つかずの自然を求めてやって来る観光客に支えられて、プラネタリウムと天文台を合わせると、村人口の100倍もの年間入館者を数えていることはありがたいことではあるのだが、反面、交通が不便なために住民の利用が極端に少ないことは、村営の社会教育施設として構造的な問題でもあった。
 国内の公開天文施設の半数は、観光客を主なターゲットとしている。特に過疎地域の振興を目的として建設された施設にその傾向が強い。ただでさえ少ない地域の人口を集客の対象として当てにすることができない以上、地域の目玉である天文施設を目的に集まってくる観光客を対象にせざるを得ないのは当然のことだった。

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 僕の村のプラネタリウムと天文台は、そうした施設の典型だった。名古屋市とほぼ同じ面積に人口わずか450人、しかも総面積の97%が山林というこの村で、地域の住民のみを施設運営の対象とすることはどだい無理な話だったし、村の中心中心から10kmも離れた山の中にポツンと立地している施設に対する村民の関心は、どうしても薄れがちになってしまう。
 それならば「ターゲットは観光客(と天文ファン)」と割り切って考えてしまえばいいのだろうが、僕にはそれも納得のゆきかねるところだった。
 税金を投じてせっかく優れた天文施設を建設し、専任の職員が公務員として勤務しているのに、地域へのフィードバックができなくてもいいのだろう
か。「天文普及」という言葉は、いかにも知らない人に天文を「教えてあげる」という匂いがして個人的には嫌いなのだが、同じ地域に住む住民として、人工光の影響をさほど受けていない満天の星空を一緒に見上げながら心のうちを語り合うことこそ、地域に密着した天文施設にふさわしい使われ方ではないのだろうか。
 この仕事に就いてからずっとそんなことを考え続けていたからこそ、ことあるごとに村の人を招待し、あるいは村の中心地区まで出向いてゆき、村民対象の「出前観望会」を開くなどの努力をしてきたのだが、それでも移動距離のネックという基本的な問題点の解消は難しく、昼間も夜も施設に拘束されてしまう僕ら職員にとって住民へのアプローチを行う時間的・人的余裕を生み出すことは困難であり、そのことは年を追うごとに、僕の内部で大きなジレンマとなりつつあった。
 教育長からの異動の内示に、ほんのひととき躊躇したとはいえ即答した背景には、明確に意識していたかどうかは別として、地域に密着した天文活動をしたいという、そんなジレンマに答えを出したかったからなのかも知れなかった。それがあるいは、後悔する結果になるかもしれないとしても。(つづく)

2008年04月29日

●小説「Last Planetarium」2

「さきほど入場された方が最後のお客様です。投影を始めて下さい」
 Iちゃんからのメッセージをインターホンで確認すると、僕はヘッドセットをつけた。
 コンソールの椅子から立ちあがって周りを見回す。
 ほぼ満席だった。決して広いとはいえないドームに設置された86席のリクライニングシートに体を預けたお客さんが、投影の開始を待っている。
 MDで流していたBGMを絞りながら、CDのプレイボタンを押す。ミキサーを操作し、しだいに低くなってゆくMDの音にかぶせながら、CDの音量を上げてゆく。
 小さく息を吸いこむと、僕はマイクのボリュームを上げ、話し始めていた。
「お待たせしました。ただいまから、プラネタリウムの投影を始めます。本日は、ようこそお越し下さいました。これからおよそ30分間、短い時間ではありますが、満天の星空をお楽しみ下さい・・・」
 昼光を少しずつ絞ってゆくと、ドームの中がゆっくりと暗くなる。満席のお客さんがかすかに身じろぎする気配とともに、そこここで聞こえていた小さなざわめきが夜の気配に静まってゆく。
 このプラネタリウムは、完全なマニュアル機だ。うるさすぎないように解説を行いながら、ブルーライトを絞り、夕焼けを上げ、薄明とスカイライン投影機を操作する。同時に傍らのCD,MDデッキを操作して、そんな天上のドラマにマッチしたBGMを、解説の邪魔にならない程度の音量で流してゆく。
 夕焼けから薄明にかけての演出は、マニュアル投影機を操る解説者にとって、最大の腕の見せどころだ。機械の操作や解説を滞りなく行うことだけならば、星をまったく知らない人であっても練習さえすれば何とかなるだろう
が、夕方と明け方の微妙な、そして刻々と変化する天空の色彩だけは、何年も星空に親しんできた者でなければ描き出すことはできないに違いない。

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 自らの指先が演出する壮麗な夕暮れに小さな満足感を覚えながらも、時間の経過を僕は忘れてはいなかった。すでに日没から1時間、透き通る薄明がやがて深い夜の闇に変わってゆき、いつのまにかドームのスクリーンには、無数の星がちりばめられている。息を詰めてそんな時の経過を見つめていたお客様が、薄明が消えると同時になぜ知らず小さなため息をつく。
 宵に見える星座を、明るい星、特徴ある星列からたどりながら説明してゆく。神話だけでなく、星の物理の初歩についてもわかりやすい解説を加える。
 神話や物語はたしかに多くの人の共感を得やすいのだが、それだけでは宇宙の理解にはつながらない。僕は、だから、いつもうるさくない程度に物理や宇宙論についても話すように心がけている。
 ややスピードを上げて日周運動を送ってゆく。星の動き方を示しながら、地球の自転について説明する。
 真夜中を回ったドームのスクリーンは、いつか春の星座で埋まっている。北斗七星が北天高くかかり、春の大曲線をたどれば、ほの赤いアークトゥールスと純白のスピカが、夫婦星の別名どおり一対の穏やかな輝きを放っている。(つづく)

2008年05月02日

●小説「Last Planetarium」3

 夜空はしかし、まだ完全に暗くはない。投影の前半はいつもブルーライトを完全には落とさずに、街中で見上げるほの明るい状態の夜空で解説をする。もちろん、光害について知ってもらうためだ。
「最近は街灯やネオンサインが多くなりすぎて、特に街中では暗い星がなかなか見えません。でも今日は、せっかくこうしてプラネタリウムに来ていただきましたから、街を離れてこの村で見える満天の星空をご覧いただくことにしましょう」
 こんな前置きをしてから、ブルーライトをゆっくりと絞ってゆく。ドームが暗くなってゆくのに合わせてBGMをしだいに盛り上げる。
 見る見る暗くなってゆく夜空一面に輝き始める無数の星。マーラーのシンフォニーが、そんな星と星の間の深遠を埋めるように時間と空間を満たしてゆく。
 満席の客席からもれる感嘆のため息、歓声。
 同じ星空をコンソールで見上げながら、僕もまた、心の奥深くまで沁み入ってくる無限と静寂に精神を泳がせていた。洗われたような無数の星の輝きは、いつしか僕の体をも透き通らせ、そのまま永劫の時間と空間へと溶けてしまうような覚醒感のなかで、僕はいつしか夢中で過ぎた8年の歳月を回想している。

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 プラネタリウムと天文台の仕事に就くために、それまでは縁もゆかりもなかったこの村へ家族そろって移住し、2日間、ドームに籠もりきりで投影の練習をした。
 3日目の午後、初めてお客さんを迎えて投影をしたあの日から今日まで、何度こうしてこのコンソールから、ドームに映る星空を見上げてきたことだろう。
 それは、たしかに機械によって映し出される人工の星空ではあったが、「美しい星空を再現する」という、ある意味では極度に純化された目的をもつエンターテイメントであるだけに、本機と補助投影機、音響機器が相まって織りあげる「理想化された夜」は、見方によっては本物の星空を凌ぐとも言えた。完備された空調の中、リクライニングシートに身を沈め、光害の影響をまったく受けることなく、耳触りの良い音楽を聴きながら満天の星空を見上げるという芸当は、実際の夜空ではなかなか難しいことだろう。
 僕は、暑さ寒さに直接身をさらし、天候の変化に一喜一憂しながら見上げる実物の星空ももちろんだが、「まがいもの」であるはずのプラネタリウムの星空も好きだった。実物の星空を見上げる行為を旅にたとえるなら、プラネタリウムの星空は上質の小説に似ている。そこでは実際の旅はできないけれど、快適な部屋でリラックスしながら、心地よいストーリーテリングを楽しめるのだ。
 よどみなく解説を続けながらそんなことを考えていた僕は、ふと小さな不安にとらわれる。これまで8年間、こうしてプラネタリウムの解説をしてきたけれど、果たしてどれだけのお客さんに心地よい小説世界を提供することができたのだろう。視覚と聴覚双方に訴えるストーリーテラーとして、感動なり、安らぎなり、あるいは科学への憧憬なりを、いくばくかでも伝えることができたのだろうか。
 そして。不意に僕は慄然とする。
 8年間、毎日座っていたこのコンソールに、明日からは座らなくなるのだ。指先に馴染んだ幾多のスイッチやボタンに触れることもなくなる。何よりも、自ら投影機を操作して描き出してきたこの満天の星空を見上げることもできなくなるのだ。
 喪失感と哀惜の念が、心の奥底を水のように流れてゆく。
 同時に、ささやかだけれど毅然とした決意が、心のスクリーンに僕だけの星空を描き出す。
 今では目をつぶっていても操作できるほど慣れ親しんだコンソール、レンズと電気の接点を磨き上げ、いつも万全の状態に整備してきた本機と補助投影機のかわりに、明日からは新しい部署で、新しい仲間たちと新しい仕事が僕を待っている。
 明日からの仕事や生活がどのようなものになるのはわからない。でも、これまでの経験や知識を生かして、地域の人たちと触れあいながら、いっしょに星空を楽しめる機会を、できるだけたくさん作ってゆこう。宇宙と地球について、地域の人たちといっしょに考えてゆこう。
 そう考えると、不思議に気持ちが落ち着いた。僕は、これまでにないほどリラックスした気持ちでマイクに向かい、コンソールに指先を滑らせていった。(つづく)

2008年05月06日

●小説「Last Planetarium」4

 コンソールの右上でかすかに光るデジタル時計が、午前4時を回ったことを告げていた。解説を続けながら僕は、東の低空から少しずつ薄明を上げてゆく。
 東の空には夏の大三角が高く昇り、壮麗な銀河の輝きが本機をうす青く照らしている。
 コンソールのスイッチをいくつか操作した。東天の低空がかすかに紅に染まり、銀河の白さが淡くなる。そんな銀河を貫いて、いくつもの流星が青く暁天を駆け抜ける。
 デジタル時計と見合わせながら、薄明と朝焼けを徐々に上げてゆくにつれ、まず銀河の輝きが消え、次いで暗い星から次第に姿を消してゆき、明けの明星の輝きもやがて薄明に呑みこまれ、最後のコンソール操作として、僕は太陽のダイヤルを上げていた。
 客席から、夜明けを迎えた安堵ともいえるため息がいくつも聞こえる。
「ありがとうございました。今回のプラネタリウムはこれで終了となります。またのお越しを心よりお待ちしています」
 いつも通りのあいさつで解説をしめくくった僕の心の底を、やはり寂しさに似た思いがふとかすめる。明日からは、すっかり習慣になってしまったこのあいさつをマイクに向かって話すこともなくなるのだ。
 コンソールに、初老の女性が微笑みながら歩み寄ってくる。
「いい解説でした。たくさんの星を見て、久しぶりに心が洗われたような気がしましたわ。これからもがんばって下さいね」
「ありがとうございます。またいらして下さいね」
 上品な身なりのその女性が立ち去った後には、友達同志らしい男の子が3人、もじもじしながらコンソールを覗きこむ。
「あの、しし座流星群は、今年も見えるんですか」
 いちばん年かさらしい男の子が、照れ臭そうにそう尋ねる。
「見えると思うよ。1時間に何百個も見えるかどうかはわからないけど、明け方早起きするだけの価値はあると思うな」
 ひとしきり出現予想について話し、手元にあったレオニズの解説パンフレットを手渡す。
「ありがとうございましたぁ!」
 元気良くあいさつした3人は、駆け足でドームを出て行った。

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「元気ですね。あの子たち。ぜったい流星雨を見るんだって話してましたよ」
 いつの間に横に立っていたのか、Iちゃんが微笑みながらそう言った。
「いい解説でした。星の輝きのひとつひとつが、心にそっと染みこんでくるような」
 僕は、満席だったお客さんが退場したあとのガランとした客席を見渡した。
「ありがとう。しばらくはIちゃんの顔も見られなくなるね」
 僕の言葉に、Iちゃんがにっこりと微笑み返す。
「しばらくはそうかもしれません。でも、こうして星を見上げる心を誰かに伝えたいという気持ちが松本さんにあり続ける以上は、またいつか、プラネタリウムや天文台のドームの中でいっしょに仕事をさせていただくことが、きっとあると思います」
(そうかもしれない)
 僕は思った。運命や定めをまったく信じていない僕だったが、もし星たちに何らかの意志があるものならば、これから先も星と宇宙について語り続けるように、僕の人生を導いてくれるに違いない。
 本機をホームポジションに戻した僕は、投影を始める前と同じく、目を閉じて大きく息を吸いこんだ。
 しばらくして目を開けると、いつの間にドームから出ていったのかIちゃんの姿はどこにもなかった。
 メインスイッチをオフにした僕は、ほの暗いドームの中、そこだけ天上界から注ぎこむような光を溢れさせているドームの出口に向かって、一歩一歩、いつになく敬虔な気持ちで歩き始めていた。(おわり)

2008年08月23日

●童話「おばけのおしり」

 久々に童話など・・・。
 だいぶ以前に書いた未発表作品で、娘やカミさんには好評です。
 別におしいれでなくてもいいのですが、家におばけが住んでいるといいなあ、といつも思います。できれば怖くないおばけがいいですが、すごく怖いおばけがいる家というのもちょっといいですね。
「おばけなんて大きらい」という方、このおはなしに出てくるのはぜんぜん怖くないおばけです。どうか安心してお読み下さいませ。

         ★   ★

 おしいれに、おばけが住んでいることに気づいたのは、ゆみちゃんが、このアパートに引っ越してきてすぐのことでした。家を建てかえるまでのあいだ住むことになった、ちょっと古いアパートです。
 はじめは、ねずみかな、と思いました。でも、あんなに大きなねずみなんて、いるはずはありません。
 さいしょに見かけたのは、おばけのおしりでした。真っ白でまあるくて、足のかわりにしっぽみたいなものがちょろりとくっついている柔らかそうなおしりです。
 おしいれを開けるたび、おばけは大あわてで奥のほうにかくれてしまうので、見えるのはいつも、おばけのおしりばかり、なかなかぜんぶは見えません。
 はじめのうち、おしり以外のところが見えたらちょっとこわいな、とゆみちゃんは思っていました。おしりは丸くてかわいらしいけど、もしかしたらすごくこわい顔をしているかもしれません。何といっても、おばけなのですから。
 でも、毎日、風船みたいなおしりを見ているうち、だんだんとこわくなくなってきました。あわててかくれるようすが、とてもおかしかったし、どう見ても、悪いことをするようには思えなかったからです。

 ある日、ゆみちゃんは、勇気を出して、おばけに話しかけてみました。
「おばけさん。かくれてばかりいないでたまには出てきてよ。私、お友だちになりたいの」
 答えはありません。おしいれの奥のほうでごそごそいう音が聞こえるばかりです。
「ねえ、おばけさん。こわい顔をしているのが恥ずかしいの。私、そんなこと気にしないよ。私だって、こんな顔ができるんだから」
 ゆみちゃんは、おしいれをのぞきこんで、思いきりこわい顔をしてみせました。
 すると、
「ふきゅっ」
 奥のほうからたしかにそんな声が聞こえました。
 ゆみちゃんは、思わず笑ってしまいます。
「ごめんね。こわかった? 私、ほんとはこわい顔じゃないんだよ。よく見て」
 こんどは、ふつうの顔でのぞきこみます。
 ずっとすみの方に、ふたつの目が光っていました。
「そんな暗いところにいないで出ておいでよ。いっしょに遊ぼう」
 おばけは少し近づいてきました。白いおしりが見えました。
「おしりだけじゃなくて、お顔も見たいな」
 もう一度ゆみちゃんが言うと、おばけはしばらく、しっぽをぷるぷるさせていましたが、やがて恥ずかしそうに出てきました。
 大きな目。ちっちゃな口。マシュマロみたいにふわふわの体。
「こんにちは」
 ゆみちゃんがあいさつすると、おばけも頭を下げました。
「ひとりで住んでるの」
 そうたずねると、おばけは、こっくりとうなずきました。
 ゆみちゃんとおばけは、こうして友だちになったのです。

 おばけは、だんだんとなれてきて、おしいれから出てくるようになりました。
 でも、パパも、ママも、いっこうに気がつきません。どうやら、おとなには、おばけの姿が見えないらしいのです。
 おばけは、しゃべることはできないみたいでした。小さなお口がありますし、いちどは「ふきゅっ」という声を聞いたこともありましたから、まるっきりしゃべれないわけではないのでしょうが、こっくりしたり、顔を振ったりして、ゆみちゃんがたずねることに答えるばかりです。
 それでも、ふたりは、いつも楽しく遊びました。風船みたいに部屋の中を飛びまわるおばけと追いかけっこをするのも楽しかったし、真っ白でふわふわの体を見ているだけで、ゆみちゃんは幸せな気持ちになることができました。

 そうして毎日、おばけと遊んでいるうち、家の建てかえが終わって、もういちど、お引越しをすることになりました。
 ゆみちゃんは、おばけに聞いてみました。
「どうする? いっしょにお引越しする?」
 おばけは、ゆみちゃんの顔を見上げて、こっくりとうなずきました。
「じゃ、ここに入っててね。顔を出しちゃだめよ」
 こうして、小さなバスケットに入ったおばけは、ゆみちゃんといっしょにお引越しをすることになったのです。
「あら、ゆみちゃん。そのバスケット、何が入ってるの」
 ママがたずねました。
「大切なもの」
 ゆみちゃんは、そう言って、バスケットを抱きしめます。
 お引越しが終わると、ゆみちゃんはピカピカのおしいれに向けて、バスケットのふたを開けました。
 しばらく、きょろきょろしていたおばけでしたが、やがてするり、とおしいれの奥に入ってゆきました。
「これからも仲良くしようね」
 ゆみちゃんがそう言うと、おしいれの隅っこの方から、ごそごそと小さな音がして、それから、
「きゅっ」
 小さな声が、たしかに聞こえたようでした。

2008年10月11日

●童話「みずいろのこぶた」

 よく晴れた8月の日曜日でした。奥さんも娘さんも買い物に出かけてしまい、家にいるのはパパ一人きりでした。
 まだ朝の十時です。本でも読もうか、それとも好きな音楽でも聴こうか、そんなことを考えていたとき。
 ピンポーン。チャイムが鳴りました。お客さんです。きっと近所の奥さんか娘さんの友だちでしょう。
 ところが、玄関に出てみると、それはずいぶんと変わったお客さんでした。ドアの向こうに立っていたのは、水色の小さなぶたさんだったのです。
「こんにちは」
 ぶたさんは、短い両手をおなかの前でそろえて礼儀正しくあいさつをしました。
「ちょっとお邪魔してもいいですか」
 パパは、ちょっと困ってしまいました。ぶたさんに知り合いはいないはずです。
 それでも、これといって急ぎの用もありませんでしたから、パパはぶたさんをダイニングに案内しました。少し迷ってからアイスティーをいれます。ぶたさんが、どんな飲み物を好きなのかよくわからなかったからです。
 さいわい、ぶたさんは、アイスティーが嫌いではないようでした。ストローで半分ほど一気に飲みほすと、
「ああ、おいしい。やっぱり暑い日は、冷たいカルピスかアイスティーですよね」
 そう言ってくれました。
「旅の途中で疲れてしまいましてね。お宅で休ませてもらおうと思ったわけなんですよ」
 ぶたさんの言葉に、パパは尋ねてみました。
「どちらへ行く途中なんですか」
「夏の国から秋の国へ。僕たち小さなぶたは、季節が変わるごとに、こうして旅をしているんですよ」
「そうですか。それはたいへんですね」
 そう言ったものの、それがどんな旅なのか、パパにはよくわかりませんでした。
 アイスティーを飲んでしまったぶたさんは、
「あのお、僕、おなかもすいているんですけど何か食べるものはありませんか。ほんの少しでいいんです。おいしいものじゃなくてもいいんです」
 もじもじしながら、そう言いました。
「ああ、それは気がつかなくて」
 パパは、台所のあちこちを探してみましたが、見つかったのはラーメンだけでした。
「すいません。あいにくとラーメンしかありませんが」
 ぶたさんの顔がパッと明るくなりました。
「ラーメン。僕、大好きなんです。とくにとんこつラーメンが」
「それはよかった。ちょうど、とんこつラーメンがありましたよ」
 とんこつラーメンが好きだなんて、おかしなぶたさんだなあ。そんなことを思いながら、パパはラーメンを作りました。
「ところで、ふつうのぶたさんは、そんなきれいな色をしていたかなあ」
 ラーメンを食べているぶたさんに、気になっていたことをパパは尋ねてみました。
 ラーメンを、つるつるっとすすると、
「僕の体は、季節で色が変わるんです。春はピンク、夏は水色、秋はオレンジ、冬は白に」
 ぶたさんは答えました。
「じゃあ、これから秋になると、君はオレンジ色になるんだね」
 パパは言いましたが、オレンジ色のぶたさんの姿を想像することは難しそうでした。
「でもね、もみじと同じ色だから、ふつうの人には見えません。もみじの木に、いつでも僕はいるんですけどね」
 ああ、そうか。パパは思い出しました。満開の桜の枝に、小さなピンクのぶたさんが、ちょんまりと座っているのを見たことがあったのです。あれはいつのことだったのか、もう何十年も昔のような気がするけど・・・。

 ラーメンのおつゆを全部飲んでしまうと、ぶたさんは短い足で椅子から飛び降りました。
「それでは、僕はもう行かなくてはなりません。アイスティーとラーメン、ごちそうさまでした。いろいろとありがとう。
それから」
 小さな声で、ぶたさんは言いました。
「いちご大福も僕は好きです」
 パパは、笑いだしてしまいました。
「いちご大福は僕も大好きですよ。また、いっしょに食べましょう」
「はい!」
 ぶたさんは元気よく答えました。その姿が、だんだんと薄くなり、やがて夏の空気に溶けるように消えてしまうまで、パパはぶたさんを見つめていました。
 窓から吹きこんだ風が頬を撫で、ガラスの風鈴をチリチリと鳴らします。
 パパは、窓辺に寄ると空を見上げました。夏の終わりの空は高く澄んで、吹きすぎる風は少しだけ秋の匂いがするようでした。


*だいぶ前に書いた童話です。
8月の終わりになるといつも、季節の移ろいを感じます。まだ暑くて日は長いのだけれど、葉を茂らせた木々の葉陰などに秋が隠れているような。
今はもう10月。ちいさなぶたさんは、もうオレンジ色に変わっているでしょうか。

2008年11月05日

●童話「流れ星のおつかい」1

久しぶりに童話を。
もともとは読み聞かせ用の絵本として作ったお話です。
けっこういろんな会場で、大勢の人の前で読み聞かせを行いましたヨ。
私たちの読み聞かせというのはちょっと変わっています。
お話を私が書き、絵をカミさんが描き、ナレーションと登場人物ごとに数名で声を分担してお話しします。
お話の間には生ピアノの音楽をはさみ、読み聞かせというよりは俳優さんのいない劇のように進めていきます。
このところ、メンバーが忙しくなって公演?を休んでいますが、子どもたちには大好評です。
また機会があればやりたいなあ。
では、これからお話の始まりです。

   ☆ ☆ ☆

 子どもの流れ星が、お母さんからおつかいを頼まれました。
「このお手紙を、すばる星に届けてほしいの」
 子どもの流れ星は、一人きりのおつかいがうれしくてたまりません。道順を教えてもらうのもそこそこに家を飛び出しました。

 びゅーん。星の間を、力いっぱい飛んでいきます。子どもの流れ星は大得意でした、
「僕、もう小さくなんかないんだぞ。こんなに速く宇宙を飛べるし、おつかいだって一人きりで行けるんだ」

 ところが、いくら飛んでも、すばる星の家が見つかりません。やっぱり道をまちがえたようです。道しるべになるはずのオリオン座がどこにも見えません。

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 困ってしまった子どもの流れ星は、通りかかったお月さまに聞いてみました。
「すばる星の家に行きたいんだけど、道がわからないんです。知っていたら教えてください」
 お月さまは、子どもの流れ星をちらっと見ると、かん高い声で答えました。
「すばる星なんて人、知らないわ。今、美容体操に忙しいの。このごろすっかり太っちゃって」
(続く)

絵:ひめねずみ

2008年11月06日

●童話「流れ星のおつかい」2

しばらく当てずっぽうにさまよっていた子どもの流れ星は、向こうから、きらきら白く輝く金星がやってくるのを見つけました。

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「金星さん。すばる星の家へはどう行ったらいいのですか」
 できるだけていねいに聞いたつもりでしたが、金星は、ツン、とすました顔で、
「すばる星? 知らないわ。それより私、お化粧中なの。きれいなお肌を守らなくちゃ」
 子どもの流れ星の顔など見もしないで、コンパクトをのぞきこんでいます。

(ああ、困ったなあ。どっちに行ったらいいんだろう)

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 だいぶ不安になってきたとき、大きな輪っかのついた帽子をかぶった土星が寝そべっているのに出会いました。
「土星さん、すばる星のところへはどう行ったらいいの」
 細い目で子どもの流れ星を見ながら、土星は大きなあくびをしました。
「そんなのボク、知らないもんね。それより眠くてたまらない」
 ほんとうに眠かったらしく、土星はその場でぐーぐー眠りこんでしまいました。
 さあ、困りました。誰もすばる星の家を知りません。

 そんなとき、宇宙のかなたから、すばらしいスピードでぐんぐん近づいてくるものを見つけました。
「どいたどいた。おいらは忙しいんでえ。邪魔するんじゃねえよ」

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 わめきながら近づいてきたのは、ほうき星でした。長いしっぽをひきずって、宇宙のあちこちを走り回っている変わった星です。
(ほうき星なら知っているかもしれない)
 子どもの流れ星は、急いでほうき星の前に両手を広げて飛び出しました。
「忙しいところすみません。ちょっと教えてほしいんですが」
 あやうくぶつかりそうになって、やっと止まったほうき星は、
「あぶねえじゃねえか」
 大声でどなりました。
「ほうき星さん。宇宙を走り回っているあなたなら知っていると思うんですが、すばる星の家へはどう行ったらいいのですか」
 子どもの流れ星が聞きますと、
「なにい? すばる星だ? どっかで会った気もするが・・・。いや、おいらも忙しいんでえ。他人にかまってるひまはねえ。どいたどいた。どかねえとけたおすぞ」
 早口でそう言うやいなや、長いしっぽをひいたほうき星は、宇宙のかなたへ、たちまち走りさってしまいました。 (続く)

絵:ひめねずみ

2008年11月11日

●童話「流れ星のおつかい」3

「流れ星のおつかい」の3回目です。
このところ、いびがわマラソンで忙しく、ブログを更新する時間がありませんでした。
子どもの流れ星は、無事にすばる星のもとへたどりつけるのでしょうか・・・。

 ☆  ☆

「ああ、誰もすばる星を知らない。困ったなあ。おなかもすいたし、帰り道もわからない」

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 すっかり疲れてしまった子どもの流れ星は、宇宙のかたすみにすわりこんでしまいました。
ひどく冷たい風が吹いています。宇宙はとても寒いのです。
 え? どのくらい寒いのかって?
 そうですね、氷がもう一度凍るぐらいの寒さといったらいいでしょうか。
 寒さがずんずん体にしみてきます。子どもの流れ星は目を閉じました。眠くて何も考えられません。頭の中がしびれてきます。

 そのときでした。子どもの流れ星のほっぺたを、さっと暖かい光が照らしました。はっと目がさめた子どもの流れ星は、大きくて明るくて、とても暖かい星が、すぐとなりにいるのを見つけました。

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「どうしたの。こんなところで」
 お母さんによく似た、優しい声がたずねました。
 お日さまでした。
 子どもの流れ星は、お日さまの暖かい光を受けて、体に力がわいてくるのを感じました。
「お日さま、僕、とても困ってるんです。すばる星の家までおつかいを頼まれたんだけど、道に迷っちゃって・・・」
「誰に聞いてもわからない、ってわけね?」
 にっこり笑いながら、お日さまはそう言いました。
「いいわ。すばる星は私の友だちだからよく知っています。地図を書いてあげましょう。それから、こんな小さな子が一人でおつかいに行ったのだから、お夕飯を食べさせてくれるようにお手紙を書いてあげましょう」

絵:ひめねずみ

2008年11月13日

●童話「流れ星のおつかい」4

 その晩のことです。こがらしの吹く道を、お家へ向って歩いている人間の男の子がいました。おばさんの家へ、焼きたてのケーキを届けにいった帰りでした。

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 空には、冬の星がいっぱいです。あまりきれいで、それに少しだけこわくて、何度も夜空を見上げながら歩いていた男の子は、
「あっ、流れ星!」
 思わず声をあげてしまいました。澄んだ冬の夜空を、すばる星に向って、小さな流れ星が飛んでいったのです。

 しばらく流れ星の消えた夜空を見上げていた男の子は、ケーキのお返しにおばさんからもらった焼きたてのパンを抱きしめると、お家へ向って小走りに走りはじめました。
 なんだかとても、お母さんと会いたくなったのです。
 おかしいですね。いつもいっしょにいるお母さんなのに。いっしょにいるのが当たり前のお母さんなのに。

 空では、冬の星がひときわキラキラとまたたきました。星たちの声が聞こえるような、深く澄んだ夜空でした。 (おわり)

絵:ひめねずみ

*絵本の絵をデジカメで複写したのですが、絵本の台紙に絵を貼った際にゴワゴワになってしまっていたため、絵に微妙な横線が何本も入ってしまいました。まあ、あまり気にしないで見て下さい。
またこういった絵本を作ろうと、時々カミさんと話していますが、なんとも忙しくてしばらくは時間が取れそうにありません。
星もぜんぜん見てないしなあ・・・。

2009年11月11日

●お話「プラネタリウムで時間旅行」

 両手を操作盤にのせたまま、西川さんは天井を見上げていました。丸い天井に、数えきれないほどの星が光っています。操作盤にのせた指先から、ほんのりと暖かさが伝わってきます。
(これで最後なんだな)
 心の中でため息をついた西川さんは、
(いや。最後だからこそ、最高の仕事をしなきゃいけない)
 そう思い直しました。
 音楽のボリュームを調整し、マイクに向って星の話を続けます。時には星座の絵や写真のスライドを映しながら、わかりやすくていねいに、心をこめて説明をするのです。
 毎日がその繰り返しでした。スイッチやメーターが並んだ操作盤の前に座り、リクライニングシートに座ったお客さんに星空の説明をし続けてきた40年間。

 西川さんは、プラネタリウムの解説者でした。子どものころから星を見ることが大好きだった西川さんは、学校を出てすぐにこのプラネタリウムに勤めました。まだプラネタリウムが珍しい時代でしたから、毎日が大入り満員で大忙し、プラネタリウムの座席でうたたねをして、そのまま次の日の仕事が始まることもしばしばでした。
(月日の過ぎるのは本当に早いものだなあ)
 客席を見渡しながらそう思います。あのころ、あんなに大勢のお客さんであふれていた客席は、このプラネタリウムが閉館となる今日でさえ半分も埋まっていません。
 年々減ってゆくお客さん。古い部品の取替えがきかないこと。それがプラネタリウムを閉めることになった理由でした。

 西川さんは、古びた操作盤をそっと撫でました。あちこちがすり減り、ペンキも剥げてはいるものの、指先に伝わる温もりが、
(僕はまだまだがんばれるぞ)
 そう言っているような気がします。
 40年間、手足のように使ってきた操作盤でした。部屋の真ん中の投影機もそうです。病気の子どもをいたわるように毎日点検をし、修理をしながら使ってきた大切な機械でした。
(申し訳ない。今日で君たちとの仕事は終わってしまうよ)
 そう思いながら、いつもと同じくていねいに、西川さんはスイッチやボリウムを操作しました。

 そろそろ夜明けの時間でした。西川さんの指が魔法のように操作盤を走ります。真っ暗だった部屋がだんだんと明るくなり、最後の星が消え、太陽が東の空から顔を出し・・・。
「ありがとうございました。これからも、この小さなプラネタリウムを応援して下さい」
 西川さんの言葉に、客席から拍手がおこります。これで最後とはどうしても言えませんでした。喜びも苦労も共にしてきたプラネタリウムの機械に、申し訳なくてたまらなかったからです。
 鳴りやまない拍手を、西川さんは目を閉じて聞きました。思い出が頭の中を巡ります。この拍手は、いつか誰よりも心の通じ合う友だちになっていた操作盤と投影機に捧げられた拍手なのだと西川さんは思いました。

   ☆ ☆

 拍手の音が急に大きくなったような気がして、西川さんは目を開きました。あれれ、と思いながら客席を見回します。いつのまに、こんなにたくさんのお客さんが入っていたのでしょう。
 それに。
 西川さんは首をひねりました。操作盤がピカピカなのです。操作盤だけではありません。部屋の真ん中にある投影機からも、真新しいペンキの匂いがしています。
 ふと、操作盤に貼ってある紙を見た西川さんは、目をごしごしとこすりました。日の出・日の入りの時刻をはじめ、その日の星空のようすを書いた紙です。毎日、張り替えるその紙に書かれている日付は、40年前、西川さんがこのプラネタリウムに勤め始めた年のものでした。そういえば、帰り支度をはじめたお客さんの服装や髪型は、どう見ても40年前のものに違いありません。

 しばらくぼんやりしていた西川さんは、操作盤のかたすみに置かれているファイルに目をとめました。
『プラネタリウムで時間旅行』。
 それは、今日の解説に備えて作ったシナリオでした。プラネタリウムを使うと、大昔や遠い将来の星空を自由に映し出すことができます。閉館を惜しんだ西川さんが、心をこめて書いたシナリオなのでした。
 西川さんは、シナリオのファイルをそっとてのひらで撫でました。ファイルの表紙には、西川さんの字で2009年の日付が書かれていました。

 西川さんに語りかけるように、操作盤が、ちかちかとまたたきました。
(また長い付き合いになりますね。よろしく)
 ペンキの匂いがする操作盤が、微笑みながらそう言っているようでした。
(こちらこそよろしく)
 操作盤と投影機に頭を下げた西川さんは、自分が20歳を過ぎたばかりの若者であることに気がつきました。
 体いっぱいに力がみなぎってきます。
 明日から、また忙しい毎日が始まるんだ。
 そう思いながら西川さんは、円い天井に高く昇っていく太陽を見つめました。


※だいぶ以前に書いた作品です。
小説でも童話でもないので「お話」としました。
大人のための童話、とでも言うべきかもしれません。
過去でも未来でも任意の時代の星空が映し出せるプラネタリウムは、誰もが体験できるタイムマシンと言えるでしょう。
投影機を慈しんできた解説者に起こる小さな奇跡。
これから解説者として過ごす40年間、西川さんは、どのような人生を送るのでしょうか。

2010年06月12日

●実録?小説「天までとどけ」①

中学生の頃、手製のロケット研究に没頭した時期がありました。
その頃のことを書いた小説が出てきましたので、3回に分けて掲載します。
火遊び、ではありますが、もう時効だと思いますので・・・。

  ☆  ☆  ☆ 

 始まりは些細なできごとだった。
 9月の終わり、僕の家のベランダで湿気てしまった花火をバラして遊んでいた僕たちは、子供なら大抵そうするように、ほぐした火薬にマッチの火を近づけ火遊びを始めたのだ。
 花火に巻いてある色とりどりの紙をはがしていくと、やがて火薬がこぼれ出てくる。中に入っているのは銀色をした火薬で、ちょっと目には細かい砂鉄のような感じだった。
 マッチの火を近づけると、パチパチと勢い良く爆ぜる。さすがに火薬だけあって結構な迫力だ。
 それを見ていた清水が、自信ありげに言った。
「この火薬をさ、軽くて丈夫な筒に詰めたらロケットができるぜ」
 清水はサッカー部に入っている。やや押しが強い性格だが、それだけに行動も判断力もしっかりしていて頼りがいがある清水の言葉には真実味があった。
「ロケットか。かっこいいじゃん。やろう、やろう」
 河相が身を乗り出した。一見、ヌーボーとしているが秀才である。中学に入ってすぐの学力テストでも、学年で3位につけている。
 清水はノートの切れ端をくるくる丸め、セロテープで補強して即席のロケットを作った。長さ5センチほどのミニロケットである。その中に火薬を詰め、爆竹から引っこ抜いた導火線を突っこんでみると、なかなか格好がいい。いかにも勢い良く上がりそうだ。
 僕たちはできあがったロケットを持って近くの空地へ行き、いつかテレビで見た発射シーンを真似て、落ちていた板切れでやや傾いた発射台を作り、胸をドキドキさせながら導火線に火をつけた。
 導火線が燃え尽き、やがてロケットの下部から青白い炎が勢い良く噴き出しはじめる。
 それは本当にテレビで見たロケット打ち上げシーンとそっくりで、その即席ロケットが火柱をひいて空高く上昇する姿を、ためらいなく僕たちに予感させた。
 ところが、だ。ロケットは火を噴いているばかりで少しも飛び上がる気配を見せない。それどころか、巻いた紙がノズル部分から燃え始め、数秒後、ロケットは完全に黒こげになって燃え尽きてしまったのだ。
「ダメじゃんかよ」
 思わず強い口調で僕は毒づいてしまった。自信家の清水も、さすがにこたえたらしく何も言わない。
「機体を紙で作ったことに問題があるんじゃないかな」
 河相は、さすがに冷静で、すでに失敗の分析を始めている。
「でも、もう花火がないぜ。もう一回やろうにも、夏以外は花火なんて売ってないだろ」
 僕は言った。
 清水は何も言わない。こんなとき、もう一言、何か言ったら怒り出すに決まっているから、僕もそれ以上は黙りこんでしまう。
 思わぬ失敗に言葉もなく、いじけた気持ちのまま、枯れ草を集めて小さな焚き火を始めたとき。
 いきなり、焚き火の中から小さな蛇のようなものがシュルシュルと回転しながら、すさまじい勢いで飛び出してきて、僕たちは思わず飛びのいた。
「導火線だ。爆竹の導火線に火がついたんだ」
 その正体にすぐ気づいたのは河相だった。
「それにしてもすごい勢いだったぜ。ねずみ花火みたいだったよ」
 僕の言葉に、
「そうか、わかったぞ。ちょっとそれ、貸してくれ」
 清水は、僕が持っていた何本かの導火線を手の中でほぐし始めた。
「これだ。ほら、導火線の中に入っている火薬、色が黒いだろ。花火に入っていたのは銀色だったよな。きっと火薬の種類が違うんだよ。この黒い火薬を使えば、きっとロケットは上がると思うよ」
 河相がうなずいた。
「聞いたことがある。これはきっと黒色火薬だ。昔は本物の爆弾にも使っていたらしい」
 目を開かれた思いだった。
 もう一度実験してみた。道路に爆竹の導火線を置き、一端に火をつける。
 と、やはりねずみ花火のように火を噴きながら、導火線は激しくのたくった。
 それからだった。僕たち3人のロケット研究が始まったのは。(つづく)

2010年06月14日

●実録?小説「天までとどけ」②

 次の日から僕たちは、近所のおもちゃ屋を回っては、夏の残り物の花火や爆竹を集める仕事に熱中した。花火はあまり置いていなかったが、爆竹は1年中売っているようで、1週間ほどでかなりの量が集まった。
 花火や爆竹をほぐし、火薬を取り出す作業は、そのころ近所の星好き何人かで作っていた天文同好会
の「本部」で秘密裡に行うことにした。その部屋の扉には「天文同好会本部」といかめしく書かれた紙が貼ってあったが、実のところそこは、同好会の会長をしていた僕の自室なのだった。
「本部」での会議で、さらにいかめしく天文同好会の一組織として「宇宙開発事業団」なる部署が急遽作られ、その実験場として、初めてロケット実験を行った例の空き地を、公式の発射試験場として使用することが決定された。
 何と言っても天文同好会直轄の「宇宙開発事業団」であり、公式の発射試験場だ。僕たちの意識は高揚していた。
「実験を続けていれば、そのうち成層圏ぐらいまで上がるロケットができるかもしれないぜ」
「いや、それには多段ロケットが必要だろう。3段式か4段式が必要なんじゃないか」
「固体ロケットがうまくいくようになったら、液体ロケットも研究してみよう」
 僕たちの夢は今や、本家の宇宙開発事業団をも圧倒する勢いだったのだ。

 それから「同好会本部」であり「宇宙開発事業団」である僕の部屋での試行錯誤が始まった。
 僕たちは毎日のように集まり、ロケットを製作する作業に打ち込んだ。
 初日の実験で黒色火薬の威力はわかっていたものの、それは導火線の中にほんのわずかしか入っておらず、とてもじゃないが惜しみなく実験に使うというわけにはいかなかった。
 また黒色火薬だけを使ったロケット実験は確かにすばらしい結果をもたらしたが、強力なあまり、ロケットをよほど丈夫に作らないと爆発的に火が回ってしまい、一瞬のうちにロケットが黒こげになってしまうという事態が起こりがちであることもわかってきた。
「銀色の火薬と黒色火薬を混ぜれば、ちょうどいい力を出せるんじゃないか」
 僕らはそう考え、潤沢に得られる「銀色火薬」と黒色火薬をブレンドし、ベストミックスを探ることで、できるだけ安価に、そして効率のいい燃料を作り出すことに腐心し続けていた。
 同時に本や資料を読みあさり、少しでもロケットに関する知識を吸収することに努めた。あれぐらい熱心に学校の勉強に取り組んだら、僕だってきっと、河相より少し悪い程度の成績ならば取れるようになったに違いない。
 ともあれ試行錯誤を繰り返すうち、僕たちはしだいにロケット製作のノウハウを獲得していった。
 火薬の調合過程でわかったことは、とにかく黒色火薬の威力は絶大であることから、ロケットを飛ばすためには、銀色火薬8に対して黒色火薬2程度の割合で十分な力を得ることができるということ、また爆発的な燃焼を防ぐためには、ある程度銀色火薬を混ぜることが必要だということであった。
 さらにロケットに燃料を詰める作業も、銀色火薬と黒色火薬をできるだけ均一にブレンドしたものを、できるだけムラがないように詰めこむことが必要で、もしムラや隙間があると、その部分だけが爆発的に燃焼してしまい、ノズル以外の部分から火が噴き出したりして失敗してしまうこともわかってきた。
 もうひとつ、姿勢制御の方法も重要な技術だった。ただ紙を巻いただけのロケットでは安定が悪く、まっすぐに上がらない。当初はロケットに長い竹ひごを取りつけることでこの問題をクリアしていたが、竹ひごつきのロケットは何といっても格好がよろしくない。
 本物のロケットを真似て、機体に何枚かの安定翼を取りつけて姿勢の安定を試み、何度かの失敗の後でその技術獲得にも成功した。
 丈夫で軽く、しかも均一に機体を作る工程も、職人芸を要求される作業だった。どこかに弱い部分があると、そこから火が噴き出してロケットは火だるまになってしまう。かといって丈夫に作りすぎると重くなってしまって上昇しない。
 僕たちのロケット製作は、単純に経験値を積み重ねていくだけで論理的な検証や記録を伴なうものではもちろんなかったものの、次第に製作できる機体は大型化し、11月の半ば頃には、全長30cmほどもあるロケットの打ち上げにも成功していた。
 三人とも大いに気をよくしていたが、それでも多段ロケットの打ち上げは一度も成功しなかったし、液体ロケットに至っては、ノートに簡単な設計スケッチを描いたのみで、何を燃料として使うのかもわからないまま、一度の実験すらできない状態だった。
 僕たちは理解し始めていた。ロケット花火の大型版を作る職人芸こそ習得してはいたが、それ以上発展は望むべくもないことを。所詮は子供の火遊びに過ぎないのではないか、そんな思いが、僕の、清水の、河相の心を、ゆっくりとだが確実に侵食しつつあった。
 木枯らしが吹き始めた頃。
 僕たちは、だんだんとロケットの話題を口にしなくなってきていた。この2ヶ月間、あれほど熱中し続け僕たちだけの本物のロケットなのに、その技術をある程度確立し、数十メートルの高さに飛翔するほどの大型化を達成した時点で、急激にロケット製作への意欲が薄れていくのを誰もが感じていたのだった。
(つづく)

2010年06月15日

●実録?小説「天までとどけ」③

 紫のシルエットを描く丹沢から奥多摩にかけての山なみに、線香花火の赤い玉のような夕日が吸いこまれると、辺りは急に、うそ寒い夕暮れに包まれる。
(冬の夕暮れは、どうしてこんなに短いんだろう)
 訳もなくそんなことを考えながら、僕はロケット発射試験場に立っていた。
 空を見上げる。東の空高くには10日月が昇っており、すっかり定着した冬型の気圧配置に洗われたように、その輝きは眩しいほど白く明るい。月明かりと、まだ僅かに残っている薄明の空に、カペラの輝きだけが針で突いたように白く、鋭くきらめき始めている。
 手に持っていたロケットを、発射台に据えつけた。全長50cm、これまでで最大のロケットだった。機体に月明かりが映えて、白いボール紙製のロケットは、いっそう白く鋭く尖って見える。この1週間、部屋に閉じこもりきりで作った、それまでの技術とノウハウを結集した大型ロケットだった。
(清水と河相がいればな)
 そう思う。清水は、サッカーの試合を控えて練習に余念がない。河相は早くも高校受験のための塾に通い始め、勉強が忙しくなっていた。
 発射台に載せたロケットを点検し、最後の調整をする。ベストブレンドの火薬を詰めこんだその機体は、ずしりと重い。
 このロケットの製作に、清水と河相はいっさい関わっていなかった。彼らが、サッカーや勉強に注いだのと同じ時間と努力を、僕はこのロケットに傾けたのだった。
 発射台に作ったガイドに沿って、導火線をまっすぐに伸ばす。導火線が曲っていると、途中で火が消えてしまうことがあるのだ。
(よし)
 大きく深呼吸をした。
 マッチを擦る。うす闇のなかに灯った小さな火が、驚くほど明るい。
 導火線が燃えるかすかな音が、やがてノズルの内部へと吸いこまれ、ほんのひととき、静けさが満ちた。
(失敗か?)
 そう思った直後。
 ロケットのノズルから吐き出された炎の眩しさに、僕は目をしばたいた。
(上がれ。上がるんだ!)
 ノズルから吐き出されるまっ白な炎を見つめ、僕はただそれだけを念じ・・・。
 次の瞬間、すさまじい速度で紫の夕空へと舞い上がった僕のロケットは、ますます白い輝きを増し始めていた10日月に吸い込まれるように見えなくなっていた。焼け焦げた発射台と、月明りの空にまっ白に残る煙を見なければ、この1週間、何もかも忘れて作りあげたロケットが、初めからこの世に存在しなかったのではないかと思えるほど、それは一瞬のできごとだった。
 ロケットが消えた空を、僕はいつまでも見上げていた。
 月明りの夜空に、次第に星の数が増えてくる。
 ロケットは、落ちてこなかった。
 てのひらに残っている、ロケットの重さと冷たさを確かめるようにぎゅっと拳を握り、僕は12月の風の中に立ち尽くしていた。(おわり)


☆ノンフィクション度90%のロケットボーイ小説、いかがでしたか。
清水も河相も実在の人物です(敬称略ですみません)。
特に天文界で活躍している清水は、ご存知の方もいるのではないかと・・・。
彼らは、当時のことを覚えているかな。
東大和天文同好会からは、今日の天文界を担うアマチュア天文家多数を輩出しています。
なんとも奇抜で異常でヘンタイで面白い同好会でした。
天文雑誌写真コンテスト入選常連のY会長のもと、創立37年が過ぎた今も続いていますよ。

2010年08月04日

●小説「Ride On Stardust」①

 かなり以前に書いた小説で、星ナビの前身である「スカイ・ウォッチャー」誌が行っていた文芸賞で2席に入賞した作品です。
 先日、突然「バイクに乗りたいなあ」と思い、この小説を思い出しました。
 若書きの部分もありますが、バイクと星で青春を過ごした当時を思い起こしながら書き綴っています。 

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  トタタ・・・。
 文庫本を閉じ、そろそろ眠ろうと思ったときだった。不意に部屋の外で乾いた断続音が響いた。
 バイク。単気筒エンジン、たぶん250ccクラスだ。
 反射的にカーテンを閉じた窓に歩み寄ろうとして、ふと気づく。
そうだ。バイクでこの家へやって来る仲間など、今は誰一人いないはずなのだ。
 苦笑しながら僕は、それでも部屋のすぐ外の路上から響く鼓動にも似た排気音に耳を傾けていた。
 いつか心の奥深いどこかを、いくつもの断片的な、それでいて輝くほど鮮やかな記憶がよぎってゆく。
 目を閉じた。古いアルバムを開くように、そんな記憶の1ページが甦る。
 まだ星が残る夜明けのワインディング。冷たい朝焼けに向かって、それぞれのリーンアングルで飛びこんでゆく仲間たちのシルエット。テールランプが灰色のアスファルトに赤く残像を描き、仲間たちに続いて僕も、タイトなコーナーに向けて車体を寝かしこんでゆく。シールドごしの傾いた視界のなかを、センターラインの白さだけがすばらしいスピードで流れ去り、クリッピングポイントからアクセルを思いきり開けながらコーナーの出口へ向けて立ち上がる・・・。
 あの夜明けの大気の冷たさ、そしてヘルメットのシールドをかすめてゆく風の音が、昨日のことのように
鮮やかだった。あの頃、僕らの傍らにはいつでもそれぞれのバイクがあったし、頭上にはいつでも共に見上げる星空があった。
 静まり返った住宅街に、単気筒の規則的なアイドリングは、僕を誘うかのように時折空吹かしを繰り返しながら、かなり長いこと響いていた。
 やがて、何かを諦めたように回転を上げてバイクの音は走り去ってゆき、しだいに遠ざかるその排気音を、若い日を懐かしむ老人のような心境で、僕はいつまでも追い続けていたのだった。

Riders03.JPG

 国立天文台で行われた研究会が終わり、夕方遅く、天文台から電車で1時間弱の実家へ戻ってきていた。
 東京への出張のときは、大抵は郊外にある実家に泊まる。
 バイクの音が遠ざかり、やがて夜更けの住宅街特有の静寂が部屋のすみずみにまで満ちる頃、ベッドサイドの時計の針は、そろそろ0時を回ろうとしていた。
 ベッドに横になり、部屋の明かりを消し目を閉じた。耳の奥で、先ほどのバイクの排気音がまだ低く響いている。
(8年か・・・)
 僕は思った。
 公開天文台の仕事につくために、生まれ育った東京を離れ、岐阜県の山村へと移り住んでから、それだけの歳月が確実に傍らを通り過ぎていた。
 たまさか東京に帰り、生まれ育ったこの部屋でこうして眠りにつく時、僕はいつも奇妙に醒めた感覚で8年間の長さと重さを実感する。忙しい日々の暮らしの中では、過ぎた歳月を振り返るゆとりなどないのかもしれないし、あるいは子供の頃からずっと過ごしてきたこの部屋の香り・・・錆びた弦が張られたままのギター、15年以上も針を落としたことのないLPレコードの束、とうにメッキの曇った10cm反射鏡筒などから漂うセピアの輪郭をもった・・・が、そんなノスタルジックな感傷を誘うのかもしれなかった。
(あの頃・・・)
 耳の奥でまだ低く響いている単気筒の排気音に、懐かしい仲間たちの顔と青い星空、そしてバイクのバイブレーションがオーバーラップしてゆく。
(すべて通り過ぎたことだ。今、僕らは皆、それぞれの場所でそれぞれの人生を生きているのだから・・・)
 ほの暗い諦めが心の底を水のように流れ、その水の冷たさはやがてゆっくりと心を浸してゆき・・・いくばくもなく、僕は眠りに落ちていった。
 単気筒の排気音が、やはり遠く、低く、どこからともなく響き続けている・・・。(つづく)

2010年08月05日

●小説「Ride On Stardust」②

・・・風が、動いていた。青い闇の底で冷たい金属光沢がかすかにきらめく。シフトを1速に入れる音。突然、いくつものエキゾーストノートが重なり・・・。
 クラッチを切りギアを入れると、急速に小さくなってゆく赤いテールランプを追って、僕も走り始めていた。
タコメーターの針がダンスをするように揺れ、2速、3速とシフトアップしながら、フェアリングの表面を後方へちぎれ飛んでゆく風の声を聞いている。
 朝焼けのコーナーへ一直線になって侵入してゆく仲間たちのバイク。バックミラーの中で、西に落ちかかったオリオンが小刻みに震えている。
 冬の始めらしかった。それぞれのバイクのリアシートにパッキングされている望遠鏡。
 そうだ。今、僕らは夜を徹して写真を撮影し、あるいは星雲・星団を巡った一夜の成果と充足、そしてそれに見合った眠さと疲労をバイクのリアシートにくくりつけて、明けかかる奥多摩のワインディングを帰路につこうとするところだった。路面は所々白く凍結し、慎重に車体を寝かしこみながら、しだいに明るさを増してゆく東の空へ向け、いくつものコーナーをクリアーしてゆく。やがて金星の白い輝きだけが消え残る頃、遥か眼下に、いまだまどろみのなかに沈む奥多摩の町あかりが点々とその数を増しはじめる・・・。

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 あの頃、いつもバイクだった。生ぬるく湿った夜気が体中にまとわりつく夏の夜も、氷の方がまだ暖かいと思えるような風が全身を貫く真冬の明け方も、僕らはそれぞれのバイクに観測機材をくくりつけ、暗い夜空を求めてひたすらに走っていた。今ならば当然車を使うところだったが、あの頃、タバコ代すら賄えない貧乏学生ばかりだった僕らにとって、車を買うなどという贅沢は夢のまた夢だったのだ。
 それならば、貧困に打ちひしがれ、仕方なく安価な輸送手段として、危険で不便極まりないバイクという乗り物を選択していたのがその頃の僕らだったのかと問われれば決してそんなことはなく、僕らは皆、いつもある種のヒロイズムを感じながらバイクのハンドルを握っていた。
バイクは確かに、暑さ寒さに直接身をさらし、雨が降れば濡れ、怪我や死は常に隣り合わせであり、望遠鏡をはじめとした観測機材の運搬にも適しているとは言いがたい乗り物だったが、それでも仲間の誰もが、星を見に行くといえばバイクで集まり、寒いだのつらいだの文句を言いながらも、バイクで切り裂く季節の風を星空とまったく同じ自然の断片として感じとり、一晩の星との語らいをより印象深い記憶として心に刻みつけてゆくことに価値観を見いだしていたのだった。
「車で星見に行くなんて軟弱だ」・・・。いかにも手前勝手だが、ライダーとしては心から同意できる若さと覇気、そんなものをあの頃の僕らは、確かに誰もが持っていたように思う。

「おい、このバイク、どうしたんだ。お前、免許持ってたっけ?」
 皆の問いにIは、へへへ、と曖昧な笑いを浮かべながら、
「おやじのバイクだよ。ちょっと借りてきた」
 そう言うと、その50ccのビジネスバイクにまたがり、あっと言う間もなく、白煙だけを残してその場から消えていった。
 流星観測会の最中だった。空は快晴で、そろそろ出現数を増やし始めたペルセウス座流星群が退屈しない程度に飛んでいたものの、辺りを一回りしてきたIが帰ってきてからは、もうみんなバイクに夢中になっていた。代わる代わるハンドルを握っては、慣れないクラッチ操作にウィリーしたりエンストしたりしながら深夜の畑の道を走り回った。
 結局その晩の流星観測は不満足な結果に終わったものの、仲間の全員が原付免許を取得したのは、それから1週間もしないうちのことだった。

 「ちょっと、あの車、むかつかねえか?」
 僕の左隣に並んだSが、ヘルメットのシールドを上げてそう言った。右隣のAも「さっきさ、危なかったよ。
いきなり幅寄せしてきてさ」
 そう言って、険しい目付きをする。
 「やるか」
 ふだんは温厚なYが、ぼそりと言った。
 清里からの帰りだった。皆のバイクのリアシートには、望遠鏡やテントがくくりつけられている。
 信号が青になった途端、真っ先に飛び出していったのはIだった。続いてSがフルスロットルで続く。
 目の前を1台のコルディアターボが走っていた。ずいぶん前から、しつこく僕らに幅寄せをしたり、接触しそうなほどに車間を詰めたりを繰り返していた車だ。
 XJ400に乗ったYがアウトからコルディアを追い越す。続いてDT125のIがインから前に出る。5台のバイクに囲まれたコルディアは、ローリングをしながら振り切ろうとするものの、やがて追い詰められる形で道の端に停車させられた。運転席側のウィンドウが開き、20歳前後の若い男が怒鳴り声を上げる。
 「てめーら、ふざけんじゃねえぞ」
 その男の襟首をSが鷲掴みにした。
「ふざけてんのはどっちだ。ぶん殴られてえか」
 Sは喧嘩慣れしている。本気で怒っているSの暗い表情に凄みがある。
 しばらくSと男の問答が続いた。と、やおら男が大声で泣き出す。
 「わかったよ。俺が悪かったからもう勘弁してくれよ」
 男の隣で、その彼女らしい女の子が震えているのを見たSが手をゆるめた。
 「まじめに運転すれば何も言わない。行っていい」
 タイヤを鳴らして走り去るコルディアをしばらく見送っていたSは、やがてシールドを下ろすとゆっくりと走りだした。僕も、仲間も、Sの後からゆっくりとギアをシフトアップして加速してゆく・・・。

 5月の野辺山。異様な大きさで北天にかかる、アイラス・荒貴・オルコック彗星を僕らは見上げていた。星明かりに電波望遠鏡のシルエットがほの白く浮かび、見る間に星空を移動してゆく彗星の姿をポタ赤に乗せたカメラで切り取ってゆく。
 傍らにはその頃乗っていたDR250。隣で写真を撮るAのバイクはXT250。2台のオフロードバイクで、
僕とAは野辺山へやって来ていた。
 それにしても寒い。バイクで夜風を切り続けてきたこともあり、ガイドもままならないほど手が震える。
 ようやく撮影を終えた僕らは、途中の大月で買ってきたほかほか弁当の包みを開いた。
「げっ。凍ってやがる」
 Aが悲鳴に近い声を上げた。
 半分ほど食べたものの、氷点下にまで下がった気温のなかで食べる凍りついた弁当は、撮影の後で予定していた彗星捜索をする気力を完全に失わせるに充分すぎるものだった。
 東の地平線には、M31が小さな白い雲のように昇りはじめ、シュラフにくるまった僕は傍らのAに軽口をたたいた。
「あの辺りに、彗星がいたりしてね」
・・・その夜、菅野・三枝・藤川彗星がM31のすぐ近くに発見されたことを知ったのは、家に帰り着き、たっぷり眠ったあとのことだった。

☆ ☆ ☆

 翌朝早い新幹線で岐阜へ帰った。
 車窓を流れる朝の風景を見つめながら、昨夜見たいくつもの夢のことを思い出している。
(野辺山での一夜は傑作だったな)
 あの夜、やはりそのころ彗星を探していたSはといえば、バイク(CBX125Fだった)で奥多摩へ行き、さあ、これから捜索だという時に知り合いの星好きとばったり出会い、意気投合して朝まで酒を飲んでいたという。
(本当にあの頃は、毎日が傑作だった・・・)
 車内販売のコーヒーを飲み終えると、僕は目を閉じた。
 風が、流れている。夏の終わりの風だった。

 帰宅すると、かなりメールがたまっていた。メールを読み流してゆくうち、懐かしい名前を見つけて目をとめる。
『・・・久しぶりにバイクを動かしました。もう10年エンジンをかけていないのでダメかと思いましたが、ちゃんとかかるではありませんか。ちょっとキャブを掃除すればノープロブレムのようです。それにしても懐かしいですね。晴れた晩にはいつもバイクを連ねて星を見に行ったあの頃、ほんの昨日のことのように思いだされます・・・』
 Yの書きこみだった。お互い住む所も遠くなり、滅多に会うこともなかったが、メールでのやりとりは続いていた。
 偶然とはいえ、もう10年以上も話題に上らなかったバイクのことがこうしてメールにアップされたことに、
僕は不思議な巡り合わせを感じていた。
『実は・・・』
 パソコンに向かい、僕も昨夜のことを書き綴りはじめる。
 翌日からのメーリングリストは、久しぶりに星とバイクの話題で賑やかなものとなった。お互い、すっかり
忘れてしまっていたようなエピソードが何人もから綴られ、僕も長文のメールを何度も書いた。
 やがて9月が終わり、メールのやりとりもしだいに少なくなりはじめ、秋風と共に、僕も、古い仲間たちも、それぞれの生活に還っていった。

☆ ☆

 10月。僕は2カ月ぶりの東京の風のなかにいた。
 今回も出張がらみだった。プラネタリウム関係の集まりに参加し、2泊3日の日程が終わって今夜は実家泊まりだった。
 ベッドサイドの時計を見た。夜の11時を回っている。
 (そろそろ、寝ようか)
 読みさしの天文雑誌を閉じ、明かりを消そうと手を伸ばした時。
 トタタ・・・。
 乾いた音が窓の外で響いた。
 一瞬はっ、としたものの、僕はすぐに苦笑した。たぶん、この前と同じバイクだ。近所の誰かがバイクを買い、乗り回しているのに違いない。
 あらためて明かりを消そうとした僕は、いぶかしくベッドの上に起き上がった。
 バイクの音が増えていた。単気筒だけではない。4気筒の低い音、そして2サイクルエンジンのかん高い音も交じっている。
 躊躇した時間は、ほんのわずかだった。一瞬の後、転げ落ちるように僕は階段を駆け降りていた。
 玄関の鍵をもどかしい思いで開く。開いた扉の向こう側から、うす青い大気が流れ込む。

「やあ」
 ひんやりとした10月の夜風のなかに、いくつものなつかしい顔があった。そして、仲間たちがそれぞの体を預けているどれもが型遅れのバイク。SのCBXのリアシートには、自作の10cmF5反射がくくりつけられている。
 バックミラーにかけていたヘルメットを手にとったIが、昔と同じさりげなさで言った。
「奥多摩に行こうよ。今夜は新月だから」

 しばらくぼんやりとしていた僕だったが、すぐ我に返ると、ガレージの片隅で埃をかぶっていた250cc4気筒のカバーを取りのけた。
「エンジン、かかるかな」
 僕の呟きを聞いてYが言う。
「きっとかかるよ。10年なんて、あっと言う間さ」

 ガレージの上に、青くオリオンがのぼっていた。震えるオリオンをバックミラーに映しながら、僕らはふたたび、星空へ向かって走り始める。(おわり)